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姉と一緒の道は歩まない

「聖女ノエル様、南のランチェスター領から書状が届いておりますが」




午後、宮殿内の私室で紅茶を啜っていた私に、現人神たる聖女の侍従でもある大神官がやってきた。

大神官はこの国の教会の最高権威であり、背の高い、如何にも聖職者と言えそうな温和な老人である。


だが、私はその見かけが本当のものではないと、とっくにわかっていた。

一言で言えばこの男は――とんでもない俗物だ。


就任式の後からすぐ、この男が明らかに、私を粘ついた視線で見ているのには気がついていた。

もしかしてこの男は見た目通りの人間ではないのかも知れない――その予測はまんまと的中した。

私が微笑みかければすぐに助平な笑いを返してくるし、媚びる声を出せばすぐに私の意の通りに動いてくれる。

扱いやすいと言えば扱いやすい男だが、根が真面目なのか、私が興味を持てない公務の話も馬鹿正直に持ってくるのだけが悩みの種だ。


晴れて王太子妃になった私にとって、聖女の称号などは単なるお飾り以外の何ものでもないと考えていた。

いつも微笑んでいて、農民がここ王都に巡礼する度に手を振っていれば、それで万事が済むのだと思っていた。


だが――聖女に就任してすぐ、それが全くの間違いであったと気づかされた。


聖女はお飾り――そう考えてはいない人間もこの国には多いらしい。

そして国内に凶事がある度に、聖女は馬鹿正直に祈りを捧げなければならない。

そしてその聖女の巡幸依頼はひっきりなしに届き、王太子妃としての華々しい社交生活に思いを馳せていた私の私生活を圧迫し始めていた。


フン、と私は鼻を鳴らした。

この国の聖女信仰の中枢である教会は、名目上王国の庇護下には入っているものの、もともとは別の権威だ。

だから王族に対しても遠慮がないし、王家もその権威をあからさまに無視したりすることは罷りならないらしい。

ただでさえユリアン王子を姉から奪って一度教会の意向を無視したこともあり、夫であるユリアン王子からはなるべくその意向に従うように、と、私は過去にきつく言い含められていた。


私はソーサーにカップを戻し、大神官の手から手紙を取って封を切った。


その手紙の内容は、南の伯爵領で長雨が降り、大規模な災害が繰り返し発生したため、聖女が巡幸して祈りを捧げて欲しい、という内容だった。


南のランチェスター伯爵とは、父とともに数度顔を合わせたこともある。

凡庸で小者の私の父とは真逆に、如何にもやり手と言える、落ち着いた雰囲気の素敵な人だった。


だが、その頭の中は意外にも迷信でいっぱいだったようだ。

聖女が来て祈りを捧げれば魔法のように災害が治まる?

そんなことをあの紳士が真面目に考えていたとは恐れ入った。


私は手紙を畳み、テーブルの上に置いて少し思案した。

今すぐ王都を発ったとしても、ここから南のランチェスター伯領までは往復五日はかかる。

五日後といえば宮殿内の晩餐会が開かれる予定がある。

巡幸と晩餐会、どっちを取るかは考えるまでもないことだった。


「聖女様、如何でしたかな?」

「南のランチェスター家から行幸依頼がありました。ですが、緊急を要する内容ではないようです。行幸はしなくていいでしょう」

「は――」


私が言うと、大神官は戸惑ったように言った。


「しなくていい――とは?」

「私は残念ながら多忙の身です。それに、祈るだけならここ王都でもできます。ランチェスター伯には王都で祈りを捧げておくとお伝え下さい」

「聖女様。生憎ですが、もうそうもいかなくなっておりまして」


大神官の言葉は神官らしからぬ、困ったような口調だった。


「バチェロ家、ハーバマス家、マルクス家……先日の就任式以来、巡幸の要請は他にも届いておりましたが、全て聖女様の時間が取れないとの理由で断りを申し上げました。ですが、何度も断りを入れていたのでは、流石に貴族の方々に申し訳が立たないのでは……」


いつになくしつこい大神官を鬱陶しく思いながら、私は言った。


「私には聖女以外にも王太子妃としての公務がありますから、そう簡単に王都を動くわけには参りません。巡幸には王太子様の許可も要りますし――」

「恐れながら聖女様……聖女とはあらゆる民の希望にございます」


大神官は慇懃に言った。


「渇きに慈雨を、長雨に陽の光を、苦難に歓喜を、絶望に希望を。恩寵あまねくこの地上を潤し、王国を庇い護る――それが務めにございます。王太子妃としての公務と天秤にかけられるものではございません」


全く――鬱陶しいこと限りない。

だが、何度も繰り返すが、この男は職務的には真面目な男だ。

デモデモダッテでは食い下がられる一方であろう。


私は悲しそうな表情を浮かべ、縋るように大神官を見た。


大概の人間ならば、私がこういう視線をすればすぐさまハッとしたような顔を浮かべ、慌てて私の機嫌を取ろうとする。

事実、大神官は困惑したように私を見た。


「大神官様は私が自分の意志で巡幸をしないのだと、そうお考えなのですね――残念ですわ……」


しょげかえってそう問うと、大神官は慌てたように首を振った。


「いえ、そういうわけでは――どうかお顔を上げてください、聖女様」

「私は聖女である前に王太子妃でもあります。何しろ、私は事情があって姉とその身を替わった王太子妃です。私事なのですが、今は王太子妃としての立場の足固めを優先せねばならない。今、私は王都を離れるわけには――」

