乗馬デート? いいえ、公務です
そんなこんなで、瞬く間に一週間が経過した。
うう、と呻き声を上げながら、私は私室の机に突っ伏して朝の爽やかな時間を過ごしていた。
もはや本を開いたり青い薬を作る気力もなく、私は意味不明の呻き声を上げるだけの肉袋と化していた。
「だ、大丈夫かいアリシア……? 相当つらそうだよ?」
「ロラン様はこの状態の私が大丈夫に見えますか……全身筋肉痛で死にそうですわ……」
「そ、そんなに運動してるのかい?」
「それはもう……ランニングの次は登山、登山の次は腕立て伏せ、腕立て伏せの次は……」
「ああ、わかったわかった。相当苦労してるんだね」
ロランはちょっと焦ったような声で私の声を遮った。
百歩譲って運動するのはいいとして、この筋肉痛というものだけは本当に勘弁してほしかった。
運動が終わった後、精も根も尽き果ててバッタリとベッドに倒れてそのまま寝てしまいたいのに、少し休むとこの忌まわしい筋肉痛とやらがミチミチと全身に起きてきて、痛みで眠れやしない。
まんじりともせず寝不足の頭で食堂に向かえば、そこで出されるのは馬鈴薯ひとつ。なるべくフォークとナイフで小さく小さく欠片に分解して賞味した後は、レオに尻を叩かれて日の暮れるまで運動、運動――。
正直、こんな責め苦を受けるぐらいだったら、あんなにプクプクに肥えるまで食べなきゃよかったのだ。
ふと……顔にかかる陽の光が眩しく感じた。
ん? と顔を上げると、窓の向こうの太陽が遥か高くにある。
私がそれを察したのと同時ぐらいのタイミングでロランが立ち上がった。
「あの、アリシア……そろそろ朝食だけど、どうする?」
私は顔を上げないまま、ひらひらと手を振った。
「今日は自主的に絶食しますわ……腹筋もバキバキで何も食べる気がしませんもの……」
「だからって……昨日の夕食も食べてないじゃないか。あまり食事を抜くと身体に毒じゃないのかい?」
ロランが心配そうな顔で言った。
私は少しだけしゃきっとした声で言った。
「ご心配なく。気分がよくなったらリタに頼んでまた馬鈴薯を蒸してもらいますから。ロラン様は私に構わず先にお食事してください……」
私が安心させるように言うと、ロランはまだなにか言いたげだったけど、それ以上は何も言うことはなかった。
「わかった、リタにも伝えておくよ」という声とともに、ロランは私の書斎を出ていった。
ちくしょう、と私は下品な呻き声を上げた。
レオの地獄の特訓は今日も間もなくやって来る。それまでにはこの筋肉痛で凝り固まった身体を少しは動けるように解しておかないといけない。
私は机に突っ伏したままうんうんと唸り、まるで椅子に貼り付いたようになってしまった腰を持ち上げる作業を始めた。
◆
「おはようございますレオさん……今日も一日がんばりましょう……」
「あ、アリシア様……俺が言うのもなんだけど、ホント大丈夫か……?」
「大丈夫ですわ……さぁ今日は何をしましょう? 木登りですか? 登山ですか? 大陸縦断ですか……?」
「そ、そんなことはしねぇよ……! 参ったな、よっぽど堪えてるなぁ」
レオはなんだか自分の行いを反省したように右の眉尻を掻いた。
このところわかってきたことがあるのだけど、レオがこの眉尻の傷を触る時は彼が困っているときなのだ。
私はギシギシと軋みを上げる身体の痛みを感じないふりで言った。
「まぁ、運動が得意ではないと聞いてたけど、ここまで体調不良が全面に出ると、流石に休んだ方がいいんじゃねぇか?」
「いえいえ、大丈夫です。レオさんのご厚意を無駄にするわけには行きませんから……」
「け、けどよ……」
「それに私だってノエルに馬鹿にされたくありませんから。これは私のためでもあるんです……」
昔からの癖で、私はどうしてもこういう時にやせ我慢をする癖がある。
それは先代の聖女様がそうであったというよりは、単なる性格のようなものだ。第一、私は妹のノエルと違い、人の好意に甘えるのが根本的に得意ではない。
そうやってしどろもどろに不調をアピールするぐらいなら多少調子が悪くてもやりきってしまえと、無謀にも頭から思い込むタイプなのだ。
必死に私を私が白々しく頑張るだの踏ん張るだの言っていたときだった。
パカ、パカ……と気の抜けたような音が向こうからやってきて、私とレオは同時に音のした方を見た。
「ロラン様……?」
「やぁレオ、今日も早いね」
ロランが館に通じる道の向こうからやってきたけど……私の目を引いたのは彼が引き連れてきた大きな黒い動物の方だった。
ブルルン、と景気よく嘶いたその動物は――。
「馬――?」
私がちょっと驚いて言うと、あ、とレオが口を開いた。
「ロラン様、そいつはヨーゼフんところのウェルズリー号じゃねぇか……いったいどうしたんだ?」
