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期待を裏切るわけにはいかない

それからというもの、私は来る日も来る日もレオのシゴキとリタの監視に耐えて耐えて耐え抜いた。

走れと言われれば地の果てまで走った。

食べるなと言われたら水さえ飲まなかった。

――というのはもちろん嘘だけれども。

とにかくやれることはすべてやった。

全てはロランや、リタやレオ、私のために頑張ってくれている全ての人々のために。

私は人生で初めて、農業以外のことを頑張ったのだった。


そして舞踏会まであと一週間に迫ったある日。

私は館の私室で運命の時を迎えていた。


私がドレスに袖を通した時、ごくり、とリタの喉が動く音がやけに大きく響いた気がした。

ゆっくりと、ゆっくりと、じれったくなるほどの時間をかけて、ドレスは私のウエストを包み込んでゆく。


ぎゅ、と、最後のボタンを締めると――リタが大きく目を見開いた。


「リタ、これ――!」

「おっ、お嬢様――! 凄いです、あんなにパツパツだったドレスが、今はこんなにブカブカに!」


信じられない、と言いたげに、リタは笑顔でドレスのウエストの生地を引っ張った。

確かに、私が数ヶ月前にここに来たときに着ていたドレスからは、一体全体、何の締めつけ感も感じなかった。

それどころか、少し前までは振り袖状態だった二の腕からも忌まわしいダブつきが消え、全体的に身体が一回り萎んだ気さえする。


じわっ、と、思わず目頭が熱くなった。

私がやった努力は決して無駄なものではなかった――。

その事実が徐々に浸透してくると、この一ヶ月間のひもじさと筋肉痛の辛さもいっぺんに吹き飛び、私の心を心地よい達成感が温かく満たした。


「凄いですわアリシアお嬢様! まさかこんなに絞ってくるなんて! これならノエル様どころか、どのご令嬢よりもきっと注目を浴びますわよ! 流石はハノーヴァーの聖女様ですわ!」


何の「流石」かはわからないけれど――ともかく、リタはまるで自分のことのように手を叩いて喜んでくれた。

へへ、と私はまるで風来坊のように鼻の下を指でこすり、照れて笑った。


「いやぁ……私なんか何もしてないわ。みんなリタやレオのお陰よ。それにロラン様も応援してくれてたし……でも正直、予想より上手く行ったというか」

「何も謙遜することはありませんわ! 正直、私だってお嬢様が本当にダイエットなんかできるとは思っていませんでしたもの! お嬢様がレオ村長と村を走っているのを見る度に、嗚呼、明日は雪か槍が降るんじゃないかと……!」

「こらリタ、いくらなんでも悪しざまに言い過ぎよ」


口を尖らせながらも、実のところ私だって信じられなかった。

何回も何回も言うことだけど、私は一ヶ月前まで、運動とは無縁の人生を生きたかった女である。

それなのに、毎日少しずつ落ちてゆく贅肉と反比例するかのように、私の心の中に未知なる気持ちが増えていっていたのだ。

走る足は日に日に軽快になってゆき、流れる汗からは何故か粘性が消えてサラサラになってゆき、村を一周するのにかかる時間も着実に短くなっていった。


運動が楽しい――信じられないことに、今の私には運動を楽しむ気持ちすら根付いていたのである。


お陰で終盤の方は野良仕事で忙しいレオに半ばせがむようにして運動に付き合ってもらっていて、腹筋の五十回ぐらいだったら難なくこなせるようにすらなっていた。

お陰で私の身体からは忌まわしい脂肪がすっかりと消え、代わりに異教徒の踊り子のようなスリムな筋肉が皮下に着実に存在感を増していっており、湯浴みの時などはそれを撫でてえへへとほくそ笑んだりしていた私であった。


