腰の蝶番が
実に数ヶ月ぶりに、私とロランはネリンガ村への道を歩いていた。
ここのところはずっと復興村の復興事業にかかりきりであったから、ここまでぼんやりと道を歩くのは随分久しぶりのことだった。
秋は確実に深まっていて、広葉樹は既に色づき始めており、うららかだった太陽は春にこの道を歩いたときよりも確実に高くなっていた。
それでも、数ヶ月前よりも確実に手に入れたものが増えていたためか、肌寒さや心の重さは一切感じず、足取りは軽快だった。
「ネリンガ村かぁ、賑やかな村だって聞いてるがいっぺんも行ったことねぇな。これからは行くことも増えるんだろうな」
「そうね、私も往診の準備をしないと。無医村に来るなんて腕が鳴るわね」
レオとライラは口々にそんな事を言いながら歩き、二人の腕には両手をそれぞれ繋いだアランがぶら下がっている。
傍目にはすっかりと仲の良い親子にしか見えないこの三人の平和な佇まいに、私は思わず微笑ましい気持ちになった。
数ヶ月前と違うのは、ネリンガ村を訪れる人数が五人に増えたことだ。
今回の訪問の目的は、ネリンガ村村長のグスタフに農業協同ギルドの相談をすること、そして新たにハノーヴァーに着任するライラの面通しを兼ねている。
特にライラは今まで無医村だったハノーヴァーの農村に新しく着任する医師であるから、村人も大歓迎してくれることだろう。
かつて先代の聖女様が憎んだ三つの貧乏のうちのひとつ、健康の貧乏を追放するための第一歩、それはライラがハノーヴァーに来たことで着実に整いつつあった。
「さぁ、そろそろネリンガ村につくぞ」
ロランが言い、道の向こうをレオとライラに指し示した。
丘の向こう、少し標高が低くなった場所に、数ヶ月ぶりの訪問となるネリンガ村が静かに私たちを待っていた。
わぁ、と、普段は物静かな子であるアランが短く歓声を上げ、目を輝かせてはしゃいだ。
秋も深まったこの時期、ネリンガ村は主要な農産物であるブドウの収穫で忙しいに違いなかった。
それでも私たちのために時間を割いてくれるグスタフたちのために、今回の訪問は実りのあるものにしなければならない。
その思いで気持ちを引き締め、私たちは数ヶ月ぶりとなるネリンガ村へと歩いていった。
◆
「アリシア様、ロラン様! 久しぶり!」
村に入るなり、おそらく村の入り口で待っていたのだろうオスカーが駆け寄ってきて、まるで犬のように飛びついてきた。
うわっと声を上げたのも束の間、私は久しぶりに出会ったオスカーを抱き締め、大笑いしながら頭を撫でた。
「久しぶりねオスカー、会いたかったわ。少し背が伸びたんじゃない?」
「そりゃあ背も伸びるさ! アリシア様のおかげでみんな今年の冬は心配なく食べられるんだもの! それにあの青い薬、国中で噂になってるじゃないか!」
オスカーはきらきらと目を輝かせながら笑った。
「ハノーヴァーの聖女様がお作りになった薬、聖女アリシアの秘薬、ってね! 最近じゃそこらの野良猫でも知ってるよ! 最近じゃここがあの薬の発祥の地だって知れ渡ってて、この村にわざわざおかげ参りに来る人もいるんだぜ!」
「そ、そんなことになってるのか……? スコットの奴、アリシアについて変な噂を流してるんじゃないだろうな……」
「噂じゃないよ、本当のことじゃないか! アリシア様は本当に聖女様より聖女様だよ!」
私たちに言いたいことが溜まっていたのだろうオスカーは、全身を小刻みに動かしながら一息に喋り、次に言いたいことを頭の中に探しているらしかった。
しかしそれより先に、私たちの側に立ったレオとライラ、そしてアランを不思議そうに見つめた。
「アリシア様、ロラン様、このガラの悪い人と綺麗な人は?」
「が、ガラの悪い人……!?」
「何をショック受けてんのよ。的を射てるじゃない」
「この人はレオさんとライラさん。ライラさんは新しくハノーヴァーに着任したお医者様で、レオさんはセントラリア復興村の村長。レオさんは元冒険者なのよ」
「へぇ! 冒険者!?」
オスカーが素っ頓狂な声を上げた。そういえば、オスカーは将来この村を飛び出して冒険者になるのが夢だと言っていた気がした。
案の定、レオのことをガラの悪い人と評していたオスカーの表情は英雄を見た子供のそれに一変し、今度はレオに向かって猛然と話し始めた。
「すげぇすげぇ! お兄さんは冒険者だったの!? 俺も将来冒険者になりたいんだよね、どうすればなれるの!?」
「おお、ボウズは冒険者になりてぇのか。俺も初めての冒険は今のお前ぐらいの歳だったな。いいもんだぜ冒険者は。拳ひとつで偉くなれるんだ。もし本気だってんなら勤め先を世話してやろうか?」
「おおお、困りますでな! うちの倅を勝手に冒険者にせんといてください!」
そう言ってどたどたと駆けてきたのは、オスカーの父であるカールだった。カールは慌てたようにオスカーをレオから引き剥がし、引き剥がされたオスカーは不満そうに父親の顔を見上げた。
