辺境伯の帰還
ロランによく似た亜麻色の髪。
百八十センチ台後半だろう長身痩躯と、顔に刻まれた皺。
あまり息子には似ていないと思える、鷹のような鋭い目つき。
ハノーヴァー領には約半年ぶりの帰還であるという男は、長身を屈めるようにして馬車から降りてきた。
ロランが緊張した面持ちで馬車に駆け寄り、馬車のドアを開けるなり、軽く礼をした。
「おかえりなさいませ、父上。長い間ご苦労さまでございました」
「ああロラン、半年ぶりだな。私の不在の間、恙なかったか」
「ええ、私も母上も特に変化は。父上の方もお元気そうで何よりです」
親子のものにしてはやや他人行儀なその挨拶は、緊張の面持ちと共に交わされた。
辺境伯とは前に数度、王都での舞踏会や社交界で顔を合わせたことがあっただろうが、それももう五年以上前の話だ。
ということは彼もそれなりに歳を重ねていたはずなのだが、相変わらずその姿と声の低さは相手を威圧するような勢いに満ちている。
まさに「黒幕」――いつクレイドル王家相手に反旗を翻すつもりなのかと冗談めかして噂される男として、これ以上に相応しい外見もないだろう。
「黒幕辺境伯」、グウェンダル・ハノーヴァー。
この北の国境を固める精強な貴族・ハノーヴァー家の長にして、ゆくゆくは私の義理の父となる男だった。
「それで、父上。手紙ではご報告しておりましたが……ほら、アリシア」
ロランに促されて、私も緊張しつつスカートの裾を持ち上げた。
「お初お目にかかります、辺境伯様。ハーパー公爵が娘、アリシア・ハーパーでございます。以後お見知りおきを」
何度も何度も練習した挨拶に、辺境伯は白の多い目でじろりと私を一瞥した。
「ああ、君がアリシアか。最後に見たときからずいぶん大きくなったようだな」
「辺境伯様におかれましては、相変わらずお若くいらっしゃるよう何よりでございます」
「下手な世辞はいらん。君はゆくゆくは私の娘になるのだからな」
と、そんな事を言いつつも、辺境伯は目だけで微笑んだように見えた。
「すまないな、その父ともあろうものが倅の婚約者に長く挨拶も出来なんだ。何しろハノーヴァー家には敵も噂も多い。つまらん用事を片付けるのに半年もかかってしまった。さぁ、中で茶でも飲もう。これからゆっくりと君のことを教えてくれ」
そう言って、辺境伯はさっさと屋敷の中に入っていった。
出迎えた侍女たちも、その背中にくっつくようにして屋敷の中へ吸い込まれていった。
私は息を詰めたまま、ロランを目だけで見た。
ロランは安堵したように頷いた。
「合格――ですか?」
「ああ、父は多分君のことを気に入ったと思う」
そう言われて、私はやっと安堵の溜息をつくことが出来た。
一応、この婚約が辺境伯経由でハーパー家に伝えられたのだから、辺境伯が私のことを気に入っていない可能性はないと思う。
けれどロランの話によれば、辺境伯は見た目通りに気難しいところのある人物であるらしく、気に入らない人間は徹底的に遠ざける性格なのだという。
だが、ロランの感覚によれば、とりあえず私は辺境伯に気に入られたらしい。
家庭内に居場所をなくして針の筵になる心配はなさそうだ。
辺境伯がハノーヴァー邸に帰ってくるという手紙が届いてから三日。
屋敷内は異様な緊張に包まれ、いつもはにこにこ働いているメイドたちもいつも以上に念入りに屋敷内を掃除していたので、おのずと辺境伯がどのような人物であるのかは想像がついた。
唯一、転職組で、まだ辺境伯とは顔を合わせていなかったリタだけが、屋敷内の異様な雰囲気に戸惑っている様子だった。
「辺境伯様って、それほどに恐ろしい方なのですかね……?」
リタに不安そうに訊かれても、正直私にもわからなかった。
ロランは「礼節さえきちんとすれば大丈夫だよ」とは言っていたものの、その目が笑っていなかったことが、私を不安にさせた。
しかし――私は辺境伯の消えていった屋敷を見た。
なんだか、あの気難しそうな顔つきと言い、ああいうそっけない言い方といい、やっぱり似ていた。
何よりも、先代の聖女様と同じ、グレーの瞳を見た途端、懐かしい気持ちにさせられたのも事実だった。
「やっぱりどこか似てますね、聖女様と……」
そう、グウェンダル・ハノーヴァー。
彼は先代の聖女であったエヴリン・ハノーヴァーの、双子の弟なのだった。
◆
「おかえりなさいませ、旦那様。長らくのお勤め、ご苦労さまでございました」
そう言って恭しく頭を下げた妙齢の女性――ロランの母であり、辺境伯夫人であるヴァレリア・ハノーヴァーは、そう言って半年ぶりに見る夫を労った。
