噛みつかれる王家
ざわっ、と、貴族たちがざわついた。
突然の献上品の登場と――そして、先頭を歩く美女の姿の、その両方に。
「アリシア――!?」
私の驚きの声は、貴族たちのどよめきに掻き消され、誰の耳にも届かなかっただろう。
まさか、と私は目を疑った。
あの、地味で、卑屈だったアリシア。
着飾ることも、愛らしく振る舞うことすらしようとしなかったアリシア。
清貧で、貞淑で、一切の華美を己に禁じたかのように、年がら年中埃に塗れていたアリシア。
それが――今や全くの別人だった。
他者を威圧するような鮮やかさの、胸の大きく開いたドレスに身を包み。
それ自体が光を放って輝いているかのような宝飾品を鈴なりに身に着けて。
毅然と胸を反らし、筋金を通したかのように背筋を凛々しく伸ばして。
長い栗色の髪を、豊かに、そしてこれ以上なく扇情的に結い上げて。
一歩一歩、集まってくる羨望の視線を蹴散らすようにして――。
アリシアはゆっくりと王太子の御前に進み出てくる。
ユリアン王子には――その人物が一体誰であるのかわからなかったらしい。
さっと視線を横に振ると、私の両親であるハーパー公爵夫妻でさえ、それが自分たちの娘だとはわかっていないようだった。
カツ、カツ……と、高いヒールを鳴らして、アリシアは王太子殿下の御前で足を止めた。
それから、意味深な一瞬の間とともにユリアン王子の目を見つめてから――ゆっくりと一礼した。
「お久しゅうございます、ユリアン王太子殿下。ハーパー公爵が長子、アリシア・ハーパーに御座います。王太子殿下、並びに王太子妃様におかれましては、ますますご清栄のことと――お慶び申し上げます」
アリシア――ユリアン王子の口がそう動いたのを、私は見逃さなかった。
それがかつての己の婚約者だったとわからなかったという驚愕を滲ませて、ユリアン王子は焦点の合わない目でアリシアを見つめた。
深々と一礼してから、アリシアは何の震えも怯えもない声で、朗々と言った。
「今日、私が持参いたしましたのは――私が近く輿入れする予定であるハノーヴァー家内で新たに醸造いたしました、新作の最高級蜂蜜酒で御座います。まだ試作段階でありますが逸品である故、この品を誰よりも先に王太子夫妻の御下に届け、ご賞味いただきたい一心で、辺境の地よりはるばる持参いたしました。何卒お納め下さいますことを」
蜂蜜酒だと? 私は姉の背後にずらりと並んだものをしげしげと観察した。
なるほど、アリシアの後ろについてやってきた台車には、琥珀色の液体が封入されたガラス瓶が満載されている。
瓶に貼り付けられたラベルは私が見たことのない銘柄のもので、そこには大きくハノーヴァー家の紋章が描かれている。
そこでアリシアは、許可を求めるかのように、再び恭しく一礼した。
その堂々とした立ち居振る舞いに、ユリアン王子は少し怯えたように口を開け閉めし、これ以上なく無様に動揺した。
これがアリシアなのか――私はまだ信じられない気持ちでいた。
その圧倒的に洗練され、磨き上げられ、完成された美貌に、ではない。
今のアリシアからは、妹である私すら今まで一度も見たことのない空気が放たれているのが、ここからでもわかる。
それは威厳としか言い難いもの――人を畏怖させ、無条件に傅かせる、不可思議で神聖なオーラ。
その凄まじいオーラの存在が、私にアリシアと眼の前の美女が同一人物であると理解することを確実に阻害していた。
その溢れ出る威厳と、それに裏打ちされた隙のない立ち姿は――誰かに似ていた。
そう、私が幼い頃出会った、唯一私の味方ではなかった人間のそれ。
姉のアリシアが心酔し、人生の師と崇めてやまなかった女性のそれ。
『今までに自分の手で何かを手に入れたことがありますか――?』
そう私を叱った、先代の聖女――。
王妃エヴリン・クレイドルに――今のアリシアの所作は生き写しだった。
アリシアの声に、しん、と大広間が静まり返った。
この会場にいる誰もが、その圧倒的で不可思議な威厳に打たれてしまったようだった。
この空気を動かすのは、この会の主宰者であるユリアン王子のはずだった。
だがユリアン王子は、あ、とか、う、とか、声にならない呻き声を上げるだけで、もはや王子としての威厳などどこにもなかった。
ユリアン王子も、母親の亡霊としか思えないアリシアの立ち居振る舞いに恐れ慄き――完全に呑み込まれてしまったようだ。
ニヤ、と……私の唇が、意志に反して持ち上がった。
私はゆっくりと、固まったままのユリアン王子に歩み寄り――頭を下げたままのアリシアに近づいた。
