巨大スポンサーがついた
一週間後。
私は滅多にない正装で、ハノーヴァー邸の広い応接間のソファに座っていた。
昔からこういう堅苦しい場は苦手で、しかもこんな風に布地が薄いドレスは苦手だ。
しゃちほこばって来客の到来を待つ私を、ロランが少し可笑しそうに私を見た。
「そんなに緊張することはないよ。相手は商人だ。悪魔や処刑人が来るわけじゃない」
「それはそうですけど……」
私はそわそわとしたまま口をとがらせた。
第一私は人見知りのタチで、知らない人間と話す時はそれなり以上に緊張してしまうのだ。
その上、これからの話し合いで青い薬の今後が決まってくることになる。
海千山千の商人相手にちゃんと駆け引きができるだろうか……と私は心配で仕方がなかった。
と、そのとき。
コンコン、とドアがノックされ、ドアが開かれた。
「惣領様、マルカノー商会の方がお見えになりました」
「ああ、入ってくれ」
メイドのひとりに先導されてやってきた男。
それは私の予想よりも遥かに若い男だった。
歳は三十になるかならないか、という、背の高い男だった。
意外にも目つきも柔和で、口元には涼やかな微笑みが湛えられている。
やり手の商人というよりは音楽家か芸術家のように、雰囲気に品がある。
それは営業用の顔なのかもしれなかったが、目つきの鋭い男を想像していた私は、そこでひとつ拍子抜けする気分を味わった。
男は最初にロランを見た後、次に私を見て、何事なのか意味深な微笑みを浮かべた。
「ロラン様、お久しぶりです」
「ああ、久しぶりだなスコット。アリシア、彼がマルカノー商会のスコットだ。ご挨拶を」
ロランにそう促され、私は簡単に礼と自己紹介とした。
私が名乗ると、スコットと呼ばれた男は私を物珍しそうに見た。
「ああ、貴方様がハノーヴァーの聖女様でございますか。お会いできるのを楽しみにしておりました」
「え?」
私はスコットの顔を見た。
スコットは物珍しそうに私の顔を覗き込んだ。
「聞いておりますよ、ハノーヴァーに聖女様が現れたと。何でも、葡萄や作物の病気をその霊力で癒やしたとか。北方の辺境に聖女現る……隣国では既に噂になりつつありますからね」
霊力。その言葉に私はあんぐりと口を開ける気分を味わった。
まだあの薬が完成してから一月あまりしか経っていないのに、もう隣国にまで情報が伝わっているのか。
いや、そうではないだろう。これはいわば揺さぶりだ。
我々はもうそこまで掴んでいるぞ――という類の、交渉事ではよくある揺さぶりだ。
あ、あう、と返答に困っていると、ロランが助け舟を出してくれた。
「スコット、僕ならともかく、アリシア相手に先手を打つのはやめてくれ。君のやり方に慣れてないんだよ」
ロランがたしなめる声で言うと、スコットは実にスマートに笑った。
「これは失敬。会話の主導権を握ろうとするのは商人の癖なのです。奥方様、どうかご容赦を」
大して悪いとも思っていなさそうな口調で、スコットは軽く頭を下げ、許可も求めずにさっさとソファに腰を下ろしてしまった。
いくら慣れているとは言え、仮にも貴族の令息とその婚約者相手に、この砕けた振る舞い。
その瞬間、私は悟った。
ああ、この人は見た目通りの人ではない。やはり――とんでもないやり手の商人だ。
初っ端から一撃を喰らう格好になった私は、なんとなく気まずい思いとともにソファに着席した。
マルカノー商会――それがロランの選んだ取引相手で、最初にその名前を聞いた時、私は仰天してしまった。
てっきり国内の商会を使うと思っていたのだけれど、マルカノー商会はこのクレイドル王国の隣国、ヴェルカ王国に本拠地を置く巨大商会だった。
その商売版図はクレイドル王国どころかこの大陸一円にあり、その辣腕ぶり、徹底した利益追求態勢は国内の各大手商会に恐れられている。
しかもマルカノー商会は色々とキナ臭い商会でもあり、各地の戦乱や動乱に首を突っ込んでは武器を売りさばき、王侯貴族相手に戦費・資金を貸し付け、巨額の利益を上げることでも有名な商会だった。
いくらなんでもこんな馬鹿でかい商会とパイプを持ってるなんて――。
しかも、マルカノー商会の本拠地は隣国のヴェルカで、なおかつヴェルカはクレイドル王国とは仲もあまりよくはない。
ハノーヴァー辺境伯はいよいよマルカノー商会と通じてこの国と一戦交えるつもりなのかと疑われても仕方がないじゃないか。
黒幕貴族、とは言われているが、よもやここまでとは思っていなかった私は、ロランがどのように話を切り出すつもりなのか不思議で仕方がなかった。
そんな値踏みをする私をよそに、スコットは黒髪をさっと撫で付けて、本題に入る雰囲気となった。
「さてロラン様。本日お呼び頂いた理由が、果たして私の想像の通りならばいいのですがね」
「ああ、想像の通りだと思うぞ、スコット。君もご関心のハノーヴァーの聖女の種明かしをしようと思ってね」
