本気の闘争
「ま――待って! 待ってくださいロラン様!」
ロランに手を引かれるまま走っていた私は、そう叫んで足に急制動をかけた。
思わずたたらを踏んだロランが私を振り返った。
「ど、どうしたアリシア!?」
「あの温室――そうだ、砒素だけじゃなく、霊薬そのものも手に入れないと! もしかしたら砒素以外の毒物も使われてるかもしれません! 患者たちを癒やすのにサンプルが必要です!」
私は爆発の衝撃で半ば骨組みだけと化した温室を見上げた。
採光のために屋根に張られていたガラスはすべて割れ砕けてはいたものの、爆風が炎を吹き消したのか、燃えてはいなかった。
ロランに目配せすると、ロランもややあって頷いた。
「温室の中に霊薬があるはずだ、探そう!」
私たちは砕けたガラスに注意しながら、半ば外れかけたドアを退け、温室の中へ踏み込んだ。
温室の中は――ひどい有様になっていた。
爆発の衝撃であれだけ豊かに実っていたトマトはすべてなぎ倒され、そこここにガラスの破片が散らばっていた。
固定されていない棚や机はすべてひっくり返り、農具や道具のすべてが床に転がっている。
中には収穫用の刃物など、踏めば痛いでは済まない危険なものもあり、私たちは慎重に歩を進めた。
「これは酷い――アリシア、慎重に行けよ」
「わかってますわ。ロラン様も十分注意して」
私たちは目を合わせないままに声をかけ、一歩一歩、慎重に廃墟の中を進んだ。
これも違う、あれも違う……と床に転がったものをひとつひとつ検めながら、私たちは無言で辺りを捜索した。
ふと――私の頭にある記憶が蘇り、私は顔を上げた。
そうだ、あの時感じたニンニクのような刺激臭を嗅ぎ分ければ。
硝石の爆発の影響で火薬の臭い以外何も感じないが、鼻先に持っていけばわかるはずだ。
私は転がった瓶や包みをひとつひとつ丁寧に拾い上げ、まるで犬のように臭いを嗅いだ。
どれも火薬や肥料の臭いばかりだったけれど、臭いは確実にわかった。
しばらく捜索して――ふと、あるものが目に入った。
如何にも危険物です、というように、赤い塗料が塗られた瓶。
これか? と直感した私が蓋を開け、鼻先に持っていくと、明確にニンニクの臭いがした。
「ロラン様、発見しました! おそらくこれが霊薬の原薬ですわ!」
私が声を上げると、ロランがはっとこちらを向いて歩み寄ってきた。
「確かかい?」
「ええ、伯爵が実演してみせた時と同じ臭いです。これに違いありませんわ」
そう言うと、ロランが何度か頷き――それから、その小瓶に入れられた白い粉を見つめた。
「こんな……こんなちっぽけな瓶が、一体どれだけの人を――」
ロランがなんだか悔しそうに呻いた。
その一言に、私も沈痛の思いでその白い粉を見つめた。
「これが黒斑病の正体です。害虫を駆逐するだけでなく、人間をも殺す悪魔の薬――」
その瞬間、この白い粉に踊らされ続けたこの一月あまりの狂騒の疲れが出てきて、私の両肩がずんと重くなった。
あらゆる害虫を殺す薬。そんなものを浴びせ続けられた食べ物など、この世の誰も口にできるはずはないのに。
私たちは明確に驕っていたのだ。人間の叡智はあらゆる自然界の困難をもはねのけることが出来るのだと過信していた。
さっきの硝石が引き起こした爆発がいい例で、知識や技術は、ときに邪悪な意思によって使われ、人を死に至らしめることだってあるのだ。
「この薬も――最初はこの世の誰かが、良かれと思って創ったんでしょうね――」
私はこの薬を発明したというライラたちの先祖を思った。
おそらく毒物であったと知りながら、その猛烈な駆虫性能ゆえ、封印することも捨てることも出来なかったのだろう。
いや、それだけじゃないかもしれない。何事も適量なら薬、過ぎれば毒――この薬だって、適正な量を適正な回数だけ使えば、素晴らしい農薬であったかもしれないのだ。
