コルス銅山を目指す
歩き始めて数時間。
森の木立から見え隠れする太陽が遥か西に傾いていた。
ネリンガ村からは既に数キロは離れただろう。
オスカーの話によると、コルス銅山はもうひとつ山を越した場所にあるそうだ。
銅山まで半日かかるという話だから、日暮れまでには鉱山には着けそうだ。
「それにしても――とんでもない山道だな」
ロランが額に汗の珠を貼り付けながら言った。
しなやかに筋肉のついた身体をしているロランでも、この山道を登るのはなかなかに堪えるらしい。
ロランでさえそうだから、生まれてこの方運動とはとんと付き合いのない人間である私にとっては、この道はまるで永遠に続く苦行に思えた。
泥の斜面を歩く度に膝が笑い、岩の上に身体をずり上げる度にふくらはぎが容赦なく痙攣した。
言い出しっぺであるのに、この体たらく――本格的に春になったらもっと体力をつけよう。
私は心の底でそう誓いながら、汗だくになりながらふらふらと山道を歩いていた。
「頑張れ、アリシア様! このままならあともう一息で到着できる!」
「え、ええ、頑張るわ……! あと少し……!」
唯一元気いっぱいなのはオスカーだ。
オスカーはまるで猿のようにひょいひょいと山道を越えては、肩で息をする私に手を貸して引きずりあげてくれる。
私はロランとオスカーに半ば引きずられ、私は喘ぎながら山道の試練に耐え続けた。
更に三十分ほど歩くと、急に森が拓け、光の差し込む場所に来た。
ふわっと、森の匂いのする風が吹き抜け、汗だくの私の顔を撫でた。
「森の清水場だよ。鉱山に用がある村の人間はみんなここで休憩するんだ」
オスカーは軽やかな足取りで森の奥へと踏み入ると、大きな岩の陰を示した。
私がふらふらと近づくと、そこは洞窟になっており、光の届かない奥からさらさらと冷たい水が流れ出ていた。
「ここで休憩だ。後は一気に鉱山に抜けなきゃならない。ロラン様もアリシア様も、覚悟しておいてくれ」
そのオスカーの言葉に頷きながら、私は持っていたハンカチを広げ、清水に押し込んで濡らした。
雪解け水らしい、身を切るような冷たさに思わずため息が出て、私は絞るのもそこそこにハンカチで顔中を拭った。
ひんやりとした冷たさが、火照った私の身体を少しずつ冷やしていってくれる。
「大丈夫かい、アリシア。相当堪えてるみたいだけど……」
岩に腰を下ろしたロランが心配そうに私を見た。
私はみっともなくハンカチで顔を拭きながら頷いた。
「聖女様の遺言ですから……。あと一息……こんなところでへこたれるわけには……いきませんわ……」
精一杯の虚勢を張ると、オスカーがからからと笑った。
「アリシア様って本当に根性あるよなぁ! この道を歩くってだけで村の人間は嫌がるぐらいなのにさ。流石は聖女様だ!」
「オスカー、残念だけど私は聖女じゃないわ。聖女は私の妹。私はただの小娘よ」
私が訂正すると、オスカーは私を見た。
「そういや、どうしてアリシア様はそのまま聖女にならなかったんだ?」
オスカーは不思議そうに言った。
「七年前の飢饉の時、聖女様と一緒に村に来たじゃないか。俺はてっきり、あのときのお姉さんが聖女になったもんだとばかり思ってたのにさ」
「ああ、それは……」
ふと、私は事の顛末を話そうとしている自分に気づいて、驚いた。
それは自分が今一番人に言いたくない話だろうに、何故だかスラスラと言葉が出そうになったのだ。
息を呑んだ私を見て、オスカーが不思議そうに私を見た。
「オスカー、そう言うことはあまり……」
「いや、いいんです。ロラン様にもお話しなければならないことですし。今、お話しようと思います」
私はオスカーをたしなめようとしたロランを止めた。
意を決して、私は私が聖女になれなかった本当の理由を話すことにした。
父も母も、私よりも妹を可愛がっていたこと。
