馬鈴薯は優れた食べ物なのに
通された家は、長年手入れされていなかったためか傷みが激しく、一見するとここに人が住んでいることが信じられないようなあばら家だった。
男は無言でガタつく扉を開けて中に入り、椅子が三脚しかないテーブルの椅子をがたがたと引き出した。
茶でも出そうと思ったのか、女はテーブルのすぐ隣りにある竈の熾火を起こし始め、狭い家の中をパタパタと走り回り始めた。
私たちがボロボロの椅子に座ると、男は疲れた声で言った。
「俺はレオ。レオ・アルトマー。彼女はナミラだ。ちなみにここは俺の家じゃない。ここはナミラの家だ。それをわかった上でここに居てくれ」
えっ、と私はロランと顔を見合わせた。
「二人はご夫婦とかではないんですか?」
「夫婦にしちゃあ歳が離れすぎてるだろ。それに、もともと俺は結婚ってタマじゃない」
ぶっきらぼうにそう言って、レオは首を振った。
「ナミラは数年前、唯一の肉親だった父親に死なれちまった。女手一つで畑をやってくのは無茶だろ? だから俺が畑を手伝ってやってる。それだけだ。後はなにもない」
レオの言葉に、私は今までとは少し違う目でレオを見た。
なんだこの人、荒くれ者に見えて、なかなか義侠心がある人間ではないか。
農村で一番大切なのは、村人同士の相互扶助、助け合いの精神だ。
この男にはそれが備わっているらしい。
私が感じている感心をよそに、レオはふてぶてしく押し黙ったままだ。
聞きたいことがあるならそっちから話してくれ、という態度がありありと汲み取れた。
しかし、さっきから観察しているのだけれど――このレオという男、どうにも農民には見えない。
年齢は二十代後半~三十代前半というところで、他の農夫たちと比べてとびきり若いのもあるし、その言葉には訛りもない。
短く刈り込んだ髪と、なんだか獣を思わせるような好戦的で獰猛な雰囲気は、飢饉と不作に慣らされた農民のものではない。
それに――彼の右の眦に走った傷は、おそらく刃物か何かで傷つけられた傷で、農民同士の喧嘩でつけられたにしては大袈裟だ。
この村に来た入植者には色々訳アリも多いだろうから、こういう男がいる事自体は不思議ではないのだろうけれど、それにしてもこの男の雰囲気は他とは違いすぎる気がする。
そんなことを考えながら、私は慎重に言葉を選んで話し始めた。
「レオさん。レオさんはさっき、馬鈴薯とおっしゃいましたね?」
「ああ」
「その馬鈴薯が村人との喧嘩の原因ということは、やはりあの馬鈴薯についての噂が原因なのでしょうか?」
私がそう言うと、レオは少し驚いたような目で私を見た。
「アンタ、ええと……アリシア様、だったか?」
「ええ」
「アンタ、馬鈴薯のなにを知ってるんだ」
レオは不審そうに私を見た。
「馬鈴薯は最近、海を越えた異国からもたらされた食べ物で、その名の通り芋ですわね。優れた収量を持ち、その収穫量は小麦の三倍にも達する――」
私は頭の中にある馬鈴薯の知識を少しずつ出しながら言った。
「芋は地中に出来るために耐候性があり、病気にも強い。そして最低でも年に二回は収穫が可能です。芋は冷暗所で保管すれば一年以上も保管が可能であり、様々な料理にも使える。まさに天がもたらしたとしか考えられない優れた救荒作物である……そうですね?」
レオはますます驚いたような顔で私を見た。
「アンタ、一体何者だ? この村の人間よりよっぽど知識があるんだな」
「ええ、少しだけ農業の知識はあるつもりでしてね」
「王都近くの都市部では、貴族たちが馬鈴薯を無償で農民に配布し、その栽培を積極的に奨励しているのも?」
「ええ、もちろん。馬鈴薯にはそれだけの力がありますから」
レオの言ったことは本当のことだった。
最近、各貴族たちは先を争ってこの馬鈴薯を買い漁り、領地の農民たちに無償で配布したり、その栽培を奨励したりしている。
それは飢饉への備えというよりは、各領地における人口と収入増加とを目論む貴族たちの、政治的な思惑が関与していることだった。
レオは満足気に頷いた。
「そこまで知ってるなら、あの馬鈴薯が農民どもの間でどんな呼ばれ方をしてるかも知ってるよな?」
レオ私に質問を向けてきた。
私は大きく頷いた。
「『毒リンゴ』だとか、『悪魔の食べ物』とか……そんなところ、ですか」