何を――? と、慌てたように私を見たユリアン王子を押しのけるようにして、私はアリシアに言った。
「ハノーヴァー候、心よりの献上品、痛み入りましたわ……本日の夜会はこの蜂蜜酒で乾杯いたすこととしましょう」
私が言っても、アリシアは顔を上げなかった。
この反応では、まだ不満であるらしい。
その頑固さに満足しながら、私は姉の肩に手を置いた。
「どうぞお顔をお上げになって。ね、お姉様――?」
お姉様。
私が敢えてそう促すと、アリシアはゆっくりと顔を上げ――私を真正面から見た。
アリシアは私よりも一段低い場所に立っていたけれど。
その瞬間の私とアリシアは、間違いなく同じ目線で見つめ合っていた。
アリシアの顔は、無表情だった。
でも、その瞳には間違いなく、私に対する敵意が潜んでいた。
もう二度とあなたに何も奪わせない。
もう二度とあなたに何も嗤わせない。
私はもう――独りではないのだから。
よく見れば、鏡に映った像にしか見えない双子の姉の目は、明確にそう言っていた。
その瞳の勁さに、私は深い満足を覚えた。
やっとこういう目を取り戻したか――。
私はその瞬間――何故だか、泣きたくなるぐらいの懐かしさを覚えて、笑った。
思わず浮かんだ私の笑みに、アリシアは一瞬だけ不審そうな目をしたけれど――それも一瞬のことだった。
ひとしきり、まるできょうだい喧嘩のように睨み合った後。
さて、と、私はユリアン王子の顔を見上げた。
「さあ、殿下。ハノーヴァー候からの献上品を諸侯へ! 今日はこの美酒にとことん酔いしれることにいたしましょう!」
私がその場の空気を一新するように明るい声を出すと、やっとユリアン王子も王太子としての威厳を取り戻したようだった。
「あ、ああ……」と気後れしたような声を上げて、ユリアン王子は広間にいた給仕たちに蜂蜜酒を注いで回るように令した。
アリシアは一礼し、踵を返すと、やはり威厳ある足取りでハノーヴァー辺境伯の下へ戻っていった。
す――と、美貌の青年の側に収まったアリシアを目で追いながら、私は心の中で笑った。
グウェンダル・ハノーヴァー、そしてあの青年――ロラン・ハノーヴァーという青年は、どうしてなかなかのやり手であるらしい。
あのアリシアを、あの卑屈で地味だったアリシアを、よもやここまで変貌させ、王家に対して一発かます役まで与えてくるとは。
私との婚姻後、ハノーヴァー家の忠誠を試し、まるで犬ころのように王都に呼びつけ、彼らをきちんと飼い慣らしていることを諸侯に示そうとしたユリアン王子。
だが今回、その隠していたはずの本心をそっくり犬に見透かされ、手土産にと金の延べ棒を咥えてやってきた犬を見て、ユリアン王子は却って腰を抜かす無様をやらかしてしまった。
お前の本心は見え透いているぞ――という辺境伯家からの無言のメッセージは、ここに集まった諸侯にこそ強く伝わったに違いない。
全く――王家相手に、そして甥っ子であるユリアン王子相手にも容赦なく、ここまで大胆な手段で噛み付いてくるとは。
北方の狼はやはり侮りがたい反骨精神を持っているらしい。
私はアリシアと何か言葉を交わしているロラン・ハノーヴァーの横顔を盗み見た。
アリシアが、何故あなたと婚約したのか、わかった気がする。
あなたは確かに、私の姉に多くの感情を取り戻させてくれたらしい。
姉は変わった。それも、おそらくあなたのお陰で――それは認めよう。
けれど――私はロラン・ハノーヴァーと、次々に運ばれていく蜂蜜酒とを交互に見た。
おそらくこれも、姉のアリシアが、遠く離れたハノーヴァーで聖女たらんとした結果の産物なのであろう。
自分のことなど常に二の次に考え、馬鹿正直に農民たちの平和と安寧を願っていたアリシアは、あんなことがあったというのにまだ聖女の真似事を辞めていないらしい。
やはり――多少人としての情動を取り戻したところで、アリシアはまだまだ聖女であり、おそらくそれは、婚約者のロランが望んだことなのだろう。
私は薄笑みを浮かべた。
ロラン・ハノーヴァー、今度は私があなたに教えよう。
妹である私が、今までどんな気持ちで姉のアリシアを見ていたのか。
あなたが姉にさせようとしていることが、一体どういうことであるのか。
今度は私が、私があなたに教えてあげよう――。
私は低く笑いながら、ロラン・ハノーヴァーの整った横顔を見つめ続けた。
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