思わぬ再会
「本当に、何から何までお世話になって申し訳ない。医院が焼けてしまったで、こちらにはお礼として差し上げるものとてないのか心苦しゅうございます。どうかこの老いぼれの手の温もりだけでも持ち帰ってくだされ」
ノーマン医師はそう言って、私の手を両手で包み込んで拝むようにした。
その姿に、照れるとか恐縮するとか言うよりも、却って痛々しいものを感じてしまった私は、無言で頷くことしか出来なかった。
今日はいよいよノーマン医師たちの出立の日。
マンシュ伯爵が用意してくれた豪華な馬車に乗り込む前、ノーマン医師はすまない、すまないと繰り返した。
この人はこの節くれだった手で、私財をなげうち、汗を流して、今まで何人の命を救ってきたのだろう。
その波乱と困難に満ちた人生の末、医院まで失ってしまったというのに、どうして自分の運命を呪ったりしないのだろう。
こんなに努力したのに、こんなに人を救ってきたのに、どうして――何故そうは考えず、私のような小娘がしたことに感謝など述べられるのだろう。
「まぁ、ノーマン先生。礼はもういいよ」
いつまで経っても私の手を話そうとしないノーマン医師の肩を、レオが擦った。
「先生も、あんまりガッカリしちゃダメだぜ。あんたを待ってる患者や、ライラや孫娘ちゃんのためにもさ。すぐ頭切り替えて頑張らなきゃ、な?」
レオが精一杯の笑顔とともに言うと、ノーマン医師はしょぼしょぼした目で何度も頷いた。
後は頼んだ、というようにレオがライラにアイコンタクトすると、ライラが代わりにノーマン医師の肩を抱いた。
「さぁ先生、そろそろ出発しましょう」
そう促されて、ノーマン医師は何度も何度も私たちを振り返りながら馬車に乗り込んだ。
その様を見送ってから、ライラが少しだけ寂しそうな顔で私たちを見た。
「なんだか、あなたたちには本当にお世話になっちゃったわね。ノーマン先生のことだけじゃない。この子も――」
ね? とライラがアランに目配せした。
アランはやっぱり無言だったけれど、子供なりに感じているのだろう寂しさが目には出ていた。
私、そしてロラン、最後にレオ……とアランの視線が移動した途端、アランがライラの手を振り払ってレオの足に飛びついた。
「うおっ!? ……おっ、おう、アランよ。これでさようならだな」
ぎゅっ、と、足にしがみついたままのアランの頭を、レオが傷だらけの手で撫でてやる。
予想外に長引いた王都での生活で、まるで歳の離れた兄弟のようにすっかり仲良くなってしまった二人である。
多分……アランはこの短い時間の中で、顔も知らないのであろう父親の影をレオに見出していたはずだった。
レオがしゃがみ込み、アランの肩を抱いて、顔を覗き込んだ。
「いいか、アラン。お前も早く大きくなんなきゃダメだぞ。早く大きくなって、お前が母ちゃんを守ってやるんだ。男は誰でもゲンコツひとつで何でも出来なきゃなんねぇんだ。それを忘れるんじゃねぇぞ、いいな?」
「ちょっと、息子に変なこと教えないでよね」
そう言ったライラの声も、なんだかいつもよりキレがなく感じた。
最後に視線を交わし合ったレオとライラは、けれど結局なにも言うことはなかった。
ライラが馬車に乗り込んで、残るは孫娘のロレッタだけになった。
そう言えばあまり詳しく会話らしい会話をしたことがなかったな……と私が思っていると、ロレッタの目が光った。
「あの、アリシア様。これ、感謝のお手紙です!」
そう言って、ロレッタが分厚い紙の束を取り出して、私の手に押し付けた。
え、手紙……? と私が受け取ってしまうと、ずしっ、と、紙の束とは思えない質量が両手に伝わった。
こんな量の手紙を、いつ、一体どこで?
