表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/138

ハノーヴァーの聖女様

一週間後。

私は祈るような気持ちと共に、駆け足でネリンガ村へ向かっていた。




「お、おいアリシア! そんなに急ぐとまた倒れるぞ!」

「すみませんロラン様! もう待てないんです!」


何度も言うけれど、私は運動というヤツとはとんと無縁の人間だ。

かけっこはいつでもビリだったし、第一走るのも身体を動かすのも好きではない。

だけど――今の私はもうネリンガ村へ一刻も早くたどり着きたかった。

もう一週間も経っているのだ。どんなに遅くともなんらかの結果は出ているはずだった。

そのせいで、いつもの道のりは歩きから早足になり、小走りから全力疾走になったのだから、私という人間もよくよく堪え性のない人間だと思う。


いつもはロランとおしゃべりをしながらだらだらと歩く田舎道を走りながら、私は天を仰いだ。


女神様、そこにいるのなら私の願いに耳を傾けてください。

一瞬だけでいいから、彼ら農家にも希望の光をお与えください。

先代の聖女様も、もしそこにおられるのなら、どうか私たちをお導きください。

そして苦難に歓喜を、絶望に希望をお与えください――!


ネリンガ村まであと少しというところまで来た時だった。

向こうから血相を変えて走ってくる人影――それを見た私は足を止めた。


「オスカー――!」

「あっ、アリシア様! ちょうどいいところに!」


オスカーの方も、私に負けず劣らず汗だくだった。

思わずその場で膝に手を当て、俯いて呼吸を整えている私の手をオスカーが引っ張った。


「とっ、とにかくアリシア様! 俺たちの畑に来てくれ!」

「え!? ちょ、ちょっと待って! もう息が……!」

「畑が大変なんだよ! すぐに見てくれ!」


その言葉に、私ははっと息を呑んだ。

畑が大変? まさかあの薬によって何か害でも出たのだろうか。

質問するより先にぐいぐいと手を引っ張られ、私は半ばつんのめるようにして走り出した。


ネリンガ村の奥まった場所にオスカーの畑はある。

私は引きずられるようにして畑までやってくると、丁寧に畑を検めていたカールがはっと振り向いた。


「アリシア様――!」


それきり、カールは絶句した。

その表情と声に、とても嫌な予感がした。

見たところ、葡萄畑にこれと言った変化はなさそうだけど、何か問題が起こったのかもしれない。

かくかくと笑う膝をどうにか叱りながら、私は土手の下に降りた。


「カールさん……! 何かありましたか!?」

「アリシア様、これを、これを見てくだせぇ!」


私はカールの元に駆け寄った。

その木の根元には赤色に染めた布切れを結びつけてあった。

一週間前、既にべと病に冒されていた木である証だった。


ほら、これだというようにカールはその葉の一枚をめくってみせた。


私は穴が空くほど、その木を凝視した。




ない。

ない。


ない……!




