俺たちの負け
私たちが温室の外に出ると、兵士たちが頭の後ろで両手を組み、跪かせられている光景が目に飛び込んできた。
この戦いは反乱軍側の勝利で終わった――その事実に、私もやっと安堵のため息をつくことが出来た。
「アリシア様、ロラン様――!」
温室から出てきた私たちに、ライラとシェリー、そのライラに肩を担がれ、ボロボロの有様になったレオが出迎えた。
「レオさん――!?」と私が思わずびっくりすると、ゆっくり顔を起こしたレオが脂でふさがった目を瞬いた。
「お、おお、アリシア様、それにロラン様じゃねぇか……随分五体満足なようで……なんかあんたらだけズルくねぇか、オイ」
「彼らが無事なんじゃないわ、あなたがボロボロすぎるのよ。全く、あのライザールと殴り合って勝つなんて……呆れたタフさね」
「そうそう! まさかあんなデッカイのに勝っちゃうなんて! レオ兄ぃが王都最強の喧嘩屋だよ!」
シェリーに褒めそやされ、ライラに呆れたように吹き出され。
スネたように顔をしかめようとして、いてて、とレオは呻いた。
「あー、流石に俺も疲れたぜ。もう当分は王都に帰ってきたくねぇ。ハノーヴァーの畑仕事が懐かしいや」
「あら、さっきはすっかり冒険者に戻ってたのに、また農民に戻るの? こっちにいた方が活躍できるんじゃない?」
少し意外だというように訊ねたライラに、へ、とレオが笑った。
「俺はもうハノーヴァーに母港作っちまったんだよ。荒波越えて七つの海を渡るのもいいけど、やっぱり帰る場所に帰る生活の方が俺には向いてるさ。土にまみれて、畑耕して――そんな生活も悪くねぇもんだぜ」
「うわぁ、レオ兄ぃがなんか詩的なこと言ってる……。初雪にはまだ早いよ、レオ兄ぃ」
「う、うるせぇな……とにかく、俺はハノーヴァーに帰る。もうあの生活を思い出しちまったからな、早く帰りたくて仕方ねぇんだよ」
その言葉に、ふ、とライラが笑った。
ん? とすぐ横のライラを見つめたレオに、ライラがちょっと下を向いた。
「思い出す……思い出す、か。そうね、私も思い出したかも」
「はぁ、思い出すって何を――?」
わけがわからん、というようにレオが言ったその瞬間、ライラの手が電撃的に動いた。
レオの肩を担いでいない左手でレオの後頭部を掴んだライラは、あっ!? と驚いている私たちの目の前で、実に華麗にレオの唇を奪った。
ん゛―――!? という、レオの悲鳴と、情熱的で突発的に過ぎる口づけは、たっぷりと十秒ほども続いた。
突然のことに唖然呆然としている私たちの目の前で、ライラはやっとレオの顔から唇を離すと、涼しい顔をいたずらっぽい笑顔にし、ちろ、と唇を舌先で舐めた。
「何って――決まってるわ。男の人を素敵だな、って思う気持ちをよ」
ぷしゅうううう……と、痣のせいで青黒かったレオの顔が、物凄い勢いで赤くなった。
それと同時に、固まりかけていた顔中の傷口が物凄い勢いで出血し始め、流れ出た血と青黒い痣と顔の赤さと肌の浅黒さで、レオの顔が二目と見られないほどにまだらになった。
「お、おおお、おおおっ、お前、い、一体何を――!?」
「あらあら、意外にウブ。キッス程度で真っ赤っか……ま、そういうところも可愛いかもね」
ライラはケラケラと笑い、おぅおぅおぅ? とシェリーは興味津々の顔でレオを見つめ、私は両手で口を押さえて真っ赤になり、ロランは頬をポリポリと掻いた。
ええ、この二人、そんなことになるの――!? と私が慌てている横で、呆れたような顔のロランが「ま、まぁ……」と場の空気を変える一言を発した。
「ま、まぁとにかく、まだ事態は終わってないぞ。王国軍がここに来るまでにやることをやらないとさ……」
ええ、わかってるわ、と涼しく応じたライラの横で、レオは瞳を東と西とに向けたまま放心している。
まさかあのレオをノックアウトしたのが情熱キッスだなんて――私がなんだか可笑しくなった、その途端だった。