「ほう」
スコットの目が光った。
ロランはズボンのポケットに入れていた小さな硝子壜を取り出し、それをテーブルの上に置いた。
中には砕かれて粉になったカルカンサイトと石灰が混ざった状態のものが封入されている。
「これが噂の正体だ。様々な農作物の病害を癒やす薬で、既に効果の程は僕らが確かめている」
「これはこれは、驚きましたね。農作物の病気を癒すなんて、そんな不思議な薬は聞いたことがない」
スコットは物珍しそうに小瓶を取り上げ、中の粉をしげしげと見つめた。
「スコット、単刀直入に言おう。これを君たちの商会の手に託したい。君たちマルカノー商会なら、この薬を大陸全土に売ることができる、そうだろう?」
ロランが言うと、スコットは壜の蓋を閉じてテーブルの上に置いた。
「まぁ、この薬の効能を確かめ次第ということにはなりますが、ロラン様が嘘を仰るとも思えない。おそらく効能は本物なのでしょう。そう仰っていただけるなら、我々としては喜んでお取引をさせていただきます」
少しの沈黙の後、スコットは顔を上げた。
「ですがロラン様。少々お聞きしてもよろしいでしょうかな?」
「なんだい?」
「正直に言えば、この取引に疑念がないといえば嘘になる。何故この薬をそもそも国外の商会である我々に?」
スコットの目が光り、雰囲気が触れれば切れそうな鋭いものに変わった。
「そもそも、我々とハノーヴァー辺境伯家が懇意にさせていただいているとは言え、国外に本拠を置く我々を指名してくださるにはなにか理由があるはず。その理由をお話いただけませんことには、きまりが悪いと感じるのも正直なところですな」
それは私の方も気になっているところだった。
わざわざマルカノー商会のようなキナ臭い商会に頼まなくても、ハノーヴァー家と取引のある国内の商会を使った方が何かと都合もいいだろうに。
スコットに訊ねられて、ロランがふふっと笑った。
「確かにその通りだ、スコット。でも、僕にはこの薬以上に必要な他の目的もある」
「他の目的とは?」
ロランはそこで両手を組み、スコットの顔を覗き込んだ。
「実はね、僕が本当に君たちに売り込みたいのはこの薬じゃない」
「はぁ――?」
「僕が本当にマルカノー商会に売り込みたいのはね――ここにいるアリシア・ハーパーという人そのものなんだ」
ふぇ!? と私は驚いてロランを見た。
ロランは自信満々の笑みでスコットに言った。
「何を隠そう、この薬を発明したのは僕じゃない。ここにいるアリシアだ。彼女は元聖女候補者として、国外でも名高い先代の聖女様の薫陶を受けた人だが、故あって聖女の任には就かずにハノーヴァーに嫁ぐことになった」
「ちょ、ちょっと、ロラン様……!」
「彼女は祈りや迷信に頼らない、新しい時代の農業に対して他の誰よりも通暁している。そうでなければ薬で野菜の病気を治療しようなどとは誰が考えるだろうか」
慌てふためく私を無視して、ロランは淡々と続けた。
「正直ね、僕はこの薬の売上がハノーヴァーの懐に入ろうと入るまいと、そんなことにはあまり関心がないんだ。ただ関心があるのは――」
スコットは大きく頷いた。
「奥方様……アリシア様の知識を、あまねく継続的に世界に売り込むための我々の販路と資金力、というわけですな。なるほど」
スコットはロランの顔を楽しそうに眺めてから、次に私を見た。
「奥方様……いえ、アリシア様」
「ひゃ、ひゃい!?」
「なるほど。それでアリシア様がハノーヴァーの聖女と呼ばれているわけですか」
「は――はぁ、まぁ……発明したと言うか、先代の聖女様から受け継いだと言うか……」
「どちらでも一緒ですよ。カネの匂いがするという点ではね」
スコットは指を組んで私を見た。
「この薬をあなたが発明したということについて、正直我々は驚いています。そして、私は俄然あなたに興味が湧いてきた。この薬が我々マルカノー商会に巨万の富を築かせることは間違いない。ですが」
声のトーンが代わり、腕利き商人そのものの声でスコットが言った。
「あなた様の知識には、その数倍、いや、計り知れない富を生む力があるらしい。よろしければあなたの発明したもの、概念、薬を売り込む際は、今後はできれば我々マルカノー商会に優先的にお話しいただきたいのですが……如何ですかな?」
いや、ちょっと待って――。
私は盛大に混乱し、その言葉になんと答えようか迷ってしまった。
確かにマルカノー商会ほどの巨大商会の力があれば、聖女様の知識を大陸中に広めるという私の目的にとってこれ以上ない力にはなる。
マルカノーは国内に割拠する大手の商会やギルドとは根本的に異なる、国際経済を動かし、一国と同等の力を持つ商会なのだ。
けれど――この薬だけはとりあえず完成したものの、その他については私には今の所、全くアイディアはない。
そんな不確かな状態なのに、早くも専売契約?
