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特効薬が存在するかも知れない

『あなたに託したいもの、いや、あなたにしか託せないものがあるの――』




それは既に病魔に冒されていた聖女様が、ほとんど遺言のように残した言葉だった。

十五歳の私は、激しく泣きながら骨と皮だけになった聖女様の手を取った。




べと病を治癒する薬――苦しい息のもとで、聖女様はそのように言った。




『あの青い粉のこと、忘れてはいないわよね。あれをあなたに――』




青い粉? 小さかった私はしゃくりあげながら聖女様を見た。

そして、それを思い出す私の目の前に、小さな硝子壜に入った青い粉の映像がちらついた。

聖女様は、確かにそれを私に見せていたのだ。




『あの粉が完成すれば多くの農民を救える。決して忘れないで――』




これは聖女様が晩年まで研究していたもので、それを病害に使って確かに効果が上がった例があると。

だがあと一歩のところで病を得てしまい、既に自分にはそれを広めることはできなかった。

だからあなたが聖女になった暁には、この粉を完成させ、全ての農民に分け与えて欲しいと――聖女様は確かに言った。




『あなたは私のすべてを見ていた。だからきっと製法がわかるはず。いいわねアリシア、アリシア、お願いよ――』




だが、私にその製法や名前を語らないままに聖女様は昏睡状態に陥り、そしてそのまま――。


私は震えた。

そうだ、なんでこんな重要なことを忘れていたのか。


あの青い粉。あれが本当にべと病の特効薬であるなら。

聖女様は自身の研究によって、べと病の特効薬を作り出していたとしたら。

それはここハノーヴァー領だけでなく、この国すべての農業に大きな福音となるに違いない。


思い出せ、思い出せ――私は頭を手で叩いた。

うーっと、椅子に座ったまま地団駄を踏んだ。

確かに、私は聖女様のすべてを見ていた。

だからその粉の製法も絶対に私は見て、覚えていたはずなのだ。

だが、聖女様との死別という、人生でもっとも辛かった記憶を呼び起こすのは並大抵のことではなかった。

私の記憶は聖女様の死の記憶ごと、あの青い粉の記憶まで封印してしまったというのだろうか。


私の脳裏に、虫食いだらけの映像がよぎった。

聖女様が示した小さな硝子壜は――ふたつあった。

ひとつは白い粉、これはおそらく石灰だと思われた。

そしてもうひとつの壜の中に入っていたもの。


それは光り輝くような、青く輝くような色をした宝石のような石――。


「大丈夫ですか? アリシアお嬢様」


ふと、リタが私にそう言い、傍らに紅茶のカップが置かれた。

私がはっと我に返った途端、映像は霧散した。


私は思い出すのをやめて、ため息をついた。


「ああ、ありがとうリタ……」

「随分悩んでいる様子ですが、何か問題でもあったのですか?」

「いや――」


私はなんと言おうか迷って、結局、答えを濁すことにした。

今の今まで聖女様の遺言を忘れていたなんて、リタだけには知られたくなかった。


「ハノーヴァー領についてちょっと勉強してるんだけど、予想通り、なんだか色々問題がありそうでさ」

「まぁ、これだけ山奥ですから、ハーパー領とはいろいろと勝手が違うんでしょうね」

「そうそう。ここハノーヴァー領はハーパー領とも気候風土や作物も違うから――」




そこまで言って、私はぎょっと背後を振り返った。




「うぇ――! リタ――!?」

「はい、リタでございますが」

「あ――あなた、なんでハノーヴァーの屋敷にいるの!?」


そう、リタは一週間前に私がハーパーの実家に帰したはずだった。

とりあえず婚約を前提に春までこの屋敷に住むことになったと、その結果を持たせて帰したはずなのだ。

しかし――目の前のリタはやはり隙のないメイド服のまま、ハノーヴァーの書庫に立っていたのである。


「ああ、今日付けでこの屋敷に転職いたしました。旦那様にハノーヴァー辺境伯様へ紹介状を書いていただきましたので」

「――嘘でしょ?」

「まるきり嘘ではありませんわ。それに旦那様にも秘密裏に言い含められてここにおります。何が何でもこの婚姻を成就させろと」


