1.お前、アライアンスを立ち上げろ!
「聞いてくださいよゲンさん~。俺、今日付けでアライアンス解雇されちまったんですよぉ~」
喧噪に包まれた場末の立ち飲み酒場で、発泡した麦酒を右手に情けない声で泣き言を述べるこのおっさんこそが、物語の主人公ロノムである。
筋骨のしっかりした赤髪の男で彫りの深い顔には無精髭と大きな傷の痕があり、ベテランの戦士と言った姿であった。
「なんだよお前、クビになっちまったってのかぁ?」
ロノムの泣き言を聞いているのがゲンさんと呼ばれた人物……ロノムよりも更に年のいった白髪交じりの男性であり、口元には髭をたくわえている。
髭を麦酒の泡で濡らしながら、ゲンさんはロノムに続けた。
「そうは言ってもお前、別に大丈夫だろ? 白兵士Cランクだったら、待遇問わなきゃどっか潜り込めんじゃねえの?」
「いや、俺、前回試験でDランクに落ちたんです……。あと、最近は防衛士ばかりやらされてたんで白兵士の動きができるかどうか……」
ロノムは冒険者である。
剣や槍と言った近接武器を得意とした白兵士と言う職系統であったが、最近は所属していたパーティ内の事情もあり、盾技が中心となる畑違いの防衛士をやらされていた。
「Dに落ちちまったのかー。一個違いと言ってもCとDじゃえらい違いがあるし、ちょいとばかし厳しいかもなあ」
「そうなんです……。俺くらいの年齢のDランク白兵士を雇ってくれるとこなんて、どこにもないですよぉー……」
木製容器に入っていた麦酒を飲み干しながら、ロノムに「冒険者引退」の考えが頭をよぎる。
しかし上位のランクであればいざ知らず、現在ランクDのロノムが引退したところで次の職の当てがなかった。
そんな話をしながらロノムとゲンさんが馴染みの酒場で飲み続けていると、むさ苦しい男二人の間に小動物のような可愛らしい何かが割り込んできた。
「ロッさん、ゲンさんお待たせしまして! あーもー疲れたー酒! 酒を飲まなきゃやってられないぴよーー!」
白金に近い色のさらりとした髪を後ろにまとめた耳の長い女性が後ろから現れ、ロノムとゲンさんが囲んでいるテーブルの上に酒場の店主から今しがた受け取ってきた麦酒を置く。
「おう、アイリス来たか! まあ飲めそして食え!」
ゲンさんがアイリスと呼ばれた女性に向かって川魚で作られた酒のつまみを勧めながら煽っている。
「はー魚うまい酒うまーい! ロッさんゲンさんありがとう!」
アイリスはエルフ族のうら若き乙女である。
色素の薄い長髪が美しく容姿も端麗であるが、身長が平均よりも随分と低くその立ち振る舞いも含めてどこかに幼さやあどけなさが残っていた。
エルフ族は人間と同じ寿命でありアイリスくらいの年齢ともなれば背もスラリと伸び非常に美しい立ち姿となるものなのだが、アイリスに関して言えばその真逆をいっている。
「アイリスさん、今日はおかんむりだね。何かあったの?」
そんなアイリスに対して、ロノムは極力平静を保ちながら話を振った。
「よくぞ聞いてくれました! 不肖このアイリス! 今日付けでアライアンスを辞めて参りましたー!」
ロノムの問いに対してアイリスはビシッとしたポーズを取りながら、大声で宣言する。
ちなみにこの酒場は誰も彼もが大声で話をしているので、今のアイリス程の声の大きさで叫んでも誰も動じないし気にも留めない。
「なんだぁアイリス、お前もアライアンス辞めたのかよー!」
「そうなんですよぉ! もー、パーティリーダーのセクハラと横暴に耐えかねてアライアンス団長に訴えかけたんですけどねー! 団長もなぁなぁで済ませやがろうとしまして、頭にきてその場で辞表を叩きつけてやりました!!」
アライアンスとは冒険者の集まりだ。
パーティよりも一回り大きな単位であるが、「冒険者達が集まる会社」と言えば通じるであろうか。
「ん? お前『も』、と言うことは??」
ゲンさんの言葉に対して、アイリスが麦酒を飲みながら小首をかしげた。
「いやさ、ロノムもよお、今日アライアンスを辞めちまったんだよ」
「えええー! ロッさんもですかー!!」
アイリスが必要以上に驚いた。
「いや、情けないことに俺の場合は辞めたんじゃなくて解雇ですクビです……。それに、アイリスさんは大手アライアンス所属のBランク治癒術師だし、引く手数多だと思うよ……。白兵士Dランクで既におっさんの俺は今後どうすれば……」
「な? こいつさっきからずっとこんな調子なのよ。ちっと励ましてやってくれねえか?」
「いや、ほんとロッさんクビにしたアライアンスは見る目なかっただけですよ。きっとどこかいいところに入れますって」
「ありがとう……。酒、なくなっちゃったんで貰ってきます……」
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ロノムはテーブルを離れ酒場の亭主に麦酒を注いでもらった。
新しい麦酒に口をつけると、妙な違和感に気付く。
「ん? この麦酒、ちょっと弱いですね」
「お? そうか?」
ゲンさんがロノムの注いできた麦酒を少し飲み、確かにと思いながらも首をひねる。