私が尋ねようとする前に、ロレッタがなんだか無理矢理の笑顔を浮かべた。
「あの、ここで読んではダメですよ? ちゃんと落ち着いたところで、じっくり読んでいただきたいんです! いいですよね?」
「えっ、あの、ロレッタさん……?」
「ロラン様もレオ様も、本当にお世話になりました! じゃあ、私はこれで!」
なんだか急き込んだように感謝の言葉を述べて、ロレッタはぺこりと頭を下げ、そのまま言葉を振り払うかのように馬車に乗り込んでいった。
バタン、と馬車のドアが閉められると、馬車はガタガタと王都の石畳の上を走り始めた。
「手紙って……これ、手紙かい? なんだか分厚いよね?」
ロランが私の手の中の紙の束を覗き込み、不審そうな表情を浮かべた。
医院が焼け出されて今日で四日。怪我人や病人の看護に当たっていたはずのロレッタが、忙しい合間を縫ってしたためたにしてはとんでもない量だ。
「そうですねぇ。なにかこの中に入ってるのかも……」
これは一体何?
私は問い返すように、マンシュ伯爵の居城へ走り出した馬車を見送った。
◆
ノーマン医師たちを見送った後、私たちは宿へ帰る道を歩いていた。
全員が、長く無言だった。
もうひと月近くに渡ってしまった王都滞在の中で、なんだかすっかりと仲良くなってしまったライラやアランと別れた寂しさが、私たちから言葉を奪っていた。
それからしばらく黙々と道を歩いていた時――ロランが思い切ったように口を開いた。
「明日には、ハノーヴァーへ帰ろう」
えっ、と私は少し驚いたような気持ちでロランを見た。
ロランは目を伏せがちにしながらぼそぼそと呟いた。
「とりあえず、僕らの仕事は終わった。ノーマン医師やライラのことはもう心配ないだろう。王都はいまだに混乱の中だ。これ以上部外者である僕らがすべきことはないよ」
その言葉は――その通りだった。
今王都で大流行している奇病や、貧民窟の黒斑病にしても、それは我々がなんとかすべき事態ではなく、医者の領域だった。
後のことは彼らに任せておけばいいわけで、ロランの言う通り、私たちが根本的になんとかできることはなかった。
それでも――私は重さを増したように感じるロレッタの手紙を見つめた。
私の中には、負けた、という悔しさが残った。
何に、ということではなかった。
そもそも私たちはたまたまこの奇病の発生に居合わせただけの人間であり、私たちがこの奇病の原因を突き止める筋合いなどない。
余計な行動や探索は何も実を結ばないどころか、却って真摯に事態の収集に当たっている現場を撹乱するだけであるのは……いくらなんでもわかっていた。
それでも――私はもう一度繰り返した。
ノーマン医師やライラ、そしてロレッタたちがあんなに頑張っていたのに、自分たちだけがこのまま領地に帰っていいのだろうか。
このまま王都から遠く離れたハノーヴァーで息を潜めていれば、いつかはこの奇病も収まり、また安全で平和な王都が戻ってくるのだろう。
しかし、それは一体いつのことになり、いつこの奇病が解決されることになるのか。
そもそも、この奇病は本当に病なのだろうか。
運命のあの日、私たちが曲がりなりにも応急処置を施した患者は、ライラの話によると無事後遺症もなく回復したという。
食べたものの速やかな体外排出で回復が早まるということは、これは病気ではなく、毒物によるものではないのか。
毒物であれば考えられるのは水源の汚染だけれど、近衛兵や救貧院の調査によると、王都の水源からは何の毒物も検出されなかったという。
残るは人類がいまだ直面したことのない未知の毒や病原体の可能性だけれど、そんなものが本当にこの世にありうるのだろうか。
まだ私たちが目を向けていないもの、見ようとして見えていないもの、そこに何か巨大な原因があるような気がするのは――私の考えすぎだろうか。
悶々と考えていた結果――向こうから息せき切って走ってくる人物を察知するのが遅れた。
足音を感じて顔を上げた途端、あっ、と私は声を上げた。
「どいてくれ! 追われてるんだ!」
不穏な絶叫とともに、私は思いっきり突き飛ばされて地面に転がった。
ロランとレオが驚いて立ち止まると、尻の痛みを呻く暇もなく、数人の風体の悪い男たちが私の側を駆け抜けていった。
