オオカミに襲われた
「なんだ――?」
ロランが虚空を仰ぎ見た瞬間、オスカーがぎょっと声のした方を見た。
「やべぇ……!」
「えっ?」
「い、今のはオオカミだ……! 俺たちを嗅ぎつけやがったな!」
オオカミ――その一言に、私とロランは視線を錯綜させた。
「半年も前、鉱山の酔っぱらいが一人喰われてんだよ! どうしよう、鉱山まではまだ距離があるのに……!」
オスカーは青い顔で岩から腰を浮かせた。
そこに再びの遠吠えが聞こえ、今度ははっきりとその音のしたほうがわかった。
今まで私たちが踏み越えてきた道の奥の方から聞こえている。
「オオカミか、参ったな……こっちには武器もないんだぞ……!」
「いいえ、ロラン様、オスカー。私の言うことを聞いてください」
私は小声でオスカーとロランに言った。
ロランとオスカーの視線が私に集中した。
「オオカミの群れはすぐに獲物を襲ったりしません。おそらく、今までも私たちを追いかけて来ていたんでしょう。襲うつもりならもっと早い時点で襲われていたはずですわ」
私は過去に読んだ獣害についての本の内容を思い出しながら言った。
「オオカミは獲物を見つけた後、しつこく追跡して獲物を疲れさせた後、隙を見て飛びかかると聞いています。だから、距離を詰められる前に鉱山にたどり着くことができれば、きっと大丈夫です」
「ほっ、本当かよ!?」
「本当かどうかはわからないけれど……とにかく、昔読んだ本にはそう書いてあったわ」
私が精一杯の虚勢を張るつもりで言うと、ロランがオスカーを見た。
「アリシアの知識は信頼できる。オスカー、鉱山まであとどれぐらいだい?」
「どっ、どれぐらいって……そうだな、一時間ぐらい、かな?」
「それまでオオカミと鬼ごっこか……アリシア、立てるかい?」
「ええ、急ぎましょう」
私たちは慌ただしく立ち上がり、オスカーを先頭に早足で駆け出した。
既に日は西に大きく傾いていた。
◆
「頑張れ! あと少しだ!」
オスカーに引きずりあげてもらいながら、私は喘ぐように息をした。
既に身体は限界以上の痛みと疲労を訴えているが、構ってなどいられない。
遠吠えは既にかなり近くまで来ているし、予想以上に暗くなったことで道も見えにくくなってきた。
ここで足を止めれば一巻の終わりだ。
「オスカー、鉱山まではあとどれぐらいだ?」
「あと少しだ! 道が広くなってきただろう! 後はこの丘を駆け下りるだけだ!」
私の背丈ほどもある岩を登ると、足から力が抜けた。
くそっ、みんなのお荷物にはなりたくないのに、身体がついていかない。
私が地面に手をついて身体を起こすと、すっと背中を抱かれた。
「あ、ろ、ロラン様――!?」
「辛そうだな、アリシア」
耳元にそう言われ、思わず私は顔が赤くなるのを知覚した。
「大丈夫だ、僕がついてる。さぁ、もう一息頑張ろう」
それは焦燥を含んではいたものの、私を落ち着かせるような、低くてしっかりした声だった。
その声に幾分かの冷静さを取り戻して、私はロランに背中を抱かれたままよたよたと歩いた。
しばらく病人同然で歩いた私たちの目の前でふと森が途切れ、視界がひらけた。
丘の上に立った私たちは、ごくりと唾を飲み込んだ。
辺り一帯の木々は綺麗に切られ、山肌はまるで毛皮を剥いだかのように赤茶けた土肌を剥き出しにしている。
遥か眼下に広がるすり鉢状の窪地には、こんな山奥にどうしてこんな建物が、と言いたくなるほどの豪勢な建物がずらりと並び、ひときわ高い煙突がもくもくと煙を吐いていた。
遠目に見ては星空のように見える灯りが無数に瞬き、照らし出された光の中を無数の人間が忙しなく行き来しているのがわかる。
コルス銅山――国内有数の銅山の偉容を前に、私とロランはしばし自分が置かれた状況も忘れ、その幻想的な光景を飽くこともなく眺めてしまった。
「げっ! やべぇぞ、オオカミが来た!」
その声に、私とロランははっと背後を振り返った。
もう闇に沈みかけた藪の中に、緑色の光がちらちらと何個も見える。
その光から察するに、オオカミは十頭もいただろうか。
この距離まで近づいてきたということは、ついにオオカミたちが私たちに襲いかかる決意を固めたらしい。
「もう少しだ! 走れ、オスカー!」
ロランが大声を発し、私の背中の手にぐっと力が入った。
私は背中に回されたロランの手を我知らず握りしめ、ひぃひぃと命乞いをするように痛む肺も無視して、私たちは一斉に走り出した。
後ろから、腥い息遣いが聞こえた。
丘を駆け下り、私たちはコルス鉱山へ走る。
遠くに、鉱山の門と思しき明かりが見えた。
あそこまでたどり着けば――! 焦燥に駆られた途端、足がもつれ、私は思いっきり転んだ。
「アリシア――!」
ロランが大声を上げ、私は振り返った。
オオカミがすぐそこまで来て、私に向かって一直線に駆けてくる。
もう距離は数歩の距離まで近づいていた。
今から立ち上がって走っても間に合わない――!
