私、頑張ります!
ロランは鐙に足をかけて地面に降り、私に向かって手を差し伸べた。
その手を取った私が危なっかしい足取りでウェルズリーを降りると、ロランは私の手を握ったまま、蜂箱に歩み寄った。
もう夏も終わりそうな九月の風の中を、懸命に飛び回る蜂たち。
こう見えて蜜蜂は温厚な生物であるから、近寄ったところで刺されるようなことはないと以前教わっていた。
私たちは手をつないだまま箱の傍らにしゃがみ込むと、空へと舞い上がってゆく蜜蜂たちをしばらく何も言わずに見つめ続けた。
帰還した蜂たちは巣箱の前で仲間と顔を寄せ合い、まるで挨拶を交わすかのように触角を動かしてから、そそくさと焦ったように巣の中に入ってゆく。
巣門から出てきた蜂たちはしばし降り注ぐ日光の眩しさに驚いたように立ち止まった後、覚悟を決めたように羽を広げ、ぱっと飛び上がってゆく。
少しの時間の間に繰り返される勤勉な蜂たちの営み――それはいくら見ていても飽きないほど、無駄がなく洗練されている反面、どこか人間臭く見えた。
「春と違って、もう山にはそんなに花も咲いてないはずだ。これからの季節は彼らにとっては厳しい季節になるだろう――」
ぼんやりと、ロランがそんな事を言った。
確かに、以前養蜂の専門家であるダグラスから聞いた話だと、夏以降の食料が少なくなる時期には、栄養価の高い蜂蜜や蜂子を狙うクマやハチクマなどの動物が増えるため、警戒を要すると聞いていた。
他にも、このハノーヴァーは冷涼な山岳地帯であるため、冬が早く秋は短い。長い冬を乗り越える貯蜜を作るこの時期は、彼ら蜂にとって大事な大事な時期であるはずだった。
「凄いですね、もうこんなにも数が増えているなんて……しばらくネリンガ村には行ってないから……」
「そうだな。僕らはこのところ復興村のことで手一杯だ。けれど、その後のことはグスタフたちネリンガ村の人たちがちゃんとやってくれている。来年にはいよいよ蜂蜜の初出荷をしてみると手紙に書いてあったよ」
そこでしばらく無言になったロランは、やがて穏やかな表情と口調で言った。
「前、君が言っていた農民の協同ギルドって、多分この蜂たちがやっていることと同じだと思うんだ」
ロランが笑みを深くして私を見た。
「長く辛い冬を乗り越えるために皆が頑張って働く。そして皆でその利益を享受し、助け合い、慰め合って大きな困難に立ち向かってゆく。蜂たちは凄いね。誰に教えられなくても、みんなの力を合わせれば大きなことができるってわかっているんだ」
「ええ、そうですわね。彼らは本当に凄い」
私は素直にその意見に同意した。
「彼らは本当に勤勉で素直ですわ。誰に教えられなくても、強制されなくても、自らちゃんとやるべきことをやる。彼らには私ということがない。本当にお互いを信頼しあっているからできるのだと、私も思いますわ――」
それに引き換え、人間はどうだろうか――。
そこで私は少し、自分の言った言葉に対して感傷的な気分になった。
確かに、人間はこの蜂たちと同じ、個々では脆弱な生物なのに、なんでもないようなことを理由にいがみ合い、わかり合おうとしない頑固な種だ。
特に私なんかはその最たる存在――血を分けたはずの家族ともしっくりとした関係を築けず、特に最も親しいはずの、魂の片割れとも言える双子の妹との間に確執を抱える私。
家族ですらそうなのに、そんな私が本当に農民たちを協同させるギルドなんか作れるのだろうか――私がふと、そんな事を考えかけたときだった。
「――思えば、兄上とも一度だけこういう話をしたことがあったな」
はっ、と、私はロランを見た。
ロランは私を見ずに、しゃがんだ膝を抱えたまま、ぼんやりとした表情で天に舞い上がってゆく蜂たちを眺めていた。
その後、ロランは何も言わなかった。
私たちには珍しく、随分まんじりともしないような無言の時が流れた気がした。
私は膝の下に手を突っ込んで、草地に腰を降ろした。
それを言い出すのに、少し心の準備が必要だった。
しばらく迷ってから、私は言った。
「お兄様のことを――お聞きしても構いませんか?」
私が言うと、ロランはしばらく無言だった。
けれど、それからゆっくりと地面に腰を下ろし、もう一度天を見上げてから、ぽつりぽつりと言った。
「僕とは全く似てない人だったよ。勇猛で、理知的で、冷徹で――手綱を握らせればこの世の果てまで駆け回るような人だった」
ロランはぼんやりとした口調で言った。