うわあああっ、という悲鳴が横の方から上がり、私たちはハッと声のした方を見た。
「なんだ――!?」
ロランが素早く視線を走らせた先に――レオと同じぐらいボロボロになったライザールが立ち上がっていた。
なんだ!? 目をこらしてから、ライザールが右手に握ったピストルで私を照準しているのを見て、私の頭から血の気が引いた。
「全員動くな! 動けばアリシア・ハーパーを射殺するぞ!」
野太い声でそう宣言したライザールに、飛びかかろうと身構えていた冒険者たちがはっと沈黙した。
「俺から離れろ! 急げ!」との絶叫に、ライザールを抑えられなかった冒険者たちは悔しさを滲ませた表情で引き下がった。
「ライザール……!」
ライラが表情を凍りつかせると、その声に過敏に反応したように、銃口がライラの方を向いた。
その銃口に怯えたようにたじろいだのも一瞬、ライラは悲しげな面持ちでライザールと対峙した。
「ライザール……もう馬鹿なことはやめて」
震えて、捨てきれない何かを滲ませた声で、ライラは兄を見つめた。
「こんな事をしても、もう何にもならない。私を捨ててからのあなたの時間は戻ってはこない。国も、家も、もう私たちにはなにもないのよ。父さんも母さんでさえ――何もかも、もう戻っては来ないのよ――!」
「お、おいライラ、よせ……!」
レオが宥めても、ライラは兄から視線を外さない。
カタカタ……と、ライザールの握ったピストルが小さな金属音を立てた。
迷っている――私を撃つのか、それとも妹を撃つべきなのか。
いいや、多分違う。この人はその行動自体を躊躇っているのだ。
「ライザール、あなたには人間をやめることなんて出来ない、そうでしょう!? あなたは昔から誰よりも真面目で誇り高かった! あなたには軍人としてトラヴィアの将校になる夢があった! 人を導き護る人になろうとしていた! それなのに、それなのに……ああ、どうしてこんなことを……!」
もう兄の変貌には耐えられないというようにライラが顔を俯向けた、その途端だった。
「撃て、ライザール!」
不意に――私たちの背後から、足を引きずり、強かに殴られた頭を押さえながら、よろよろとマンシュ伯爵が歩いてきた。
「ま、マンシュ伯爵――!」と私が振り返った途端、チャッ、と音がして、ライザールの銃口が私の方を向いた。
「撃て、ライザール! アリシア・ハーパーを射殺しろ! 命令だ!」
伯爵はこめかみに青筋を浮かべながら怒鳴った。
その命令を繰り返される度に、ライザールの握ったピストルがブルブルと震えた。
白目を真っ赤に充血させながら、伯爵は唾を吐き散らして喚いた。
「命令、命令だと言っているんだ! 何をしているライザール! この小娘を、ハノーヴァーの聖女を射殺しろと言っているんだ! 聞こえないのか!? 私が、私が根無し草の異教徒のお前を取り立ててやった事を忘れたのか、この、この恩知らずめが……!」
それでも――ライザールはまるで彫像のように動かない。
表情を強張らせ、何事かを逡巡しているらしいライザールの目が、一瞬だけ、私たちを離れ、背後のマンシュ伯爵を見つめる。
「ライザール、お前だけは私を裏切らない!」
不意に――伯爵の怒鳴り声が、怒りのそれから哀願のそれになった気がした。
はっ、と私たちが伯爵を振り返ると、伯爵は憐れともいえる表情でライザ―ルを見つめていた。
「お前だけは私に背かない、お前だけは私から離れてゆかない! お前は私自身だ! 私がお前自身なのだ! そうだろう、ライザール! お願いだ、私の言うことを聞け! 私を裏切らないでくれ――!」
もはや隠すこともなく哀願になった言葉に、ライザールが何故なのか、痛ましさを耐えるかのように、ぎゅっと目を瞑った。
瞑ったまま、引き金に掛けた指に力が込められようとした、その途端――。
轟音が轟き、私は反射的に目を瞑った。
どれだけそうしていただろう。
私が恐る恐る目を開けた、その先で――。
