聖女を妹に譲れと言われた
「アリシア、次期聖女の地位を妹に譲りなさい」
父である公爵からそう言われた時、私は呆れてしまった。
父は悪人ではないが俗物で、自身が凡庸である故に、ひと目で優れている、長じていると思われるものを好む。
そして私たち姉妹の場合、それは私――アリシアではなく、妹のノエルなのだろう。
妹のノエルは幼い頃から外見や性格に華があった。
道で転べば数本の手がすぐに差し伸べられるような魅力。
そしてその手を取り、更におぶって帰ってくれとねだっても許されるような、如才ない甘えの技術をも自然に身につけていた。
外見的に凡庸で、地味で、あまり本心を見せたがらない私と妹では、両親からの愛され方に差があるのは子供心にわかっていた。
だが、聖女の役を譲れと言われたら、流石に私も黙ってはいられない。
それはハイそうですかと望み通りに譲り渡せるものではないからだ。
「失礼ですがお父様、聖女とはどういう役職なのか、本当におわかりですか?」
私は直球にそう訊ねた。
父は不快感を隠さずに言った。
「あんなものは名誉職だ。ただ迷信深い民衆のためのお飾りだろう?」
あんなもの、名誉職、お飾り――。
現在、私が内定している未来を、父はそう表現した。
このとき、私は心の底から理解した。
私が聖女となることなど、名誉でもなんでもなく、両親にとってはどうでもいいことだったのだと。
だが、そう指摘すれば父はますます不機嫌になるだろう。
悲しいほどに凡庸な父の本心は、影絵芝居のように見え透いていた。
「お父様、私がしたいのは反発ではなく質問です。ノエルは私と違って今までに聖女であるための教育を受けておりませんし、その意志も覚悟もあるとは思えません。お父様は本当にそれでよいのですか?」
「そんなものは後から身につければよい。聖女はいるだけで民たちの希望になる。渇きに慈雨を、長雨に陽の光を、苦難に歓喜を、絶望に希望を……聖女はそれをもたらすと信じさせておけばいい。くだらん迷信のために何の知識が要る? 雨乞いの作法でも身につけろと?」
「ええ、その通りです」
私は肯定した。
「失礼ですが、お父様は雨乞いをどのように行うかご存知ですか?」
知るわけがない。
父の目はそう言っていた。
私はつらつらと諳んじてみせた。
「まず夏至の日に朝日の昇る方向と日の沈む方向に対し、正確に祭壇を組みます。そして特上の美酒と山海の珍味とを用意します。その後、入念に女神に祈りを捧げた聖女が、よく水を吸い上げる蔓を一本ナイフで切り落とし、そこから滴る水を……」
「もうよい。そんな知識は聞いて何になる」
父は明らかに苛立っていたが、苛立たれても困る。
これができなければ聖女としてノエルは全く役に立たないのだ。
それに、本当に私が聞きたいのは、知識の有無ではなく、ノエルの覚悟の有無なのだ。
そう、私は十歳の頃から、聖女となることを運命づけられて生きてきた女だ。
そして、その『聖女』と呼ばれる地位や称号が、父が言う通りの名誉職ではないことにも、私はとっくに気づいていた。
私はため息を押し殺して言った。
「お父様がそう仰るならお父様はそれでいいです。では、ノエルはどう言っています?」
「どう、とは?」
「彼女は本当に聖女になりたいと言っているのですか?」
父は半目で私を見た。
「この話は元々ノエルの希望だ」
「は?」
「双子のうちどちらかが聖女となるならば私でもいいはず、お姉様にその任を負わせるぐらいなら、私が聖女になります……そのように言ってくれている」
完璧なお為ごかしの言葉に、私はほとほと呆れた。
そう言い出したノエルにも、それを孝行な妹よと感じた父も母も。
「言ってくれている」ではなく「ノエルがそうねだった」のだ。
幼い頃からノエルは私のものをなんでも欲しがった。
洋服も、宝飾品も、食べ物でも。
長じてからは私の地位や友人も。
何でも自分のものにしたがった。
正直に言えば、それが不快だと思ったこともある。
ノエルにではなく、彼女に言われるがまま、私にそれを譲り渡す事を迫る両親にだ。
私は長姉であるというそれだけの理由で、全てをノエルに譲ることを余儀なくされてきた。
そして今度は、あの愛らしい妹は、私の聖女の地位さえ欲しがったのか。
彼女の本心は父と同じく、私には完璧に透け見えている。
彼女がほしいのは聖女の位や名声ではなく、聖女に付随する、もっと別のものなのだと。
「お父様、失礼ですがはっきり申し上げます。聖女の称号はテディベアではございません。ねだられたから、ノエルがそう願ったから、ほしいままに与えるのですか?」
「父親に向かってなんだ、その言葉は」
わざわざ「失礼ですが」と前置きしたのに、遂に狭量な父の怒りが溢れてしまったようだ。
私は淡々と言った。
「お父様が言ったのでなければ私は国王陛下にだってそう言います。もう一度訊ねます。ノエルが欲しいと言えば、そこまで私から奪ってまで与えるのですか? 私の立場は? 私の努力は? 私の思いは? 私の父は、聖女候補として生きてきた私の八年間を無視されると、そう仰ってるように聞こえますが?」
かなり直截的な言い方であったし、それは私の本心だった。
私はこう訊ねている――私の意志は酌まないのかと。
私が全うしてきた準備や責務、覚悟と、ノエルのわがままとを天秤にかけるのかと。