「しかし――」


私は縋るような目と顔で言った。

目に力を入れ、全力で媚びるような声を出した。


「お願いです、大神官様。私の味方は夫であるユリアン王子の他にはあなただけなのです。どうぞこの件についてはよしなに、よしなにお取次ぎ願いたいのです……!」


そう言うと、大神官は少し無言になった後、わかりましたとため息をついた。


「ですが聖女様、恐れながら。政だけではなく、聖女としての務めの方にもご入力頂きたい。今回は断りを入れておきますが、次の行幸依頼はどうか無碍になさらぬようにお願い申し上げます」

「ありがとうございます、大神官様!」


そう言って大神官の手を握ると、大神官は照れたように顔を赤くし、髭に埋もれた唇を一瞬だけ笑みの形にした。

全く、大神官という立場にいながら、この男はちょろすぎて仕方がない。


私の手を名残惜しそうに離した大神官は、恭しく腰を折って部屋を出ていった。

宮殿内の私の私室から足音が遠ざかったのを確認してから、私はテーブルの上に置かれたままのランチェスター家からの書状を見た。


何故だか、私はますますイライラし始めた。

大神官の態度と思惑に、ではない。

ましてやあんな老人相手に猫なで声を出した自分へ、でもない。

この国に無知蒙昧の徒が意外なほどいる事実そのものに、である。


渇きに慈雨を、長雨に陽の光を、苦難に歓喜を、絶望に希望を――。

単なる人間でしかない聖女がそれをもたらすなんて、本気で考えている人間がこの世にいるとは。

しかもそれを信じている人間は、無学な農民だけではなく、貴族にも多い。

それは私にしてみれば冗談というよりも、いっそ不気味と言ったほうがしっくりくる発見だった。


祈れば熱が下がり、乞い願えば死人も戻るなら医者はいらない。

それがわかっていないはずはないのに、何故すがろうとするのか。

私にはそれが不思議でならなかった。


だが――それとこれとは別であるらしい。

鰯の頭も信心から、ということで、次こそは断れないぞと釘を刺されてしまった。

あの助平親爺も、流石にこれ以上は籠絡できそうになかった。


聖女云々の話を除いても、私の夫であるユリアン王子の立場を考慮してやらねば。

もう私たちは夫婦で、私があまりわがままを言って王太子としての地位が危ぶまれれば、私まで墜落してしまう。


「ホンット、面倒くさいったらありゃしないわね――」


私はもはや苛立ちも隠さず、大きなため息をついた。


そう言えば――と私は、近頃滅多に顔を思い出すこともなくなっていた姉のアリシアのことを思い浮かべた。


あのアリシアなら、きっとこの要請を二つ返事で了承したことだろう。

十歳で聖女候補として召し出された姉は、こういう災害や天変地異のことを勉強し、そしてそれを鎮めるような祈りの方法を馬鹿正直に勉強していたものだった。

すべては民の平和と安寧のため――そう信じ切って疑わない様子の姉は、内心それを小馬鹿にしていた私のことなど意に介さず、先代の王妃と一緒に国を回っていた。

そして、ゆく先々で祈りを捧げ、具体的にその治め方を伝授する先代の王妃のやり方を見ていた。


その行いは、私にとっては姉の不気味さ、理解しがたさを煽る原因のひとつだった。

天変地異や飢饉が起こるのは、別に聖女の怠慢ではないはずなのに。

だが姉と先代の王妃は、災害が起こった場所には必ず駆けつけて、その苦しみが聖女の不徳の結果だというように農民たちに謝罪し、そして祈りを捧げるのだ。


かたや公爵令嬢、かたや王妃ともあろう人間が、実際には他力本願しか考えていない農民や町民に頭を下げて回る――それは奇妙な行為だ。

自分がその災害の原因であればわかるが、災害は勝手に起こる。

その全てに誰かが責任を持つなんて、聖女のシステムは本当に理解不能だ。


だから私は、姉とは同じことはしない。

聖女みたいな迷信の塊のような存在のあり方は変わってゆき、やがては現実性の前に絶えてしかるべきお飾りであるはずだ。


私が聖女になったからには、民たちにもそのことを周知しなければならない。

自分たちを庇い護り、優しく抱きしめてくれる存在など、最初からいないのだということを。

すべての行動に自らが責任を持ち、苦難も不条理も自らで受け止めて回避し、自立する現実性。

それこそ、私が聖女として王太子妃として、この国の民たちに教え込んでゆかねばならない感覚であるはずだ。


「見てなさいよ、アリシア」


私はどこにいるかも知らない姉に語りかけた。




「あなたと、あなたの目標だった聖女は、私が必ず否定してあげる」




「面白そう」

「続きが気になる」

「頑張れ農協聖女」


そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。

何卒よろしくお願いいたします。

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『がんばれ農強聖女』第三巻、2022年11/19(土)、
TOブックス様より全国発売です!
よろしくお願い致します!
― 新着の感想 ―
[気になる点] 国は聖女にいろいろ背負わせ過ぎだ。 治水灌漑、開墾、難民救済、国を上げて兵士や業者に請け負わせなければならないものを、聖女がまず訪問慰労調査と対処させるて。対応が後手後手に回るの理解で…
[一言] まあある意味聖女システムの歪さついてる点は間違ってない。 しかし、高位貴族のくせして両親共々、国の骨幹分かってなかったのは十分に万死に値するレベルなんだが。 前王妃で聖女様と言う生きた見本い…
[一言] ノエルが言ってることは一理有る。 ただ、絶対的優位性を持つために平民農民達から学ぶ機会を奪っているのはノエル達のような貴族。 そんな中で出来る限りの努力はした上で、どうにもできない天災へ…
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