その姿に「ああ」と素っ気ない礼を返して、グウェンダル辺境伯はさっさと椅子に座った。
「初めて家族勢揃いというところかな。ロラン、アリシア、君たちも座ってくれ」
そう促されて、私たちはテーブルに着いた。
グウェンダル辺境伯がまず口を開いた。
「まずはアリシア。愚息の伴侶となる決断をしてくれたこと、あらためて礼を言いたい。この家と領地を気に入ってくれたようで何よりだ」
「そんなお言葉は過分でございます。私の方こそ、こんな小娘を選んでいただいてありがとうございます」
「小娘、か。そういう言い方もすっかり似てしまったようだな」
そう言って、グウェンダル辺境伯は実に皮肉げに苦笑した。
「何しろ、君は姉上の下で五年間も聖女見習いをしていたようだからな。七年前の飢饉のときは姉上に随分世話になった。君も確かその傍らにいたな?」
「ええ、あの時はまだほんの子供でございましたけれどね」
「あのときのハノーヴァーはそれはそれは酷いものだった。あんな光景を子供である君に見せて回るとは、姉上も随分厳しいものだと眉を顰めたものだったな。全く何から何まで、あの人はあらゆることに厳しい人だった――」
そう言って辺境伯は懐かしそうに目を細めた。
「それよりあなた、アリシアは凄いのよ。来てから早速凄いことを成し遂げたの!」
そこで、待ちに待ったようにヴァレリア夫人が口を開いた。
「アリシアが農作物の病気を癒やす薬を作り出したの! 多くの病気に使える薬で村人が大喜びなのよ! そうよね、アリシア?」
「え、ええ。でもまだまだあの薬は試験中で……」
「いいえ、謙遜することはないわ! ねぇあなた、アリシアったら凄いでしょう? まだ十八歳なのに色んな事知ってる子なの! 他には……」
そう言って矢継ぎ早に、ヴァレリア夫人は、私が「如何に博識で」「行動力のある娘なのか」を語り出した。
あることないことをまるで一週間しか生きられないセミの如く捲し立てる夫人に、私はそれが辺境伯の機嫌を損ねるのではないかとヒヤヒヤした。
この屋敷に来て半年も経つのだが、私は何故かこのヴァレリア夫人に殊の外気に入られていたのだった。
ずっと娘が欲しかったのよ、というのは、やれお茶の相手だ刺繍の助手だと、ひっきりなしに私を呼びつける本人の弁だ。
生まれてこの方両親にちゃんと愛された事のない私にとっては、その旺盛で一方的な好意というものがどうにもしっくり来ない。
仕方なく私はセミのようにジージー鳴き喚く夫人の勢いを、あはは……と力のない笑いで眺めているしかなかった。
「ま、まぁ母上、それぐらいでお願いします」
ロランが遂に窘める言葉を発すると、代わりに辺境伯が苦笑した。
「まぁ君もわかっているとは思うが、妻は私と違ってこういう性格でな。どうか慣れていってくれ」
「あらやだ、慣れるって何よ? 私の性格は慣れてもらうようなものなの?」
そう言って夫の顔を不満そうに睨むヴァレリア夫人を見ていると、おそらくこの夫婦の仲は円満なのだと思うことが出来る。
寡黙で気難しい無骨な夫と、ハキハキした性格でおしゃべりの夫人。
割れ鍋に綴じ蓋とはこういう関係を言うのかも知れない。
「それで父上。この半年の間、王都だけでなくハノーヴァー領内も各地を見回ってきたと聞きましたが、どうでしたか?」
ロランが話題を変える一言を発すると、グウェンダル辺境伯の眉間に皺が刻まれた。
「ああ、相変わらず酷いものだ――」
そう言って、辺境伯はくたびれたような長いため息をついた。
「全く、七年も経つのに復興は期待したほど進んでおらん。もっとも飢饉が酷かった例の四つの村々は今も廃村同然になったまま、耕作地も荒れ放題だ。何か根本的な解決方法を模索しなければな……」
「そうですか……」
ロランが目を伏せた。
壊滅? 廃村? 一体何があったのだろう。
私は二人の雰囲気を窺いながら口を挟んでみることにした。
「あの、グウェンダル様、ちょっとよろしいでしょうか」
「なんだね?」
「その四つの村とは? 一体何があったのです?」
私が問うと、辺境伯が答えた。
「ああ。七年前の飢饉で壊滅的な被害を被った土地だ。昔からかなり貧しい土地で、慢性的に飢えているところに先の飢饉だ。そのため、村はほとんどの人間が死ぬか逃散するかしてしまった。いずれにせよ、あの村々をあのままにしておくことはできん」
壊滅――その言葉は、このハノーヴァーでは文字通りの被害と惨状とをもたらしたことだろう。
そもそも七年前の飢饉は、二年に渡る長雨と冷夏により、この国の主要な作物であった麦が不稔になったことに由来するものだった。