ほんの数日前、この木を真っ白く冒していた、モザイク状の斑点も。

黒茶けて枯れていた枝も。

白いカビのような病気に包まれていた未熟果も。




その全てが――綺麗に消え失せていた。




ごくり、と私は唾を飲み込んで、震える声で言った。




「効いてる……」




カールが感極まったように、何度も頷いた。


「病気が消えてますだ。あっちの木も、こっちの枝も、全部――!」


息が切れていた。

あまりに必死に走ったために、貧血で頭がくらくらした。

膝は笑うし、頭を滑り落ちてきた汗の珠が目に入って痛かった。


それでも――。


私は、心からの喜びと安堵に、笑った。

あはは、あははは……! という笑い声は次第に大きくなり、遂には私とカール、オスカーの馬鹿笑いが遠慮なくハノーヴァーの青空を揺るがした。


「あっ、アリシア――!」


そこへロランが血相変えて走ってきて、私がしたように膝に手をつき、全身で息をした。


「あっ、アリシア……! どうした!? 急に走り出したりして……!」


まだ状況がわかってないロランに、私とカールは顔を見合わせた。

私はロランの手を取り、慌てて畑へといざなった。


「ロラン様、見てください! 病気が消えてます!」


えっ? とロランは目を瞬いた。

そしてしげしげと葡萄の木を検め――そして、ほう、とため息をついた。




「本当だ……消えてる。病気が消えてる……」




ロランは信じられないと言うように呟いた。

そして、私を見た。




「アリシア……」


その時にロランが浮かべた表情。

驚き、喜び、安堵、そのどれとも違うもの。

もっともっと、表現できない感情が満面の笑顔に溢れたと思った瞬間――。


がばっ、と、ロランが私の腰に手を回した。

うわっ!? と悲鳴を上げる間に、私はロランに思いっきり抱き上げられていた。


「わわっ!? ろっ、ロラン様……!」

「あはははは! アリシア、やったな! 君ならきっとやってくれると思ってた!」




私を天高く高く抱え上げたまま、ロランはまるでワルツを踊るように私を振り回した。

この人がこんなにもストレートに喜びを爆発させるところを――私は見たことがなかった。


「やったやった! アリシア! 君のお陰だ! 薬は確かに効いたんだ!」

「えっ、ええ……!?」

「これでネリンガ村、いや、ハノーヴァーはもっともっと豊かになるぞ! これをもたらした君はまさに聖女だ! アリシアはハノーヴァーの聖女だ!」

「ちょ、ちょっと! ロラン様、何を仰ってるんですか! おっ、降ろしてください! ロラン様ぁ!」


そんなふうに慌てながらも――。

私はいつの間にか、ロランと同じように大笑いしてしまっていた。


なんという充実感。

なんという幸福感だっただろう。


聖女候補になって以来、一度も感じたことのない気持ち。

ただ奪われ、搾取されるだけだった私たち。

思えばあまりにも非力な人間である私たちが、自然の猛威に初めて一撃を与えた快感。

その実感は後から後から湧いてきて、私の口から大笑いの声で漏れ出ていった。


「アリシア様、ロラン様……」


ふと――カールが私たちに向き直り、ロランは私を地面に降ろした。

カールはしばらく唇を震わせ――そして、がっくりとその場に跪き、額を地面に擦り付けんばかりに頭を下げた。


「か、カールさん……!」

「ありがとう、ありがとうごぜぇやす! アリシア様、いや、聖女様……!」


悲鳴のようにそう叫んでから、カールは激しくしゃくり上げ始めた。

その姿を見ていたオスカーが、慌てて父親の肩を抱いた。


「と、父ちゃん……!」

「これでおらも今年の冬が越せますだ……! おらは、おらは実は、今年葡萄が出来なかったら、今度はおらが川に嵌って死のうかと思っていましただ!」


カールの激白に、私だけでなく、オスカーも驚きの表情を浮かべた。


「父ちゃん……なんてことを……」

「そうするしかねぇ、オスカー。お前にしてやれることと言ったら、もうそれしかねぇと思っていた。こんな甲斐性なしの親父だでな。生き残るのは若いもんの仕事だと、最近ではそればかり考えて……」


全身に伸し掛かっていた重責から解放されたかのように、カールは激しく嗚咽した。

地面に擦り付けた顔を両手で覆い、野太い声でカールは泣き続けた。


「聖女様……! 聖女様がおらを救うてくださいました。聖女様の薬は嘘でも幻でもなかった。なんと、なんとお礼を申し上げてよいか……! 聖女様、お救いをありがとうごぜぇやす、聖女様! おら、おらは、あぁ……!」


それから先は、もう言葉にならなかった。

オスカーも感極まったように嗚咽を漏らし、枯れ木のような父親の背中に縋って泣き続けた。


聖女様――。

カールにそう呼ばれて、正直私は戸惑っていた。

私がハノーヴァーの聖女? 救いをもたらした聖女?

勘違いしてもらっては困るのに。


いいや、私はアリシア・ハーパーという、単なる無力な小娘だ――。

先程感じた喜びとは正反対のものが。

私の心の中に一瞬、黒くて冷たいものが溢れた。


聖女を妹に毟り取られ、第一王子との婚約も破棄された、哀れな女。

人は、自分に救いをもたらすものを聖女と呼ぶのかもしれない。

けれど――私はやっぱり聖女ではない。

その役割は既に譲った。

私が聖女候補だったのは昔の話。

聖女は愛らしくて華やかな私の妹で――。


と、そのときだった。

ドン、と、背中をどつかれ、私はウッと悲鳴を上げて前につんのめった。

痛った……! と顔をしかめると、隣に立ったロランがぐいっと私の袖を引っ張った。




「アリシア、君はもう俯かない。そうだろう?」




ロランに小声で耳打ちされて、私ははっと顔を上げた。

そうだった、もう忘れていた。

こんな風に卑屈に考えていたら、いつまで経っても私は過去から逃れられない。


二度と俯かない。

二度と妹には嫉妬しない。

前を見て、私はできることをするんだった。




前を向かなければならないのは、私の方もなのだ。




私は、カールの前に跪き、その肩に手を掛けた。


「カールさん、これは聖女の力ではありません。みんなの、そして何よりも、オスカーの力ですわ」


聖女が人々を教え導くように。

私はカールの肩をそっと叩いた。


「オスカーはあなたをずっと救おうとしていました。何度あなたに否定されても、何年もあの青い石のことを、聖女様がこの地にもたらした恵みを忘れてはいなかった。私はそれを信じただけ、それだけです」


カールがぐちゃぐちゃの顔を上げ、目を真っ赤にしたオスカーを見た。


「カールさん。すぐにこの件はグスタフさんや皆さんに報告しましょう。あなたの息子さんがこの村にもたらしてくれた恵みを、皆さんにも分け与えるのが今すべきことです。ね?」


カールは息子の頭をなでながら、何度も何度も頷いた。

ロランを振り向くと、ロランも満足そうに微笑んでくれた。

彼らは今、やっと七年前の悲劇を乗り越えることが出来た――その確信が湧いたところで、私は立ち上がり、とびきりの大声を出した。




「さぁ皆さん、急いで村中に報告しましょう! 私たちは病気と戦える、そのニュースを、村中に、ハノーヴァー中に伝えましょう!」




「面白そう」

「続きが気になる」

「頑張れ農協聖女」


そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
163794872.jpg?cmsp_timestamp=20211210120005

『がんばれ農強聖女』第三巻、2022年11/19(土)、
TOブックス様より全国発売です!
よろしくお願い致します!
― 新着の感想 ―
[気になる点] フィクションだから仕方ないんだろうけど、副作用などのマイナス部分については一切考慮しないんだろうか。 作ったばかりの薬が病気だけを治してくれると考えるのは、さすがに短慮だと思ってしま…
[一言] これでまた、姉と妹、対比されるんだろうなぁ 姉の「次期聖女様」による貯金を妹が食い潰していく。 この成果も妹が「欲しい」言うんだろうなぁ これって妹が「策士」ならばどちらも幸せになれるの…
[良い点] 感動して泣きました‼ 良かった‼良かったぁ~( ;∀;) [気になる点] ちょいちょい「奥さん」って呼ばれてますけど この二人、まだ、結婚してないんです、よね?(してましたっけ?) 早く…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