「なんだ、追われてるって……?」
レオが不審そうに男たちを振り返る。
私は地面に手をついて立ち上がりながら叫んだ。
「い、今の人は……! レオさん!」
「うぇ!? な、なんだよ……!?」
「今の人を追いかけましょう! 知ってる人です!」
「は、はぁ……?! し、知り合いか!?」
「何言ってるんです、わからなかったんですか!? ロラン様もレオさんもよく知ってる人ですよ!」
「え?」
レオとロランが顔を見合わせた。
わかったかい? いいや全然、とぼんやりしている二人を見ると、無性にイライラした。
本当に男という生物はよくよく細かなところに気がつかない生物だと呆れた私は、大声で二人を怒鳴りつけた。
「とにかく、追いかけてくださいっ! ほら走る!」
私の大声――というより怒声に、二人は慌ててその人物が逃げていった方へ走り出した。
私も手紙を小脇に掻い込み、猛然と石畳を走り出した。
「すみません、どいてください! 道を開けて!」
行き交う人々を押しのけながら、私は逃げていった人物を追いかけた。
人混みの向こう、まだ見失っていない頭に集中しながら走ると、不意に、その人物が急に左に折れ、狭い小路に入り込んだのが見えた。
あっちだ! 私は必死になってその人物に追いすがった。
この一ヶ月の走り込みのおかげなのか、運動が大嫌いだったはずの私の足は殊更軽快だった。
息が切れることも、汗でびしょぬれになることもなく、約一町分も走った私は……ようやくその人物が逃げ込んだ小路の前に立った。
ほとんど陽の光が差し込まない小路の奥は――行き止まりになっていた。
その人物はあたふたと慌ててきょろきょろと辺りを伺い――最後に、小路の入り口に立ちふさがった私を視界に入れたようだった。
ひぃっ! と、その人物は怯えた声を発し、もんどり打って地面に転がった。
そのまま地面に押し付けた尻を躙り、足を地面で掻いてなおも逃げようとする。
一瞬――私はその人物を注意深く観察した。
なんてやつれ方――私は数ヶ月前にされたことの因縁も忘れ、その負の変化に息を呑んだ。
元々あまり血色の良い人物とは言い難かったが、この様相はどうだろう、まるで死神がべったりと背中に貼り付いているかのような、死相とも言うべきもの。
目だけが光のない小路の中にもぎろぎろと光り、恐怖と哀願だけを主張して、どこにも視点が結ばれることはない。
「落ち着いて、落ち着いてください! 私に見覚えがあるでしょう!」
私は、叱るように大声を発した。
は……と、その人物が一瞬の冷静さを取り戻した瞬間、私は更にねじ込んだ。
「セントラリア復興村から出ていった後、何があったんです? 一体何があったら、そんなに……!」
セントラリア、と、その人物の口が動いた。
はぁ、はぁっ……という呼吸に規則性が戻ってきたと思ったところで、ようやくロランとレオが追いついた。
「あ、アリシア、一体なんなんだい……?」
「おっ、おう、ロラン様の言う通りだぜ、一体誰がいたってんだよ……!?」
私は無言で、小路の奥を顎でしゃくった。
息を整えつつ、暗がりを見た二人の顔が――徐々に驚愕のそれへと変わっていった。
痩せこけて窶れ果てた枯れ木のような身体。
以前よりも更に血色の悪くなり果てた顔。
削ぎ落としたかのようにげっそりこけた、無精髭の浮かんだ頬。
数ヶ月前の月夜の晩、強かにロランに殴りつけられたはずの頬――。
あ、あ……! と、レオが息を呑み、そして信じられないものを見たというように叫んだ。
「る、ルーカス村長……!?」
ここのところ更新が滞ってしまって申し訳ございません。
自身の体調不良に重ねて、他作品の常軌を逸したバズり、書籍化作業と、
まるでフライングボディプレスのように事態が折り重なって
中途半端な更新がはばかられる事態となっておりました。
ようやくこの物語も100頑張り目を突破いたしました。
ここから事態は急展開を迎えていく予定ですので、
何卒これからの展開にご期待下さいませ。
「面白そう」
「続きが気になる」
「がんばれ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。