「もう、父ちゃんは相変わらずだなぁ。俺は死ぬまでここでブドウ作って生きるのはヤなんだよ。冒険者になれば毎月父ちゃんに仕送りもできるんだぜ? 貴重な現金収入だよ」
「それにしてもお前はもう少し真面目に将来を考えるだ! この村から出るなら何も冒険者みたいなヤクザもんにならんでも……!」
「や、ヤクザもん……!?」
「何言ってんのよ、ある意味その通りじゃない」
「久しぶりだねカール。随分血色がよくなったじゃないか」
ロランが笑いかけると、カールが少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
「ええ、お陰様で――今年はブドウが豊作でしてな。本当に、何もかもロラン様とアリシア様のおかげでごぜぇまして……」
そう言ってカールは深々と頭を下げた。数ヶ月前は痛々しく窶れていたカールだったけれど、数ヶ月立った今はまるで憑き物が落ちたかのように晴れやかな顔になっており、顔も明確にふっくらとしている。
あの青い薬はブドウ畑のべと病だけでなく、すっかりとカールの心をも癒やしてくれたようだ。
「改めまして、お久しぶりでごぜぇます、アリシア様、ロラン様。おらだけでなく、今年は村全体があの青い薬のおかげで冬を越すのには何の心配もねぇ。本当に、なんとお礼を言ったらよいやら……」
「お礼なんてとんでもありませんわ、カールさん。今年の実りはカールさんの頑張りの結果です。私はそれを少し手助けしただけですわ」
「それでも――」
「おお、アリシア様! ロラン様……!」
カールがそれ以上何かを言おうとする前に、聞き覚えのある大声が聞こえた。こちらも数ヶ月ぶりの再会となるネリンガ村の村長・グスタフが歩いて来ていたが、なんだか格好がおかしい。
数ヶ月前にはなかった杖に縋り、空いている左手を腰にやり、ひょこひょこと歩いてくる。
私たちだけでなく、ロランもなんだか妙な表情をした。
「どうしたんだいグスタフ。どこか痛むのかい?」
「あ、ああ、情けない話でごぜぇましてな。少々ブドウの収穫で張り切りすぎまして、腰を少しやってしまったようで……お見苦しい姿で出迎えて申し訳ねぇです。あだだ……!」
そこで腰を抑えたグスタフはしばらく痛がってから乾いた声で笑った。
その瞬間、ライラが動いた。
「あなた、少しいいかしら?」
「は? あ、ああ……なんですな?」
「杖から手を離して、腰を少し突き出すようにして。……そうそう、そのまま背中を反るの」
ライラは一瞬で気鋭の医者の顔になり、グスタフの左肩に手をかけ、右肘をグスタフの腰に突っ張った。
そのまま、まるでグスタフの背中をサバ折りにするかのようにぐいぐいと伸ばしてゆく。
「あ、あの、これは――? あ……いだ、いだだだだ! そっ、それ以上は反れねぇですだ……!」
「少し痛いけど我慢して。行くわよ――ふんっ!」
ライラの気合とともに、ボキン! という身の毛もよだつような音がグスタフの腰から発した。うぎゃあ! と悲鳴を上げたグスタフが、ライラから解放されて地面に四つん這いになった。
突然の衝撃に、ハァハァ、と荒い息を継いでいたグスタフが、しばらくするとハッと何かに気づいた表情になった。
「あ、あれ? こ、腰が……!? も、もう痛くねぇ!」
「腰の蝶番が少しズレてただけね。もう動くのに問題はないはずよ」
こともなげに言ったライラを、グスタフが尊敬の眼差しで見つめた。
「も、もう心配ないって……! ということはあなたが、あなたがロラン様からの手紙にあった医者先生でごぜぇますだな!?」
「あら、既にご紹介いただいてたのかしら? そうとも医者です。さっそく一人治療完了ね」
涼やかに微笑んだライラの手を、すぐさま立ち上がったグスタフが握った。
「いやはや、こんなハノーヴァーの田舎にも医者先生がやってくると聞いて、村人全員が心待ちにしておったんでがすぜ! それがこんなお若くて綺麗な方だったとは! それにまさか、早速腰のことでお世話になるとは思いませんでした!」
「彼女はライラ、医者だよ。そしてこっちが復興村の村長であるレオだ」
「よろしくな、ネリンガの村長さん。これからはご近所同士ってことで親しくお付き合い願うぜ」
「おお、こんなお若い方がセントラリア村の村長さん! いいですなぁ、若いもんが次の世代を担う! 我が村もそうありたいもんでがす!」
グスタフは差し出されたレオの手をがっしりと握り締め、感動したように言った。若い世代が次の世代を担う、それは得てして保守的である農村には必要なことであっただろう。
グスタフはまるで成長した孫を見るような慈愛深い表情を浮かべてから、「まま、積もる話は茶でも飲みながら!」と話を切り上げ、ニコニコのえびす顔で私たちを自宅の中にいざなってくれた。
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