売られた喧嘩は買ってやれ
レオは淡々と、しかしどこかに爆発寸前の憤懣を溜めたような声で言った。
「ナメられたら終わり――?」
「そうさ。冒険者はダンジョンや新大陸だけでなく、街道でも街の中でも常に死と隣り合わせだ。弱い奴から喰われる、それは動物でも人間でもそんなには変わらない。その上、一度誰かにナメられて格下認定されたらなかなか取り返しはつかない。そして不思議と、そういう弱い奴から死んでいくんだ」
なんだか――不穏な空気がレオの言葉から発していた。
だが、その粗暴な言葉がなんだかストンと私の中でこなれたのも事実だった。
ナメられたら終わり。それは肩で風を切って歩く冒険者ならその通りだろうが、それは貴族でもそうだ。
目には見えない上下、パワーバランスというのは確実に存在していて、なおかつ貴族社会だと、それは時に数十年後、数百年後の運命さえ簡単に決定させてしまう。
一応、私はこの国では国王の次に高名な公爵家の生まれだし、家名に傷をつけるようなことはするなと、それは父や母からも言われていたことだ。
だが、レオの言うことはもっともっと別の意味がありそうだ。
そう、それは家名や生まれの確かさではない。
もっと人間として根本的なもの――そういうことを指して言っているのかもしれない。
「それで、アリシア様はその舞踏会とやらに誘われたら出るのか?」
「え? あぁ、いや――行っても不愉快になるだけですし、適当な理由をつけて断ろうかなとも思ってるんですけど……」
「ダメだ、それじゃあ一生アンタは妹様からナメられるぞ」
レオの目がきらりと光った。
その目の光り方に、私は何故だかちょっとギクッとする気持ちを味わった。
「アリシア様、売られた喧嘩は買わなきゃダメだぜ」
へ? と私は目を点にさせた。
「いや、喧嘩って……!」
流石にそれは、と言いかけると、レオはさらさらと言った。
「喧嘩だろうさ。妹様はたぶんアンタに見せつけたいんだよ、あなたから奪ったもののお陰で私はこんなに幸せですってね。そりゃわかってるよな?」
「え、ええ……。ノエルはそういう子ですから……」
「わかってるならやり返せ。やられっぱなしじゃダメだ。それに、妹様の本心はもっと邪悪かも知れねぇぜ。アンタごとハノーヴァー家の面目を潰してやろうと思ってるかも知れない。婚約者を取るような妹様だ、やりかねねぇぞ」
「あ、それは確かに。ノエル様ならやりかねませんね……」
意外なところでリタからの援護射撃が入る。私が「ちょ、ちょっとリタ……!」とたしなめる声を発したが、リタは涼しい顔だった。
「いえいえ、事実を申し上げているだけですわ、アリシアお嬢様。私は確かにノエルお嬢様にも長年お仕えしてきましたが、正直に言えばあの方は貴方様を常に下げる言い方をなさるお嬢様でした」
確かに――それは私もそう思う。
血を分けた姉妹のこと、あまり悪し様に言いたくはないのだけれど――結局ノエルは、私ならば天下御免で下に見てもいいと、自然にそう思っているフシがある。これは私たちの確執がはっきりするはるか前から感じていたことだった。
自分とほとんど同じ顔の人間が、こんなに地味で可愛げのない人間であるならなおさらのこと。だからこそノエルは私からユリアン王子を奪う気になったのだろう。同じ顔をしているならば彼の隣りにいるのが姉ではなく私でもいいはず――私からユリアン王子を奪った時、ノエルはそう思ったに違いないのだ。
「ただでさえハーパーの旦那様と奥様に蝶よ花よと育てられたノエルお嬢様です。アリシアお嬢様のように聖女様に薫陶を受けたわけでもなし、人から愛される方法以外は何もわかっておられないような方です。それに、ノエル様の悪意の有無に関わらず、失言で辺境伯を怒らせるような発言をしないとも限りません」
「おっ、侍女さんはなかなかイケるクチだな。その通りだ。両家のデカい争いにもなりかねねぇ、そうだろう?」
「ええ、レオさん――でしたね? その通りです。ただでさえ王家とハノーヴァー家は何かと噂がありますから」
「そういうことだ、アリシア様。もうこれは単なる姉妹喧嘩じゃ済まなくなる可能性もある。そうならないためにもだ、売られた喧嘩はきっちりと買って、後で売ったことをきっちり後悔させる。これが渡世の仕組みってもんだ」
「だ、だからって私に一体何をしろと……」
