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告発の理由

「まさか、マンシュ伯爵が黒斑病の元凶だったとは――」


あの後、すぐにマンシュ伯爵の居城に踏み込んだ近衛兵たちにより、伯爵の居城は無血で武装解除され、その地下牢に捕えられていたノーマン医師とロレッタも救助された。

二人とも疲れ切ってはいるが基本的に健康で、三度の食事もきちんきちんと与えられ、兵士たちに虐待されることもなかったという。

助け出されてすぐ、ライラの口から黒斑病の原因を聞いたノーマン医師は、無念そうにぎゅっと目を瞑ってうなだれた。


「なんと、なんと(むご)いことをなさるのか……これは最早狂気だ。わしには人間のすることとは到底思えん。あれだけの命を屠っておきながら伯爵には良心の呵責もなかったというのか。なんと恐ろしい、まさに鬼畜の所業だ――」


呻くようにそう言ったノーマン医師の背中を、孫娘のロレッタが摩った。

そして祖父の代わりに私が話を聞きます、というかのように顔を私に向けたロレッタに、ライラが訊ねた。


「ひとつ、あなたにも訊ねなければならないわ。ロレッタ、どうして黒斑病の原因が思い当たっていたのに、ノーマン先生や私にそのことを報告しなかったの?」


ライラの声は怒ってはいなかったが、明確に詰問する口調だった。その声と目の鋭さに気圧されたように、おそらく内気な娘であるのだろうロレッタは顔を伏せた。


「もちろんあなたはまだ医師見習いで、見立てに自信がなかったというのもあるでしょう。平民が貴族のやることに対して疑惑の目を向ける、それは難しいことよ。それでも、思い当たる節があることくらいは私たちに話すべきだった。どうしてそうせず、手紙をアリシア様に手渡したの?」


そう、何故この少女はノーマン先生やライラにではなく、部外者の私にあの告発状を託したのか。

それは私がマンシュ伯爵の実験農場を視察した経験があったから、だけではないに違いない。

おそらく、私でなければならなかったというより、この二人にはその思いを託せなかった、のだろう。

無言のまま俯いているロレッタに、私は思い切って水を向けてみることにした。


「もしかして……ロレッタさん。あなたがノーマン先生やライラさんにその事を話さなかったのは――ライラさんのお兄様、ライザールさんが原因ですね?」


半ば確信を持って訊ねた私に、ライラが驚いたように私を見た。

ライラだけでなく、その場にいたロランやレオまでもが、どういうことだというように私に視線を向けた。


「兄が――? どういうこと?」

「あの手紙には何度も書かれていました。『私にはマンシュ伯爵がそんな事をする人とは思えない』と。まるでマンシュ伯爵家を疑うことそのものを恐れているように。おそらく、ロレッタさんにはあの告発を躊躇わせる何らかの事情があって、それがライザールさんだったんです。そうですよね?」


私が言うと、ロレッタはしばらくの沈黙の後「アリシア様の仰る通りです」と、己の罪を懺悔するように語り出した。


「ライラ先生にお兄様がいたということを聞いて納得しました。実は――年に数回、私たちの医院に匿名で寄付をしてくれている人がいたんです。何も語らず、何も伝えず、ただただ、私たちが見たことも聞いたこともない、物凄い額のお金を定期的に振り込んでくれていて――」


その一言に、ノーマン医師がゆっくりと顔を上げた。


「まさか……ロレッタ、それはあの善意の市民のことか? それがライラの兄である人だと?」


驚いたように孫娘を見つめたノーマン医師に、ロレッタが頷いた。


「一度だけね、銀行の人に無理を言って、その人の氏素性を聞き出そうとしたことがあったの。一言でもお礼が言いたかったから……。銀行の人はなかなか教えてはくれなかったけれど、ただ一言、その人がマンシュ伯爵家の人だということを教えてくれて……」