「いや、この間ヨーゼフの家でこいつを飼ってるって話を聞いててね。ちょっと借りてきた。いやぁ、見ず知らずの僕がここまで連れてきても大人しく言うことを聞いてくれてる――なかなかの名馬だぞ、こいつは」
ロランがあっけらかんと言い、つやつやとした馬の首を手慣れた動作で撫でて楽しげに微笑んだ。
「レオ、悪いんだけど今日は遠出の公務があるんだ。ちょっとアリシアを借りていいかな?」
え? と私はロランを見た。
公務? 何も言われてないけど……と口を開こうとする前に、ロランが矢継ぎ早に言った。
「それに、乗馬っていうのはただ乗ってるだけでそこそこの運動にもなる。ダイエットを休むことにはならないだろう? どうかな?」
何だかこじつけたような理由だと、私も思った。
当然、それはレオも同じだったのだろうけれど――レオはなにかを察したような顔で私を振り返り、私の顔をじーっと見て……それからロランに向き直った。
「ああ、公務ってんならイチ農民の俺にとやかく言う権利はねぇよ、ロラン様。それに乗馬ってのは確かにいい運動になるからな……アリシア様」
「はっ、はい?」
「今聞いたように今日はロラン様と公務があるらしいな? ってことで、俺は帰るぜ」
「え、ええ……?」
「それに運動に無理は禁物だ。身体に負担がかからないよう、しっかり休養を取るのもプロの仕事だ。――ってことで、後はよしなに」
よしなに――なんだかこの男の口から発せられた言葉とは思えない一言と共に、レオはさっさと私の前を離れていってしまう。
そしてロランの後ろで大人しくしている黒馬――ウェルズリー、というらしいが、それの首をひと撫でしてから、ロランに意味深な視線を寄越した。
その視線を受けたロランも意味深に微笑みを返すと、レオはなんだか小走りに村へと戻っていってしまう。
なんだろう、今の視線――まるで悪ガキがイタズラを申し合わせるような視線だったな――と思っていると、ロランが言った。
「さて、アリシア」
「は、はい!」
「聞いた通り今日は遠出の公務がある。乗っていこう」
「は、は――!」
と返事をしかけて、私はその先の言葉を飲み込んだ。
「へ? 乗っていこう……?」
「そりゃそうだよ。徒歩で行くには少し遠いところに行くからね」
「え、いや、でも……」
ロランの言葉に、私は強く尻込みした。
何しろ、私は生まれてこの方、馬になど乗ったことはない身であった。
そりゃ公爵令嬢らしく、馬車なら何度も経験はあるけれど――目の前のウェルズリーは馬としてもかなり大型の種であるらしく、馬車を引いている人畜無害を絵に描いたような中型の馬とは違う、なんだか剣呑なオーラを纏っている。
あの、えと……とどう答えようか迷っている私に、ロランは何故なのか笑みを深くし、ウェルズリーの手綱を引いたまま私の前まで来た。
ブルルッ、と、ウェルズリーが黒曜石のような瞳で私をじっと見た。
その息の湿った暖かさ、巨体のオーラに圧倒されていると、ロランが私の手を取った。
「ちょっと撫でてごらん」
そのままロランは私に有無を言わさず、私の右手をウェルズリーの首元にまで持っていった。
さわ、と指先が触れると、その見た目通りの艶やかさの毛が手に触れた。そのままおっかなびっくり上下に撫でてみると、ウェルズリーが今まで前に向いていた両耳をぱたっと両側に倒した。
リラックスしている――昔、農耕馬関連の本で読んだ情報を引っ張り出しながら、私はそう判断した。
馬は犬猫とは違い、尻尾で感情を表現することはない。その代わり、馬を扱う人間たちはその機嫌を耳で確認するという。
耳を前に向けているのは緊張しているとき、反対に、このように耳を両側に倒した時は、落ち着いてリラックスしている状態だと書いてあったはずだ。
ウェルズリーは大人しい性質であるのか、私が更に撫でると、目を細めて鼻先を寄せてきた。
わわっ、と私が驚くと、ロランがケラケラと笑い声を上げた。
「凄いな、アリシアはもうウェルズリーに気に入られたのか」
「えっ?」
「馬が鼻先を寄せてくる時はその人を信頼している時なんだよ。君には動物に好かれる才能があるらしいな」
ロランの言葉に、私はウェルズリーの巨大な顔を見つめた。
少々大きいけれど、確かにこれは猫なんかがよくやる親愛の見せ方にちょっと似ている気がする。
ウェルズリーにその広大な鼻頭で首元をごしごしとこすられながら、私は訊いた。
「ずっ、随分慣れてるように見えますけど……ロラン様は乗馬が得意なんですか?」
「おいおい、これでも僕はハノーヴァー辺境伯家の人間だぞ。北方の精強な軍馬は僕らの保有する兵力の中核だ。馬と一緒に育ってきたようなものさ……」
そう言うと、ロランはウェルズリーのたてがみを掴み、左足で鐙を踏んで、ぐっと地面を蹴った。
