とある探偵の憂鬱
繰り返されなければならないことがある。運命を司る神は悪戯に我らを弄び、私達はそれに抗う術を知らない。さて、ならば僕はここになんと刻もうか。
散らかったビルの一角のこれまた散らかった部屋、入り口に小さくかかれた八須賀探偵事務所の文字、そのなかでも格段に散らかった机。ここが俺の居場所だ。過去のつまらない事件の書類をひとまとめにシュレッダーにかけ、辛うじて確保した空間に身を投げる。正しくは半身を投げ出している。
「退屈だ……」
「なら少しくらいこのガラクタを片付けるのを手伝ってください」
「やだね、なんのために君を雇ってると思ってるんだい?」
愚痴を拾い、自らの仕事を雇い主に手伝わせようとした愚か者は助手の朝日だ。金に困っていたのかそれとも余程暇なのか。この事務所で働きたいと言ってきた。八須賀探偵事務所の助手担当と本人は言っているが……あまり使えたものではない。確かにこうして面倒な片付けや軽い暇潰しをしてくれて楽になったのは確かなのだが…まあここら辺にしておこう。
「薫がそんなだから部屋が汚くなるんだよ。もうちょっとちゃんとしてよね」
「お前がコーヒーのひとつもまともにはこべないからそこに謎の染みがあるんじゃねえの」
それはそうですがと口元でぶつぶつとさも不服そうに答えながら俺の助手は働き続ける。やはり誰かを顎で使うのは心地がいいものだ。働き蜂のようにせっせと働く朝日を眺めながら、そういえば喉が乾いたと机の上のカップに手を伸ばす。わざわざ挽いた豆は市販の物とは比べ物にならない香りを漂わせている。
「悪くないな」
朝日が僅かに微笑んだ。なにをさしてもうまくいかない朝日だがこれだけは最初から一人前だ、少なくとも俺はそう思う。他の仕事もこれくらいやってほしいものだが。
小さな部屋に大きな音が響いた。けたたましい音が着信を知らせる。
「朝日、電話だ」
「はーい…もしもし、こちら八須賀探偵事務所です。お電話有難うございます。………あ!澪先輩!お久しぶりです!え?薫ですか?いますよ?薫に代わりますね。薫、澪先輩から電話だよ!」
「そんな大きな声じゃなくてもわかる……お電話代わりました薫です」
「やあ、久しぶりだね薫くん。相変わらず不機嫌そうだね」
「夢前こそ相変わらずガキっぽい声だな」
夢前澪、俺が元々通っていた芸術大学の先輩で色々とお世話になった人だ。何年か前に突然「俺は小説を書くんだ!」といって大学をやめ、そのまま音沙汰がなく……というよくある話にはならなかった点、彼は立派だと思う。ミステリーだったかなんだったか、最初に出版した本が見事新人賞を受賞。そのまま大先生と呼ばれるような成功者になった人だ。いまでも時々下らないことで電話をかけてきてくれる数少ない友人とも言える。
「あ、そうそう。今からひまかな?というか暇だよね?つまのようじで会えるかな?」
「ええ、まあ会えますけど…」
「そうかい、じゃあ3時にいつもの席でまってるから」
そう一方的にいうだけ言って彼は電話を切った。あまりのマイペースさに大きく溜め息をつく。
「薫?どうかしたの?もしかして依頼?」
「いや、いつもの暇潰しだろ。………まったく人を暇人あつかいするとはいいご身分だな」
「間違ってないから仕方ないじゃないですか」
こいつは気を使うことを覚えた方がいい。というか、雇い主を怒らせるとどうなるか一回知ってもらった方がいいかもしれない。
「……まあいい、出掛けるぞ。朝日」
「はーい」
お気に入りのコートを羽織、かけてあるキャスケットをかぶる。(しかし、なんだこの不思議な焦燥は……こういうときの勘は当たるから質が悪い。知らない方が幸せなのにな)
今さら止めるわけにもいかない暇潰しに妙な胸騒ぎを覚えながら事務所を後にした。