その一言で、全ての疑問が氷解した。ライラは一切の思考を霧散させたような表情でロレッタの告解を聞いていた。

きっと何度も何度もそれを言い出そうとして果たせなかったに違いないロレッタは、周囲の視線から逃れんとするかのように俯いた。


「あの寄付金がなくなったら、うちの医院単独ではとてもやってはいけませんでした。年々先細りする教会や救貧院からの援助だけでは、増え続ける黒斑病の患者さんを看切ることは出来なかった。何よりも、あんな額のお金を何も言わずに振り込んでくれる人が黒斑病の原因を作ってる張本人だなんて、考えただけでも罰当たりな気がして……」


ロレッタの声が震え始めた。


「だから私、それだけはおじいちゃんやライラ先生に言えなかった。二人とも毎日くたくたになって患者さんを診てるのに、あの寄付金がなくなったらもうやっていけない。農場でのことは全部ドミニクの妄想だと思おうとした。全部作り話だったんだって。けれど、けれど、ドミニクは黒斑病で死んでしまった。私、それで居ても立っても居られなくて、おじいちゃんのカルテを漁って――」


俯向けられたロレッタの顔から、幾つもの涙の粒が落ちた。

患者と医者、時にそれ以上の関係であったのだろうあの青年の死が、ロレッタに思い切った告発を決意させたということなのだろう。

己の罪を懺悔するかのようなロレッタの嗚咽を、その場の全員が沈痛な面持ちで聞いていた。


「もういいだろ、ライラ。このお嬢ちゃんだってあんたたちのことを思って黙ってたんだ」


腕を組んで壁に背を預けていたレオが、ライラにそう促した。


「それにもうひとつ言っておくぜ。お前の兄貴はやっぱりお前を捨てきれなかったんだ。あんなにボロボロになってまでマンシュ伯爵の下にいたのもそれが理由さ。あんまり恨んでやるな。あんなクソ真面目が服着て歩いてたような男のこった、それがお前への罪滅ぼしのつもりだったんだろうさ――」


ぷい、とライラは視線を逸らしてしまった。

顔は逸らしてしまったけれど――その瞳が少しだけ、潤んでいたように見えたのは、多分私の見間違いではないはずだった。


あの後、マンシュ伯爵に銃撃されたライザールは、そのあまりの巨体故に担架が間に合わず、近衛兵数人に肩を抱えられて農場から連行されていった。

その時にはライラもライザールも何も言葉を交わさなかったけれど、きっとあの時、二人は捨てられていた何かを取り戻したはずなのだ。

今の匿名の寄付金のことを考えると、やはりあの人は兄であることを捨てられるほど外道にはなりきれない人だったということが、よくわかった。


「わかったわ、ロレッタ。むしろあなたには兄や私たちのせいで要らぬ心配を掛けてしまったらしいわね」


しばらくして、ライラは長いため息とともに話を打ち切った。


「さて、全ての謎が解けたら、私たちは医者の仕事に戻らないとね。ありがたいことに、今度の医院にはクレイドル王家がお墨付きをくれるようだし」


どことなく無理矢理の声でそう言い、ライラはテーブルの上に広げられた上等な羊皮紙を示した。

あの後王家から届いたその目録には、ノーマン医師の新医院建設の費用を国費で賄うことと、その新医院には王家による様々な形での庇護が約束されることが明記されている。

それは長年、私財をなげうって貧民街の健康管理に努めてきたノーマン医師の慈善事業が、遂に国家的な事業の一環として認められた事を意味していた。

あくまで協力関係に過ぎなかった救貧院や教会とは違い、今度はクレイドル王家、国家そのものが彼らを保護してくれることになったのだ。

市井の医師としてはおそらく最高の名誉であろうその目録を見て、ノーマン医師は何度も頷いた。


「そうだな。黒幕は消えても黒斑病の患者がいなくなるわけではない。あまり我々もうかうかしてはおれん――」


そこでノーマン医師はメガネを外し、強く目元の涙を拭ってから、真っ赤になった目でライラを見た。


「だがライラ、それには君の力はもう必要ない。師弟の関係も今日限りで終わりにするとしよう」


えっ? と、その場にいた全員がノーマン医師の発言に驚いた。

一番驚いているのはライラで、滅多にない狼狽えたような顔でライラは椅子から腰を浮かせた。


「の、ノーマン先生……それはどういうことですか!? 突然何を……!」

「落ち着いて聞きなさい、ライラ。これまで君はよくやってくれた。若く優秀な医師として、君を世界のどこに出しても恥ずかしいとは思わん。君はもう立派な医者だよ、ライラ」