そのままするりと前後を取り替えると、ロランは手綱を握り、それからにこりと私に笑いかけた。
おおっ、と私も思わず感嘆する声を上げた。
「凄い……簡単に乗っちゃった……」
「さぁアリシア、今度は君の番だ……左手でたてがみを掴んで、左足を鐙にかけろ。僕が引っ張り上げる。何も怖いことはないよ」
そう言われて、私はのろのろと動き出した。
ウェルズリーのふさふさとしたたてがみを鷲掴みにし、バランスを崩しながらも鐙に左足を掛ける。
馬上のロランに右手を掴まれ、意を決した私は、いちにのさんで地面を蹴った。
「わわ――!」
初めて馬に乗ったことよりも、馬上のロランが私を引っ張り上げてくれる腕の力の強さに驚いた。
私は半ばその腕の力だけで馬の背に乗せられ――数秒後にはロランに背を預けるような形で鞍に着座していた。
一瞬、違う世界に飛び込んだような、不思議な気持ちになった。
目線が高くなったことが原因なのか、それとも初めて馬に乗った興奮がそう見せたのか、ここ一ヶ月ですっかり見慣れたはずの復興村が、いつもとは違った印象で目の前に広がっていた。
わぁ、と思わず声を上げると、爽やかな朝の風がふわっと私を撫でた。
凄い――馬に乗るということは、ここまで見える世界が変わるということなのか。
「どう? 初めての乗馬体験は?」
不意に――低い声で耳元に囁かれ、私はうひゃっと首をすくめた。
慌てて後ろを振り返ろうとすると、ロランの満足げな笑顔がすぐそこにあって、私は思わずドキリとした。
「世界が違って見える気がする――そうだろう? 馬に乗るのは久しぶりだけど――僕もいつもこの瞬間は心が踊るんだ」
ぞくっ……と、私の背筋に甘いしびれが広がった。
何しろ、ロランの顔が近い。ロランの顔が私のすぐ後ろにある。
そして次に口元の位置が悪い。手綱を握るために前傾姿勢を取ればロランの口元の位置はちょうと私の耳元で、ロランがなにか話す度に、吐息が容赦なく耳にかかる。
とどめに、ロランが私の背中越しに手綱を握っていることで、私たちの身体は今やほぼ密着し、ロランの心臓の鼓動さえ直接身体に伝わってくる気がする。
あっという間に私の顔に全身の血液が集まり、物凄い勢いで熱を放ち始めた。
ヤバい、これは……とにかくヤバい。
何がヤバいかって、これはちょっと近すぎる――。
私は必死になって冷静になれ、冷静になれと自分に繰り返した。
何を疚しい気分になってるんだアリシア・ハーパー、これは単なる領内の視察であって、決して乗馬デートなどという浮ついたものではないのよ。
それに馬は決してこういう気分で乗っていい生物ではない。馬は賢く洞察力に優れる動物だから、気に入らない人間が背に乗ると振り落とすことさえする。背に乗せている人間がこんなたまらなく助平な気持ちを抱いていることなどたちどころに見破るだろう。そうすれば私どころかロラン様までウェルズリーに振り落とされてしまうかもしれない。
それに農耕馬は古くから人間の生活にはなくてはならない存在で、数千年前の昔から馬はその力の強さや機動性を活かし、人間の歴史の発展に深く関わってきている。近世の農村に於いては馬は乗るものというよりは貴重な労働力として扱われ、馬耕鋤の発明により畑を耕すことが容易になったことで人々の暮らしは格段に向上したと言われていて――。
羞恥心のあまり動揺していることなど、ロランには筒抜けだったらしい。
フッ、とロランが笑うと、今頃真っ赤になっているだろう私の耳に再び吐息がかかった。
「……さて、気分が落ち着いたら出発だ。手綱を握って、両足でバランスを取るんだ。……少しスピードを出すけど振り落とされないようにね、アリシア」
振り落とされる? え? と私が後ろを振り向こうとした瞬間、ロランが両足でウェルズリーの両脇腹を蹴った。
途端に、ウェルズリーの全身の筋肉が躍動したように、私には見えた。
「走れ! ウェルズリー!」
ロランの大声に、ウェルズリーはまるで人が変わった――否、馬が変わったかのように嘶き、それと同時に、ずん、と目玉を押し込まれるような慣性が全身にかかった。
わわわ……! と私が悲鳴を上げるのも構わず、ウェルズリーは解き放たれた一矢のように復興村の道を駆け始めた。
「面白そう」
「続きが気になる」
「うまぴょい農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。
【VS】
短編書きました。
こちらもよろしくお願い致します↓
『じょっぱれアオモリの星 ~「何喋ってらんだがわがんねぇんだよ!」と喋らいでギルドをぼんだされだ青森出身の魔導士、クズスキル【翻訳】の新米回復術士と共にツートな無詠唱魔術で最強冒険者ば目指す~』
https://ncode.syosetu.com/n8891ha/