特に王都よりも遥かに北にあるここハノーヴァーはただでさえ寒い土地であり、その被害はもっとも激しかったのだ。
この国の人口の一割あまりを殺戮したと言われる先の飢饉の影響が、ハノーヴァーに残した爪痕はあまりにも深い。
「今度、以前から募っていた希望者の入植がある予定だ。復興、というよりは、一から村を作り上げねばならん。簡単なことではない。実は今回帰ってきたのはそのことを君たちと話し合うためでもあるのだ」
そこで辺境伯が顔を上げ、ロランを見た。
「ロラン。今回あの四ヶ村の復興の責任者として、私はお前を任命したいと考えている」
辺境伯がそう言い、ロランが目を瞠った。
しばらく口を開け閉めしてから、ロランはやっとのことで言葉を絞り出した。
「僕が――ですか?」
「ああ、あの村には何年か腰を落ち着けて挑む必要があると判断した。責任者がいた方がいい。それに、お前もいよいよ成人し、将来の伴侶も出来た。今後ハノーヴァー領の経営を任せてゆく上でも丁度いい経験にもなる」
そう言われて、ロランは自信なさげに父親の顔を見た。
四つの村の復興、それはまだ二十を数えたばかりのロランには早すぎる気もするが、いずれ彼もハノーヴァーの名前を継ぐものとして、積んでいかねばならない経験もあるだろう。
「父上、それはあまりにも――」
「性急に過ぎます、か? 私はそうは思わん。お前ならしっかりやってくれると思っての希望なのだがな」
辺境伯の目が光った。
この目とこの声には、「やることはやらせる」というすさまじい威圧感があった。
それでも――というように、無言で押し黙ったロランを見て、辺境伯は苦笑気味に言った。
「案ずるな、お前にはとんでもない懐刀がいるではないか。私よりよほど上手くやれるだろう、な?」
そう言って、辺境伯はすっと目線を上げた。
一瞬、背後に誰かいるのかと振り返ってしまった私は、ややあってから辺境伯の真意に気づいた。
「え? わ、私ですか――?」
慌てると、辺境伯は整った顔で面白そうに私を見た。
「その通りだ、アリシア。実はロランから君の話は逐一報告を入れてもらっていてね。青い薬の件はよくやってくれた。実のところ、私も君には非常に期待しているのだ」
辺境伯の声は柔和だったけれど、一方、否とは言わせない硬い圧力があった。
私の額に、あっという間に汗が滲んできた。
「それに君は姉上――いや、先代の聖女のやることを一番近くで見ていたはずだ。彼女の理想、思考、やり方――その全てを賭すつもりで、あの四ヶ村の復興に尽力してもらいたいのだがな」
「あらあなた、確かにアリシアは適任ですわね」
ヴァレリア夫人が甲高い声で言った。
「ねぇアリシア、私だってあなたに期待してるのよ? まさしくあなたの農業の知識はこの領地イチよ。私たちは農業のことはほとんどわからないし……それに、ロランと一緒ならきっとみんなも言うことを聞いてくれるわ。あなたになら任せておける」
いや、言うのは簡単ですがね……。
私はもう少しでそう言うところだった。
村の復興? しかも四つ? それをまだこの領地に来て半年しか経っていない、たった十八歳の小娘にやらせるというのか。
この間のマルカノー商会のスコットといい、この義両親といい、どうして私をそんなに買いかぶってくれるというのか……。
出来ることならば、無理ですと今すぐ頭を下げて逃げ出したかった。
私では絶対に力不足です、と声を大にして主張したかった。
村ひとつでも無茶なのに四つ? バカも休み休み言ってください……。
本当に、そう言いたかった。
だが――言えなかった。
それはロランが露骨に期待する視線で私を見てきたからだ。
ぐう、と私は心の底で唸った。
人をそんな目で見るな、そういう目をするからあなたはズルいというのだ。
そんな目で見つめられたら、私にも何かができそうな気になってしまう……。
三人の期待の目の集中砲火に晒されながら、私はしばらく考えた。
村の復興。それはあの青い薬を開発するよりも遥かに責任が重大だ。
だけど――その村でいまだに頑張っている人たちもきっといるのだろう。
私の中の知識があれば、少しでもその人たちを助けることが出来るかもしれない。
頭の中の天秤が、傾いた。
私は覚悟のため息とともに、辺境伯に言った。
「わかりました。ロラン様の補佐役として、私もその村の復興に携わりますわ」
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。





