影からの視線
「いやはや、本当にあの青い薬のおかげで今年はブドウが豊作でがしてな。こんな年はおら初めてでがす。毎年毎年、今年はいくらの株がべと病にやられとるのか、この季節は数えるのが怖いぐらいだったんですが、その心配が今年は全く無ぇ……」
グスタフは自分の手でお茶を入れながら、まるでまくし立てるように話した。どうやら今年のネリンガ村はべと病とは一切無縁のブドウ作りができたらしい。
甘味、酸味、粒の大きさ、そして収量、全てに満足のゆくものが作れたと、グスタフは赤い髭をしきりにしごきながら嬉しそうに話した。
「それに増してよかったのが馬鈴薯でがすな。聞いとりますぞ、馬鈴薯の噂は。復興村ではだいぶ大規模に始められたようですな?」
「馬鈴薯? ネリンガ村にもその噂が聞こえていたと?」
私が不思議そうに訊ねると、グスタフは髭面を満面の笑みの形にした。
「もちろんでがすよ。うちの村にも馬鈴薯を気味悪がって手を出さない連中が多かったんでがすが、セントラリア復興村が馬鈴薯を主要農産物にすると聞いて、俄然興味が湧いてきとるところでしてな。来年はカブやソバなんかの畑を馬鈴薯に切り替えようっちゅう話が出とりますでな。何よりもアリシア様やロラン様がお薦めになってくださる野菜なら何の心配もねぇと、村のもんはそう言っとりますよ」
「そうそう! アリシア様が広めてくれるものなら間違いないさ! たとえ馬鈴薯が毒でも俺たちは食うともさ!」
グスタフと、それに合わせたオスカーの言葉に、私はでへへと思いっきり照れた。ごしごしと頭を掻いて縮こまる私を、グスタフはニコニコと見つめた。
「それに、おそらく今回の本題についても、我々は非常に期待しておりますでな」
そこでグスタフは意味深にそう言い、器用にウインクをしてみせた。
その創設の構想は既にかいつまんで手紙に書いていた。私は思わず椅子から腰を浮かせた。
「そう、今回の本題です! 農業協同ギルド!」
「えぇ、アリシア様らしい、とても素晴らしい発想だと村の方でも話題になっておりますでな」
グスタフだけでなく、カールやオスカーも目を輝かせて私を見つめた。
「我々農民はとかく助け合うことで様々な問題を解決してきた人間たちです。個人が持つ力はどれだけ小さくとも、みんなで集まればどんな困難も乗り越えられる……それを農民以上に知っている人間もねぇもんでがすよ。今回の取り組みは領主様の方からそれにお墨付きをくださるという……それがなんというか、単純に言えば、わしら農民にとってはとても嬉しいことでがしてな……」
グスタフは初めて見る照れたような表情で頭を掻いた。そんな村長を見つめたカールもオスカーも、うんうんとわかったような表情で深く頷いている。ついでにレオも、太い腕を組んでうんうんと頷いた。
「それに、今度は医者先生も来てくださった。今後は何かとお世話になる機会も多いでしょう。折角わしらを癒そうとしてくれている先生に払うカネがないというわけにはいかねぇ。農業協同ギルドの骨子には基金の創設も含まれておりますで、これなら貧しいものたちも気軽に医者先生に診てもらうことができるようになるでしょう」
グスタフの言葉に、ライラが微笑んだ。そう、農業協同ギルドは農業だけではなく、農民たちの生活全てを助けるという構想だ。
それには医療だけではなく、ゆくゆくは教育や金融の機能までも追加していかなくてはならない。その第一歩が、講の形での医療基金の創設だった。
グスタフの長い話が一段落した気がした。
私は逸る気持ちを抑えながら「それで……」と切り出した。
「手紙に書いていた最初の加入組合員の件、もう取りまとめて頂いていますか?」
「えぇ、もちろんでがす。まずは比較的懐具合に余裕のあるものを選んで、最初の組合員となってもらう予定でがす。そうですな……二十名ほどが既に加入を検討しておりますよ」
「もちろん、うちの父ちゃんもだぜ! これがアリシア様やロラン様への恩返しの第一歩だよ!」
わぁ、と私はカールを見つめた。カールは照れたように苦笑した。
