先代の聖女様の蔵書を引き継いだ
「――曲りなりにも我がハノーヴァー家の一員となってもらうのなら、言っておきたいこと、見せたいものがある」
そう言って、ロランは私をいざなって広い廊下を歩いていた。
晴れて「婚約者候補」となった私はその後ろを無言でついていっていた。
「アリシア、我がハノーヴァー家の王都でのあだ名はなんだい?」
「さぁ――『黒幕貴族』、でしょうか?」
私がさして考えもせずに言うと、ロランは「その通りだ」と苦笑した。
言った後で、これはその令息に面と向かって言うには失礼だったなと私は舌を出した。
「我がハノーヴァー家は代々、王国から半独立状態にあり、他国との関係も維持し続けている。その理由もわかるね?」
「ハノーヴァー領は我が王国に編入される前、古くは隣国であるヴェルカ王家と遠縁だったため、でしょうか」
私が答えても、ロランはその回答では不満だというように無言だった。
私は少し考えて答えた。
「――実質的には、予防線、というところでしょうか。今はどの貴族も収穫した大麦や小麦、作物を王都や他の都市向けに出荷することで利益を得ています。ですがそれも不作が続けば無駄なこと。そこでハノーヴァー家は密かに残っている隣国とのパイプを通じて、ヴェルカにも食料を輸出して利益を得ている、違いますか?」
私が言うと、くっくっとロランは低い声で笑った。
「やっぱり君はアリシア・ハーパーだな。遠慮のないところは若い頃の伯母上にそっくりだ」
「伯母上?」
「そう、先代の聖女様は僕の伯母上だった」
そうだった――私は今更ながらにそのことを思い出した。
先代の聖女様の旧姓はエヴリン・ハノーヴァー。
つまり、この家の先代だった人だ。
「その通り。あまり大きい声ではいえないが、我々はあまり関係が良くない隣国のヴェルカとも密かに交易関係にある。あまりおおっぴらには出来ないルートで、通貨を使わずに銀でね。王家もそれに気づいているが黙認している。僕らが交易関係にあるうちはそう簡単に我が国に手出しはしないだろう……そんな思惑だろう」
それと、とロランは付け加えた。
「僕たちハノーヴァー辺境伯領は御存知の通り北方の山岳地帯だ。耕作地は少ないし実りも悪い上、中央から遠い三重苦。何より――」
「隣国のヴェルカ地方の海からやってくる冷涼な風に吹かれ、夏の気温が上がり難く日照も不足するため、ですね?」
「まいったなぁ」
ロランはほとほと感心したように頭を掻いた。
「その通りだ。僕らはそれを山背と呼んでいるけれど……僕らは常に自然と戦い、不作と隣り合わせの環境下で生きてきた。ヴェルカとの通商以外にも僕らには二重三重の命綱を隠し持っている。だが、そんなものは本物の飢餓や天変地異が来たらあっけないものだ――」
ロランはそう言い、ある部屋の前に立った。
重厚な扉は、半ば開かずの間の存在感を発して目の前に鎮座していた。
「それで、我が領地の聖女となる君に武器を持たせたい」
「武器――ですか?」
「ああ、どれほど役に立つかはわからないけれど――」
そこで、ロランは一息に扉を開けた。
ギシギシと軋みながら開いた扉は薄暗く、私は目を細めて暗闇に目を凝らした。
中に立ち入ったロランが、部屋に次々と灯りを灯した。
そこにあったのは、まるで南方の密林に埋もれた古代遺跡のようなもの――。
ぎっしりと本が詰まった、天井まである本棚が、薄暗い中に整然と立ち並んでいた。
これは――図書館だ。
しかも、さっと見ただけで、私にも馴染みのある本が沢山。
しかも、その蔵書量は、個人で収集したとはとても信じられないほどの量だった。
「我がハノーヴァー家の蔵書だよ。一部は聖女として召し上げられる前に伯母上が残したものだ。知識はここにいくらでもある。これをそっくり君に与えたい」
与えたい、って――。
私はロランの顔をまじまじと観察してしまった。
プレゼントにしては膨大すぎるし、第一こんなもの、ポンッと渡されてもとてもじゃないが受け取れない。
尻込みした私に、ロランはちょっと慌てたように言った。