ちょっと待って下さいと告げると、ロノムは魔法を詠唱して目の前に小さな魔法陣を展開し、魔法式のメモ帳を開いた。
そこには大小さまざまな事柄や数字がびっしりと書き込まれており、天気と題された項目には過去数年に及ぶ大まかな天候や時間ごとの雲の動き、事件と題された項目にはこの街で起こった小さな事件から遠く王都で起こった重大事件まで事細かに記録されていた。
ロノムが麦酒に何らかの魔法を唱えその一部を抽出し、魔法式のメモ帳に組み込む。
「あーやっぱり。さっきまで飲んでた麦酒と比べると全然ですね。今まで飲んでたのは去年までの麦で作ってた酒なんですけど、ここからは今年の麦で作った酒みたいです。今年は気温が寒冷で、いい麦が育たなかったんですよ。ほら、このデータ見てください」
ロノムが魔法式メモ帳の一部を抽出し、ゲンさんとアイリスに見せた。
「お前、このデータ全部自分で調べて記録してるんか?」
ゲンさんがメモ帳を見ながらロノムに問いかける。
「俺、何と言うかデータマニアなんですよ。興味あるものは色々調べて記録しておかないと済まなくって。まあ、趣味と言うかなんと言うか……」
「それ、ダンジョンや魔物とかについてもデータ取ってるか?」
「ええ、もちろん記録してますよ」
そう言うとロノムは詠唱を始め、別の魔法陣を展開し今度は先程よりも密度の高いメモ帳を開く。
「ひえぇすっごい。ダンジョンの細かい尺とか具体的なトラップの傾向、魔物の特徴や弱点……どころか、ダンジョン内に自生している植物まで記録してる」
「お前、これすげぇな。こいつ活かしてダンジョンとか攻略してたのか? いや……それより何より、どうやってこのメモ取り続けたんだ? まさか探索の魔法展開しながら歩き続けるわけにはいかねえだろ?」
ダンジョンの正確なマップを作るのに適した魔法は確かに存在する。
しかし、ロノムが見せてくれたほどの細かさで記録するためには一々ダンジョンの中で立ち止まって魔法を使い続けなければならないし、戦闘なんて二の次になるほどには集中力を必要とする。
そのため現実には探索の魔法など使わず手書きでマッピングをすることがほとんどだ。
「いえ、割と簡単にできますよ。ええと、周りに被害が出るわけでもないし、探索の魔法くらいならここで使ってもいいかな? やってみましょうか?」
しかしそんなゲンさんの疑問に対して、ロノムはさらっと「可能である」と言ってのけた。
そしてロノムは再び詠唱を始め魔法陣を描くと、近くにいるゲンさんとアイリスだけに分かる形で探索の魔法を展開し始める。
まずは周囲の壁や障害物を感知する魔法、続いて周辺にいる動植物を感知する魔法、そしてそれらの寸法を測る魔法……といった具合に、探索に関する魔法を次々と多重展開していった。
「ま、待て。お前、魔法を一つじゃなくてそんなにいくつも展開し続けられるのか!?」
「ええ。流石に戦闘中は集中力が続かないので全部切ってますけどね」
ゲンさんの言葉にロノムが返す。
「ただまあ、今までパーティ組んでた人達はマッピングとかどうでも良かったみたいで……まあ、たまには役に立ったりもしましたけど」
そう言ってロノムは展開していた魔法を全て解除する。
これだけの数の探索系魔法を展開しながらロノムは息切れの一つもせず、さも当然と言ったように再び酒を飲み始めた。
極度の集中力を要する探索系魔法の多重展開など、高名な術師と言えども聞いた事がない。
ゲンさんとアイリスの二人にとって、ロノムの魔法は驚愕すべきものであった。
「ロッさん、この魔法でお金取れますって。大手アライアンスだろうが売り込めますよ選り取り見取りですよこんなの」
「ええ? どうだろう……。そううまくいくかなあ……」
アイリスの言葉にロノムは自信がないと言ったような返答をする。
「それじゃあ聞くけどよ、お前は自分がパーティリーダーとかになって、ダンジョン攻略したいって気持ちはあるか?」
「リーダー……ですか? そりゃあ自分に実力があるならなってみたいって気持ちはありましたけど……」
ロノムがそう答えたところで、ゲンさんはロノムの背を大きく叩きながら突然大声で笑いだした。
「よし! それならお前、アライアンスを立ち上げろ! んで、パーティリーダーやれ!! 次の職、決まったな!」
「え、えええ!? ゲンさん突然何言いだすんですか!?」
「おおー! アライアンス設立ですか!? 不肖このアイリスもオトモしますよー!! やったれやったれー!」
「アイリスさんまで!? い、いや、無理ですって!!」
ゲンさんの唐突な決定に、アイリスの方も乗っかってきた。
「ロッさんが白兵士でしょー? そして私は治癒術師! アライアンス作るんだったらあと一人、防衛士がいないといけませんよね! ゲンさん、当てはありますか!?」
「おう、任せとけよ! すぐに話をつけられるやつが一人いるから、そいつを紹介するわ!」
突然盛り上がりだしたゲンさんとアイリスを尻目にロノムはひとり、将来に対してぼんやりどころか途轍もなく大きな不安を抱えていた。