辺境伯からの縁談を受けることにした
「ここを離れたいと?」
「そうです、お父様、お母様」
自他ともに認めるぶきっちょな私が、まず始めようと決意したこと――。
それはこの屋敷を出ることだった。
とにかく、環境を変える。
私がまず初めに考えたのはその程度のことだった。
もはや未来の聖女ではなくなり、第一王子の婚約者でもなくなった。
どういう形であれ、私は他ならぬ両親経由で王子との婚約を破棄された傷物である。
聖女と第一王子の婚約者、二つの未来を奪われた格好になった私がこの公爵家に居残りするのはどう考えても体裁が悪かろう。
それに、最愛の娘であるノエルのことが片づいたなら、両親の中に私の未来に対する希望はそれほどないだろう。
だが――予想に反して父母は渋い顔をした。
「アリシア、お前に色々あったのはわかる。だがな、そこまでせねばならぬものなのだろうか」
「そうよアリシア、考え直すべきだわ」
母は私を不安そうに見た。
「第一、ユリアン王子との婚約を破棄したとはいえ、あなたはまだ嫁入り前じゃない。親元を離れて一人暮らしなんかしたら周りがどんな目であなたを見るか――」
同性であるためか、私は凡庸な父よりも、むしろこの母の方が苦手だ。
この母はやんごとない貴族を絵に描いたような人で、キツイところが全くないものの、反面ここぞというときには絶対に頼れない類の「やんごとない」人種だ。
女の幸せとは伴侶を見つけて家庭に入り、その三歩後ろを無言でついて歩くこと――。
それこそが幸せであり、そっちの方が楽だと。
本心からなのかなんなのか、母は真剣にそう信じ切っているフシがある。
第一、今の私には何の体裁も取り繕うことができない。
愛らしく社交的な妹に婚約者であるユリアン王子を奪われた可愛そうな貴族令嬢、それが私に対する大半の人々の感想だろう。
その原因を作ったのは間違いなく両親でもあるのに、よくぞここまで他人事のような心配ができるものだと私は多少腹の底がむずむずした。
「そんなもの、なんとでも理由はつけられるでしょう」
私はそっけない口調で言い張った。
「病気の静養でも、精神修養でも、ハーパー家の体面を保つための言い訳ならなんでも見つけられるはずです。とにかく、今の私には一人での時間が必要です」
――こういう言い方をするから私は愛されないのかも知れない。
心の片隅でそう思ったが、私は半ばやけっぱちであった。
どうせこれ以上、侮られ哀れになれっこないところまで私の体面は堕ちている。
これでダメなら荷物をくくって夜逃げしてやろうとさえ、本気で思っていた。
うーん、と、父は腕組みしたまま唸った。
どうせ考えているフリをして、次に出てくる言葉は否定の言葉に決まっている。
私がそれを察して言葉を続けようとすると、「旦那様、奥様」という静かな声が聞こえ、部屋のドアが開かれた。
「おお、リタか。今は会議中だが……」
「それを承知で参上致しました」
隙のないリタの言葉に、父と母は顔を見合わせた。
激情家であること以外は実にスマートなこの侍女が、こんな風な言い方をすることは初めてだった。
一体、何を言う気なの――?
多少慌てた私だったが、もちろん顔には出さなかった。
「恐れながら申し上げます。今のアリシアお嬢様には、確かにここを離れて過ごす時間が必要であると考えます」
リタの言葉に、父が眉間に皺を寄せた。
「だがな……」
「旦那様。アリシアお嬢様の立場もお考えください。聖女と王太子妃、二つの未来を妹様にお譲りになった心優しいアリシアお嬢様の心中は、決して平穏なものではないはず。ほんの数年でも一人で考えをまとめる時間が必要かと」
「でもねぇリタ、この子はやはり嫁入り前だし……」
母が蒸し返す一言を発した瞬間だった。
リタの目がキラリと光ったのを、私は見逃さなかった。
「その件でございますが、私に妙案がございます」
「妙案――?」
思わず私が言ってしまうと、リタは顔を上げた。
「お嬢様が臥せっておられた間、ハノーヴァー辺境伯からハーパー家へ、アリシアお嬢様の輿入れの話がございましたね?」
ぎょっ――と、私は目を見開いた。
ハノーヴァー辺境伯!? そこから輿入れの話!?
私はすんでのところで漏れそうになった声を必死に押し留めた。
父と母がもう一度顔を見合わせた。
「リタ、お前は何を言ってるのかわかっているのか? 相手はハノーヴァー辺境伯だぞ?」
「ええ。恐れながら、このリタ・ブラナー、乱心も錯乱もしておりません」
なんだろう、この圧倒的な迫力は。
私はリタの口から語られた話以上に、リタの気迫そのものが驚きだった。
それは父母も同じらしく、二人はリタの顔を穴が空くほど見つめている。
「ハノーヴァー辺境伯家からの縁談を懸念する旦那様と奥様のお気持ち、痛いほど存じ上げております。ですが反面、これは当家にとっても利益のある話かと考えます」
リタはあくまで慇懃な口調で言った。
「ハノーヴァー家は北方の国境地帯を守る精強な貴族――。反面、独立性が高く、歴史的に隣国との結びつきも強い。王家にしてみればその軍事力や立ち位置の不確実さは常に目の上のコブであるはず。ですが、当家より王家にノエル様が嫁いだ現状、アリシア様がハノーヴァー家へ輿入れすれば、王家とハノーヴァー家には、ハーパー家という仲介者を通した姻戚関係が生じることになります」
一体この侍女は何者であろうか――。
父と母だけでなく、私でさえリタの弁舌に舌を巻いた。
「当家が――王家とハノーヴァー家の折衝係になると?」
「その通りでございます。さすればこのハーパー公爵家の王国内での地位は一段といや増すでしょう。王家とハノーヴァー家、きな臭い両者の、そのどちらにも影響力を行使できる唯一の貴族となりますので」
父の瞳に妙な色が宿った。
それはこの凡庸な男が、私の知る限り初めて見せた野心の光だったかも知れない。
既に両親の顔からは、私をなんとか言いくるめようとしていた小賢しさは吹き飛んでいた。
それがいい、いやそれしかあるまい、と両者の顔に極太のペンで書いてあるかのようだ。
「ですがひとつ問題が」
「なんだ?」
「それはアリシアお嬢様のお気持ちです」
そんなもの、と言いたげに父は鼻をひくつかせた。
私には嫌でも納得してもらう、という意思が丸わかりだ。
父のその所作にはムカッと来たが、リタは恐れ多くて仕方がないというような、実に不安そうな声で言った。
「この件がアリシアお嬢様のお気持ちを無視した婚姻になってしまえば――私にとっても悲しゅうございますが――」
そこで、リタが私を振り返った。
その時のリタが取った行動は、私には斜め上の行動だった。
ウインク。
私を信じろ、という、無言のサインだった。
くそっ! と私は思わず笑い出しそうになった。
いいわね、あなたのその度胸、その誘導、その演技。
あなたほどの人が言うなら、私も大博打を打ってやろう。
元聖女候補の大博打だ、一世一代、伸るか反るかの大博打にしてみせる。
そのウインクに途方も無いほどの勇気をもらって。
私は両親に向かって言った。
「お父様、お母様。私、その縁談、お受け致しとうございますわ」
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願いいたします。