「地獄への道は善意で舗装されていると、そういうことなのでしょうか。最初は誰かが良かれと思ってやったことが、まさかこんなことを引き起こすなんて――」
私がそう言った途端だった。
ロランが少し迷ったような表情を浮かべて私を見た。
私が不思議にその顔を見ると、ロランは随分遠慮したような口調で言った。
「あのさ、アリシア。この間の夜会のとき、僕が王太子妃様――いや、君の妹に呼び出されたのは覚えているだろう?」
急に――今の今まで忘れていたことを言い出されて、私は困惑した。
ロランの表情は、ずっと言い出すことを躊躇っていたかのような表情だった。
「あの時、実は君との思い出を聞いたんだ。君が聖女候補者として召し上げられる前の話だ。流行病にかかって高熱を出した君は、王太子妃様から銀とサファイヤでできたブローチをもらった――覚えているかい?」
ロランの目は真剣だった。
私はゆっくりと頷いた。
「王太子妃様はあれを宝物だと言っていた。君の命を救った、君たち姉妹の宝物だと思っていたと。でも君は――その宝物を王都の貧民に施してしまった。それは本当かい?」
忘れていたことを意外な人物から思い出させられた私は、しばらく無言になった。
ややあって、私は頷いた。
頷いた途端、「そうか――」とロランは視線を下に落とした。
明確に失望が滲んだその表情に、私がはっとすると、ロランは私の肩に手を置いた。
「アリシア――君が誰よりも聖女たらんとしていることはわかっている。よかれと思ってやったことだと思う。けれどね、王太子妃様はその事をずっと恨んでいたんだよ。君はもう姉妹の宝物さえ人に施してしまうような人間になってしまったんだと、僕もいつか君に捨てられるんだと――あの夜、そう言って僕に恨みをぶつけてきたんだ」
ロランは少しだけ唇を噛み、私を見つめた。
「アリシア、はっきり聞いておきたい――君はいつかそうするのかい? 僕でさえも……誰かに施してしまうのかい?」
意外な質問に、私の脳裏に王都路地裏での出来事が蘇った。
あの時、貧民に施そうとした私を激しい口調で止めたロランは――ずっとその事を気にしていたのか。
今更ながらにその事を知って、私はごくりと唾を飲み込んだ。
「君にとって僕はなんだ? よかれと思ったら君は自分の大事な物さえ人に渡してしまうのか? 君は――一体何を考えてあんなことをした? 王太子妃様が、妹さんがそれを見て傷つくとは思わなかったのか?」
責めるような口調だった。
じっと私を見つめ、私の返答を待っているロランから視線を外し、私は俯いた。
「そうですか、ノエルは――ずっとあの時のことを恨んでいたのですね――」
私はノエルの顔を思い出し、悪いことをしてしまったと、今更ながらに反省する気持ちになった。
それで、それでノエルは、私からなんでも奪い取り、捨てていたんだ。
あのときの憤りを知ってほしくて。
自ら宝物を捨てた私を恨んで。
元通りの私に戻ってほしくて。
それなのに――私は今まで気がつかなかった。
傷つけていたことにすら、気づけていなかった。
多分、あのまま聖女候補者のままだったら、私は今のように後悔すらできなかっただろう。
私は――明確に姉失格だ。
それでも――。
私はしっかりとロランの顔を見つめた。
「ロラン様。それでも、今のお話は少し違います。私はあのブローチを施したりはしていませんわ」
「え――?」
「私はあのブローチを、いえ……あのブローチだからこそ、あの兄妹に渡したんです」
「どういうことだい?」
私の肩を抱くロランの手に力が籠もった。
数年前のあの路地裏の出来事を、私ははっきりと思い起こした。
嵩と痣だらけになって苦しむ妹と、その横で途方に暮れていた兄に対して。
