アリシアの長い夜
結局、私たちは再び、救貧院がその広い庭に開設した医療村に戻っていた。
酷く怯えたようなルーカスを宥め、とりあえず医者に見せようと、医療村に担ぎ込んで約一時間。
一人、ルーカスの見舞いに行っていたロランが帰ってきた。
ロランは私たちが待機していた幕舎に入ってくるなり、野太い溜め息をついた。
私とレオは椅子から立ち上がってロランに訊ねた。
「ロラン様、ルーカスさんの容態は?」
しばらく言いたいことをまとめるように沈黙してから、ロランは「とりあえずは命に別条はない」と重く言った。
「けれど、極度の疲労と重い栄養失調、それに脱水症状もあるようだ。よほど長い間、食うや食わずの生活をしていたんだろう……と、医者はそう言ってる」
命に別状はない、という一言に、私はとりあえず安堵の溜め息をついた。
代わりに、レオがロランに訊ねた。
「それで、ルーカス村長……あ、いや……その、ルーカスのおっさんはなんて言ってる?」
その質問に、ロランは首を振った。
その所作の意味は……一体どういうことだろう。
私とレオは顔を見合わせてからロランの言葉を待った。
「それが、よく話がわからないんだ。ルーカスは酷く怯えている……いや、錯乱してると言った方がいいかもしれない」
「錯乱してる、って……?」
「なんだかよほど恐ろしい目に遭い続けたようだな。それもかなりの長期間だ。全身に殴られたような痣もあって、骨折の痕跡も見られるみたいだ。何者かに執拗に暴行されていたのかもしれない」
何だか不穏な言葉だった。
私たちが思わず息を呑むと、ロランは再び太い溜め息をついた。
「何を訊ねても要領を得ないんだ。追われてる、きっと見つかって殺される、と……そう言って怯えるんだよ。少し心の整理が必要な状況だ。……まったく、ルーカスは復興村を出てから王都で何をしていたんだ? 身寄り頼りがあったわけでもないだろうに」
ロランは疑念半分、心配が半分という声で言った。
その複雑な心の中を想像して、私は数ヶ月前の夜のことを思い出していた。
数ヶ月前の夏の夜、ナミラとレオが丹精込めて作っていた馬鈴薯畑を荒らそうとした元村長、それがルーカスだった。
もともと彼は、村長として、荒廃した村の復興という大任を任されるには少々線が細すぎる男だった。
馬鈴薯の栽培を理由に二分されていた村を音頭を取ってまとめることも出来ず、馬鈴薯推進派だったレオを逆恨みし、嫌がらせで村から追い出そうとした張本人。
「自分は村の復興のためにやることをやった」――私たちに現場を押さえられても悪びれもせず、傲然とそう言い放った卑劣漢。
その態度に激昂したロランが強かに彼を殴りつけ、村長職を剥奪した後も、しばらく彼は村の隅で小さくなって暮らしていた。
けれどその後、村が馬鈴薯の栽培を推進することで一応の決着を見た後はすっかり立場を無くし、いつの間にか村から消えてしまっていたのだった。
それが、まさか王都で再会することになるなんて――。
決して有り難くはない再会でもあったし、できることならどこか新天地でそれなりに幸せに暮らしていてもらいたかった。
第一、飢饉や村の対立などというものがなかったら、いくら彼だってあんなことを進んでやったわけがない。
貧しさと人々の諍いの板挟みに遭い、いつの間にか心の一部が擦り切れてしまったのでなければ、或いは彼だってまだ復興村の村長のままだったかもしれないのだ。
そんな事を考えている私と、そして同じく困ったように眉尻の傷跡を掻いているレオを見て、ロランは少し遠慮がちに言った。
「一応聞いておくけど……二人もルーカスを見舞っていくかい?」
「いや……俺は遠慮するよ。流石にな」
レオは歯切れ悪く言った。
「なんだか知らねぇけど、なんか大変なんだろ? 俺が見舞っちゃあ休まるもんも休まらねぇだろうよ。とにかく、後は救貧院に任せて、俺らは退散でいいんじゃねぇかな」
「そうだな……僕もそれが一番いいことのように思える。アリシアは?」
私もしばらくアレコレと考えて、首を振った。
「私もそうします。彼とは色々ありましたから、心労のタネを増やさない方が彼にとってもいいと思うんです」
そうだよな、とレオも同意した。
それに、ここには医療従事者もいるし、いざとなったらルーカスの仕事の斡旋だって任せておけるだろう。
意見の一致を見たところで、ロランが溜め息をついた。
「よし、それじゃあとりあえず、今日一日は元の宿に戻ろう。明日、ハノーヴァーに向けて出発する、いいね?」
その言葉に、私とレオは頷いた。
◆
何だか騒がしい日が、ようやく終わろうとしていた。
どっと疲れが増したような気持ちで、私は宿の部屋のベッドの上に転がって、何をするでもなく、アレコレと考え事をしていた。
予想の数倍以上長引いてしまった王都での滞在も、本当に今日で終わる。
いまだ混乱の坩堝の只中にある王都を去るのは心苦しいことだったけれど、だからといってこれ以上私にできることはなかった。
病気は医者が、暴動には軍隊が対応すべきで、祈りと知識が必要な元聖女候補者の出る幕は流石にない。それはわかっていた。
けれど――私はごそごそと寝返りを打った。
本当に、このままハノーヴァーに帰ってもいいのだろうか。
私は性懲りもなくそんなことを考え続けていた。
もうそれは元聖女候補者がどうのこうのという話ではなく、ひとりの人間として、かかわり合いになってしまった人間としての思いだった。
