危険思想の毒
「全く、ただの令嬢ではないことはわかっていたが……この発想はまさに驚きだ。流石の私もここまで聞かされるとは思っていなかったぞ、アリシア」
グウェンダル辺境伯は強面を常にないえびす顔にし、ニコニコと私を見つめた。
「正直、君から農業協同ギルド創設の話を聞いたときはな、どのように不認可の言い訳をしようか迷っていた。私が今話した懸念は揺さぶりではなく本心からのものだったし、第一に世に前例のないことでもある。いやそれより、何よりも私が心配したのは――」
辺境伯は巨大な執務机の上で両手を組んだ。
「それはなアリシア、君がこの農業協同ギルドを、我々貴族の側が農民たちに譲歩する形で創設しようとすると思ったのだよ。助け合い、領主としての慈悲、聖女としての使命……君がそんな言い訳をぶら下げてギルド創設を願い出ようとしたなら、私は間違いなくここまで君の言葉など聞かなかっただろう」
言葉は冷たかったが、辺境伯の目はいまだに笑っていた。
辺境伯は少しだけ言葉を区切り、そして意外な言葉を口にした。
「アリシア。君は南のトリュフォー侯爵領の――リヴァダ村の話を知っているかね?」
トリュフォー侯爵はもちろん知っているが、リヴァダ村? 聞いたことのない名前だったし、行ったこともない村の名前だった。
少し考え、正直に首を振ると、辺境伯はゆっくりと語り出した。
「君が知らぬのも無理はない。リヴァダ村は以前は平和な村だったと聞いている。天候も穏やかで、地味も利水条件もよい土地だったが、七年前の飢饉の際はかなりの打撃を被ったと聞く。村の復興は捗らなかった。そこにさらに、たったひとりの男が村にやってきたことで、リヴァダ村は決定的に破滅の道を歩むこととなった」
破滅? それはどういう意味だろう。
あまりに物騒な言葉に私が息を呑むと、辺境伯は顔の筋一本も動かさないままに続けた。
「その男の素性についてはよくわかってはおらん。何らかの理由で王都から村へ落ち延びてきた男であったそうだ。男は村に住み着き、そして飢饉に苦しむ村人たちにゆっくりと毒を流し始めた」
「毒――?」
「そう、猛毒だ。男はいわゆる異端者――無政府主義者だったのだ」
無政府主義――それは昨今、王都の知識階級の中でも信奉者が増えてきているという、とりわけ厄介な危険思想だった。
詳しい思想的な論理は省くけれど、それは要するに、政府や教会などの政治的権威を否定し、個人的な自由や思想が何よりも優先されると説く思想だ。
彼らにとって政治的な権力や権威は個人の自由や思想を抑圧するためのものでしかなく、当然、彼らは私たちのような支配者階級を酷く憎悪している。
「男の信奉者は日増しに増えていった。無論、男の主張を全て理解できたものは少数だっただろう。だが、飢饉という未曾有の大災害を経験したことで、彼の信奉者は増えていった。村の危機を脱するためには神などを頼ってはならない、慈愛ある政治など幻想だ、我々に必要なのは、団結し、武力を以て悪しき領主を打倒することのみ――そう主張する男が、いつしか村で喝采を浴びるようになったのは事実だ。無論のこと、領主であるトリュフォー侯爵もこれを看過することなど到底できなかった」
「看過することはできなかったって――村はどうなったんです、父上?」
ロランの言葉に、辺境伯の目が白く冷たく光った。
「トリュフォー侯爵はリヴァダ村を弾圧した。女子供に至るまで、徹底的に」
さらりと言いのけた辺境伯の声が、却って物凄く空恐ろしく聞こえた。私たちが青ざめている前で、辺境伯はまるで明日の天気の話をするような口調で、淡々と続けた。
「何しろ、ある個人がどんな思想や信条を持っているかなど他人にはわかりはしない。既にリヴァダ村の全員が無政府主義という悪しき伝染病に感染していると看做された。トリュフォー侯爵は彼らに情けなどかけなかった。村に生える木々のその全てに、男と、その男を信奉していた村人が吊るされたという。村は破壊された。かつて無政府主義という伝染病が村に流行していた事実を掻き消すまで、な」
その光景を想像して、私の全身に嫌な震えが走った。
それを語ること自体に疲れてしまったかのように大きくため息をついてから、どうだ? と、辺境伯は私を見つめた。
「アリシア、君の懸念は全く正しい。このような時代にあっては、もはや農民たちは以前と同じように大人しく領主に飼われているだけの存在ではない。遠からず、何らかの思想を得て団結し、組織化することで抑圧に抵抗しようとするだろう。それはこの辺境の大地でも変わらない。遅いか、早いかだけだ。君はリヴァダ村の一件を知らずにいながら、見事に未来を見通していたのだよ」
辺境伯の目が鋭くなった。未来を見通していた――そんなだいそれた褒め方をされると思っていなかった私は、なんと返答していいかわからず、まごついて下を向いてしまった。
「農民の組織化――その重大な変化を、この農業協同ギルドで少しでも穏やかにすることができるならば、それは我々貴族にとっては一種の福音だ。我々貴族が時代の進運に遅れざること、官民の融和、そして危険思想から農村を防衛すること……私が魅力を覚えるのはまさにここだ。領土防衛のことだけを考えても、農業協同ギルドを立ち上げる利点は十分にある」
「そ、それでは……!」
「ああ。喜んで許可をさせてもらおう。一切の責任は私が取る。心配はいらない」
辺境伯は白い歯を見せて笑った。笑顔そのものに慣れていないのか、どこかぎこちなくはあったけれど、それが却って心に沁みた。
ほう、とため息をつくと、ロランが私の身体を支えるかのように寄り添って、背中を擦ってくれた。
それを見ていた辺境伯は、ホホホ、と低い声で笑った。
「君たちの方もすっかりと打ち解けてくれたようだな。今の君たち二人ならばどんな困難でも立ち向かっていけると信じるよ。これからは一層頑張ってくれたまえ。農業協同ギルドの創設、それが君たち二人の絆そのものになるようにな――ああ失敬、これは余計だったか――」
失言に焦ったかのように辺境伯は急に口ごもり、視線を外してモゴモゴと口を動かした。
ついつい、百戦錬磨のこの人にしては喋りすぎたと思ったのだろう。それがまた心に沁みて、へへへ、と私とロランは顔を見合わせて笑ってしまった。
「さぁ、小難しい話はもういいだろう。ロラン、復興村の復興の方もよくやってくれた。久しぶりの里帰りだ。今日は食事しながら近況報告を兼ねて存分に語り合おう」
辺境伯はそう言って机から立ち上がり、私たちの肩を抱いて笑った。
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
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