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婚約をお受け致します

葡萄畑から病気が消えた。

そのニュースはネリンガ村を瞬く間に駆け巡り、カールの畑はにわかにお祭り騒ぎとなった。




農業を引退していた年寄りたちが物見遊山でまず集まり、見事に回復した葡萄の木を見て、長生きはするものだと口々に囁きあった。

その後、ぼちぼち昼食の準備に取り掛かっていた女将さんたちが駆けつけ、これで生活が楽になると喜びあった。

次に、昼飯に野良仕事を止めて家に帰った男たちが騒ぎを聞きつけて畑に駆けつけ、病気の消えたカールの畑を驚きの表情で見ていた。

挙句の果てには、事情がわからない子どもたち、それらが連れてきた犬や猫までがカールの畑に詣で始め、その日一日、村はまるで仕事にならなかった。


だが、本当の大騒ぎはその直後から始まった。

カールの畑から村に帰ってすぐ、誰彼ともなくワイン樽だのビヤ樽だのを開け始めた人たちがいたのだ。

まだ昼飯も食べていないのに、男たちは既に今日の仕事は終いだというように座り込み、がばがばと飲み始めた。

そして男たちや女将さんたち、そして年寄たちまでもが家の外に集まり出して、程なく村では大宴会が始まった。

事情を知らずに村を通りかかった商人たちや鉱山労働者までが、すっかりへべれけになった村人に捕まり、容赦なく飲まされる。

ネリンガ村は一種の狂乱状態に陥り、異常なほど熱狂した村人たちがあちこちで肩を組んで歌い始める事態に発展した。


どうしたことだろう、これではまるでお祭りじゃないか――。

もう日は暮れかかっているのに、まだ収まらない狂騒。

どう考えても普通ではない光景なのに、それを眺める私はニヤニヤと笑っていた。


だって、村人たちは本当に嬉しそうだったから。


オスカーは大人たちに囲まれ、青い薬の立役者として大人たちにガンガンと飲まされ、既に顔は真っ青になっている。

そんな息子の隣で、カールはオスカーの背中をバンバンと叩いて、村人たちに倅の自慢話をやめない。

グスタフは髭よりも真っ赤になった顔であちこち歩き回り、村人たちに酒を注いで回っていた。

みんな本当に楽しそうに、馬鹿笑いをして、手を叩いて、歌い踊っている。


思えば、私たち人間なんて、自然の起こすことの前にはあまりにも無力だ。

日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き。

飢饉にも、作物を冒す病害にも、なにひとつ太刀打ちができない弱い種族だ。

それでも、私たちは今日、ついにその猛威のひとつを撥ね除けることが出来たのだ。

私たちは無力ではなくなった――病気が消えた事以上に、その自信が村人たちを熱狂状態にしていたのだった。


「凄いなぁ、アリシア」


ロランがその大騒ぎを見ながら、上気した顔で言った。


「彼らがこんなに嬉しそうなのは見たことがない。もうお祭り状態じゃないか。いや、いつもの村祭よりも遥かに盛り上がってるよ」


あはは、とロランは実に楽しそうに笑った。

実際、ロランも興奮しているらしく、いつになく饒舌だった。


「アリシア、君は本当に凄いよ。あの青い薬の効果がハノーヴァー中に広まれば、どこの村もこんな風にお祭り騒ぎになるかもしれない。そう考えると僕は楽しみでしょうがないよ」