そんなの、どう考えたって青田買いどころの話ではない。
この人は私なんかに商人として一体どんな利益を嗅ぎつけたっていうの――?
なんだか、言われたことがプレッシャーすぎて気分が悪くなってきた。
沈黙したままの私を見て、ロランが言った。
「まぁ、スコット、別に今すぐにアリシアを買ってくれ、ってわけじゃあない。けれども、アリシアという人間がハノーヴァーにいて、彼女はまだまだ何かを考えつく、そしてそれを世界中に広めたいと思っている、そんなところがわかってくれれば今日のところは満足だ」
「それはわかっておりますよ」
と、突然、スコットの目から不穏な光が消え、ふっと雰囲気が和らいだ気がした。
私が顔を上げると、スコットは最初に出会ったときのような柔和な微笑みを浮かべて私を見た。
「わかりました。この薬、当商会で取り扱いさせていただきましょう。それと、アリシア様」
「は、はい――」
「先程私がしたお話、ぜひ考えておいていただきたいものですな。今後この薬が売れた暁には上の覚えもめでたくなる。アリシア様がハノーヴァーの聖女として実現したいアイディアがあれば、当商会は惜しみなく支援をいたしますでしょう」
結局、私は最後までスコットに対して明確な返事が出来なかった。
私がまごついている間にスコットはすっかり冷えた紅茶を一気に飲み干し、実にスマートな別れの挨拶と軽やかな足取りで部屋を出ていってしまった。
スコットが退室した後、私はぐったりとソファの背もたれに寄りかかってしまった。
「全くもう……ロラン様、突然あんな事を言うなんて……」
「あはは、そうだね。でも、ああやって不意打ちしないとアリシアはその気になってくれないだろう?」
「だからってこの不意打ちはやりすぎですっ」
私は遠慮なく口を尖らせた。
誰だってこんな風なことを唐突に言われたら驚いて慌てふためくに決まっているのに。
私がかなりじっとりとした視線で睨むと、ロランは困ったように私をなだめた。
「まぁまぁ。でもこれで結局、マルカノー商会っていう強力なスポンサーがついてくれそうになったし、アリシアにとってもきっと得がある、そうだろ?」
まぁ、それはそうだけど――。
確かにマルカノー商会のような非常識的な規模と財力を持った商会が後ろについてくれるのは、何にせよ心強いことでもある。
多少資金が要ることでも、彼らにしてみればポケットの小銭程度の金額にしかならないのだろうし、やれることは俄然増えていく。
そこだけはロランに感謝しなければならないだろう。
けれど……だからってこの不意打ちはやっぱりひどい。
せめて一言でも事前に説明してくれれば、私だってあんなに人前であたふた無様を見せなくてもよかったのに。
でもまさか私の卑屈で後ろ向きな性格を先回りして封じ、マルカノー商会というスポンサーをその気にさせてしまうなんて。
このロランという男、人畜無害に見えて、実はなかなか頭が切れる。
しかもその上、人を手玉に取るのが上手い。
私はこの人のことをだいぶ侮っていたようだ――。
「全く、黒幕貴族のあだ名は伊達じゃありませんわね……」
私が皮肉っても、ロランは聞こえないふりをしていた。
とんでもないことをしてしまい申し訳ございませんでした。
いやぁ次からちゃんと次話投稿先は精査致します(草)
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。





