ねぇ、女神様はそこにいますか?
「なんだか、上手くまとまっちまったな。アリシア様、ロラン様、ありがとうな」
夕暮れの道を歩きながら、レオがポツリと言った。
私たちは同時に首を振った。
「私たちは何もしていないわ。あれはナミラさんの気持ちそのままよ。私たちは話し合いの場を持とうと言っただけ」
「そうそう、僕らがきっかけを作らなくても、彼らはきっと元通りになっていたさ」
ロランがそう言うと、レオが頷いた。
「そうだろうな。いや、そうなんだろうな……」
そう言って、レオは空に浮かんだ一番星を見上げて、しばし立ち止まった。
その動作に、私とロランは後ろのレオを振り返った。
「レオさん……?」
「そうだよなぁ、ナミラにはヨーゼフがいたんだもんな」
ふっ、と、失笑するようにレオは言った。
この人、まさか――。
私とロランは顔を見合わせた。
それを見て、レオは静かに首を振った。
「いや、いいさ。この方がよっぽど元通りだ。俺は結婚ってタマじゃない、そうだよな――」
その一言に、私はいろいろなことを察した。
同時に、レオは本当に偉い男だと思った。
相手を想うからこそ、相手にとって一番いい未来を与える。単に面倒見がいいというだけではない、人間として一番立派な心を持っているのだ。
「レオさんは立派な人ですね……」
正直な気持ちを言うと、「あん?」とレオがちょっと不満げな反応をよこした。
「冗談キツいぜ、アリシア様。俺みたいな冒険者上がりの流れ者の一体何を買い被ってくれてんだよ」
「いいや、僕もアリシアと同意見だ。レオ、君は立派な男だと思うぞ。僕らが保証する」
同じことを察したらしいロランがそう言うと、レオは「んだよ、急に……」とぶっきらぼうに言って。すっと横に視線を逸らした。
なんと――照れているらしい。
そのあまりにわかりやすい反応に、私とロランは笑い合ってしまった。
本当に、この男は出来た男だ。
こんな人がもし村の長として活躍できるようになれば、きっとこの村はもっと良くなるだろうに――。
私がそんなことを思っていたときだった。
「あれ――?」
明後日の方向を向いていたレオが、なにかを見つけて声を上げた。
「なんだ、どうしたんだい?」
「いや、村長――ルーカス村長がいる」
え? と私たちが見ると、確かにそこにいたのは村長のルーカスだった。
こちらに気づいていないらしいルーカスは鍬を肩に担ぎ、口を真一文字に引き結んでそそくさと村の郊外へ歩いていく。
ルーカスの家はあっちではないし、野良仕事に出ていくとは考えられない時間帯だった。
そして何より、そっちの方向には、数週間前に滅茶苦茶にされたナミラの畑があるはずで――。
私たち三人は、同時に視線を交錯させた。
まさか、そんな馬鹿な。レオの表情は、言葉以上にそう言っていた。
その表情に、ロランが言った。
「……まだそうと決まったわけじゃない。とにかく、後を追いかけてみよう」
その一言と共に、私たちは息を殺してルーカス村長の後を追けはじめた。
◆
ナミラの畑の前まで来た。
ルーカスは相変わらず、足早に闇の中を歩いていく。
頼む、どうかそのまま通り過ぎて――。
少しだけ祈った私を無視するように、ルーカスは土手の下へ足早に降りていった。
「おい、マジかよ……!」
レオが驚愕に目を見開いた。
そんな、まさかそんな。私も信じられない思いでルーカスを見た。
まさか、村長自らが村人の畑を荒らしたというのか――。
そんなことはありえない、何かの間違いだと信じたかった。
だが、ルーカスの表情は固く、どう見てもただ馬鈴薯を見に来たという感じではない。ルーカスはそのまま芋畑に降りると、芽が出たばかりの馬鈴薯を憎々しげに見つめた。
ゆっくりと、肩から鍬が降ろされる。
そしてそのまま、ルーカスは鍬を思い切り振り上げた。
「そこまでだ!」
途端に、ロランが畑に大声を降らせた。
びくっ、と、鍬を振り上げたまま、ルーカスが驚愕の表情で土手の上を見上げた。
「行こう」
ロランが厳しい表情で言い、私たち三人は土手の下に降り、ルーカス村長の前に立った。
ルーカス村長は鍬を降ろし、おろおろと私たちを順に見た。
レオは信じられないという表情でルーカスを見た。
「村長、まさかアンタが……!」
レオが呻くように言う。
ロランが頷いた。
「現行犯だな、ルーカス村長。どうあっても言い逃れはできないが、釈明ぐらいは聞こうか。……何故ナミラの畑を荒らそうとしたんだ?」
ロランの恫喝する声に、ルーカス村長は顔をひきつらせた。
