ハノーヴァー辺境伯領地へ向かう
半月後。
私はハノーヴァー領に通じる道をガタボコと馬車に揺られながら通っていた。
リタの明晰な「大芝居」によって、私の両親はすっかりとその気になった。
ともすれば今日の午後にでも輿入れせよ、と言いかねない勢いの父は、そのまま嬉々としてハノーヴァー家に色よい話をした。
私とハノーヴァー辺境伯の縁談の話はあれよあれよと言う間にまとまるかに見えた。
返答は意外なものだった。
まずはなにはともあれ、アリシア・ハーパー様には我が領地にお越しいただきたい。
輿入れの話はそれからでも遅くはない――。
それがハノーヴァー家の返答だった。
その返事を受け取った時、父や母ではなく、私も、もちろんリタも珍妙な表情を浮かべた。
輿入れしてほしいと言ってきたのはあっちの方なのに、まずは事を急かずにこちらへお出でくれとは。
輿入れを希望するのか否か一体どっちなのだとハーパー家全員が首を傾げるのも当然の返答だった。
父は父なりにこの縁談が最初からフカシや罠だった可能性を考えたようだが、そんなことをする理由がない。
結局、父は私に言われるがまま、一ヶ月の期限つきでハノーヴァー領に「レンタル」されることが決まった。
「それにしてもお嬢様、よかったのですか?」
馬車に同乗したリタが申し訳無さそうな口調で私に訊ねてきた。
あれから数日の間、お嬢様が行くなら私もついていきます、と、激情家のリタは発奮して両親に喰い下がった。
もし許してもらえなければここで一腹召さんと言いかねない勢いのリタに根負けし、父は私との同道を許可したのだった。
全く、如何に昔から実の妹のように慕ってくれているからと言って、いち侍女の献身と言うには行き過ぎだと思う。
私は苦笑しながらリタに言った。
「何を言ってるのよ、この話自体リタの掌の上でしょう? 今更よ、それ」
「ですが――本心では私も、お嬢様に申し訳ないことをしてしまったと思っておりました」
リタはあの日の自分を反省するかのような口調で言う。
「あのときは私も必死で――お嬢様をあの屋敷から引き剥がしたい一心でございました。何の相談もなく勝手にあのような振る舞いをしてしまって――」
「いい、リタ。あなたには感謝してるわ」
私は「いい」に力を入れて言った。
「それに、ハノーヴァー辺境伯だって、輿入れは後で、って言ってくれてるし。まだ輿入れするって決まったわけじゃないよ」
「ですが、正直に言ってハノーヴァー家は私たちにも全容が推し量れない大貴族です。本当にお嬢様はそれでもいいのですか?」
いいのですか? と訊ねられれば、不安だというのが正直なところだった。
何しろ、ハノーヴァー家は北方の国境を抑える武闘派の有力貴族で、その軍事力は我が国の中核を担うほどだ。
一方、如何にも武闘派の骨っぽさを王家を始めとする他の貴族に疎まれているのも事実で、王都でなにか動乱があれば黒幕としてハノーヴァー家の名前が真っ先に上がるほどだ。
更に不安なことに、元々ハノーヴァー家は国境の山岳地帯を押さえる立場にいながら、歴史的に隣国とも深い付き合いを維持しており、国内の勢力を一枚岩にしたい王家からはその面従腹背を恐れられてもいるのだった。
だが、それはみんな伝聞や噂に過ぎない。
会ってみれば意外にいい人かも知れない。
どうせこれ以上転落することもないと思えば、私はリタよりも何倍も気が楽だった。
「何度も言うけど、私はね、リタに感謝してるよ。それに、ハノーヴァーの令息だって、そんな滅茶苦茶な人じゃないと思う。変な噂は聞いたことないし」
「それならよいのですがね……」
リタはまだ不安そうだったが、私の方は既に覚悟が決まってるようなものだった。
私はゆくゆくは嫁ぐことになるだろう世界の風景を、馬車から眺めた。
「それにしても……ハノーヴァー領は寂しいところですわね……」
馬車の外を眺めながら、リタが率直な感想を述べた。
確かに、どちらかといえば温暖な気候のハーパー領に対し、北方のハノーヴァー領は峻厳な山々が連なる山岳地帯だ。
もう冬も明けるというのに、遠くに見える山々にはまだ厚く雪が積もり、空は灰色で、なんだか墓石のように見える。
こういうときのクセで、私はついつい作物の実りを見てしまう。
今年も麦はちゃんと育っているだろうか、また、病気の兆候はないか。
雪解け水はきちんと畑を潤せるほどあり、またその温度は低すぎないか。
人々の表情は、草花の芽吹きは、山の生り物は――。
だが生憎、このハノーヴァー領の風景はそんな私の観察癖も役に立ちそうにない。
まず肝心の畑が、山間部であるため平地が少ないため、山間にへばりつくように点在しており、規模が小さい。
さすがにまだ春というより冬である今の時期、畑に人がいるわけがないが、どことなく活気がなく閑散とした雰囲気が漂っている。
リタの村をも襲った七年前の飢饉では、山間部であるハノーヴァー領の被害は特に大きく、一時はハノーヴァー領からやってきた飢えた流民が王都に流れ着いて問題化していた。
「ここはまだ飢饉の影響が残ってるわね……」
私はそうひとりごちた。
この山間の耕作地で、民衆が食べられる量を確保してゆくことは容易なことではないだろう。
もし、この地に輿入れすることになったなら、私は彼ら民衆をどうやって食べさせていくだろうか。
石が多いガタボコ道に揺られながら、早くもそんな事を考えている自分を、私は他人事のように傍観していた。
一話、割り込みいたします。
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願いいたします。