聖女の役割など端から信じていなかったこと。
妹にも、婚約者にも、影で裏切られていたこと。
何故か、この森の中だと、まだ膿んだままの傷口が全く痛くなかった。
私が語り終えると、ロランが眉を顰めた。
「アリシア、まさかそんなことで君が聖女になれなかったなんて……!」
ロランがそう言った瞬間だった。
「なんだよそれ――許っせねぇよ、俺!」
急に大声を上げてオスカーが立ち上がり、私もロランもその行動に驚いた。
「ユリアン王子はクソだ! 婚約者を裏切って妹にすげ替えようだなんて! そんな奴が次の国王になるのか! 俺、信じられねぇよ!」
呆気にとられている私の前で、オスカーは怒りまくった。
「アリシア様、あんたもそうだぜ! あんた、それでよかったのかよ!?」
「え、えぇ――!?」
「さっきから聞いてれば、アリシア様は自分のことなのに他人事すぎるんだよ! 婚約者も未来も取られたんだぜ! なんでもっと怒らねぇんだよ!」
はえ? と私は間抜けな声を上げた。
「お、怒る――?」
私が鸚鵡返しに尋ねると、オスカーは地団駄を踏みながら頭を抱えた。
「今の話を聞いただけで俺はヘドが出そうなのに! なんでアリシア様はそんな普通の顔できるんだ!? 俺なら王子様も妹も全員ぶん殴ってるところだよ! アリシア様はもっと怒れよ!」
「あ、いや、だって……!」
あまりの剣幕にたじろぎながら、私はしどろもどろに言った。
「だって、それは結局、婚約者だったユリアン王子が私を選ばなかったからで……結局、ノエルと違って選ばれなかった可愛げのない私が悪かったわけだし……」
「アリシア、悪いけれどそれは違うと思うよ」
ロランが静かに言い、私の右手に手を乗せた。
「そんな内罰的に受け取る必要はないと思う。もっと単純だよ。――ユリアン王子は婚約者がありながら君の妹と浮気して、結局君を捨てた。事実はこうじゃないのかい?」
ロランが厳しい顔で私を見た。
ウワキ。その三文字の単語は、私の頭の中を羽毛のようにふわふわと漂った。
あれはユリアン王子の浮気、だったのだろうか――。
まだピンと来ていない私に、ロランは更に言った。
「アリシア、君はもっともっと怒ってもよかったんだよ。君は尊敬していた聖女になる未来も、婚約者も、両親や妹に奪われたんだ。普通は耐えられないと思う。もっともっと泣いたり、叫んだり、怒ったりすべきだ」
「そうだそうだ! 怒れ怒れ! 王子も聖女もとんでもない浮気野郎だって、俺が村中に言いふらしてやるよ!」
怒る。
その言葉は――私の心の中には全く存在しない概念だった。
聖女を譲ったときも、婚約者を取られたときも、私はそれが当然だと思っていたのに。
私は誰にも可愛がられないから、むしり取られて当然、そう思っていたのに――そうじゃないのか。
「そう――なんでしょうか。私、怒るべきだったんでしょうか……?」
私がぽかんとそう言うと、ロランは私を見た。
「そりゃそうだよ。君は被害者じゃないか」
「そんな卑怯者たちが家族だったら、俺は申し訳なくて世間づきあいできねぇぐらいだぜ!」
目から鱗、というのはこういう事を言うのだろうか。
私の心の中にわだかまっていた霧のような何かが、すっ――となにか違う形に変化したように感じた。
私は心の中で凝り固まった何かの重さと熱さに驚き、ロランとオスカーを交互に眺めながらあたふたと慌ててしまった。
この感情、この感情はーー私がなんとかその感情に折り合いをつけようと四苦八苦していたときだった。
ウォーン……という、遠い嘶きが森の中を静かに震わせた。
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
現在、ポイントがめちゃくちゃ滞っているので何卒よろしくお願いいたします。