今、こうしている瞬間も、おそらくあの奇病に倒れている人はいるのだろうし、黒斑病で命を落としている貧民たちもいるに違いない。
この状況に対して何の希望も見出さぬまま、ハノーヴァーに帰って、葡萄の木に薬を撒き芋を掘る、そんな平和な生活に戻れるのか。
それはなんだかとても卑怯なこと――否、もういっそ、とてもじゃないが想像すらできないことのように思われた。
けれど――そこでいつも私の思考はループする。
これ以上、自分にできることはない、専門家に任せるべきだ――そう訴える自分も、まだちゃんといる。
うーん、と、私は頭を掻き毟った。
どうしようもなく気分がむしゃくしゃして、できることなら誰もいない野原で思い切り叫び散らしたい気分だった。
聖女様――私は少しの間だけ目を閉じて、私の人生の師であった先代の聖女様にお伺いを立てた。
記憶の中の聖女様は、やはりいつもの通り、氷のような冷たい貌と、慈愛ある暖かい目で私を見つめていた。
聖女様、と私は訊ねた。
私は何をすべきでしょう、何をして王都を去るべきでしょうか。
未熟な私には、もうこれ以上よい知恵がでません。
やはり無力な私はこれ以上何もしないことが最善なのでしょうか――。
ふと――私をまっすぐに見つめていた聖女様の視線が、私から外れた。
え? と私もその視線を追うと、聖女様が私の背後の空間を指差した。
ありえない、記憶の中の聖女様が動くなんて。
ストレスで遂におかしくなったのだろうか、と考えてしまった私の脳内に、違う、そうではありません、という聖女様のお叱りの声が聞こえた。
聖女様は、明確にある一点を指差し、再び私を見つめた。
まるでそこに手がかりがある、と示すような所作に、はっと私は目を見開いた。
慌てて、ベッドから身を起こした。
聖女様が示していた方を見ると――窓際に小さな机があって、そこには朝、ロレッタから手渡された手紙が、封を開けずに置いてある。
手紙――? 聖女様はこの手紙のことを言いたかったのだろうか。
私は立ち上がって、手紙を手にとった。
相変わらず、便箋数枚が封入されているとは思えないほど分厚く、厳重に糊付けしてあった。
その事実を今更ながら不審に思った私は、側にあった果物用のナイフで封筒を乱雑に切り裂いた。
やはりというかなんというか、中身は手紙ではない。
いくつもの文書、資料、そして地図までもが束ねて入っていた。
椅子に座り、その中からロレッタのものと思われる手紙を探して、ざっと目を通した。
目を通す間に――心の底がしんと冷えた。
まるで氷のように冷たくなった指先から震えが走り――背筋にまで到達して、怖気と震えは全身に広がっていった。
私は手紙を脇に避け、資料に目を通した。
確認したらロレッタの手紙に戻り、ロレッタの手紙が指定する箇所を資料の中から探し、また手紙に戻る行為を、一時間ほど繰り返した。
あらかた全てを読み干した私の顔は――汗びっしょりだった。
なんてこと――私は呆然と天井を仰いだ。
私は、私は、大きな勘違いをしていた。
これは、この奇病は、天災などではなかった。
これは――これは人災だ。
慌てて、私は頭の中で算段をつけ始めた。
まずどこから攻める? この事実を国軍、いや、ユリアン王子に直接伝えるべきか?
否、この手紙に書いてあることだって、要するに状況証拠だけで確証はない。
この手紙の中身を全てぶちまけたところで、彼らが動いてくれるとは思えない。
では救貧院か? いや、彼らだってきっと同じだ。
相手が相手すぎるが故に、彼らではとても状況解決の助けにはならないだろう。
とにかく――必要なのは、この手紙に書かれていることを立証するための証拠だった。
私は椅子の上で地団駄を踏んで頭を掻き毟り、うーんと唸った。
まず最初に誰と接触すべきだ――と考えた私は、ほっ、と溜め息をついて目を開いた。
そうだ、ルーカス、ルーカスがいる。
幾多の暴行の痕跡、そしてあの錯乱ぶり、何者かに追われている不審さ。
それを考えれば、彼はおそらくそれなり以上にこの状況に関わっていた可能性があった。
私は慌ただしく立ち上がった。
とにかく、救貧院に取って返してルーカスに接触せねばならない。
すぐにロランとレオにも連絡して――と考えた時、はっ、と私は背後を振り返った。
視線の先には、乱雑に広げられたままの手紙があった。
もし――これが私の想像している以上に、闇の深い事件であったなら……。
ロランとレオを最初から巻き込んでよいものだろうか。
いや、それは避けた方がいいかも知れない。
彼らまで頭から巻き込まれてしまえば、その時は本当に――全ての事実が闇の中だ。
しばらく、アレコレと考えた私は、結局部屋の中に取って返し、机の上の手紙を慎重に並べ直した。
私がもし戻らなかった時、彼らがこれを見たら、私が何に気づき、どこへ向かったのかわかるよう、順序立てて資料を並べた。
後はロランとレオの洞察力、カンの鋭さに期待することにして、私はひとりで部屋を出た。
私の人生史上、もっとも長い夜が幕を開けようとしていた。
約一月の間、ご無沙汰してしまって申し訳ございませんでした。
驚天動地の鬼バスりを記録し、私個人としても中途半端な扱いができなくなってしまった
『じょっぱれアオモリの星』の方もあと少しで一段落します。
その後は農協聖女の方も通常更新に戻れると思いますので、もう少々お待ちくださいませ。
「面白そう」
「続きが気になる」
「がんばれ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。