「あ、違うよアリシア。僕はこれをプレゼントして喜べと言ってるわけじゃない。なんというか、引き継いでほしいんだ」
「引き継ぐ?」
私が鸚鵡返しに問うと、ロランは頷いた。
「正直な話、僕ら辺境伯家にはこれらの知識は宝の持ち腐れだ。これを読み込める人も理解できる人もいない。それに引き換え、君は五年の間、聖女様と行動を共にした。僕はそれを見込んで君にこれを開放したいんだ」
私は少し考えてから言った。
「……私は農学者ではありません」
全く、こういう時ノエルなら、嬉しい! の一言でまるごと譲り受けてしまうだろうに。
だが、これは元聖女候補者としては安請け合いができない話だった。
「私にこれを開放するぐらいなら、ベテランの農家に意見を聞いたほうがよほど為になります。聖女は象徴であって学者じゃありません。私を買いかぶりすぎですわ」
それは嘘ではなかったし、事実だった。
私がいくら農業や天候について知識があろうと、そんなものは実地で学んだわけではないし、第一根本的に私には農業の経験がない。
私なんかにこれらの知識を解放したところで、ますます頭でっかちになった、可愛げのない女が生まれるだけだろう。
そんな私に、ロランは「そうかな?」とすっとぼけたような声を出した。
「そうですわ」
「そうとは思えないな」
「それでも」
「僕はそうは思わないよ」
「――ロラン様、私に何をさせようとしています?」
私が少し不満そうに言うと、ロラン様はいたずらを指摘された子供のように舌を出した。
「一言で言えば、僕らハノーヴァーに新しい風を吹き込んで欲しい」
「風、ですか?」
「そう、風だ。見ての通りの貧乏領地だ。僕らはその財力よりも兵力で王国に貢献するしかなかった」
ロランは深い憂いを湛えて私を見た。
「でも、それじゃあ根本的な解決にならない。農民たちの暮らしも上向かない。十年後、二十年後、あるいは来年、この年にだって凶作や飢饉が起こるかもしれない。その後はどうなる? 兵を養えなくなり、僕らハノーヴァー家は離散してしまう。もしくは、爵位と領土を返上せよ、という話になるかも知れない」
私はその言葉を黙って聞いていた。
確かに、ハノーヴァーはなにかときな臭い一族ではあるが、それは根本的にこの土地が貧しく、豊かさよりも武力でしか存在感を示せないことの裏返しでもある。
ロランは私を説得するように見た。
「何でもいいんだ、アリシア。これは君にしか出来ないことだと、僕は思う。聖女様は知識も勇気もおありになった。知恵の聖女様と呼ばれた先代の聖女様、いや、伯母上の意志を継いでほしい」
全く、ちょろいことに――。
先代の聖女様の意志、私はその一言でころりと騙されそうになった。
「それに、この蔵書たちだって価値のわかる人間に読まれてほしいはずだ。本には運命がある、黙っていてもそれを持つべき人の下に行く。僕は彼らが行く場所は君の下しかないと思う――どうかな?」
運命――そんな言葉を使って頼まれれば、断るほうが失礼だった。
私はしばし沈黙した。
何かを考えたのではない。
覚悟を決めるだけの時間が必要だったのだ。
すう、と鼻から息を吸って、吐いた。
やがて、私は頷いた。
「それではロラン様、この資料は大切に読ませていただきます。それと、このハノーヴァー領のために微力を尽くさせていただきますわ」
私がそう言ったのに、ロランはちょっと驚いたような顔をした。
なんだろう、なにかおかしかっただろうか。
私が不思議そうに見ていると、ロランがやがて安心したように言った。
「よかった。初めて笑った」
えっ? と私が目を丸くすると、ロランは部屋の窓を指差した。
おぼろげながらに写った自分の顔が――確かにほんの少しだけ、笑みを浮かべていた。
おや――なんだか久しぶりにこういう表情を浮かべることが出来た気がする。
その事実に、私自身もほっとするような、そんな気持ちになった。
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願いいたします。





