あなたは腐っている
「本気の闘争、だと?」
ロランの言葉に、マンシュ伯爵が鼻白むように笑った。
「虚勢を張るのはよせ、ロラン・ハノーヴァー。貴様は父親とは違う」
伯爵はどこかが壊れたような笑みを浮かべ、剣を片手で構えた。
明らかにロランの実力を軽んじた構えだった。
「確かに辺境伯家の武勇は我々の間では有名だ。だがそれは父親の獲得した名声であって、青二才の貴様のものではないだろう?」
伯爵の挑発にも、ロランが動じた風はない。
その反応をどう受け取ったのか、伯爵は下卑た声で笑った。
「更にだ。辺境伯家の人間だからといって、本当にそれほど剣が使えるのかな? 見たところ、構えだけは一丁前だが、無論のこと本気で人と殺し合った経験などないのだろう? そう考えたことも――ないのだろうな。本当にこの場での斬り合いが武闘派貴族の名声通りに行くものかな――」
「ひとつ、お訊きしてもよいでしょうかマンシュ伯爵。一体全体、何故にあなたはこんな馬鹿げた事を始めたのです?」
ロランの声に、伯爵が笑みを消した。
「いくら魔女の霊薬の製法や成分が秘密だからといって、遠からずこんな企みは露見するに決まっている。いつかはあなたに目が向き、あなたが血と膿とで築き上げたものは根本から瓦解する――わからぬわけがありませんよね、あなた程の方なら。何故そんなリスクを冒してまであなたはあの霊薬にこだわったんですか?」
ちっ、と伯爵が忌々しげに舌打ちをした。
「本当に虫唾が走るな、貴様の問いは。――貴様にはやはりなにもわからんのだ」
「余計な言葉はいい。どうなんです? 何故こんなことを始めたんです?」
「何故、何故だと? わからぬから愚かだというのだ。わからぬから、貴様らは恵まれているというのだ」
伯爵は底知れぬ憎悪が滲んだ表情で吐き捨てた。
「結局、私のような成り上がりものの血を引く賤人は、足掻いて足掻いて足掻きまくる他に生きる方法を知らんのだよ。確かにいつかは私は賭けに負けただろう。だがな、溜まりに溜まった負債を払わぬためには、賭けを降りずに続ける他に方法はない」
そこで伯爵は、ちら、とロランの背後の私を見た。
憎悪と怨念に塗れた目に射すくめられて、私は息を呑んだ。
「アリシア・ハーパー、あなたには言ったはずだ。かつての私は乳の出ない哀れな雌牛でしかなかった。そんな非力な私が生きる方法は、もとよりこんな生き方しかなかったのだ」
私が何も答えられずにいると、伯爵は目を細めて、剣を握っていない左手を見つめた。
白手袋を嵌めた掌――今まで切り捨ててきた者たちの鮮血に塗れているはずの掌だった。
「我が弟は優秀で、両親は私になんぞの期待もしてくれなかった。私は一か八か切り捨てなければならなかった――両親も、そして弟もだ。それしか私の生きる術はなかった」
はっ、と、ロランの長身が揺れた。
「伯爵――まさかあなた、家族を――!?」
「何を驚く? それも賭けだった。その対価として今の私がある。私は賭けに勝ったのだ」
伯爵はロランを正面から睨んだ。
「今までも、ずっとこれからも、私は賭けを続ける。それが私の生きる道だ。いずれ事が露見し切る前に次の賭けを始める、それしかない。利益や名声などどうでもいい。ただ私は、絶対に賭けを降りるわけにはいかない身なのだ――!」
ぐっ、と左手を握り締め、伯爵がロランの間合いに飛び込んできた。
一瞬、その勢いに飲まれたように挙動が遅れたロランだったけれど、間一髪間に合った防御が伯爵の一撃を押し留めた。
金属と金属が激突する音が発し、ロランと伯爵は同時に間合いを切って飛び退った。
「どうして――」
思わず、私は伯爵に向かって大声を上げた。
「どうして、どうして――! それならば手にかけるのは両親だけでよかったはずでしょう!? どうしてあなたを愛してくれた弟様まで――!」
私の疑問に、んん? と伯爵は私を目だけで見た。
ロランでさえ、私の大声に後ろを振り返って私を見つめる。
「ノーマン医師の保護を求めた時の、あのときのあなたの言葉は絶対に嘘じゃなかった! 私とあなたは似ている、両親に愛されなかった寂しさを感じてるって……! 利益や名声がどうでもいいなら、どうして自分を愛してくれていた弟様まで手にかけなければならなかったのですか!」
ふーっ、ふーっ……と、私は肩で息をしながら返答を待った。
しばらくして、伯爵は血塗れの顔を俯向けると――薄笑みを浮かべながら顔を上げた。
「ああ……そんなことまであなたに言いましたかね?」
先程までの荒々しい口調ではない、元通りの穏やかな口調だった。
「確かにあのとき、あなたに言ったことはすべて本心です。だが残念なことにね、弟は私のある秘密を知ってしまったのですよ」
さっき俯いた一瞬で何かの仮面をつけ直したらしい伯爵は、そのことが至極残念だったとでもいうように、眉尻を下げて乾いた笑い声を上げた。
