憐れまれるわけにはいかない
運命の日は、どうやら晴れるらしい。
私は馬車の窓から、ぐんぐん高度を上げていく太陽を眺めながらそう思った。
秋の高い空には、雨を呼ぶ雨うろこ雲や箒雲もないし、ハノーヴァーではあんなに存在感を持っていた入道雲も、見渡す限りどこにも存在していなかった。
既にハノーヴァー領を遠く離れ、王都にあと一息というところまで馬車は来ていた。
まるで要塞のようだったハノーヴァーの山々は遠くに見えなくなり、代わりに、ハノーヴァーの何倍も広い麦畑が十重二十重に連なっている。
クレイドル王国の王都・イステレニアは、海沿いであるために気候も穏やかで、広大な穀倉地帯に囲まれた城塞都市だ。
この大陸有数の広さを持つ平地は雨も土も極めて豊穣で、その豊かさに裏打ちされた経済力がクレイドル王国を大陸有数の大国にのし上がらせた一因となっている。
しかし――この半年と数ヶ月で青い山々を見慣れた私にとっては、王都周辺は広すぎて、少し身の置きどころがなく感じてしまう。
なんだか自分が今何処に立っているかわからないような不安感は、ちょっと前までなら感じたことのないものだった。
思えば私はすっかりハノーヴァーに慣らされたな――と妙な感想を抱いていると、ほう、とロランがため息をついた。
「豊かだなぁ、王都の周辺は――何度来ても羨ましい限りだ」
まるで老人のように、ロランは遠い目で黄金色に波打つ麦畑を見ている。
ここはちょっと広すぎる、などと考えていた私は、慌ててロランに調子を合わせた。
「ええ、そうですわね。ハノーヴァーにもこれだけの麦畑があれば――」
「農民は飢えることもないだろう。多少の不作があったとしても、餓死や逃散なんてしなくて済むんだろうね。――七年前の飢饉では、王都はどんな具合だった?」
「そうですわねぇ、やはり動揺はしていましたけれど、決定的に飢えてはいないような感じでしたわ」
はぁ、と私はため息をついた。
「むしろ問題になったのは、農地を捨てて王都に流入した農民たちの存在でした。彼らは乞食同然で王都に入り込んで、物乞いをするやら行き倒れるやら打ち壊しを働くやら――挙句の果てには悪い疫病も流行して、まるで神から見放されたかのようにゴロゴロと死んでゆく……見ていて胸が締め付けられましたわ」
「あ……すまない。嫌なことを思い出させてしまったようだな」
ロランはちょっと慌てたように言い、また窓の外に視線を移した。
「しかし、飢饉や不作は結局は起こりうることだ。祈っても願っても、結局天の思惑は人間がどうすることもできない。僕ら人間にできることはそれに備えて、生き延びる方法をひとつでも多く残すことだけだ」
ロランはぼんやりとした口調でそう言った。
何だか、いつも以上に感傷的になっているらしいロランを、私はちらちらと観察した。
いつも貴族の子弟とは思えないほど簡素な服装が常のこの人には珍しく――今彼が着ているのは一分の隙もない礼装だった。
如何にも武闘派貴族のそれ、と言えるような、漆黒で荘厳で、華やかというよりは、今より王都にて一戦交えんとするかのような、軍服に近い無骨なもの。
元がハッとするような美青年であるため、たいてい何を着ても似合うんだろうなとは思っていたけれど、着飾ったロランは想像以上に美しかった。
実際はもっともっとじろじろと見回し、できることなら絵師でも呼んでこの姿を残しておきたいものだけど――内心喜んでいる私と違い、彼はどうやら礼装というものが苦手であるらしい。
久しぶりに着たらなんだか動きづらいなぁ……としきりにボヤいていた彼は、一方、その服装のせいで久しぶりに自分が貴族の子息であることを思い出したのかもしれない。
「とにかく、もっともっとその手段を増やしていかなければ――君には負担だろうけれど、アリシア、僕は君に期待してるよ。君ならもっともっと多くの人を救える知恵を出せるはずだからね」
そんな言葉をかけれらて、久しぶりに私はもじもじと下を向いた。
「いえ、そんな……何度も言いますが私は単なる小娘ですわ。そう買いかぶられては……」
「買いかぶりなものか。君が提唱した農業協同ギルド――僕はあれをなんとしても実現したい。しばらくはそのための案を練らなければね」
全く――私のようなダメ人間にしては、この婚約者は出来すぎている。
私の言うことを一笑に伏すことも、実現不可能だと笑うこともない。
この人が伴侶でなかったら私の人生はどうなっていただろうか――。
と――そのとき。
パカパカという馬の蹄の音が窓の外から聞こえてきて、ん? と私は外を見た。
「よう、アリシア様。馬車酔いしてねぇかい?」