二十名。まだまだ少ないかもしれなかったけれど、そんな数の人々が、まだ実体のない私たちの夢に協賛してくれたことが単純に嬉しかった。
ゆくゆくはセントラリア村でも試験的な加入希望者を募る予定だから、最終的な組合員の数は五十名程度になると思われた。最初の一歩を同時に踏み出す人数としては十分すぎる人数と言えた。
「まぁまぁとりあえず、難しいお話の方はこの程度でいいがすな。アリシア様やロラン様には見ていただきたいものもありますでな。医者先生も村長様も、よろしければおらが村を視察していってはくだせぇませんかな?」
グスタフの一言に、私たちは全員が快く頷いた。
◆
ぞろぞろとネリンガ村の道を歩いていると、グスタフが妙に弾んだ口調で説明した。
「いやはや、今年は夏がきちんと暑くなってくれて本当によかったですな。おかげでブドウにはそれらしい虫もつきませんでした。それに……」
グスタフはそう言って、道の脇に広がっているブドウ畑に勝手知ったる様子で入ってゆき、まだ収穫されていない黒ブドウの一房を手にとって見せた。
ブドウの表面には水色の斑点がびっしりとついている。聖女様の青い薬が散布されたことを示す斑点だった。
「この村での試験の結果、あの青い薬にはべと病の治療だけではなく、予防効果もあるようですな。これを予め散布した畑にはべと病の発生が抑えられておることが既にわかっとります」
「べと病の予防効果……やっぱりそうですか。あるのではないかと思ってはいましたけれど……」
「ええ、間違いねぇと思いますな。証拠にホレ、見てください。このブドウ畑の豊穣なことと言ったら……」
グスタフはまるで孫を見つめるかのような慈愛ある目で、眼前に広がるブドウ畑を見渡した。
こうして農地にいるグスタフを見ると、この人は単に篤農家というだけではなく、農業を本当に愛しているのだと思わされる。
決して楽しいこと、嬉しいことだけではない農業だけど、苦労の果ての実りを実感するこの一瞬だけは、どんな農家でも顔がほころんでしまう。
私はその瞬間の彼らの顔を見るのが何よりも好きだ。辛く長い労働の果てに訪れた喜びの瞬間には、農民たちは本当に幸せそうな表情をするものだ。おめでとう、やったね――と、見ているこちらまでもが祝福したくなってしまうのだった。
「それに、この青い薬が効くのはブドウのべと病だけじゃねぇようですな。べと病ならキュウリやキャベツにも使えるようでがす。リンゴならば輪紋病や黒星病、ニンジンの黒葉枯れなんかも、この薬を撒けば予防できそうだっちゅうことがわかってますだ。ゆくゆくは麦の種子消毒なんかもこの薬でやってみようっちゅうことを言っとりますな」
グスタフは流石の記憶力と言える口調で説明した。どうやら、あの青い薬の効果は私や先代の聖女様が期待していた以上の効果を秘めているらしい。
「とにかく、これは物凄ぇ薬でごぜぇますだよ。作物の病気が薬で治療できるだなんて、おらたち農民は考えたこともなかった。でもよくよく考えれば、野菜も果物も、人間も大差ねぇのかもしれねぇ。薬と医者がいればちゃんと病は治る。おらたち農民もそれを忘れちゃいけねぇ――」
ふふふ、という笑い声とともに、グスタフの暖かな視線は私とライラに向けられた。
医者と薬があれば病は癒える。金銭的な余裕のない農村だと忘れられがち、否、見ないふりをされがちなその事が、しっかりとこの村には戻ってきていた。
これは重要なことだった。とかく保守的な農村においては、未来に期待するという行為自体がとかくタブー視されがちだ。
その農村で「何かが変わるかもしれない」というムードが膨らんでいるのは大いに歓迎すべきことだと言えた。
それはこの農村にある種の流動性が生まれているということで、今後、さらなる大きな変化をもたらすための弾みにもなる。
何よりも、何もかも諦めることを処世術の一種としているはずの農民たちに「やれるかもしれない」という期待が生まれているのはいいことだ。
何事も、物事は掛け算と同じ――どんな数を掛けるにしても、相手の数字がゼロであれば意味がないのだ。