まるですぐそこに亡き兄が立っているかのように、ロランの目は虚空の一点を見つめていた。
「僕と兄とは凄く年が離れていてね。彼が成人する頃、僕はまだまだ子供だった。兄というよりは……なんだろうな、もう一人の親のような人だった。やせっぽちで身体が弱い僕を、よく馬の背に乗せて領内中を駆け回ってくれた。その頃から兄上は護衛をつけなかったな。どうせ兄上の馬捌きには誰もついてこれないからね――そういう人だった」
なるほど、と、私はそれを聞いて何だか納得する気持ちを味わった。
確かに、ロランは私と外出するときも、護衛を連れて行ったということが一度もない。
強大な貴族の跡取り息子で、何かと危険も多かろうに、彼が頑なに護衛をつけないのは、それが当たり前であったからなのかも知れない。
それに今のロランの馬捌き――とてもこの穏やかな人には似つかわしくない乗り方だと思っていたけど、あれは兄の馬の乗り方を見ていたからなのか。
そこまで言って、ロランは眉間に皺を寄せ、少し迷ったように言った。
「本当は――あの人がハノーヴァー家を継ぐべきだった」
ロランのその言葉には、莫大な後悔のようなものが感じられた。
まるでそう考え続けることに疲れたかのように――ロランはほう、とため息をついた。
「黒幕貴族の次期当主には、僕ではなく、やはり兄上がなるべきだった。あの人だったら、何かときな臭い王家とハノーヴァー家のこじれた関係を元通りにして、この地をもっともっと豊かに、精強にしてゆくことができたと思う。それなのに――女神様は意地悪だな。女神様はあろうことか兄上の魂を御下に置きたがった。兄上が……いや、兄さんが身罷られて、もう十五年にもなる。時々馬に乗ると、あの人の事を思い出すんだ。強くて、格好良くて、広くてでかかった背中をさ」
ロランはそれだけ言うと、身体を後ろに倒し、両腕で突っ張るようにして、更に空の高いところを見上げた。
あの青々しい山々より高い場所、湧き立つ雲の向こうに兄がいるというように――沈黙は長く、長く続いた。
「あの、お兄様は、どうして……?」
私は遠慮がちに言った。
ロランに兄がいたという事実は、もちろん私も気づいてはいた。
それこそ、この蜜蜂を飼う相談をしに行った時、グスタフが「兄上」と口を滑らせたときもそうだったし、グウェンダル辺境伯やヴァレリア夫人がその事を口にしたことがないことからも。
おそらくその事実は――将来を嘱望されたその兄の死が、決して予期されたものではない、突然のことだったことを物語ってもいて、触れてはならないことなのだろとわかっていた。
だけど――私は少し気になっていた。
ときどきロランが見せる、不可思議な怒りや後悔の表情に、その理由がある気がしたからだ。
花畑で日がな一日ひなげしの首飾りを編んでいそうなこの穏やかな人が、時々信じられないほどに怒ったり、憤ったり、反面、疲れたような表情を浮かべることが、今まで何度かあったような気がする。
カールに過去ではなく前を向けと諭した時。
私が鉱山でオオカミに襲われそうになったときに見せた激しい狼狽。
前村長のルーカスをしたたかに殴りつけ、次に同じことをすればきっと命はないと言い放った時――。
尚且つ、その時のロランの意識は必ずそこにはいない。
何だか、ここではない遥か遠くの景色を見るかのように、どこか遊離したような目をしているのが常だった。
その不可解さの中に見え隠れする「過去」という失われた欠片。
それが兄の死なのだとしたら、ロランのどこか不可解な人物像が、完全に見えてくる気がした。
それでも――私の問に、ロランが答えることはなかった。
口を少し開け、喉仏を震わせて――だけど、ロランが見せたのはそれだけだった。
後は迷ったように口を閉じて、またぼんやりと空を見上げてしまった。
それ以上は話したくないし、話せないのだと。
そう言い訳するかのような沈黙が、長く続いた。
私もそれ以上の詮索はしたくなくて、同じように足を広げ、空を見上げた。
ぶんぶんと、小さな羽音を立てながら、私とロランは飽くこともなく蜜蜂と空とを眺め続けた。
不意に――ぐうう、という音が聞こえたのはその時だった。
えっ? と私がロランを見ると、ロランは少し慌てたような表情で自分の体を見た。
「ああ……そ、そろそろお昼頃かな。さて、そろそろ移動しようか。街に行って何か食事でもして帰ろう。なぁに、きょう一日ぐらいなら体重にも影響しないよ」