とにかく、変わったことで何やら妙な自信がついたのは間違いない。

シャナリ、と、私はそんな音を意識して、今やすっかり真っ直ぐになった猫背を伸ばして立った。


「とにかく、あなたにもお礼を言わせていただくわ、リタ。後でレオさんにも何か褒美を与えねばなりませんわ。そうですわね――おイモを馬車一台分がよろしいかしら?」

「恐れながらお嬢様、レオ村長のところではイモはおそらく十二分に足りておりますわ。ここは金と銀で出来た鍬でも賜るのがよろしいかと」

「あら、それは結構ですわね! それだけの働きはしていただいたんですもの、公爵令嬢としてそれぐらいは当然ですわ」


なんだか妙なスイッチが入り、私とリタがウフフフと不気味な笑い声を発しながら小芝居に興じていた、その時。


「アリシア、ちょっといいかい?」


コンコン、とドアがノックされ、私は妙な小芝居を打ち切った。


「あ――はい、どうぞ」

「失礼するよ」


部屋に入って来るなり、ロランはちょっと驚いたように目を見開いた。

そしてそのまま、私のつま先から頭のてっぺんまで、数回視線を往復させた後、ほう、とため息をついた。


「失礼だけど……随分成果が出たなぁ、アリシア。それ、ここに来る時に着ていたドレスじゃないか。もう全然サイズが合ってないな。なんと言うか……見違えたよ」


ロランが驚き半分、感心半分という顔で言ってくれて、私の心に再び達成感が湧き起こった。

リタに褒められるのも嬉しいけれど、やっぱりロランに褒められるのが一番嬉しいのは間違いない。

さっきまでのおどけた気持ちは何処へやら、「あ、いえいえそんな……」と急に小さくなった私を見て、リタがニヤニヤと意地悪に笑った。


「ところでアリシア、ちょっといいかな」

「は、はい。何でしょう?」

「君に見せたいものがあるんだ。一階へ降りてきてくれ」


言うが早いか、ロランはさっさと回れ右をし、階段を降りていってしまった。

見せたいもの? と私が小首を傾げると、リタが何故なのか一層笑みを深くして私を見た。


「えっ――何その反応?」

「いえいえ、いくらなんでも私の口からは申し上げられませんわ。実際にアリシアお嬢様がその目で見るべきです」


意味深な一言とともに、さあさあ、とリタが背中を押した。

私は背中を押されるままに部屋を出て、外に消えてゆくロランを追った。


外に出た私は――唖然とした。

ロランが私を振り返り、どうだ? とばかりにそれを示した。


「こ、これは――!」


私は二の句が継げなかった。


そこにあったのは、「豪華な馬車」としか言いようがない、まるで光り輝くような馬車であった。


思わず歩み寄って見た私は、ひと目見てその作りの上等さに唸った。

黒を基調とした色合いの、シックだけど上品で、全く隙のない完成されたフォルム。

特別ゴテゴテとした派手な意匠こそないものの、使用されている木材や装飾はどれも入念に吟味され、職人芸で作られたとわかる上品さだった。

そしてその側面に彫られた、色鮮やかで荘厳なハノーヴァー辺境伯家の紋章。

おそらくこれだけの上等な馬車は、王家以外ならばハーパー公爵家もちょっと持っていないかもしれない。


これは――? と私がロランを振り返ると、ロランが何故か照れたように笑った。


「いやね、前々から馬車を新調する予定ではあったんだ。それを母上宛の手紙に書いたら、なんだか僕以上に乗り気になっちゃってね――今度の舞踏会にぜひこれを使って登城しなさいってさ」


ヴァレリア夫人が? と私はその一言に驚いた。

あの、一週間しか生きられないセミのような勢いで喋るヴァレリア夫人が、私のためにこの馬車を譲ってくれるというのか。


大きく尻込みした私に、ロランがちょっと慌てたように首を振った。


「あ、遠慮しないでくれアリシア。それに、こういうのは父上の趣味じゃないのさ。あくまで両親は別に用意した馬車で舞踏会に向かうよ」

「いえ、ロラン様、これはいくらなんでも、私には豪華すぎるというか――」

「気にすることはないよ。それに、この馬車を父上が送ってきたのにはきっと理由がある。きっと父上も、君のことを気にしてこれを譲ってくれたんだよ」

「えっ?」

「喧嘩はナメられたら終わり――そうだろう? それはおそらく、父上の人生訓でもあるだろうからね」


その一言に、私はハッと息を呑んだ。

妹と婚約者に裏切られた私にとって、きっと針の筵になるだろう今度の舞踏会。

グウェンダル辺境伯は、どうしても卑屈にならざるを得ないだろう、その時の私の立場を考えてくれている、そういうことなのだろうか。

喧嘩はナメられたら終わり――そう言っていたレオと共通するものが、「黒幕辺境伯」にも一致して存在するのかもしれない。

どうかハノーヴァー家の威信を傷つけてくれるな――この馬車は、優しさ以上に、そんな辺境伯の無言の命令も含まれているに違いなかった。


そう考えると、豪華だとばかり思っていた馬車が、何だか威圧感を持って見えてきた。

この馬車に相応しい人間になって晩餐会に挑むがいい――そう言われているようで、私の中からさっきのお花畑気分が消し飛んだ。


じっと馬車を見ている私に、ロランが少し不思議そうに言ってきた。


「アリシア、やっぱりイヤかい?」

「いいえ、むしろ逆ですわ」


私はすう、と息を吸った。

自分はどうやら思った以上に色々な人の期待を背負っているのだと理解して、私はロランに言った。


「ロラン様」

「あ、ああ」

「一週間後の舞踏会、よろしくお願い致します」


私が少し頭を下げると、ロランがちょっと慌てたようだった。


「ど、どうしたんだよ急に? お願いするって何を?」

「決まってます。私が王太子夫妻に吠え面をかかせる件ですわ」


ぞんざいな口調で私が言うと、ロランは大層驚いたらしかった。


「アリシア……」

「この馬車は辺境伯様たちの、私への期待の現れだと思いますから。私も絶対に期待を裏切るわけにはいきません。必ずやハノーヴァー辺境伯家これにありと、そう言える舞踏会にしてみせますわ」


私はそう言い、ぐっと拳を握り締めた。

そう、私はもう、何も知らなかった十八歳の小娘ではなく、今やハノーヴァーの未来そのものなのだ。

ゆくゆくは夫となるだろうロランにも、そしてその義理の両親にも、復興村の人々にも、誰一人恥はかかせられない――。


こうして私の中で、ようやく本格的に覚悟らしい覚悟が決まった。

運命の舞踏会が始まろうとしていた。




だけど、私は正直、この時点では考えてもいなかった。

まさか妹のノエルが、あんなことをしでかそうとしていたなどとは――。




「面白そう」

「続きが気になる」

「頑張れ農協聖女」


そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。

何卒よろしくお願い致します。

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よろしくお願い致します!
― 新着の感想 ―
[良い点] 家族全員が「喧嘩上等」モードでアリシアを支えてくれているところが嬉しいです。 アリシア本人もよりいっそうの本気でアウェーに臨もうとしている様子で、場面に溢れる昂揚感が心地良いです。 がんば…
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