私が答えると、レオは萎むようなため息をついた。
「そうだ。さっきの喧嘩の原因もそれだ。予想はついてるんだろうがな」
レオは忌々しげに口を歪め、吐き捨てるように言った。
確かに、今レオが言った通り、馬鈴薯は非常に見た目が悪い。
毒々しい紫色をしていている上、形も不揃いでいびつで、とてもこれが食べられるものだとは思えないほどだ。
その食味は茹でたり蒸かしたりするとホクホクとしていて甘く、いろいろな料理に向きそうなものなのだが、保守的な農民にはいかんせんその見た目が倦厭される。
それ故、優れた食材であるにも関わらず、馬鈴薯の栽培はなかなか広がっていかない。
それどころか、人々はそれを悪魔の毒リンゴだなんだと噂し、こんなものは育てるべきではないと忌避しているのだった。
「この村の百姓どもは本当に無知だ。あの馬鈴薯に毒があるだの、悪魔が人々を堕落させるためにこの大陸に持ち込んだだの、そんなことばかり言いやがる。それどころか、馬鈴薯を食うと病気になるとか、そんなものを植えているから他の作物がダメになるんだとか、好き勝手言いやがって――!」
話しているうちに、レオの中の怒りが再燃したようだった。
レオはギリリと歯を食いしばった。
「中でもとりわけなのがさっき俺が怒鳴り合っていたヨーゼフだ。あいつは俺のことをにわか百姓だって頭から馬鹿にしてやがる。それどころか、今回はその馬鈴薯畑を荒らしやがった……!」
「お、落ち着いてくださいレオさん!」
私がたしなめると、レオは「あ、ああ、すまねぇ」と頭を掻いた。
「とにかく、俺はあいつらを許せねぇ。こんな痩せた村だ、麦や豆なんか育てても、それじゃあ同じことの繰り返しだ。その一方、馬鈴薯ならこの村はいくらでも豊かになる。俺は俺で村のことを思ってやってるってのに――」
レオは再び吐き捨てるような言葉で話を締めくくった。
私はとりあえず気になることから質問してみることにした。
「レオさん、さっきから聞いていますと、レオさんはどうも農民には見えないです。あなた、本当は何者だったんですか?」
「ああ、俺は元冒険者なんだよ」
レオはそっけなく言った。
「もともとは王都の冒険者ギルドに所属してた。昔は肩で風切ってこの大陸中を旅したもんだ。ただ、そんな年齢でもなくなって引退しなきゃならなくなったけどな」
冒険者――なるほど。私は納得して頷いた。
元々そういう者だったなら、馬鈴薯の噂をいち早く聞きつけ、それに注目する先進性も持っているかもしれない。
ただ、根本的に荒くれ者が多い冒険者なら、保守的で事なかれ主義の農民たちとはどうしても反りが合わないに違いない。
と――そのとき。
私たちの前に茶が入ったカップが置かれ、私はナミラと呼ばれた女性を見上げた。
女性は少しはにかみながら私に小さく頭を下げた。
「ああ、ありがとうございます」
私がそう言っても、女性は微笑むだけだった。
歳は私より少し歳上、どことなく品があって、可愛らしい女性だと思う。
引っ込み思案なのか、ナミラはそそくさと別室に引っ込んでいってしまった。
「許してやってくれ、ナミラは人見知りでな」
レオが言い、私は顔を上げた。
「元々ナミラはこの村の生まれで、ヨーゼフ……あいつとナミラは幼馴染だ。それなのにあんなことをしやがって……」
レオは憎々しげに言った。
「本当なら、俺なんかじゃなくてヨーゼフがナミラの畑を手伝わなきゃならねぇんだ。あいつらは幼馴染で仲もよかった。なのにあいつは独りになったナミラのことを何も考えちゃいない。ナミラ一人で麦なんか作っていけるか。だからこそ馬鈴薯が必要だってのに、村の会議でも馬鈴薯の栽培についてはあいつが一番の反対派なんだ」
ナミラに聞かれるのではないかと思える大きな声でレオは言った。
反対――という感情で説明がつくものなのだろうか、と私は考えた。
ロランに目配せしても、ロランもなんだか不可解な表情を浮かべている。
この話、なんだか馬鈴薯のイメージ云々の話ではない気がしていた。
それはもっともっと根深くて、大変な問題のように思えた。
「話はよくわかった、レオ。だが僕たちも、流石にそんなことを聞いていたら黙っていられない」
私のかわりにロランがそう言い、レオを見た。
