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人間をやめたおりこうさん

ゼェゼェ……という呼吸音が、こちらにも聞こえてきていた。

既に三十分を超える時間殴り合い、蹴り合っているというのに、ライザールとレオの間にいまだに決着はついていなかった。

両者の顔は強かな拳の応酬の結果、目が塞がらんばかりに腫れ上がり、膝は笑い、頭はガクガクと揺れている。

立っているのが精一杯のはずなのに、意地の一言で睨み合い、行こうと行かせまいとし合う両者は、既に限界を遥かに超えているはずだった。


「こ、んの野郎ォォ……!」


レオが鼻血を手の甲で拭いながら呻いた。


「いい加減倒れろよ……この、クソ入道が……!」

「貴様こそ……! とっととひっくり返った方が身のためだぞ……!」


それと同時に、ライザールがふらふらと地面を蹴った。

大儀そうに腕を持ち上げ、大振りの拳でレオの頬を狙ったライザールの拳が、もはや避けることもしないレオの頬を強かに捉えた。

拳を受け止め、ぐらりと揺れたレオは、それでも一瞬後には大地を踏ん張って体勢を立て直し、ライザールの大柄を両手で掴むや、腹に強烈な膝蹴りを叩き込んだ。

巨躯をくの字に折り曲げ、口からなにかの粘液を吐き出したライザールは、憎しみの籠もった目でレオを睨みつけた。


「オイオイ、そんな怖い顔するなって」


へらっ、とレオが笑い、腹を押さえたままのライザールの髪を鷲掴みにした。


「俺はこれでも楽しいんだけどなぁ。そうでないならおたくさんちょっと頭がカタいぜ。俺が、俺が柔らかくしてやるよ――!」


その瞬間、レオが思い切り頭を振りかぶり、ライザールの額に己の額を叩きつけた。

火花が散りそうな激突に、ライザールの目が一瞬、焦点を失って揺れる。


「ぐ、ぬおおお……!」

「へ、これでちったぁ柔らかくなったか?」


突き放すようにしてライザールの頭を離したレオは、ぐらぐらと揺れるライザールの巨体を眺めてへらへらと笑った。


「おーおー、だいぶいいザマになってきたじゃねぇか。それでこそあの妹の兄貴だな。んな仏頂面してるより、もっとキーキー訳わかんない理屈喚いてた方がそれっぽいぜ、お兄さん」

「ちょっとレオ! どさくさに紛れて何喋ってくれてんのよ! 仕事しろ仕事!」

「るせぇ! こっちはお前の兄貴と懇親中なんだ! お互いの絆を深め合ってんだよ! 男同士の付き合いに口出すな!」

「兄、と――!」


その時、ライザールが低くうめき声を上げ、レオはライザールを振り返った。

ギリ、とライザールは歯を食い縛り、憤怒の形相でレオを睨みつけた。


「俺を――兄と! ライラを、俺の妹と呼ぶな……!」


はぁ? とレオが呆れたような声を発した。


「なんだお前、何を怒ってんだ? 兄貴は兄貴、妹は妹だろうが。何を訳わかんねぇことを……」

「俺は……俺はそうであることを捨てた! 妹を捨てたときに……人間であることもやめた!」


ライザールの絶叫に、ライラはハッと息を呑んだ。

流石のレオも、その血を吐くような言葉に薄ら笑いを引っ込めた。


「俺は人間であることをやめた人間だ! あのときに、ライラを捨てて逃げたときに! あの秘薬の製法を伯爵に売ったときに……! この農場の管理を任されるうちに、俺は、俺は、人の心がない化け物になった!」


ライザールは頭を抱え、その矛盾にもう耐えられないというように顔を背け、おおおおお、と声を上げた。

殴られ続けて正常な意識が混濁しているのか、それとも兄、兄と連呼され、捨てたはずの己の立場を思い出した故なのか。

どう見ても尋常ではないライザールの様子に、ライラは何も言うことが出来ず、今まさに破綻を(きた)そうとする兄を見つめた。


「こんな人非人がライラの兄だと!? 血の繋がった人間だと!? やめろ、やめてくれ、ライラまで俺のように穢してくれるな……! 俺は、俺は化け物なんだ! 妹などいない、最初からいなかったんだ!」

「おいおい兄貴、とりあえず落ち着けよ。妹が見てんだろうが」

「やめろ……! やめろッ! 兄と……俺を兄と呼ぶなぁッ!」


ライザールの双眸が異様な光を放ち、レオを強かに殴りつけた。

ああああああ! と絶叫しながら拳を振るうライザールの猛攻を、レオは何故か避けることもなく受け止め続けた。


凄まじい音が連続し、ライザールが拳を降ろし、まるで発作を起こしたかのように両手で顔を覆った。

全身で息をするライザールをボコボコにされた顔で見ながら、プッ、とレオは血を吐き捨てた。


「なら聞くがよ、お前はなんで、こんなところでこんなことしてたんだ? そんなになるよか、さっさと家令でもなんでも辞めてライラに土下座しに行った方がどれだけよかったと思う? 今のお前はどう考えても幸せにゃ見えねぇよ。それどころか……」


レオは苦悶するライザールを哀れなもののように見つめ、小さな子供に言い聞かせるように語りかけた。


「貧民は救いのねぇ生き物だよ。それでもな、今のお前ほど不幸な奴はここには誰ひとりいねぇよ。お前、なんでそこまで今の地位にこだわった? そんなになって壊れる寸前まで、なんで――」