そのまま、逃げるように顔を俯けたルーカスは、やがて「何故?」と失望したような笑い声を発した。
ぐい、と奇妙な動きで首を前に戻したルーカス村長の顔には。
なんだか引きつったような笑顔が浮かんでいた。
その笑顔の奇っ怪さに私が眉根に皺を寄せると、ルーカス村長がレオを睨むように見た。
「レオ……俺はな、ずっとお前が鬱陶しかったんだよ」
悪びれる様子もない声だった。
突然のルーカスの豹変に、レオだけでなく、私も息を呑んだ。
「レオ、聞くところによるとお前は元冒険者だったそうだな。都会育ちでそれなりにカネも名声もあっただろう。なんで俺たちの村に来た? 百姓を趣味しようと思ったのか? 生憎だがこの村は迷宮や新大陸じゃない。好き勝手されちゃ困るんだよ」
「村長……!」
レオの顔が徐々に驚愕から怒りの表情へと変わっていった。
その表情さえせせら笑うかのように、ルーカスは更に口元を歪めた。
「所詮は流れ者のくせに次々面倒起こしやがって……お前が馬鈴薯なんぞこの村に持ち込んだせいで、村人は大いに対立してる。俺の仕事は増える一方だよ。そんな問題児には是非ともこの村を出ていってもらわないとな」
ルーカス村長の言葉には、底知れない怨念が潜んでいた。
ルーカスは綺麗に植わった馬鈴薯畑を鼻白むように一瞥する。
「ロラン様、アリシア様もそうですよ。勝手にこんなことされちゃあ村は困るんです。百姓仕事は貴族の道楽じゃない。俺たちは麦や豆を育てるだけで常にカツカツなんだ。俺たち百姓はあんたたちが笛吹いたからって踊る馬鹿じゃないってことがわかってない」
ルーカスは濁った目で、次に私を見た。
「アリシア様、聞くところによると、あなたは元聖女候補者だったそうですな。聖女の仕事は一体何です? 村を滅茶苦茶に掻き回すことですか?」
どうなんだ、とルーカスは私に詰め寄るように言った。
「そうじゃない。聖女はこの国の百姓のために祈るのが聖女の仕事なはずだ。この村のことなんかなにもわかっていないアンタに、村を引っ掻き回されちゃたまらない。聖女は大理石の神殿の中のお飾りであってくれていい。それ以上は誰も望んじゃいない、そうでしょう?」
ルーカスの声には、嘲りの中にも真摯な怒りが潜んでいた。
私は正面からその視線を受け止め、ルーカスに言った。
「……確かに、聖女の仕事は民のために祈ることでしょう」
私は少しずつ言葉を選んで言った。
「だからといって、私が何もわかっていないというのは勘違いも甚だしいですわ。私たちは確かにあなたたちの気持ちを逆撫でしたかもしれない。だからといって、私は人様の畑を勝手に荒らして路頭に迷わせるようなことはした覚えがありませんわね」
私が決然と言うと、ルーカス村長が小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
それを見て、私は察した。
ああ、この人はダメだ。あの時のノエルと同じ目をしている……。
聖女などお飾り人形だと信じ切っている目。
本気で民百姓の安寧など願っていない目。
かつて私は、妹の、両親の、婚約者であったユリアン王子の、この目に。
この目に裏切られたのだ――。
私が絶望的な気分でいると、ルーカス村長はなおも言った。
「確かにそうかもしれません。俺は人間として最低の人間です、えぇ認めますよ。だからって私に何が出来るってんです? 村人は誰も俺の言うことなんか聞きやしない。ここにいるレオがそうです。だったら実力行使でハグレ者を摘んで捨てる、誰だってやってることでしょう?」
ルーカスは黄色く汚れた歯を覗かせ、疲れたような笑みを浮かべた。
「俺は村長の務めを果たした。これは村のためを思ってやったことだよ、レオ」
「てめぇ……!」
私がレオの眦の傷が真っ赤になったのを見た、その瞬間だった。
ゴ! という、肉を打つ物凄い音が発して、私は反射的に目を瞑った。
やっちゃった……! 思わず身が竦んだ。
こんな事言われて、荒くれ者のレオが黙っているはずがない。
思わず知らず手が出て、村長をしたたかに殴り倒してしまった。
しばらくして薄目を開けた私の目に飛び込んできたもの。
それは、横を見たまま固まっているレオと、同じく驚愕の表情で地面に倒れ込んだルーカスの顔だった。
「……貴様のような卑劣漢に村長職を預けたままにしていたのは、ハノーヴァー家の大失態だ」
呻くように言ったロランは、殴りつけた姿勢のまま、鬼のような表情でルーカスを睨んだ。
はっ? と私は浅く息を吐き、ぎょっとロランを見つめた。
まさか、ロラン様がルーカスを殴ったの?