「いいことは薬やお医者さんだけじゃないさ! そうだろう、アリシア様!」
と――そこでオスカーが大声を上げ、私の背後から私を肩車した。
突然の行動にうわっと声を上げた私を、オスカーは輝く目で見上げた。
「今後はもっともっと大きなことをやろうとしてるんだろ、農業協同ギルド! すっげぇなぁ! 俺たちがギルドを作るんだぜ!」
オスカーはまるで踊りを踊るかのようにくるくると回った。自分より年下の少年に肩車されているというのに、オスカーの足下は大地に根を張る大樹のようにしっかりとしていた。
この数ヶ月で何倍も成長したかのように、オスカーの顔からは少年のあどけなさが消え、徐々に精悍な青年のそれへと変化しつつあるように見えた。
「俺たちが俺たちの村を変える! 色んな悲しいことや苦しいことだって、助け合えば解決できるようになるんだ! これって凄いことだよな、なぁアリシア様!」
「お、おいおいオスカー……! あんまりアリシア様を振り回すんでねぇ!」
慌てるカールやグスタフとは対象的に、私は心底嬉しかった。オスカーの顔からは数ヶ月前に初めて出会ったときの陰がすっかりと消えていた。
彼はもう二度と農村に落ちる暗い影に囚われることはない、そう思うと、自分のやろうとしていることが途轍もなく意義あることに思えた。
ひとしきり私を振り回した後、オスカーがやっと私を地面に降ろした。
私はオスカーの前にしゃがみ込み、肩を抱いて言い聞かせた。
「あなたの言う通りよ、オスカー。私たちはとても大きなことをやろうとしているわ」
私はひとつひとつ、言うべきことを頭の中に思い描きながら言った。
「人間、助け合えば凄いことができる。アリだって同じよ。みんなが協力して、自分より何倍も大きな獲物を巣に運ぶ――。私たちはこれからアリになるの。逞しくて強いアリにね」
その一言に、へっ! とレオが鼻を鳴らし、気恥ずかしそうに横を向いた。
そう、アリの例え話。それはあの大雨の中でレオが言ったことで、この一言が私に農業協同ギルドの創設を閃かせたのだった。
「みんなで助け合えばどんなことだってできるし、どんな問題だって解決できる。ヒーローがみんなを助けてくれるのを待たなくても、みんなが一人ひとり、誰かのヒーローになれる――それが私の理想とするギルドよ。あなたもその一人、誰かのヒーローになってほしいの。お願いできるかしら?」
ヒーロー。その一言にオスカーの目が一層輝き、うん! といういい返事とともにオスカーが頷いた。
息子の成長が嬉しかったのだろう、父親であるカールは泣き出しそうな顔で顔をくしゃくしゃにしている。
「さぁ、まだまだ見てもらいてぇものがありますでな。アリシア様もロラン様も、今度は村のあっちの方を視察しましょう」
グスタフの言葉に、私たちが和気あいあいとした雰囲気で歩き出そうとした、その瞬間。
ふと――今のムードとは正反対の、まるで針で刺すかのようなちくちくとした視線を背中に感じ、私ははっと振り返った。
「ん? どうしたんだいアリシア?」
ロランが不思議そうな声を発したが、私は返答しなかった。
私が振り返った先には、ブドウ畑で使われる農具の類が仕舞われている小屋があり、視線はその小屋の陰から発していたように感じた。
けれど、もうそこには人影はなく、今の鋭い視線の主はどこをどう見ても発見できなかった。
なんだろう、なんなのだろう、今の視線は。
まるで私たちがこの村にいることを歓迎していないかのような、敵意を感じる視線。
この村に来てからは感じることのなかった――他所者へ向けられる視線だった。
「いえ――なんでもありませんわ。気のせいかしら……?」
私は歯切れ悪くそう言って、グスタフたちの背中を追って歩き始めた。
だが、結論から言うと、そのとき感じた視線は気の所為でもなんでもなかった。
いたのだ、ネリンガ村に。暖かい日向へと歩いていこうとする私たちを、肌寒い影の中から恨めしく見つめていた人物が――。
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