私は両親に愛されなかった
自分の部屋に入ってドアを閉めると、忘れていた疲れがどっと頭にのしかかってきた。
あまりに重い頭を抑えながら、私はよたよたとベッドに近寄り、そのままうつ伏せにベッドに倒れ込んだ。
今頃、父は嬉々としてノエルに私が婚約破棄を承諾したことを報告しているだろう。
そしてノエルは飛び上がらんばかりに喜び、王太子妃としての生活に思いを馳せているだろう。
聞きたくなかった。
私から毟り取った未来を喜ぶ家族の声など。
婚約者だけでなく、聖女の職まで奪われる。
昨日まで、それに一生を費やそうと努力してきたのに。
だが、ノエルが一言欲しいと望めば、父や母は八年でも十年でも、簡単に取り上げても心が傷まないのだ。
それを知ったら、いくら私だって何も感じないわけがない。
「馬鹿馬鹿しい――」
私は天井を見上げながら呟いた。
そう考えて僻むことにすら、私は疲れていた。
この国の王太子妃となる人間が、結局聖女であるのか、それとも王太子妃であるのか。
少し歴史に詳しい人間ならわかって然るべきだ。
だが父や母、ノエルにとっては、聖女など端から無視していい要素。
王太子妃という光り輝く金の釦こそが未来の全てなのだろう。
私はベッドのサイドテーブルに伏せておいてある本を取り上げ、パラパラとめくってみた。
これ以上ないぐらいボロボロになり、幾重にも傍線が引かれた分厚い本。
『農業総論』――それが本のタイトルだった。
私は、首だけを上げて、部屋の本棚にある本を眺めた。
『冷害と霜害』
『病害虫防除の手引』
『天候不順時の農作物の生育』
『農本体制論』
『冷夏への備え』
どれもこれも、十八歳の公爵令嬢が読むような本ではない。
だが、そのボロボロになった本の一冊一冊が、私が聖女であろうと努めてきた時間を象徴するものだった。
聖女は、古来からこの国の希望、特に農村の農民たちから崇拝を受け、絶大なる信仰を寄せられる現人神そのものだ。
渇きに慈雨を、長雨に陽の光を、苦難に歓喜を、絶望に希望を――。
そう称せられる聖女は、この国の貴族の中から選ばれ、そして第一王子の婚約者として指名される。
そして王太子妃として、そして聖女として、その一生を民の生活の安寧と王国の弥栄に費やすのだ。
『いいですかアリシア、聖女は決して古臭い信仰や迷信のためにいるわけではないのです』
そう私に言ったのは、先代の聖女であった王妃様だった。
聖女として召し上げられ、国王の后となって30年。
彼女はその貞潔さと清貧さとを以て農民からよく慕われ、国を治めた。
そして聖女として妃として、異例の在位期間を記録し、三年前に病を得て死んだ。
聖女として指名されてから五年、慣例に従い、私は十五歳までを彼女の側で聖女見習いとして過ごし、彼女から聖女としての心構え、生き方、そして何よりも農業に対する知識など、様々な薫陶を受けた。
『聖女は決してお飾りでいてはならない。その慈愛や知識が農民を救い、心の拠り所になるものでなければなりません』
そして、彼女はこうも言った。
「そして国が乱れるときは、その身命を賭してでも自分の役割を完遂する。それが聖女であり、国母である人間の努めです――」
私は何度も何度も聞かされた彼女の教えを諳んじた。
彼女は貞潔で、清廉で、私の本当の祖母のようだった。
いつか誰かの安寧の上に終わる命であっても、その使命をやり遂げる。
そう決意し、私のない人生を生きた人。
その覚悟ある女が生きた人生を、このハーパー家が腐らせる。
ただ愛する方の娘を王太子妃にしたいというだけの下心で。
急に、涙が溢れて来た。
「あれ――?」
私は慌てて目に手をやった。
拭っても拭っても、涙は後から後から溢れてきた。
妹のように。
ノエルのように愛らしく生まれていれば。
私にも、誰かからむしり取られない生き方ができたの?
王妃様の生き方を穢さない生き方ができたの?
本当は自分でも気づいていた。
私が聖女候補として今まで励んできたのは、両親から愛してほしかったからだ。
ノエルではなく、私を見てほしかったから。
ノエルのように器用ではない私には、そんな生き方しかできなかった。
ただひたすらに精進して、自分の知識を磨くことしか、私にはできなかった。
だが、両親はその思いに気づいてはくれなかった。
それどころか、私が生きてきた人生そのものを妹に譲るよう迫った。
どんなに頑張っても、どんなに努力しても。
両親にとって私は、妹ではない私はそれしか価値のない人間だった。
そう考えると、たまらない寂しさが心の中を埋めた。
結局、私はその日、一歩も部屋の外に出ることができなかった。
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