ライザールの握ったピストルが、天に向けられたまま、白い煙を立ち昇らせていた。
「俺たちの負けです、伯爵」
たった一言、ライザールはそう言った。
それきり、ライザールはばったりとピストルを放り捨てると、呆気にとられたままの冒険者たちを押し退け、私たちの横を通り過ぎて伯爵の前に来ると、伯爵に背を向け、どっかりと地面に座り込んだ。
その動作に、マンシュ伯爵が膝を突いてへたり込んだ。
「嘘だ……」
今ここで泣き出し始めるのではないか、という絶望の表情で、伯爵は地面に手をついた。
「伯爵、俺は、俺はもう疲れました」
「ライザール……」
「俺は、俺は――いつもいつも、あんたほど残酷にはなり切れなかった。このいよいよのときでさえ……役立たずで本当に申し訳ない」
「ライザール……!」
その声に、ライザールは伯爵に背を向けたまま、ぽつり、と呟いた。
「そして――俺にはあんたも受け入れられない。受け入れられなかった。済まない。恩知らずな男で本当に申し訳ない。どうぞ恨んでくれ」
そう付け足されたライザールの声に、えっ? と、私たちは伯爵を見た。
伯爵はこの世の全てに裏切られたような表情で、額を地面に擦り付け、肩を震わせた。
単に敗北を悟ったわけではないらしい、尋常ではないその落胆ぶりに、私たちは息を呑んで目を瞠った。
「お前も……お前もなのか……」
絶望に湿った声で、伯爵は振り絞るように呻き、農場の土を手で掴んだ。
「お前も、お前でさえも、私を受け入れてはくれないのか……!」
そこにいたのはもはや、やり手の貴族でも、【切り裂き魔】でも、なんでもなかった。
ただただ――信頼していたものに手ひどく裏切られた、憐れでちっぽけな男が、無様に嘆き声をあげているだけだった。
これだけやり手で、しかも女たらしと噂の伯爵には、しかし、何故か配偶者はいない。
この冷たい美貌、本来ならば身を固め、世継ぎがいなければならない年齢であるにも関わらず、独り身を貫いている伯爵。
それが、意志や信念では捻じ曲げられない故のものだったとしたら。
秘密を知られた――ただそれだけで実の弟を手にかけねばならなかった、その理由。
自分はどこかが間違って生まれてきた――そう言った伯爵のその言葉に、もっと違う意味があったのなら。
私たちは、伯爵を今までとは違う目で見つめた。
彼は――たった今、罰を受けた。
愛したものに裏切られるという裁きを受けたのだ。
不意に――向こうから幾つもの足音が聞こえ、私たちは顔を上げた。
青地の旗印。近衛兵団の軍であることを示す旗が風に靡き、真っ直ぐにこちらに向かってきていた。
「近衛兵団のご到着だ。ようやくこの馬鹿騒ぎも終わりそうだな」
不意に、野太い声が発してそちらを見ると、たった一人で砒素の倉庫を護っていたダッドが、両手に失神した兵士をぶら下げながら歩いてきていた。
どさっ、と地面に兵士を放り捨てたダッドが、ボロボロのレオ、そして私たちを見つめ、顎を摩って笑った。
「アリシア様、そしてレオ、シェリー……どうやら、俺たちの勝ちのようだぜ」
その不敵な笑みに私たちも微笑みかけた、その時だった。
急に――マンシュ伯爵が立ち上がり、耳を聾するかのような金切り声を張り上げた。
その突然の動きに短く悲鳴が出たその瞬間――血と涙と泥に塗れた伯爵の目が、私の一切を飲み込んだ。
「アリシア――!」
ロランの声がどこか遠く耳に聞こえたと思ったのと同時に、伯爵の手にまた別のピストルが握られているのが見え、私はゾッとなった。
しまった、ピストルはもう一丁あったのか――!
私が失策を悟った、その途端だった。
ゆらり、と巨大な影が私の視界を覆った。
それとほぼ同時に、伯爵が握ったピストルの立てた轟音が、長く尾を曳いて響き渡った――。
「面白そう」
「続きが気になる」
「がんばれ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。