ええ、そうですわね……と頷こうとした私の鼻が、ツンと酒の匂いを感じ取った。

うっ……!? とロランを見ると、ロランは蕩けた目で私を不思議そうに見た。


「ろっ、ロラン様……もしかして、酔ってます?」

「え? いいや全然。まだまだ酔ってないけど」

「うっ、嘘です! もうかなりお酒の匂いが……!」

「なぁに、こんなにいいことがあったんだ。まだまだ酔ってられないって」


その割には、ロランの顔は既にほんとりと紅潮しており、目が潤んでいて、風を入れるためなのかワイシャツの釦がかなり大胆に寛げられていた。

私自身、お酒が一滴も飲めない体質であることと、ロランの格好がどうにも目のやり場に困ることで、私は顔を背けるほかなかった。


「アリシア様! ロラン様!」


そんな胴間声がして、私たちはそっちの方を振り返った。

見ると、グスタフが赤ら顔を更に赤くして私たちのところに千鳥足で歩いてきた。

かなり酔ってるのは明らかで、赤ひげに埋もれた口からはものすごいアルコール臭が漂っている。


「ぐ、グスタフさん……」

「なんだ、こんなところにおりやしただか! 今日の主賓はアリシア様であるのでがすよ! ぜひともこっちに来て宴会の輪に加わってくだせぇ!」

「い、いやグスタフさん、私たちはこれからハノーヴァー家に帰る都合もありますから……」


そう言うと、グスタフがげらげらと笑った。


「なんのなんの、こんな汚ねぇ村にも宿屋くらいはありますだ! 気絶するまで飲んでもらってもいいんでがす! さぁさぁ!」


いつもの篤農家の顔はどこへやら、グスタフはすっかりとへべれけ親爺になっていた。

そしてまだシラフである私を見て、右手に握ったコップになみなみと注がれた酒を押し付けようとしてくる。

お酒というお酒が苦手で、一口飲んだだけでもひっくり返ってしまうタチの私は、こういうときは一番閉口してしまう。

だからといって、えびす顔のグスタフの顔を見ると、この一杯を無碍に断るのも悪い気がしてしまうので、ちょっとげんなりしてきた。


どうしようか、適当に飲むふりをして躱してしまおうか……。

半ば本気でそんなことを考えたとき、ぐっと肩を捕まれ、私はロランに抱き寄せられた。


「グスタフ。悪いけど、ちょっと飲みすぎて気分が悪くなったんだ。悪いけど、アリシアに送られて帰ることにするよ」


ロランが有無を言わさない口調で言うと、グスタフの目が点になった。

え? ロラン様……? と何か言おうとする間に、ロランは私の肩を抱いたままさっさと回れ右をして、すたすたと帰る一歩を踏み出し始めていた。


しばらく、私たちは無言で道を歩いた。

ぎゅっと胸板に押し付けられた左肩から、ロランの心臓の鼓動が伝わっていた。


そして馬鹿騒ぎするネリンガ村の喧騒が遠くに消えた辺りで、ロランが安心したように息をついた。


「危なかったな、アリシア。ああなったグスタフはしつこいんだ。ちょっと一杯のつもりで付き合うと帰してくれなくなるんだよ」

「え、そうなんですか?」

「ああ、ものすごい絡み酒でさ。アリシアは飲めないんだよな? 一芝居打って正解だったよ」


からからと笑ったロランだけれど、彼も私の肩から手を離してくれない。

この人もなかなかの絡み酒なんじゃないか……と思いつつも、仕方なく私は、少し千鳥足気味のロランを抱えられたまま、ハノーヴァー邸に帰る道を歩いた。


既に空の大半には夕闇が迫ってきて、山向に美しいグラデーションを描く空には魁星が綺麗に光っていた。

しばらくぶりに、私たちはネリンガ村からの帰り道をぽつぽつと会話をしながら歩いた。

今流れ星が落ちた、とか、蛙の声が聞こえる、とか。

まるで小さな男の子と女の子が森を探検するような内容の会話。

例によって、オチも面白さも全くない会話が、二人の間で交わされた。


しかし――どうしてこの人とは、会話がなくても間が持つのだろう。

私は真剣にそれを不思議に思っている自分を発見していた。

普通は数秒でも話が途切れれば、どちらかが焦って間を繋ごうとするのに。

私たちは五分でも十分でも会話が途切れても、焦ることがなかった。


これは一体どういう感情なのだろう。

私はそう考えながら、しばらく自分の中の変化を考えていた。

今までなら可愛げがないなりに、人を失望させまいと最低限は取り繕うのが当たり前だった人生。

