ブドウを踏み踏み
私たちはしばらくネリンガ村の視察を続けたけれど、その中で確実にわかったことがある。
とにかく――村人の顔が笑顔なのだ。
この村に初めて来た時から、賑やかな村だな、というイメージはあったけれど、中にはカールのように沈んだ表情をしている人もいるにはいた。
悩みや苦しみは人それぞれあるものなのだろうけれど、今のネリンガ村はその悩みや苦しみという概念自体が消えてしまったかのように、とにかくなんというか、健康的だった。
みんなが私たちを見れば笑顔を向け、オゥ、と野太い声で挨拶してくれるし、私を見るなり駆け寄ってきてくれるのも一人や二人ではなかった。
中には私の両手を取り、あの青い薬の効果が如何に素晴らしかったかを切々と語り、お礼を述べてくれる人までいる。
その度に私は逆に救われたような気分で微笑み、私のしたことなどほんの小さなことなのだと言い張った。
あの青い薬がこれほどまでの効果を発揮したことは嬉しかったけれど、それ以上によかったのは村人が笑顔になったことだ。
農村の大半の悩みは、やはり農作物の出来不出来に大きく左右されるものなのかもしれない。
収入や食料に関して大きな心配がないということはやはり大いに安心できることであろうし、何よりも単純に、見事に実った作物を見ることで人は元気になるものなのだ。
よくよく考えれば、収穫の喜びを農業以上に実感できる職業は他にないのだ。
「さぁさぁ、それではいよいよ、こちらも本題に入ろうと思いますだ」
村のあらかたの視察を終えると、グスタフが見事な髭を指先で弄りながら意味深な微笑みを浮かべた。
この実直な篤農家がこんな表情を浮かべることは初めてのことで、私はちょっと驚いた。
そもそも、本題とはなんだろう。農業協同ギルドの話は既に詰めたし、それ以外になにか話題があるのだろうか。
「ブドウの収穫が終わりましたら、村では収穫祭をやりますだ。ネリンガ村一番の祭りでがしてな。そりゃあ賑やかなものでがすよ」
収穫祭。それは農村にとって重要な意味を持つものだ。
秋の実りを実感し、初物を神様に感謝するという意味以上に、今年もよく頑張ってくれた、お互いにご苦労さまという意味合いを込め、全員が全員の頑張りを慰労するのが収穫祭だ。
それは村人たちの結束や親交を深める上でとかく重要な行事で、どの村でも盛大に祝うのが当たり前なのだった。
グスタフは私たちを村の中心、催し物が行われる広場へと誘った。
そこでは既に数人の村人たちが収穫祭の会場となるのだろう舞台を拵えたり、テーブルを出したりしている。
中でも目を引くのが、広場のど真ん中に置かれた巨大な木の桶で、数人が行水できるぐらいの大きさだった。
あれは……と私があたりをつけると、グスタフが目尻の皺を深くした。
「収穫祭の一番盛り上がるのがブドウ踏みでごぜぇますだ。その年一番のブドウを村の乙女たちが踏み、その果汁を初物として女神様に捧げる神事でがす」
ブドウ踏み――私は聖女見習い時代に訪れた先の村で見た、あの賑やかな光景を思い出していた。
美しく着飾った少女たちが腕を組み、賑やかな音楽に合わせて軽快にブドウを踏むのがブドウ踏みだ。
圧搾機などの機械がなかった昔、嫁入り前の乙女たちが本当にこうしてブドウの果汁を踏んで搾っていたのが、いつしか神事として定着したのだろう。
男たちは手を叩き、女たちは笑い合い、村から選び抜かれた乙女たちの美しさと清らかさを褒め称える――それが収穫祭のハイライト、ブドウ踏みだ。
私がそんな予備知識を頭の中に呼び起こしていると――ニヤリ、とグスタフが笑い、私を振り返った。
「そこでお願いでがんすが――今年のブドウ踏みの神事は、我々は是非ともアリシア様にお願いしてぇと思っていましてな」
あぁ、そんなことでしたら……と微笑みかけようとしてから、言われたことの内容が頭の中で徐々に処理されてきて――。
結果、えぇ!? と私は驚いた。
「ぶっ、ブドウ踏みを、私にですか――!?」
とんでもないとんでもないと大いに恐縮した私に、グスタフは何故なのかもの凄く嬉しそうに笑った。
「恐れながら――他に誰がおりますべぇかな? 村の寄り合いでも皆がそう言ってますだ。ほぼ満場一致でがしたよ。二人の乙女のうちの一人はアリシア様にやってもらおうと、反対意見もなくすんなり決まったような次第でごぜぇまして……」
「そ、そんなそんな! 私みたいなイモ娘がブドウ踏みだなんてとんでもない! そ、それにあの、ちょっとそういうのは私……!」
「ん? なんだいアリシア? ブドウ踏みぐらいやったらいいじゃないか」
「そうだよアリシア様、大抜擢じゃねぇか。ブドウ踏むくらいやったって減るもんじゃねぇだろ?」
ロランとレオにあっけらかんとそう言われて、私はぎょっとした。