「あれは私の命を救ってくれた魔法のブローチだから。病に苦しんでいたあの妹さんが元気になってくれるよう、私はあの二人にあのブローチをお貸ししたんです」
「アリシア、それは――!」
「まぁ、渡してしまったのはその通りですけれど……でも、きっと元気になって返しに来てくださいと約束したんです。これは私の、私たち姉妹の宝物だから。きっと妹さんだって助けてくれると思ったから。病の癒えるまで、それまであなたたちにこの魔法を預ける。そう言って、そう言って私は――」
そこまで言った、その瞬間だった。
ゆら――とロランの背後に血塗れの影が立ち上がり、私の心臓が凍った。
凄まじい憎悪に顔を歪ませたそれ――ジェレミー・マンシュ伯爵の振るった剣が、ロランの首筋に向かって薙ぎ払われようとする。
私は咄嗟に、ロランの腰に飛びつき、力任せに床に押し倒した。
ブオン! という擦過音がすぐ頭上に発し、少なくない量の髪の毛が千切れ飛んだ。
「おのれ、あくまで黙って斬られるつもりはないというのか――!」
その言葉に、ロランが素早く床を蹴り、私を伯爵から引き剥がした。
ロランが腰に帯びた剣を素早く抜き放つと、額から激しく出血しているマンシュ伯爵がゆらりとこちらに向き直った。
「私の――私の人生を、よくもここまで無様に破壊してくれたな……!」
もはや白などどこにもない、真っ赤な目で伯爵は呪いの言葉を吐いた。
その呪いを柳に風と受け流したロランが、明確な意思を持って鋒を伯爵に向けた。
「もう諦めた方がいい、伯爵。あなたが王都に掛けた魔女の呪いは――既に切れつつある」
ビキッ、と、音を立てる勢いで伯爵の顔が痙攣した。
その凄まじい怒りを前にしても、ロランは震えすら起こさないままに続ける。
「人を呪わば穴ふたつ――あなたが掛けた呪いは今やあなたに跳ね返り、あなた自身を喰らい尽くそうとしている。あなたにできることは集めに集められた呪いを大人しく受け止めることだけです。悪あがきはやめた方がいい、貴族として潔く裁かれなさい」
「黙れ!!」
喉のどこかが壊れたような絶叫とともに、伯爵が剣を構えた。
「貴様らに私の何がわかる! この農場が、この霊薬が、私の人生の全てなのだ! 毒によって始まり、毒によって紡がれていく修羅の道――それが私の生きる道だ! 何人であっても私の生き方を否定できるものか!」
「否定しますよ、僕らがね」
もはや降伏勧告など意に介さないだろうことを悟って、ロランは剣を握る手に力を込めた。
「アリシア、離れていろ。僕はこの人と今この場で決着をつける」
「ロラン様――!」
「大丈夫だ、ハノーヴァー家の剣はこんな狭い男に負けたりしない。その剣は正しきを救い、その怒りは悪を貫く――ハノーヴァー代々の家訓だよ」
フッ、と口の端だけで笑ったロランに、瞬間、私の全身が感電した。
そう、そのときの私は、なんというか――真に場違いではあるのだけれど――非常に申し訳ないのだけれど――有り体に言えば、「ドキッ」と、そう、そのようになってしまったのだった。
この人には、このノホホンとした青年には今まで一度も感じたことのなかった「ドキッ」に、私は一足先に深々と胸を貫かれ、そこから甘い痺れが全身にどうどうと流れ始めた。
はわわわわわ! か、カッコいい、私の婚約者がカッコいい……! ちょっと皆さん、見て見て触って……!
そんな感じで激しく感動している私を、なんだかちょっとゾッとしたような表情で見てから、それでもロランは素早く表情を切り替え、伯爵と対峙した。
「さぁ――あなたには今から、ハノーヴァーの本気の闘争をお見せしましょう、マンシュ伯爵」
「面白そう」
「続きが気になる」
「がんばれ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。