驚きの余り固まっている私の前で、ロランは見たこともないような憤怒の表情でルーカスを見下ろした。
「幸い、その失態はすぐ挽回することが出来る。……グウェンダル・ハノーヴァー辺境伯が一子、ロラン・ハノーヴァーの権限を以て――ルーカス、君から村長としての職の一切を剥奪する」
殴られた頬を押さえたまま、ルーカスがぐっと歯を食いしばった。
ロランは拳を収めた。
「それとルーカス、君にひとつ言っておくことがある。レオは君が思っているような粗暴な男ではない、むしろ君なんかとは比べ物にならないほど立派な男だよ。……僕はこのレオ・アルトマーを、このセントラリア村の新しい村長に任命する」
ぎょっ――と、ロラン以外の全員が目を剥いた。
「は、はぁ――!?」と素っ頓狂な声を上げて、レオがロランを見た。
「おっ、おいロラン様! 何言ってんだよ! 俺に村長なんか務まるわけが……!」
「ずっと前から考えていた。村長としてこんな事をしでかす男よりも、君の方が遥かに先進性があり、仲間思いのいい男だ。この復興村には君のような男こそ必要だよ」
ロランが断言する口調でいうと、レオが絶句した。
この人は本気なのか……と言いたげな表情のレオを無視して、ロランは再びルーカスを見た。
「更にルーカス、君には心よりの謝罪など期待できないようだから僕から言っておこう。――アリシアはこの領内の、いや、この国の誰よりも君たちの安寧を願って生きている人だ。二度と聖女のことで彼女を侮辱するな。この畑に近づくことも許さない。もしこの言いつけを破ったその時は――今度は胴体から首が離れると思え」
その恫喝に、ルーカスだけでなく、レオも瞠目した。
いつもの彼とは全く違う、『黒幕貴族』そのものの声。
彼がこんなはっきりとした恫喝を口にできる人間だと思っていなかった私は、今までとは違った目でロランを見た。
この人は、この人は一体――私がそう思っていると、ふっ、とロランの回りに漂っていた空気が和らいだ気がした。
「――さて、畑荒らしは捕まえた。今日は疲れただろう。帰ろうか、みんな」
実にあっけらかんとした声に、私とレオは顔を見合わせてしまった。
そして私たちを無視したようにテクテクと歩き始めたロランを、慌ててレオが追った。
「お、おいロラン様! まだ話が終わってねぇ! 俺を村長にするなんて冗談だろう……!?」
「あー、いいいい。言い訳は後日聞くとするよ。それよりお腹が減った。どうだいレオ、僕らの館で夕食を食べていかないかい?」
「メシの話なんかどうだっていいだろ! とにかく考え直してくれ! 俺が村長になんかなったら村の年寄り共がどう言うか……!」
ギャーギャーと騒ぐレオと、飄々と反論を躱すロランを見て、私はいまだに地面に転がったままのルーカスを見た。
ルーカスは私など見ずに、徐々に遠ざかってゆくロランとレオを見て、それから大声で叫んだ。
「馬鹿な! レオに村長なんか務まってたまるかよ! おい、わかってんだろうな! おい!」
ルーカスは畑の土に塗れたまま、何故か心底絶望したような顔で叫んだ。
その顔は、まさに見捨てられた子供そのもののような、情けない表情だった。
ややあって、私も踵を返した。
ロランとレオの背中に小走りに近づくと、なおもルーカスの悲鳴のような声が聞こえた。
「おいレオ、これで終わったと思うなよ! お前をよく思ってないやつなんかこの村にはごまんといるんだぜ! ロラン様もアリシア様も、そんな流れ者を信用したら必ず後悔するんだぞ! おい、聞いてんのか! おい――!」
はあ、と、私はため息をついた。
なんだか、確かにすごくお腹が減った気がした。
今日は色んな事があった。
それでも――私の心の中に、なんだか安堵の気持ちが生まれていた。
私たちはこの村でしっかりやっていける、たとえどんな事があっても。
レオやナミラ、ヨーゼフのような温かい人たちがいれば、きっとこの村は変わっていける。
私は、既に夜そのものになっている空を見上げた。
ねぇ、女神様はそこにいますか?
もしいるのなら、どうか私の願いを聞いてください。
この人たちともう少しだけ一緒にいさせてください。
そして、この善き人たちの未来に、少しでもいいことがあるようにしてください。
元聖女候補者である私からの、ささやかなお願いでございます――。
私の願いを聞き届けたというように、一番光り輝いている星のひとつが、ちかちかと数度瞬いたような気がした。
第一部完、です。
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。
第二部開始までは数日間が開くかもしれません。
ご了承くださいませ。