ヘラヘラと笑いながらやってきたのは、いつもの野良着ではなく、バリッとした軽装鎧に身を包んだレオだった。
流石元冒険者らしく、馬の扱いなど造作もないと言った風のレオは、「いよいよだな」と私に笑いかけた。
「舞踏会は明日の晩だ。今日は明日の決戦に備えてしっかり食って寝ないとダメだぜ」
「もう……わかってますよレオさん。レオさんこそ、久しぶりの王都で飲みすぎないようにしてくださいね?」
「がはは、違いねぇ! 懐かしいなぁ、王都か――もう三年も帰ってねぇからな。暇を見てギルマスのおっさんに挨拶してくるとするよ」
そう言って、レオは太い指でガリガリと眦の傷を掻いた。
腐っても一村の村長であるレオが、従者として私たちの王都行きに同行することになったのは、ロランの鶴の一声があってこそだった。
あんまりゾロゾロと従者だの護衛だのを連れて歩くのは性に合わない、君に是非同行をお願いしたいんだ――というロランのアツい口説き文句に、レオは意外にもふたつ返事で従者を買って出てくれた。
レオにとって王都は故郷であり、血は繋がらないけれど、それ以上の絆で結ばれた家族がいる場所だ。
今や復興村の村長として出世した自分の姿を、育ての親やかつての仲間たちに見せたかったのだと思う。
いいなぁ、と私は少しレオを羨ましく思った。
私はどちらかというと、両親とはあまりしっくりした関係を築けず、独占できる愛情や絆を感じたことのない人間である。
更に言えば、血を分けた双子の妹とも浅からぬ確執を抱え、あろうことかこれからその妹に吠え面をかかせに行く道中なのである。
血など繋がってなくても心が繋がっている人がいる反面、血が繋がっているにも関わらず、心が繋がっていない私のような人間もいる。
如何に世の中がままならないのが常とは言え、その不公平さというか、やりきれなさが、レオのような人間に対して堪らないぐらいの羨ましさを感じてしまうのだ。
その心の動きが筒抜けだったのか――。
すん、とレオが鼻を鳴らし、「そう言えばよ……」と馬車に顔を寄せてきた。
「えっ、なんです?」
「さっき、そこにいた農民に面白いものをもらったぜ、ほら」
そう言って差し出された右手に、何かが乗っている。
私は馬車の窓から顔を出し、右手でそれを受け取って、あっと声を上げた。
「これ……青い薬……?」
そう、私の掌に乗っていたのは、ひとつまみほどの青白い粉だった。
間違いなく、それは私がマルカノー商会に売りつけた青い粉に違いなかった。
レオが満足そうに言った。
「そうだぜアリシア様。俺も驚いたよ。これを持ってた農民のおっさんは、今年はこの薬に随分助けられたって言ってたぜ。聖女アリシアの秘薬――なんて言ってな。ハノーヴァーには妙なる恵みをもたらす聖女様がおわすらしい、いっぺんお会いして礼が言いたいもんだって、おっさん遠い目してたぜ」
まさか、今まさにその女が馬車で目の前を行き過ぎているとは知らずに――。
どうやら、私の想像以上の速度と規模で、この青い薬は広がりを見せているらしい。
私がなんと言おうかと迷っていると、ニカッ、と言う感じで、レオが笑った。
「アリシア様、胸張って王都に入れよ。アンタは想像以上の人を救ってるんだ。聖女様がなんだ、王子様がなんだ、肩書なんざ関係ねぇや。アンタの方がよっぽど実のある聖女様なんだぜ。それを忘れちゃいけねぇよ」
相変わらず、このガサツの塊にしか見えない男の、一体どこからこんな繊細な励ましの文句が出てくるものか――。
その言葉に私が思わず照れ笑いを浮かべてしまうと、それを見たレオは無言で微笑み、馬車を離れていった。
「アリシア、そろそろ王都に入るぞ」
と――背後からロランの声が聞こえて、私は首を出したまま前を見た。
周囲を堅固な城塞に固められた城塞都市――。
数百年という時間、王都を絶えざる戦乱から守り抜いてきた石造りの壁が、まるで眼前にせり出してくるように迫ってきていた。
私自身、久しぶりに見る王都・イステレニアの偉容を、私はしばらく睨むように眺め続けた。
あの中に、私を裏切ったノエル、そしてユリアン王子がいる。
その事実を噛み締めて、私はぎゅっと右手の青い粉を握り締めた。
なんとしてもあの二人に現状を憐れまれるわけにはいかないぞ――。
石造りの要塞が、私にそう語りかけて来ているかのようだった。
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
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