なにか武器はないかと探すと、近くに両手拳ぐらいの大きさの石を見つけた。
反射的にそれを両手で支え持った私は、飛びかかろうと地面を蹴ったオオカミの頭めがけて、やけっぱちの怒声と一緒に横薙ぎに振り抜いた。
ギャンッ! という犬そのものの声が聞こえ、石がオオカミの頭をしたたかに捉えた。
吹き飛んだオオカミが道の下に吹き飛んだところで、足に力が戻った。
「アリシア、走れ!」
私を掴んで引きずり上げたロランの腕にしがみつきながら、私はよたよたと立ち上がって走り出した。
鉱山の門から、守衛らしい数人の男が出てきて私たちを見た。
「おい、何者だ!」
「ネリンガ村から来たんだ! 鉱山に入れてくれ、オオカミに追われてる!」
オスカーが走りながら大声を上げると、守衛は私たちがぞろぞろと引き連れてきたオオカミたちを見て、ぎょっと目を丸くした。
「お前たちの後に門を閉める! 急げ!」
守衛が大声を上げ、門が徐々に閉まり始めた。
私たちは最後の力を振り絞って駆け、門の隙間に滑り込んだ。
直後、観音開きの鉱山の門は閉められ、向こうからはあと一歩で獲物を逃したオオカミたちの不機嫌そうな唸り声が聞こえてきた。
助かった――。
しばらく、私たちは何も言うことができずに、全身を揺らして呼吸を整えた。
「アリシア!」
急に、ロランの大声が降ってきた。
地面に崩れ落ちたまま動けない私の両肩に手を回し、ロランが揺さぶった。
「怪我は――怪我はないか?!」
「え? えぇ、大丈夫ですわ……流石に襲いかかられた時は……どうしようかと思いましたけど……」
そこまで言いかけた時、突然ロランに強く抱き締められ、その先の言葉が消し飛んだ。
「うぇ、ロラン様――!?」
「よかった! 君にもしものことがあったらどうしようかと――!」
「だっ、大丈夫です! ロラン様、どこも怪我はしておりません! は、離して!」
人から抱き締められたことなど数えるほどしかない私にとっては、青天の霹靂とも言えるロランの行動だった。
私の顔は全力疾走とは違う理由で真っ赤になり、あたふたと身をよじる私を守衛が不思議そうに見た。
「なんだかよくわからんが、災難だったな、あんたたち。旅人……ではなさそうだが、鉱山に何の用だ?」
「ああ、探しものがあってここに来たんだ」
私から身体を離し、ロランがそう言った。
「探しものってなんだね?」
「ああ、ハノーヴァーの未来がかかった探しものさ。――僕の名前はロラン・ハノーヴァー、ハノーヴァー辺境伯は僕の父だ。話を聞いてくれないか」
守衛は最初冗談かと思ったらしく、ロランから視線を離してオスカーを見た。
オスカーは守衛に言った。
「今の話は本当だよ、その人が領主様の息子のロラン様だ――とにかく、ここには探しものがあって来たんだ。従兄弟を――スヴェン叔父さんを呼んでくれないか」
オスカーが守衛と話をしている間に、ロランはもう一度私の身体を眺め回した。
「アリシア、本当に怪我はないんだね?」
「え、ええ、無事です。それよりも……」
ロランの手に縋って立ち上がり、私はひとつの街と化している鉱山を見た。
ここでなにか手がかりがつかめればよいのだけど……と私が額の汗を拭っている側で、仕事が終わったらしい男たちが酔っ払って胴間声を上げて通り過ぎた。
「全く、一週間前におろした服がもうダメになっちまった。あの坑道にいると必ず穴が空くんだよ」
「仕方ねぇよ、あそこは歴史が古い坑道だからなぁ。タンパがビッシリ育ってやがる。俺もこの間、靴をダメにしたさ」
男たちは愚痴りながら私たちの横を通り過ぎていく。
そのとき、片方の男がぽつりと言った。
「全く、あんなに青くて綺麗な石なんだ、何かに使えねぇものかなぁ」
――その酔っぱらいの声に反応したのは、私だけではなかった。
ロランもオスカーも千鳥足の酔っぱらいの方を一斉に向いた。
「青い石……!」
私はその一言とともに立ち上がると、二人組の酔っぱらいの方にすがりついた。
突然すがりついてきた私に、酔っぱらいは大層驚いたように振り返った。
「その……その青い石のこと、詳しく教えて下さい!」
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
現在、ポイントがめちゃくちゃ滞っているので何卒よろしくお願いいたします。