秘密裏に――と言った割にはあけすけな物言いだった。

私は呆れたような嬉しいような、複雑な気持ちで笑ってしまった。


「正直、頼もしいわ、あなたがそばにいてくれると」

「お褒め頂きありがとうございます」


リタは心底嬉しそうに笑ってくれてから、私に訊いてきた。


「ところでお嬢様、今は何を? 随分唸ってらしゃいましたが」

「ああ、うん。実はね――」


私は少し考えてから言った。

ともかく、ひとまずあの青い粉のことは忘れよう。

そう思わざるを得なかった。


「ここハノーヴァーで、新しい農業ができないかな、と思って」


私は自分の考えてることを口にした。


「やっぱり、土地任せ天候任せっていうのは農業のあり方としては正しいんだろうけど、ここではその農業っていうのがそもそも難しいみたいなの。それなら天候に依らない農業に切り替えていけばいいんじゃないかしら、と思ってね」

「天候に依らない農業……そんなことが可能なんですか?」


可能かどうか訊かれれば、わからないという他ない。

だが、このまま気候の安定した他の地域と同じ作物、ワイン一本頼みではリスクの分散という観点からもあまりに心細い。


「どうにかしてこの地方をもっと活気づけたい。それにはワインの生産だけじゃ心もとないからね。それにはなにかないかなと思ってはいるんだけど……」


私が言うと、ふふっ、という笑い声が聞こえた。

リタを見ると、リタは何だか企んだような顔で言った。


「アリシアお嬢様、なんというか――楽しそうですわね」

「楽しそう――かな?」

「ええ、とても。なんだか活き活きしております。やっとその機会が与えられた――というようなお顔をしてらっしゃいますわ」


そうかな?

私が視線だけで問うと、そうですわ、というようにリタは眉を上げた。


「うん……確かにそうかも知れない。先代の聖女様が身罷られてからは、こういう話を聞いてくれる人もいなかったから」


私はそう言いながら、私が心の底で感じていた喪失感の大きさを思った。

先代の聖女様は私にとって偉大な人生の師範であり、理想そのものだった。

私も同じ道を生きるなら、先代の聖女様と同じように生きたかった。

当然――それは両親には理解されなかったのだけれど。


リタは私に微笑み、そして紅茶を勧めた。


「まぁ、あまり精根詰めすぎるのもよくありませんわ。紅茶をどうぞ。ミルクティーに蜂蜜を入れてあります」


さすがリタ、淹れてくれたのは私の好きな紅茶だった。

ありがとう、と言ってカップに口をつけると、ミルクのまろやかさに蜂蜜の芳醇な甘さがマッチして、ほっと身体が温まるようだった。


ふと――私は口から離しかけた紅茶の液面を見た。


蜂蜜――蜂蜜か。

私はふと、あることを考えた。


ここハノーヴァーにやってくる間、私は馬車の窓からこの地をつぶさに見た。

沿道の並木には救荒作物であるマロニエがたくさん植わっていた。

そして、有力な蜜源植物であるマロニエからは最高級の花蜜が採れる――。


これだ。私は目を見開いた。


「そうだ――!」

「はい?」

「蜂蜜! これならなんとかなるかも……!」


ぽかんとしたリタの顔を見ずに、私は立ち上がり、慌てて書庫の中のそれらしい資料を集め始めた。





「面白そう」

「続きが気になる」

「頑張れ農協聖女」


そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。

何卒よろしくお願いいたします。

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『がんばれ農強聖女』第三巻、2022年11/19(土)、
TOブックス様より全国発売です!
よろしくお願い致します!
― 新着の感想 ―
[一言] 既に答えが書かれてたかw 銅イオン系の殺菌剤だなぁ。 マンゼブとかベノミルなんて化学物質はファンタジー物では作れないもんね。
[良い点] ボルドー液 硫酸銅と消石灰
[一言] ワイン産地の名前がついたあれですね 農薬使わなかったら、病気になった株や周囲の焼却処分しかないですもんね
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