「さらにはっきりと訊いておきます。ノエルがほしいのは聖女の地位ではなく、王太子妃という地位ではないのですか?」
私が言うと、父の目に僅かだが動揺が走った。
全く、おためごかしで事をごまかそうとする人間が、この程度の揺さぶりで動揺するとは。
ユリアン第一王子――。
如何にも王子、と言える冷たい美貌と冷徹さで知られる王子。
そして十歳で聖女として指名された私の婚約者である男性だった。
聖女として王家から指名されるということ。
それは同時に、王家が聖女を庇護するという名目で、王子の妃になるということも意味する。
無論、それは私の個人的な願いではなく、単にシステムがそうなっているだけだ。
半年も前、ノエルと共に舞踏会に出席したときから、ノエルが私の婚約者であるユリアン王子を熱っぽい視線で見ていることには気づいていた。
お姉様が羨ましい――、滅多になく私に嫉妬している様子のノエルの目に、冗談ではない本気の色を見た私は、すぐに直感していた。
きっとノエルは、ユリアン王子を私に譲れと言ってくるだろうと。
そして――その悪い直感は、不幸にして当たってしまった。
「確かに私は聖女候補として、ユリアン第一王子の婚約者です。ですがそれは、やがて国王となるべき人間が聖女を庇護するという古来からの慣習に則ったもの。そこまでが聖女の責務なのです。誰かが乞い願ったからといって譲り渡せるものではない、そうではありませんか?」
まぁ、言ってもわからないだろうけれど――。
私は内心、理解されるのを諦めつつ言った。
父にも、母にも、そしてノエルにも。
十歳にして人生を決められた私の気持ちなど理解されていないだろう。
なぜなら彼らの頭の中では、王太子妃という称号は光り輝く金剛石の首輪のようなものだろう。
それが瀟洒なネックレスではなく、人生を狭める重い重い軛であることなど、想像もしないだろう。
私は父に詰め寄った。
「どうお考えですか、お父様」
私は更に言った。
「ノエルを聖女にし、いままでの私の人生を破壊する、それがお父様の本心なのですか?」
父は萎むようなため息をついた。
それは苦渋の決断ではなく、駄々っ子に手を焼く親そのものの反応だった。
父は二、三度頬を震わせ、そして無理矢理の笑顔を作った。
「アリシア、聞いていれば随分なことを言うがね、私はお前とノエル、両方を愛しているよ。その上でお前の負担を軽くしようと言っているんだ」
ああ、ダメだ――。
舌打ちをこらえるのに大変な努力が必要だった。
父は自分が困れば、必ずこういう言い方をする。
私たちを両方愛していると。
「これはノエルが姉であるお前を思って言い出したことだ。ノエルの意志をどうか無にせんでほしいんだがな」
だが、平等に愛しているとは思っていない――。
私は、ぐっと唇を噛み締めた。
私とノエルは、確かに父や母から愛されているだろう。
食事も日に三度三度食べさせてもらっているし、手を上げられたこともない。
だが、両親の中の興味の天秤は常に、愛らしいノエルの方に傾くだけだ。
妹が優先、私は後回し――それが、結婚の順であってもそうなのだ。
「――お父様は、私の幸せよりもノエルの幸せが重要なのですね」
思わず、私は父の顔を見て、本心を呟いていた。
このとき、父が私が予想するのと別の反応をしてくれたら。
少しでも、私のこともノエルと平等に考えてくれていると示してくれたら。
私は喜んで聖女の地位も、王太子の婚約者としての地位も、ノエルに譲り渡していただろう。
だが――私の期待を残酷に裏切って、父は露骨に慌てただけだった。
「そんな馬鹿な! そんな風に思ってくれては困る、アリシア! 私はただただ、お前たちふたりの幸せを願って……!」
嘘だ。
父の動揺は誤解させてしまったことではなく、本心を見破られた人間が見せる動揺だった。
私の中で、曖昧になっていた孤独感が、はっきりと形を持って心の底に沈殿した気がした。
一切の表情が抜け落ちただろう私の顔を見て、父は言った。
「とにかく、お前にはつらい思いをさせてしまうのはわかる。だがわかってほしいんだ、アリシア。お前もノエルの幸せを考えたことはないのか?」
そうだ、遂に本心が出た。
王太子との婚姻という幸福には、アリシアではなくノエルこそが相応しい。
父は――そう思っているのだ。
ふっ、と私は笑った。
その笑みは、なにもかもに対する諦めの笑みだった。
だが父はその笑みをどう受け取ったのか、更に言った。
「それが一番幸せだとは思わないか? ノエルにとっても、お前にとっても、もちろん私たちにとっても」
それ以上、父の白々しい言い訳を聞きたくなかった。
父が言葉を重ねる度に、私とノエルの差を言い立てられるように感じた。
わかりました、と私は頷いた。
その日以来、私は聖女候補者ではなくなった。
この作品がランキングに入ってた時、どこぞでこの作品が「農協聖女」と呼ばれてるらしいよ、と教えてくれた方がおり、誠に草を禁じ得ませんでした。確かにアリシアのやってることは農協の営農指導員みたいな感じでした。
その「農協聖女」の語感があまりにも面白く、個人的にもう少し農協聖女を見てみたかったため、連載でやってみます。あまり更新頻度とかは気にせずやっていきますのでよろしくお願いいたします。
なお、今日中に三話ぐらい投稿いたします。
次回更新は夕方になります。