ロランがなんだか焦ったように言い、そそくさと立ち上がった。
昼、って――時計がないからわからないけど、体感的にはまだ十時頃のはずだ。
もちろん、イモ一個で朝を過ごした私が空腹なのはその通りだけど――ロランは朝食はちゃんと食べたはずだ。
まさか。
立ち木に結んでいたウェルズリーの手綱を解き始めたロランの背中に、私は言った。
「ロラン様、もしかして――朝食を食べてない?」
ぎくっ、と、その幅の広い肩が動いた気がした。
それから迷ったように頭が揺れ――振り返ったロランの表情には、バツの悪そうな苦笑が浮かんでいた。
「ど、どうして……」
私が言うと、ロランは参ったなぁ、というように頭を掻いた。
「いや、だってさ……君だってほとんど食べてないだろう? なんというか、僕だけたらふく食べるわけにはいかないじゃないか。それで……ま、まぁ、アリシアが気にすることじゃないよ。僕が勝手にやったことだし」
その一言に、私は心の底から驚いた。
まさか、ロランも食事を抜いていたなんて――。
たしかに最近、食事時にはどこかにそそくさと消えていっていると思ったけど、それは私に合わせて絶食するためだったのか――。
私は激しく動揺し、息を呑むやら痛む胸に手を当てるやらで、頭の中がパニックになった。
ロランはこういう人だとはわかっていたけど、まさか私を見かねて絶食するなんて。
私がプクプク肥えたのは最近明確に食べすぎていて、運動をしていなかったからで、ロランのせいでは決してない。
それなのに――この人は私と苦痛を分かち合おうと、あろうことか自主的に食事を抜くことまでしていたのだ。
それに引き換え、私は――私は自分の自分勝手さを思った。
芋ひとつ分の朝食に半べそを掻きながら食い下がり、走れば汗だく、挙げ句筋肉痛を起こす体たらく。
全ては自分の無精が招いたことの始末に他人を巻き込んでなお、私は今まで自分のことしか考えていなかった。
全く、何が聖女候補者だ、すべての人々の苦しみや悲しみを背負うと誓った元聖女候補者が聞いて呆れるじゃないか――。
その後悔と自分への嫌悪が、頂点に達した。
ウェルズリーの手綱を解いて「さ、行こうか」と私を振り返ったロランは、私を見てぎょっと目を見開いた。
「うぇ――!? あ、アリシア、どうしたの――!?」
そう、真にくだらないことに――。
私はその時、ロランの心遣いに感動して、はからずも号泣してしまったのだった。
「ど、どうしたアリシア!?」
「うっ……! ううっ、ロラン様ぁ……! ひっぐ……!」
「なんだい突然!? お腹痛いのかい!? それとも蜂に刺されて……!」
「違いばす……! 私、ロラン様がそんなごとをしでくれてたなんて、わだし、知らなくて……! それなのに、それなのにわだじ、今まで自分のことばっかり考えて……うぇぇぇん!!」
「えっ、ええ――?」
ロランはわけがわからないという表情で私を見た。
しばらくわんわんと声を上げて泣いてから、私は服の袖で涙と鼻水を拭い、それからずびびっと洟をすすり上げて、言った。
「私、頑張りますっ! ロラン様のためにもっ! こんなプクプクの子豚のまま舞踏会に行って笑われないように、誰よりも綺麗になりばすっ! 約束じまずっ!!」
私が大声で宣言すると、森の中でカラスが数羽、その大声に驚いたように空へ飛び立った。
しばらく、仁王立ちする私を珍妙な表情で見ていたロランが、ぷっ、と噴き出した。
私がずびずびと洟をすすると、わかった、とロランが言った。
「じゃあ、舞踏会には僕もとびきり着飾って行くことにしよう。でもくれぐれも無理だけはしちゃいけないよ、アリシア?」
はいっ! と子供のようにいい返事で答えて、私はもう一度だけ服の袖で涙と鼻水を拭った。
絶対に綺麗になる――綺麗になってやる。
ノエルからもユリアン王子からも、誰からも笑われないように、綺麗になって見返してやる。
私に本当の覚悟が据わったのは、その時だった。
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女。超頑張れ」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。
【VS】
新連載開始しました。
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