お願い、どうか効いて
まず、鉱山から試験採掘してもらったカルカンサイトを砕き、粉末にしてお湯で溶かす。
青い粉末が徐々にお湯に溶けてゆき、深い海を思わせるような、神秘的で美しい水に姿を変えた。
次に石灰の粉末に水を注ぎ入れて乳化させ、そこに硫酸銅の溶液を少しずつ、撹拌しながら注ぎ込む。
しばらくすると、綺麗な水色をした、どろりとした溶液が出来上がった。
「よし、こんな感じかな――どうですか? カールさん?」
「そうでがすな。聖女様が作ったのもこんな具合でがした」
カールがどろどろの溶液を覗き込み、大きく頷いて太鼓判を押してくれた。
桶の中に作られた溶液はカルカンサイトの青色と石灰の白が混ざり合い、綺麗なスカイブルーになっている。
色が色であるだけに、私の方も魔女が作る霊薬の類を作っている気がして、なんだかドキドキしてきた。
七年前、聖女様がこの畑で試験的に作った溶液の作り方を、カールがある程度覚えていてくれたのはありがたかった。
おかげで溶液に使われていたもうひとつの白い粉が石灰であったことが確定したし、分量についてもかなり正確に再現できた。
濃度などはこの畑で研究を続けていかなければならないが、私の記憶にある液体の色はこんな感じだった。
病気がカールの葡萄畑全体に回るのは時間の問題だったし、とりあえず、今回はこれで試して見る他ない。
「いよいよだな、アリシア」
ロランも期待と不安が入り混じったような顔で私を見た。
「この薬が本当に効果があることが確定すれば、ハノーヴァー領の、この国の農業のあり方が変わるかもしれない。そうなれば……」
「もう、ロラン様は気が早いですわ」
私はロランの言葉を遮った。
「これはほんの試験です。確かに効果があがれば嬉しいですけど、今後も研究はあります。まだ流通のことまで考えるのは性急ですよ」
「いや、私の方も楽しみでがすよ」
現場に駆けつけてくれたグスタフが赤髭を右手で扱きながら言った。
「我々ネリンギ村の百姓はいつもべと病には悩まされておりました。天候がよくない年には葡萄が全滅したときもありますだ。お願いだから病気が消えてくれと、我々は毎年祈るような気持ちでおるものですからな――」
グスタフはしみじみと言った。
「この薬で本当にべと病が消えてくれるなら、おらたちの暮らしは格段に楽になりやす。ロラン様が期待するのも無理はねぇ」
カールの畑にべと病が出た――。
その報せを聞きつけた村長のグスタフは、すぐに鉱山へと使いを走らせ、コルス鉱山からカルカンサイトの採掘を打診してくれた。
それだけではなく、カルカンサイトが到着した後は、薬剤の散布に必要な人手と石灰、そして散布用の如雨露まで用意してくれたのだった。
それは単にグスタフが篤農家であり、この村の村長であるということ以上に、この村の人間がべと病の撲滅に賭ける悲壮な思いを体現してもいた。
「そうだよアリシア様! 俺は先代の聖女様とアリシア様を信じる! きっとあの青い石が病気をやっつけてくれるよ!」
オスカーまでが握り拳を握って私を見た。
必然、期待の目の集中砲火に晒された私は、自信なく視線を俯けるしかなかった。
正直に言えば――不安だった。
この溶液が真価を発揮し、カールの畑を蘇らせる事ができれば、それは確かに現在の農業のあり方を変えるかもしれない。
だが、反対に効果を発揮しなかったら――そう思うと、どうしても怖かった。
「アリシア、大丈夫だ」
ロランが俯いた私を気遣う声を出した。
「きっと上手くいくさ。伯母上を、先代の聖女様を信じるんだ」
ロランの声に、私は気弱な思いを頭から振り払った。
その通り、これは先代の聖女様が研究し、私に託した薬だ。
きっと効果を発揮し、オスカーの家を、ハノーヴァー領を救ってくれる。
信じるしかないと心に決めて、私は大きく息を吸った。
「薬はこれで完成しました。後はこれを散布するだけです。それではみなさん、お願いします!」
私が言うと、その場に居並んだ全員が頷いた。
持ち寄られた如雨露に薬液が注がれ、次々と満たされていく。
本来ならば試験区と対照区を設けて試験したいところだったが、今回は仕方がない。
零細農家とはいえ、決して狭くはないカール家の葡萄畑に、村人総出の薬剤散布が始まった。
「頼むぜ、聖女様女神様、どうにかうめぇこと畑を癒やしてくれよ……!」
脚立に昇ったオスカーが、祈るような言葉とともに薬液を葡萄にかけ始めた。
カールやグスタフ、そして村人たちでさえ、口を真一文字に引き結んで作業にあたっている。
それを見ていると堪らず、私も一歩進み出た。
「アリシア――?」
「私も作業します。グスタフさん、如雨露を貸してください」
私が言うと、グスタフは困ったように笑い、私が持った如雨露に薬液をたっぷりと注いだ。
どろりとした水色の液体は、石灰やカルカンサイトが溶け込んでいるせいなのか、めちゃくちゃに重かった。
脚立の上で如雨露を持ち、空いている脚立に登ると、重心のバランスが崩れた脚立が思い切り揺れた。
「わわっ……! ゆ、揺れる……!」
「お、おいアリシア、脚立から落ちるなよ!」
「だっ、大丈夫です、ロラン様! もしよろしければ、脚立を支えてくれれば助かりますわ!」
ロランが上を見ながら脚立を両手で押さえてくれると、脚立のガタつきが収まり、多少作業がしやすくなった。
両手で危なく如雨露を支え持った私は、白く腐れたようになっている葡萄の木に丁寧に薬液をかけていった。
どうか、どうか効果を発揮して――。
私はその時、人生で一番真剣に祈っていた。
「天にまします女神よ、どうぞ我が望みを叶え給え――」
不意に――。
私の口から聖女候補時代に何度も諳んじた祈りの文句がこぼれ出た。
「汝の贄となりしこの身なればこそ、ただ我が望みを聞き届け給えや。汝が喜びは我が喜び、汝が悲願は我が悲願、汝が祈りは我が祈りと為し給うや――」
聖女様は三年前、病を得て亡くなられた。
それはどれほど無念の死であっただろう――私は聖女様の気持ちを想った。
十五歳のとき、若かりし日の聖女様がこのハノーヴァーで見た地獄の光景。
べと病が蔓延し、真っ黒く枯れ果てた畑を前にして打ちひしがれ、おろおろ歩く農民たち。
収穫が皆無となり、貧困と飢えに苛まれ、絶望に涙する農民たち。
そしてその結果が招いた地獄の光景。
逃散、流氓、娘の身売り、口減らし、子捨て、姥捨て、一家心中――。
二度とこんな悲劇を起こしてはならない。その決意と執念の末に作られたこの薬。
この薬を私が受け継ぎ、聖女様の代わりに私が病と戦おうとしている。
既に私は聖女ではないけれど、私の、私たちの祈りに女神様はきっと応えてくれる。
その思い、その知識、その執念を受け継いだ私になら、きっと――。
「お願い、どうか効いて――!」
私は祈りの言葉とともに、葡萄に薬をかけ続けた。
薬液の青色の雫が葡萄の葉や房にかかり、美しい水色の水玉模様を描いていた。
ここからそろそろ農協聖女が無双乱舞します。
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。