私は気が利かないから、可愛くないから。そんな卑屈な思いは、ロランの側だと考えることがない。

この人の隣りにいると、なんだかもっと可愛げがないことを言いたくなったり、もっとぶっきらぼうに振る舞ってみたくなりさえする。


言うなればそれは、信頼とか安心とか、そういうものなのかもしれない。

私は、この人の側だと、アリシア・ハーパーのままでいることができる。

飾ることも、誰かと比較することもなく、私のまま、私でいられる。

そういうことなのかもしれない。


私の中に、少し迷いが生じてきた。

このまま、私たちは婚約者未満の関係をいつまで続けられるだろうか。

いや――それを続けていていいのか。

私は実際、ロランという男性のことをどう思っているのか。

一緒にいたいのか、いたくないのか。

そんなの、とっくに決まっていることなのに――。

例によって、私はどこまでも優柔不断だった。







しばらく歩いて、ハノーヴァー邸の門が見えてきた。

流石にそこまで来ると、ロランは名残惜しそうに私の肩を離した。


「やれやれ、また遅くなっちゃったな。リタに怒られるかも――」


ロランはいたずらっ子の口調でそう言った。

あはは……と力なく笑い合った私たちが、門をくぐり、広い庭園の真ん中まで来たときだった。


ふと、私の鼻をくすぐる香りがあった。

はたと、私は足を止め、左手奥に広がる庭園の方を向いた。


「ん? どうした、アリシア」


ロランが不思議そうに私を見た。

私は、今鼻をくすぐった香りが何だったのか思い出そうとした。


それはとても懐かしい香り――。

ひとつの香りじゃない、二つ以上の香りが合わさった、ふくよかで心地の良いもの。

なんだっただろう……といろいろ考えているうちに、庭に植わっている白い花弁の花が目についた。


そうだ、マーガレットだ。

夜風に乗ってやってくるよい香りは、庭に咲いたマーガレットの香りだ。

だけど――それだけじゃない。

マーガレットの香りだけではない、この懐かしさを覚える香りは――。


「どうしたんだい、アリシア? 何を見てるんだ?」


その声に――はっと私はロランを振り返った。

マーガレットのこの香り。

なんだかとぼけたようなロランの顔。

そして、マーガレットの花言葉。


まさか。


私は既に酔いが覚めつつあるらしいロランを見た。

もし、小さい頃の私が、その花言葉を知っていたのなら。

私は覚えていない、あのときのあれに、意味があったなら――。


私はロランの手を取った。


「ロラン様、ちょっとついてきてください」

「え?」


そう言って、私は最初に私たちが出会った池の辺りまでやってきた。

そこにも一面のマーガレットが植えられていて、何とも言えない芳香を放っている。


「急にどうしたんだい? アリシア、ここに何があるんだ?」


ロランの質問に応えず、私は、すう――と鼻で呼吸してみる。

マーガレットの香りと、そのほかの香りが調和して、とても懐かしい香りになった。


「――やっぱり」

「えっ?」

「ロラン様。ロラン様は七年前、ここで私と別れたと仰いましたよね?」

「あ、ああ……そうだけど」


ロランが頷いた。

疑念が確信に変わり、私は顔を俯けた。


「――ばか」

「えっ?」

「もう……なんだってそんな恥ずかしいことをしたのよ、私……」


猛烈な羞恥心がこみ上げてきて、私は顔を両手で覆った。

全く――昔から可愛げのない娘だったくせに、なんてことをするんだろう。

当時はまだ11歳の子供だっただろうに、こんなこましゃくれたことをするなんて。

花には詳しくないロランがそれに気づくことなどなかったのに。


でも、覚えていない昔の私でも、私なら、きっとそうしただろう。

私には、その行為に精一杯の思いの丈を乗せるのが関の山だっただろう。

全く――昔も今も、私は不器用で不器用で、本当に可愛くない。


「ちょ、ちょっとアリシア。意味がわからない。一体何を――」

「七年前、私はここでロラン様にマーガレットの花束を渡した。そうですわね?」


ロランが少し驚いたような顔で私を見た。


「そ、そうだけど――えっ? 思い出したのかい?」

「いいえ、やっぱり覚えてませんわ。でも、この香りを身体が覚えていました」


私は自分が意外に変態だったことを知って、猛烈に恥ずかしくなった。

覚えていたのは、その光景ではなかった。