途端に何かを察し、ブフッ、と低く笑って顔を背けたのはカールだった。
オスカーはそんな父親を不思議そうに見つめている。
減るもんじゃなし、とレオは言うが――とんでもない。
ブドウ踏みには神事ということ以上に、村の男たちを大いに喜ばせる、別の意味があるのだ。
その事までバッチリ予備知識として頭の中に入っている私はぶんぶんと両手を振った。
「あの、私のそんな姿とか見て喜ぶ人なんて多分いませんよ!? 私がやるんだったらあの、ほら、もっと適任がいるというか――!」
「いねぇ、と決まっておりますだ。みんなハノーヴァーの聖女様がブドウを踏むところが見てぇのだと申しておりやす」
グスタフが物凄い圧とともに一歩前進してきた。
もうこれは決まったことでがす、という意志が明確だった。
私は一歩後退しながら、それでも絶望的な抵抗を試みた。
「あの、それなら私がブドウ踏みではない別の神事を担当しますわね! これでも聖女見習いでしたから色々な儀式の経験もあって、私の担当はそれで――! あは、あははは――!」
「どうしたんだいアリシア? いつもならこんなに慌てたりしないのに。何かそんなに必死に断らなきゃならない理由でもあるの?」
ロランが不思議そうな表情で尋ねてくるので、私は必死に目線で訴えた。
あのですね、これは私以上にあなたが一番慌てなきゃいけない申し出だと思いますよ……と。
けれど私の視線による必死の訴えは、ブドウ踏みの乙女以上に清らかな心を持つこの青年には通じなかったらしい。
ああ……と私が絶望的な思いでいると、クスッ、という感じでライラが笑った。完全に何かを察した笑いだった。
「あー、そりゃ確かに、アリシア様が適任でしょうねぇ」
ライラは肘を抱き、ニヤニヤと何かを企んだ表情で笑った。
「私も見てみたいわねー、アリシア様がブドウを踏むところ。それにアリシア様が必死になってブドウ踏みに励めば、ロラン様も多少はアリシア様のことを違う目で見るようになるんじゃないかしら?」
「ん? どういう意味だい?」
「ら、ライラさん……!」
もうこの人はブドウ踏みがいかなるものなのか完全に察していた。
私の顔が猛烈に熱くなってきた辺りで――決定打の声が響き渡った。
「ダメかなぁ。俺はアリシア様がブドウ踏みやらないんだったら祭りが盛り上がんないと思うけどなぁ」
何も察していないのだろうオスカーのあっけらかんとした声が、ブスリと私の胸に突き刺さった。
私はその場にいた全員の顔を見渡した。
途端に、私の大騒ぎに集まってきていた村人たちが、露骨にガッカリした表情を浮かべ始めた。
中にはわざとらしく俯いて目頭を揉んだり、ハァ、という重く長い落胆のため息を、私に聞こえるようについてみせるものまでいる。
まるで示し合わせたかのような村人たち――特に男ども――の白々しい演技を見て、私は初めてこの村が憎いと思った。
最後にグスタフを見ると、いいですな? と言うようにグスタフが微笑んだ。
私はぶんぶんと振り回していた両腕をばったりと下げ――そして、敗北した。
「も、もう……わかりました、わかりましたよ。私、ブドウ踏みをやります……」
途端に、男どもがうおーっ! と野太い声を上げ、手を叩き拳を突き上げ、大袈裟なほどに喜びを爆発させた。
ロランやレオはその男どもの猛烈な喜びを不思議そうに見つめているが、男なら多少は何かを察してほしいものだ。
ブドウ踏みをするのが何故嫁入り前の乙女に限られているのか。
そしてブドウを生足で踏むということは、一体何をどうしなければいけないのか。
そして何故、何故に、この場の男どもがこんなに喜んでいるのか――。
「よしよし、よかったでがす。アリシア様に断られたらブドウ踏み自体を中止にするべぇと決まっておりましたのでな。頷いてくれて本当によかった」
グスタフはゲラゲラと笑った。私が頷いたのではなく、実際は頷かせられたのだけれど……。
暗澹とした気持ちになったものの、私は多少は気持ちを取り直して訊ねた。
「それで、もうひとりの乙女は決まっているんですか?」
「いや、アリシア様以外の乙女の選定はこれからでがす。まぁ候補はおるにはおるんでがすが――」
そこまで言い掛けて、グスタフはちょっと困ったような笑みを浮かべた。
あれ? なんだろうこの反応は? と思った途端、グスタフは首を振ってその先をごまかした。
「まぁ、他の一人が決まりましたら報告は致しますのでな。今はまず保留にしといてくだせぇな。ささ、そろそろ昼だ。皆さん、もしよければ是非うちで食事を食べていってくだせぇな」
グスタフはそう言って、私たちを自分の屋敷に誘った。
私以外のブドウ踏みの乙女は保留。なんだか、私にはそのことが妙に気にかかった。
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