まるで実の娘に語りかけるかのように、ノーマン医師の言葉には慈愛が籠もっていた。

ライラを眩しいもののように目を細めて見つめ、ノーマン医師はひげもじゃの顔を柔和にほころばせた。


「これでも君の師だ。わしは君がどんな事を目標とし、どんな夢を持っているのかも知っとる。王都だけではない、辺境の地にも広く医療の手を差し伸べる――それが君の夢だ、そうだな?」


それはいつぞやライラが語っていたことそのものだった。

驚いたように固まったままのライラから視線を外したノーマン医師は、柔和な目のまま、今度はロランに視線を移した。


「ロラン・ハノーヴァー様。散々お世話になった身の上でこんなことを重ねてお願いするのは心苦しいのですがな……どうかこの子を医師として、ハノーヴァー領にお連れしてはくださりませんかな」


その言葉に、私とロランは目を見開いた。

それは……! と言いかけたライラを手で制して、ノーマン医師は続けた。


「こんな仕事をしておると、王国全土の医療の現状もわかってくるものでしてな。七年前の大飢饉はハノーヴァー領での被害が最も酷かった。それにハノーヴァー領は広く、険阻な山岳に囲まれ、冬は雪も積もりまする。簡単には医療の手が行き届かぬ土地であると――そのように聞いておりますでな」


全く以てその通りの話だった。辺境であるハノーヴァーの医療水準は、王都どころか、そこに身を寄せるようにして存在する貧民街よりも低いかもしれなかった。

そこに医師がいたら、医療の手があったら――私たちが考えていても口には出せなかったその願いは、老練なノーマン医師には透け見えていたらしい。

案の定、ノーマン医師は願ってもいない申し出に驚いている私たちを見て、一層微笑みを深くした。


「わしらのことはもうご心配いただかなくとも大丈夫です。今度は王家が応援の医師を派遣してくれる。いいや、それだけじゃない。この間までほんの子供だと思っとったロレッタも、わしやライラさえ気づかなかったことに気がつけるほど、医師として成長していた。新しい世代は確実に育っていますでな、心配はいりません」


そう言って、ノーマン医師は節くれだった手でロレッタの頭を撫でた。

ロレッタは如何にも引っ込み思案の娘のそれというように、真っ赤になって俯いてしまう。


「ロラン様。この子には夢がある。わしはこの子に広い世界を見せてやりたいのです。王都の貧民街だけで終わってほしくはない。どうかこの子の夢を叶える手助けをしてやってはくれませんか。この老いぼれに免じまして、何卒、何卒――」

「ノーマン先生……!」


そう言って頭を下げたノーマン医師を見て、ライラが感極まったように両手で顔を覆った。

私がロランに目配せすると、ロランは大きく頷いて微笑んだ。


「それはこちらとしても願ってもないお話です。ハノーヴァーの農村に医師が来る、どんなにかそれを望んだかわかりません。ハノーヴァー辺境伯家はライラ医師の赴任を歓迎します。どうもありがとう、ノーマン先生」


ロランはノーマン医師に右手を差し出した。にっこりと微笑んでその手を両手で包んだノーマン医師は、まだ涙が止まらないらしいライラの背中を摩った。


「ライラ、がんばるんだぞ。ハノーヴァーには貧民街以上にお前を必要としてくれる人たちがいる。必要なことはすべて教えた。その技術と仁愛とで、ハノーヴァーを癒やしなさい。いいね?」


まるで本当の父親のようなノーマン医師の言葉に、ライラは何度も何度も頷いた。

思えばライラのこんな姿は初めて見るな……そう思った私とロランは、顔を見合わせ、同時に微笑んだ。




「面白そう」

「続きが気になる」

「がんばれ農協聖女」


そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。

何卒よろしくお願い致します。

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