覚えていたのは、香り。

そして、それも一種類ではない。

マーガレットと、ロランの香りが混ざったその匂いを、私は覚えていたのだ。


「もう……嫌だわ。よりにもよってマーガレットなんて。私って本当に……」


ロランは小さくなった私をきょとんとした顔で見ている。

もう、子供の頃から本当に私は可愛くない。

言いたいことがあったなら直接伝えればよかったのに。

一体、11歳の私はどこでそんな知識を仕入れたのだろう。

花に詳しい人間なら誰でも知っていること。

白いマーガレットの花言葉、それは――。


でも、なんだか不思議に、11歳の私が18歳の今の私を応援してくれているような気がした。

ほら、言うべきことがあるんでしょう? 花でいっぱいになったこの庭で。

そんな自分の声が聞こえた気がして、私はなんだか可笑しくなってしまった。


「ふふっ――」

「んえ?」

「あはは、ごめんなさいロラン様、ちょっとおかしくて」


ロランはますます訳がわからないという表情で私を見た。

その顔を見て、私はすう、と息を吸った。


「ロラン様」

「え? うん」

「随分約束の時間が過ぎてしまいましたけれど。ロラン様の求婚、お受けいたします」


ロランの顔が一瞬喜色を湛えて、でもすぐにそれから驚いたような表情に変わった。

私の突然の返答に、喜ぶより驚いてしまったらしい。


「ほ――本当かい!?」

「ええ、本当です」


私は大きく頷いた。


「私、なんだか青い薬のお陰で、自分に自信が持てました。それに――」

「えっ?」

「いや――なんでもありません。とにかく」


なんだか、気恥ずかしいと言うよりは清々しい気分だった。

11歳の自分に背中を押されたことで、確信が湧いた気がした。


そう、私は、もっともっとロラン・ハノーヴァーという人を知りたい。

心から、そう思えた。


「ロラン様。私、やっとロラン様の側にいられる自信がつきました。ロラン様、私、ロラン様の側にいたいです。――ダメ、ですか?」


私がはっきりと口にすると、ロランの顔が、急に気恥ずかしそうな表情を浮かべた。

慌てたように身体のあちこちをさすり、明後日の方向を向いたりして、最後に顔を伏せたロランは、それから少し沈黙して、蚊の鳴くような声で絞り出した。


「いや――ダメじゃない。嬉しい」


おお、この人がこんなに動揺するところを初めて見た。

私はなんだか得をしたような気分で、微笑みとともにロランの顔を見た。


なんだか、とても不思議な気持ちだった。

もっともっと恥ずかしく思ったり、どぎまぎしたりするかと思っていたけど。

婚約の返答の言葉はすんなり出てきて、後にはふわふわとした、なんだか暖かいものが残った。


さぁ、今日から私は彼――ロラン・ハノーヴァーの婚約者だ。

一時はあれほど嫌だった「婚約」の二文字だったけれど、ここハノーヴァーで、私はちゃんと過去に蹴りをつけることができた。




二度と俯かない。私がちゃんと自分に誓えたのは、思えばこのときだったかも知れなかった。




「面白そう」

「続きが気になる」

「頑張れ農協聖女」


そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。

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『がんばれ農強聖女』第三巻、2022年11/19(土)、
TOブックス様より全国発売です!
よろしくお願い致します!
― 新着の感想 ―
[気になる点] 「青い顔になるまで」お酒を飲まされたんですか?オスカーが? 大丈夫ですか急性アル中とか、にはならなくても具合悪くしてる人を見てニコニコして「みんな嬉しそう~」って呑気ですね…? そこだ…
[良い点] 良かったーー!! [気になる点] いいお話なのに…いいシーンなのに…! 実際のマーガレットの匂いを知っている、この無駄な知識と経験を、今ほど恨んだ事はない…!!
[良い点] 村人達のお祭り騒ぎ、とても愉快ですね。酔っぱらっていてもちゃんとアリシアの身を案じて演技をするロランも素敵でした。11歳のませた自分に背中を押されるアリシアも可愛かったです。ロランの喜びも…
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