不穏な兆候
「この祈りが、どうか天上に届き慈雨となりて地上を潤さんことを……」
ここ西のヴァレンディア領は、古くから少雨に苦しめられてきた不毛の土地だ。
その地理的特性のために雨が降ってもすぐ流れてしまい、大規模な農業を行うのが難しいらしい。
特に夏には日照りになりやすい土地でもあり、それ故、農業が本格化する前に聖女が行う雨乞いの儀式は不可欠なのだそうだ。
とは言っても、所詮は聖女の力など端から信じていない私のことだ。
雨乞いの儀式のやり方などもちろん知らないし、それが効果を発揮するとも思っていない。
とりあえず大神官から言われた通りのことをすればいいのだと言い聞かせて、私は言われた手順を脳内で繰り返した。
まず、山海の珍味が捧げられた祭壇に立ち、祈りを捧げる。
視線を下に落とすと、そこにあったのは一本の木の蔦。
この蔦をナイフで切り落とし、そしてそこから滴る雫を、祭壇に捧げられた黒ヤギの頭に振りかける。
黒ヤギの黒は雨雲を象徴し、蔦から滴る雫が雨を象徴しているらしい。
雫を垂らされた黒ヤギは迷惑そうに私を見つめて、メェ、と一言鳴いた。
最後、支え持った蔦を祭壇に置いて恭しく一礼し、儀式は終了した。
私が振り返ると、固唾を飲んでそのさまを見守っていた農民たちが快哉を叫んだ。
「万歳! 聖女ノエル様万歳!」
農民たちは拳を突き上げたり、肩を叩き合ったりして私を見た。
聖女などお飾りではあるのだろうけれど、こうして喝采に包まれるのは悪い気はしない。
私は微笑みを浮かべながら祭壇を降りた。
「いやはや、ご苦労さまでありました」
そう言って握手を求めてきたのはこの村の村長だという、赤ら顔の男だった。
私の両手を握って、男は私を尊敬の眼差しで見た。
「ありがとうでがす。先代の聖女様がご不在になってから、この村はもう何年も慢性的な不作でありまして……きっと聖女様の祈りが天に届き、今年は豊作となることだすべぇ」
酷い訛りの言葉に適当に頷きながら、村長は言った。
「五年も前、聖女様が同じようにここへやってきた時も、同じようにしていただいたんでがす。その年は本当に雨が降り続いて……聖女様の祈りは本物だと、我々は喜びあったものでがすよ」
その言葉を聞いて、私は思わず吹き出しそうになった。
先代の聖女の事だから、きっと真剣な顔と心でこの雨乞いの儀式をしていたに違いない。
そしてその傍らには、当時先代の聖女と一緒に各地を行幸し、その様子を真剣に見ていたであろう姉のアリシアがいたはずだ。
その様を想像した私は、ふと先日父から聞いた話を思い出した。
聖女を私に譲れと言われた時、アリシアは「ノエルは雨乞いの作法を知っているのか」と父に訊ねたそうだ。
そんなくだらないもの、知っているわけがないのに、姉はあくまで真剣な口調だったと、父は呆れ果てて私に語った。
そんなものは元から真剣に学ぶ必要のないものだし、今だって、大神官から言われた通りのことをやっただけの私でも、完璧にやれたのだから。
全く――アリシアはどうしてああも頑迷だったのだろう。
雨乞いの儀式など、いくら真剣にやったところで雨など降るはずがないのに。
だがアリシアは、それが聖女の務めであるというように、数年前もこの村で真剣にその儀式を見ていたに違いない。
それは我が姉ながら、滑稽というよりも、いっそ哀れに思えた。
信じてもいない気休めで将来の安心を買う。
この村長がそうであるように、それで今日を暮らそうとする人がいる。
全く、世の中にはおめでたい人々がいるものだ――。
私が思わず苦笑した、その、途端。
ざわっ、と、何か不穏な空気が私を包んだ。
「ん? なんだ――?」
村長が天を仰いだ、その時だった。
ぶわん、と不可視の衝撃が私を突き飛ばした。
突風だ。私はうわっと大声を上げてしゃがみ込んだ。
村長や村人たちも、突然の風に驚いて地面に伏せた。
風は、ごうごうと唸りを上げて吹き荒れた。
風切り音が耳を聾する、その中に。
メリメリ……と木の裂ける音が生じて、私ははっと背後を振り返った。
突然の突風に、急ごしらえの祭壇が煽られ始めた音だった。
ギシギシと不穏な音を立てて数秒の間、風を受け止め続けた祭壇が、徐々に傾いでゆき――そして、轟音とともにひっくり返った。
捧げものが地面に転がり、吹き飛ばされ、数秒で祭壇は瓦礫の山と化した。
みるみる祭壇が形を失ってゆくのと同時に、出し抜けに突風が止まった。
しばらく、私は呆然と瓦礫の山と化した祭壇を見ていた。
その場に居合わせた農民たちもゆっくりと顔を上げ、破壊された祭壇を見て口をあんぐりと開けた。
「餓死風……」
私の隣にしゃがみ込んでいた村長が呆然と呟いた。
ここからじっとりと聖女が追い詰められてゆきます。
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