侍女に励まされた
ユリアン王子とノエルの、国を挙げての盛大な結婚式が行われた。
結局、私は体調不良を理由に、その結婚式への参加を遠慮した。
否――行けなかった。
あんなことがあった後、ノエルにも、ユリアン王子にも。
どんな顔をして会いに行って、私がするはずだった結婚を祝えというのか。
全てに裏切られていたと知ってからは、私は抜け殻になってしまった。
食事も喉を通らなかった。
何日も何日も、吐き気や目眩が止まらなかった。
ベッドの中で弱っていく私に、両親はほとほと手を焼いた。
体裁上、呼ばれた医者の診察も、私は拒否した。
私の人生は何だったんだろう。
何日も何日もそう考えた。
両親も、妹も、婚約者も、私を裏切った。
私の聖女としての使命を誰一人理解し、その任の重さを考えてはくれなかった。
もちろん、私にだって責任はあるだろう。
愛想がなかった、優しくなかった、愛らしくなかった。
それでユリアン王子が私に愛想を尽かしたというノエルの言葉は、きっと本当のことだろう。
だが――聖女として王太子妃として、他にどのような生き方が私にあったのだろう。
聖女として民の安寧を守る事以上に、愛らしく可愛らしいだけの王太子妃でいればよかったのだろうか。
両親や王子が思う通り、聖女などお飾りだと割り切って生きればよかったのだろうか。
いや――それだけは絶対にできなかった。
それは私の人生の師である王妃様への裏切りだった。
私の手を握り、毎夜毎夜聖女の使命を教え、民衆のために身命を賭して務めよと言ってくれた王妃様。
病に日毎やせ衰えてゆき、確実な死を悟ってからも、聖女として優しく気丈に振る舞い続けた王妃様。
彼女の生き方に憧れ、同じような生き方がしたいと思うのも――愛らしくない私には許されなかったのだろうか。
私は一月の間、そればかりを考えて過ごした。
◆
「このままではアリシアお嬢様は潰れてしまいます!」
そんな私の人生にもただ一人――例外がいた。
それは屋敷に私の侍女として務めていたリタだ。
「私はお嬢様の献身や努力を知っています! それをノエル様に譲る? とうとう旦那様も奥様もヤキが回ったなと思って見ておりました! その上、ノエル様もユリアン王子も無責任すぎます! 聖女や婚約者は自由に乗り換えが利く馬ではありませんのよッ!」
鼻息荒くまくしたてるリタを、私はベッドに横になったまま諌めた。
諌めれば諌めるほど、リタの激情はますます燃え上がった。
「私、旦那様に進言いたしますわ! アリシアお嬢様を領地内で静養させるようにと! こんな敵だらけのお屋敷にいることはございません! 何なら今からでも――!」
「もっ、もういいってリタ! 私が悪い部分もあるの! それに聖女は象徴みたいなもので――」
「お嬢様までそんなことを仰るのですか! 恐れながら、私の知るアリシア・ハーパーはもっと他人に遠慮のない、正しいと思うことを言い、正しいと思うことをなさる方でございました!」
そう、先代の聖女様と同じように――。
リタは私の両手を握って、渾渾と説いた。
「いいですかお嬢様、私は元々西の農村の生まれでした」
「うん、何回も聞いてる」
「私が13歳になるかならないかの時に村では飢饉が起こりました」
「それも何回も聞いたよ」
リタの演説は徐々に熱を帯びてきた。
「空腹や飢えがどれほど惨めで辛いものか、私は既に来世の分まで経験しております。餓鬼のようにやせ衰えた大人たちが、牛馬どころか犬や猫さえ打ち殺して喰らう――川に架かった橋に行けば、口減らしのために子を投げ捨てようとする大人たちが順番待ちをしておりました。その根を食べるために、村にあった木も草もすべて掘り返されました。村は――文字通りの地獄と化していました」
それは――聞いたことがなかった。
私はリタを見た。
「人間の死肉を齧って生き延びるより、潔く一家心中したほうがいい、我々家族がそう思ったときです。王妃様――いえ、聖女様が村へやってきた」
えっ? と私はリタを見た。
リタは私よりも2つ年上の20歳だ。
私が王妃様の下で聖女の見習いをしていたのは10歳から、聖女様が亡くなられるまでの5年間。
前回の大飢饉のとき、私は王妃様に随行してその惨状をつぶさに見ていた。
ということは、11歳の時、私は既にリタに出会っていることになる。
「聖女様が連れてきた兵たちはすぐに村を救済しました。炊き出しを始め、腐敗するままになっていた村人たちの遺体を丁重に葬ってくださった。聖女様は飢えのためにもはや一歩も動けなくなった村人の家を回り、村人を抱え起こして、その口に丁寧に粥を運んでくださることまでしました」
リタは涙ぐみながらそのさまを語った。
「通常、長く飢えた者は、急に食べ物を与えられると頓死する可能性があったそうでございます。事実、飢饉に対して何の知識もない国軍が救済に来た他の村では死者が多く出たと聞きました。聖女様にはその知識までおありになった。湯に近い粥から炊き出しをして、数日かけて徐々に固形物をお与えになった――そうでしたわね、アリシアお嬢様?」
私は無言で頷いた。
あのとき目の当たりにした飢饉の惨状は、十一歳の私には強烈な光景だった。
恐れてはなりません。
王妃様――いや、聖女様はそう言って怯える私の肩に手を置いた。
これら全ての人々が、聖女である私が救えなかった人々です。
聖女であるならば彼らの無念まできちんと見届けなさい――。
そう言って、聖女様は飢えに苦しむ村々を周り、人々を救った。
「聖女様は一週間、私たちの村に滞在なされました。その間、聖女様は救荒作物についての知識と、その種とを村人にお与えになった。いざとなれば食べられる草や木の実の判別の仕方、毒の抜き方、保存方法に至るまで、聖女様は無学な我々にもわかるように懇切丁寧に教えてくださった。聖女様が去った後もそれ以来、村は二度と飢えませんでした。私は聖女様に、そしてアリシアお嬢様に何度も命を救われたのです」
ありがとう、というように、リタはぎゅっと私の手を握った。
いつの間にか、私もリタと同じように涙を流していた。
「あの飢えの苦しみを知らない人間に、目の当たりにすらしなかった人間に、聖女など務まるはずがございません。私は聖女として相応しいのは、愛されるまま無為に育ったノエル様ではなく、あの地獄を見たアリシアお嬢様だと信じます! ここでお嬢様に潰れられては、私にだって先代の聖女様に合わせる顔がございません……!」
「もういい、わかった、わかったよリタ。ありがとう」
私は嗚咽を漏らすリタの肩を抱き、背中を擦った。
私の心の中に、ほっと炎が灯った気がした。
そうだ、私にはまだ残っているものがある。
聖女としての知識だ。
それに、私が聖女でなくとも、その知識と、先代の聖女様から受け継いだ覚悟と慈愛だけは、他にはなにもない私の中に確かにあるのだと、胸を張って言えるじゃないか。
私はリタの背中を擦りながら、窓の外の景色に目を移した。
元聖女候補ならば、絶望も痛みも飲み込んで生きる。
それこそが聖女のあるべき姿、私の生きるべき人生なのだ。
私を必要としてくれる人が現れるまで。
私はその日までを思うがままに生きよう――。
思えば、私にその覚悟が生まれたのは、その時だったかも知れなかった。
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