「いくら恨みつらみがあるにせよ、他人の畑を荒らすなんてとんでもないことだ。僕は領主の息子としても、この村の復興の責任者としても、そんな無法を看過することは出来ない」
「ああ、わかってるさ。だから今度は俺が必ずそいつらを捕まえて……」
「だからといって、君にその無法者を捕まえさせるわけにもいかない」
えっ? とレオがロランを見た。
ロランは少し厳しい顔でレオに言い聞かせた。
「さっきの君の言動、いくら畑を荒らされたにしても尋常じゃなかったぞ。本当に彼……ヨーゼフを殺しかねない勢いだった。実際に君が今後、畑を荒らす下手人を捕まえたとしたらどうなると思う?」
そう言われると、レオが萎んだ。
確かに、さっきのレオの憤怒と憎悪は並大抵ではなかった。
このまま、この件をレオが個人で解決しようとしたら確実に流血沙汰になるだろう。
レオはバツが悪そうに眦の傷を指で掻いた。
「……それはわかってるよ。冒険者時代の癖でね、俺はどうしても頭に血が上る人間なんだ。もしかしたら殴るだけじゃすまねぇかもしれねぇよ。だからってどうするんだ? この村には友達も親戚もいねぇ。ルーカス村長は仕事でそれどころじゃねぇ。俺がやるしかねぇじゃねぇか」
「そこでだ。この件を僕に預けて欲しい」
レオは珍妙な表情でロランを見た。
「僕はこの村の復興の責任者だ。それに、それをやった人の処遇も僕ならどうとでもなる。馬鈴薯への誤解を解くこと、畑荒らしの捕獲とその処分を含めてまで、僕らに一任してもらえないだろうか」
ロランは淡々と、言い聞かせるような口調で語る。
「君はもう一度、諦めずに畑に馬鈴薯を植えてくれ。僕も馬鈴薯のことは知っている。なるほど、いい着眼点だと思う。もしこの土の痩せた村が馬鈴薯で豊かになるなら、荒らさせるわけにはいかない」
ロランの話を聞き終わったレオは、少しだけ沈黙し、それから苦笑した。
「アンタ――ロラン様、って言ったな。まさか貴族の令息様に励まされるとは思わなかったな。それと――アリシア様。随分とロラン様に信頼されてるようだが、アンタは何者なんだよ? 馬鈴薯って言ってそんないい反応をされたのは初めてだしな」
「ええ、そうでしょうね。あの作物はとにかく評判が悪いから。先代の聖女様もあの馬鈴薯をなんとか広めようと努力していたの」
「聖女様だと?」
レオが怪訝な表情を浮かべた。
「私はアリシア・ハーパー。この間、王都で新しい聖女に着任したノエル・ハーパーの双子の姉。元々は私が聖女候補者だったわ」
私が言うと、は、とレオが驚愕の表情で私を見た。
そのまま、長く私の顔を見つめたレオは、やがて驚いたように首を振った。
「嘘――じゃないみたいだな。なるほど、アンタは聖女候補者だったのか、そうか、それでか……」
レオは何事なのか、うんうんと感慨深げに頷いた。
「……いっぺんだけ、俺も王都で先代の聖女様に出会ったことがあるんだ。まだあのときの俺は冒険者のタマゴでよ。死にかけて食うや食わずで、ボロボロになって辿り着いた先の村に、聖女様が来てたんだ。聖女様は傷だらけの俺たちを見て、あの馬鈴薯の蒸したのを食わせてくれたんだ」
えっ、と、今度は私が驚く番だった。
レオは照れたように鼻の下を指で擦った。
「綺麗な人だったなぁ、聖女様――。あのとき、ちゃんと礼を言ったのか言わなかったのかも覚えちゃいねぇ。冒険に失敗して、命からがら逃げてきた泥だらけのガキにも、あの人は食べ物を恵んでくださった。うまかったんだよなぁ、あの時の蒸かし芋が……」
そんな偶然があるものだろうか……私は思わずロランと顔を見合わせた。
まさか、レオと馬鈴薯を出会わせたのが聖女様だったなんて。
その偶然に驚いたのはレオも同じらしく、今まで突けば爆発しそうだったレオの雰囲気が確実に丸いものになった。
やがて、レオがテーブルに両手を突き、深々と頭を下げた。
「わかった、アリシア様、ロラン様。アンタたちと出会ったのは偶然じゃねぇと、俺も思う。きっと聖女様がアンタたちと俺とを引き合わせてくれたんだ。――この件、きっと解決してくれ、頼むぜ」
ああ、とロランが力強く頷いた。
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。