私がしどろもどろに言うと、レオが言った。
「決まってんだろ。その舞踏会でアンタが抜群に人目を引いて妹様の鼻を明かしてやるんだ」
やはり農民のものではない、幾多の死線を掻い潜った貫禄の冒険者の声だった。
レオは身を乗り出してきた。
「噂では、アンタの妹様は相当な美人だって聞いてる。だがアンタはその美人様の双子の姉だって言う。顔の造作だけだったらアンタだって絶対に負けやしないはずだ。それに舞踏会まではまだ時間があるんだろ? この村に来てから随分弛んだ身体を引き締める時間もある」
「たっ、弛んだ身体――!?」
ヒイイー! と私は既のところで恐怖の金切り声を上げるところだった。
レオは冒険者で何かと目端が利くとは言っていたが、まさかそんなところまで見破られているとは。
これは内密にしてほしいことなのだけれど、実はこの一月あまり、私はちょっとだけ――いや、結構なくらい――ぶっちゃけ言うと大層に――肥えていたのだ。
一応ロランと婚約したことによる幸せ太りということなのか、それともハノーヴァー邸からネリンガ村までのお散歩がなくなったためか、おなか周りを中心にミチミチと憎たらしい肉がつき始めていた。
今の一言、誰かに聞かれなかったでしょうね……と私があたふたと周りを見渡すのにも構わず、喧嘩の流儀とやらを伝授するレオの声はまだまだ続いた。
「アリシア様、俺だって悔しいんだよ。アンタは俺たちを助けようとしてくれている。そんな人がただ可愛いだけの妹に聖女の職を奪われたなんて、俺たち農民までもがまるっとバカにされたようなもんだ。アンタはハノーヴァーの、全国の農民の意地とプライドを持って妹様と戦ってほしいんだよ」
なんだか、レオの言葉は次第に熱を帯びてきている。
その言葉の熱が引火したものか、今やリタまでもがうんうんと深く頷いて話を聞いている。
「レオ村長の言う通りですわ、アリシアお嬢様! 王太子妃がなんです! ノエル様がなんです! これから頑張って綺麗になって、ユリアン王子にアリシアお嬢様を捨てたことを後悔させてやるんです!」
「おっ、よくわかってるな侍女様! その通りだ! 一発カマしてユリアン王子に吠え面かかせてみろ! ハノーヴァー辺境伯家の株はうなぎのぼりだ! ロラン様もきっと喜ぶぜ!」
いや、言うのは簡単だけど、戦うの私よ――?
ずいずいと顔を寄せられて、私は正直心の底から困った。
でもほんの少し、ほんの少しだけ、レオの言うことに納得する自分がいたのも事実だ。
社交界や舞踏会は昔から苦手な私だったし、いざ参加しても殆どの貴族は私ではなくノエルの方に自然に吸い寄せられた。
正直その方が楽だったし自然だと思っていたのだけれど、今や私はハーパー公爵家の人間ではなく、どちらかと言えばハノーヴァーの人間に近くなっている。
貴族の子女としての責任とは別に、私のような傷物を見初めてくれたハノーヴァー家に、中でも一番、婚約者であるロランに、私のことで恥をかかせたくないという気持ちは最低限あるつもりだった。
しかし、本当に一月ぐらいで変われるものだろうか――しかも私のような芋臭い人間が。
さぁ、さぁ……! と私を焚きつける四つの目にほとほと困り果てた私は、その場から逃げ出したい一心で、遂に観念する言葉を吐いた。
「も、もう……! わかったわかった! 舞踏会には参加する! 努力もするから! 特にダイエットの部分!」
私が言うと、レオがニヤリと笑った。
「よしよし、その意気だぜ。頑張ってくれよアリシア様! そんで侍女さんも……!」
「ええ、これから徹底してお嬢様の食生活をビシバシ改めていきますから! まずは間食は厳禁! 食後のデザートも今日から禁止ですわ!」
「えっ、ええ……!? そんな殺生な……!」
私が情けない声を発すると、ガチャ、と書庫のドアが開く音がした。
「ただいま。……え? なに? みんなどうしたんだい?」
ロランが部屋に入ってきて、私たちを不思議そうに見た。
ぽかーん、と音がしそうな勢いで表情を弛緩させたロランに、私はとりあえず苦笑いを浮かべる他なかった。
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
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