「黙れ! お前なんかに俺の惨めさがわかるか!」


ライザールは泣きそうな顔で絶叫した。




「お前にわかるのか、肉親一人も助けられない己の呪わしさが! 恩を受けても返せない己の不甲斐なさが! ライラの病を癒やしてくれた、大切な宝物を施してくれた人に、俺は、俺は礼のひとつも言えなかった! 何も返すことはできなかった――!」




はっ、とライラはライザールを見た。

あの日、あの時、重い皮膚病にかかって呻いていた自分の手を取り、どうか希望を捨てずに――そう言ってくれた、ある人の声。

その時の声の優しさ、手の温かさ――地の底に届いた陽の光のように眩しかったその思い出が鮮やかに蘇ったライラに対し、兄はその言葉が呪いだったとでも言うように苦悩の声を上げた。


「俺は――俺はそのときに人間であることをやめた! 人間であり続けることなど無意味だった! 妹も助けられず、施しに礼すら返せない己になんの誇りが持てる!? あのときには俺は、とうに人間ではなかった……!」


ライザ―ルの目に異様な光が灯り、立ちはだかるレオを視界に入れた。

今まさに真実、人間であることをやめようとする――否、人間ではなくなりつつある魔物の眼光だった。


「俺は、俺は――! 誰も助けられない、何も救えないものなどいらん! 人間である誇りなど捨ててやるんだッ!! 俺は、俺は――うああああああああ!!」


絶叫とともにライザールが拳を振りかぶった。

レオは据わった目で、やはり避ける素振りも見せずにライザ―ルを睨みつけたままだ。


「レオ――!」


何故避けない? ライラが悲鳴を上げかけた、その時だった。

ライラの背後を飛び出した小さな影が――ライザールの足にしがみついた。




はっ、とライザールが動作を中断し、自分の足に縋り付いたものを見下ろした。

ライラも、レオでさえ、突如闖入してきた存在を見て、あっと声を上げた。




「アラン――」




ライラは、呆然と己の息子の名前を呟いた。

唇を真一文字に結んだアランが、これ以上はやらせないという気迫を湛えてライザールの顔を見上げていた。

「お、お前は――?」とただ一言呟いたまま固まったライザールに、レオが静かに告げた。




「そいつの名前はアラン、アランだ。ライラの息子で――お前の甥っ子だよ」




甥――呆然と呟いたライザールが、よろよろとライラを見つめた。

本当なのか? というような視線で自分を見つめるライザールに、ライラは力強く頷いた。


ライザールを飲み込みかけていた狂気の渦が消えてゆき、一瞬、喩えようもなく穏やかな空気がライザールを包んだように見えた。

戸惑うとも、慈しむとも言えない目でアランを見つめたライザールが、戦意を喪失してしまったかのように、ばったりと両腕を降ろした。


瞬間――レオが動いた。

まるで瞬間移動のようにライザールの背後に回ったレオが、ライザールの腰を両腕で抱き締めた。

はっ、と急に我に返ったらしいライザールが慌てる間に、レオがいまだに足にしがみついたままのアランに微笑んだ。


「助かった、アラン。もういいぜ」


その言葉に、アランが頷き、ライザールの足を離した。

それと同時にライザールのつま先が浮き――ライザールがまるで子供のように足をばたつかせて暴れた。


「うおおおおっ!? きっ、貴様、やめろ! なっ、何を――!?」

「へっ。人間をやめるにゃ、アンタは少し真面目すぎたな、お兄さん」

「な――!?」


さも面白いものが見られた、というように笑ったレオは、ぎょっとした表情のライザールをニヤニヤと見た。

それと同時に、ぐぐぐ……とレオが全身の筋肉を総動員し、徐々に徐々に背後に身体を反らし始める。




「いっぺん、頭冷やして考えるべきだったな――テメェが人間やめられるぐらい、お利口さんな人間だったのかどうかをよォ――!!」




うおおおおおおおおおお!! というレオの咆哮が農場を震わせ、ぐわああああああああ!! とライザールが絶叫した。

瞬間、まるで冗談のように空中を半回転したライザールの巨体が――凄まじい勢いで頭から地面に落ちた。


ズドン! という、およそ人間の肉体が立てた音とは思えない轟音が発し、ふわりと土埃が巻き上がった。


鮮やかな、そして痛烈に過ぎるバックドロップが、完璧に()まった。

その一撃に、カ、カ……! と断末魔を上げたライザ―ルの目が――ぐるんと回転した。

それと同時にライザールの全身から力が抜け、それきりピクリとも動かなくなる。


「勝負、あっ、た――!」


その言葉に、海老反りのままのレオからも力が抜け、ライザールとレオは折り重なって地面に倒れた。

呆然とその光景を眺め続けたライラの横で――やおらシェリーが立ち上がって快哉を叫んだ。


「レオ兄ぃの勝ち、レオ兄ぃの勝ちだ! やったやった! みんな、勝ったんだよ!」


その言葉に、貧民たちが勝鬨の声を上げた。




「面白そう」

「続きが気になる」

「がんばれ農協聖女」


そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。

何卒よろしくお願い致します。

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『がんばれ農強聖女』第三巻、2022年11/19(土)、
TOブックス様より全国発売です!
よろしくお願い致します!
― 新着の感想 ―
[気になる点] ジャーマンスープレックスだと思った
[良い点] プロレス技、決まったー!! [一言] 真面目すぎるから全部影響を自分の悪い信念だと捉えてるんですねぇ 関わる相手さえまともならこうはならなかった例……!
[気になる点] 現代日本語に翻訳された言葉にどうこう言うのは野暮だと思いますが。 「入道」という単語は僧侶、転じて頭髪の無い(異形の)人を指します。 農協聖女世界では神官職は剃髪しているのでしょうか?…
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