「あの秘密だけは絶対に他者に知られる訳にはいかないことだった。だがあの優しい弟は、兄である私がひた隠しに秘していた秘密を、あろうことか知りたがってしまった」
馬鹿な弟で困りますよ、というように、伯爵は苦く笑った。
その笑顔にはぞっとするほどの冷酷さが滲んでいて――私は今更ながらに、眼の前にいる人間が人間であるのか、それとも人の形をした悪魔であるのかわからなくなった。
「だから殺した、と?」
ロランの声も相応に低くなり、それと同時にロランの背中から研ぎ澄まされた殺気が立ち上り始めた。
「あなたを愛してくれた肉親を手にかけざるを得ないほどの秘密とはなんです? あなたのその残忍な本性のことですか?」
「あはは、そうかもしれませんねぇ。私は根本的な部分が間違って生まれてきた人間なのかもしれない。だからここで貧民を使い潰すことにもなんの躊躇いもなかった――」
伯爵は自嘲するように低く笑声を漏らすと、骨組みだけになった温室を見上げた。
それをさも愛おしいもののように見つめて、伯爵は続けた。
「この温室、そしてこの農場が私の人生そのものだ。賭けるどころか、賭けをする覚悟もない貧民たちを喰い殺し、明日への糧とする人生――誰にも文句は言わせない。私の人生に誓って誰にも否定はさせない――」
さて、というように伯爵は身体を開いた。
「ロラン・ハノーヴァー。あなたはどうです? ここまで意志ある私を否定できますか?」
挑みかかるような口調に、ロランの目が鋭くなる。
「私がここでたとえあなたに斬られたとしても、今度は困った問題が起きる。この農場で生産されていた安価な食物が王都に流通しなくなったら、貧民たちの暮らしはどうなると思います?」
ロランが、そこで初めて動揺する気配を見せた。
少しだけ揺らいだ剣の鋒を見つめて、伯爵は続けた。
「確かにこの霊薬を浴び続けた食物は毒だ。だが他の領地で生産されている農産物よりも格段に安価なことには変わりはない。あなたは私を斬ることで食糧という名の生命線を断ち切ることになる。悪を斬り捨てたあなたが自己満足に浸っている間に、今度は貧民たちは餓死し始めるかもしれませんよ?」
クックッという笑い声が廃墟を揺らした。
貧民たちの生殺与奪の件は自分が握っている――伯爵はこの期に及んでまだそう主張したいらしかった。
「黒斑病は人間の業そのものだ。飢えるのもイヤ、だが食糧に高いゼニを払うのもイヤ、嫌だ嫌だの行きつく先として、貧民たちはその業を背負わねばならなかった。何ものも対価なしに得ることは出来ないという原則を忘れた愚かさの象徴があの黒い痣だ。黒斑病は女神の裁き、卑しい貧民を裁くために天が降ろした厄災であるという噂があそこまで浸透したのは、貧民たちが内心で自らの卑しさを自覚していたからでも――」
「そろそろ口を閉じろ」
恫喝する口調だった。
先程から更に数段低くなった声と、濃さを増した殺気に、思わずというように伯爵が口を閉じる。
「あなたなんかに人間の賢愚を評価する能力はない。あなたは腐っている、骨の髄まで」
ロランの言葉に、伯爵が顔に貼り付け直した仮面に亀裂が入ったのがわかった。
ミシ……と音を立てて変化した伯爵の表情を真っ直ぐに睨みつけて、ロランは剣の柄を握り直した。
「この農場は、あなたの創り上げたこの地獄は、全ておためごかしのまやかしだ。僕たちはもうまやかしには騙されない。僕らはあなたを倒してここを出てゆく」
もう何も言うべきことはない、というように、ロランは腰を落とし、剣の鋒を伯爵へ向け直した。
伯爵は激しく苛立ったようにロランを睨みつけた。
「全く……やはり温室育ちには私の慈悲はわからんか。私を倒してここを出てゆく? よかろう、ならばやってみるがよい――!」
顔を歪めてそう吐き捨てた伯爵が、右手で剣を構え――床を蹴った。
数秒後、激しい金属音が鼓膜を震わせ、埃に塗れた空気にパッと火花が散った。
怒声とともに繰り返される猛攻にも、ロランはそれでも猛牛のように一歩も退くことなく、伯爵の前に立ちはだかり続ける。
「がんばれ、ロラン様!」
全身に満ち満ちた衝動に突き動かされるようにして、私は思わず叫んだ。
こんな小さい男に負ける訳にはいかない。
個人的な賭けに数多の人間の安全と生命を巻き込み続けるこの男を野放しにしてはおけない。
私たちがこの戦いに負けるときは、すべてが闇に葬り去られる時――。
この男を否定しなければ、再び王都は苦難と絶望のどん底に叩き落される。
伯爵だけは、この残忍な男だけは、人間として絶対に許してはならない――!
その激情に浮かされるようにして、私は腹の底から声を振り絞った。
「絶対に負けないで! ロラン様なら勝てる! この農場を、間違った世界を否定できる! お願い、負けないで! がんばれ、がんばれっ!!」
「面白そう」
「続きが気になる」
「がんばれ農協聖女」
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