1織姫と朝顔
職人の街、飛路の朝は早い。
鍛冶職人は夜明けと共に火をくべて、パン職人は粉をこねる。
花売りと水売りが、一日の気温を予想して荷を積み込む頃。
街が
目を覚ます
幾つかの工房が立ち並ぶ、変則的な街並み。
慣れていないと迷路のように感じるだろう。
様々な工房が軒を連ねている。一人の親方が数百人の弟子を抱えている所もあれば、数人の親方が共同で経営してい所もある。
技術を支える職人には、国から一定の権利が与えられていた。
身一つで稼げることは都に根を下ろすには手っ取り早い。
田舎から職人を夢見て上ってくる若者の多いこと。
夢破れ帰る者も。
織物の工房、流親方のところでも職人の卵の娘たちが切磋琢磨していた。
流親方のおかみさんが叫ぶ。
「またあんた、食事の片付け押し付けられたのかい、瑠花」
少女は少し笑い食器を流しに運んだ。
「どうしてこう、要領が悪いのかねえ。織物の腕はピカ一なのに、他のことときたらボンヤリしてるんだから」
他の織り子たちは、もう機織り機に向かっている。
程なく軽快な音が聞こえてくるだろう。
「いいんですよ。それに…すぐ追い付きますから」
淡々と言い腕まくりして洗いだす。
おかみさんは
(親方の目は確かだね)
と心の中で呟いた。
随分前だが、おとなしい瑠花のことを心配して親方に意見した事がある。
『あいつは大丈夫だ。
自分の仕事に自信のあるうちは何されてもこたえない。 追い込まれるのは相手だ。』
笑いながら言うのを半信半疑で聞いていたが。
実際、そうなのだ。
半刻ほどの遅れは問題にならない。
誰よりも早く瑠花は織り上げるのだから。先輩の織り子達は、自尊心を傷つけられる。しかも焦って瑠花に意識を向けているから失敗が多くなる。
淡々と自分の仕事を完璧に成し遂げる。
職人の資質を確かに瑠花は持っていた。
朝顔のように、誰より早く咲くことは明らかだった
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瑠花はこのところ、外回りの使いを頼まれる事が多くなった。
得意先に布を納めたり、仕立て屋に見本を持って行ったり。
市井の賑やかな様子を見ても、瑠花は気が晴れない。
(織機踏んでるほうがいいや)
つくづく、外の世界に向いてないと思う。
同期の小蘭なら、銀細工の店や服屋ではしゃぐことだろう。
「次は…行親方の履き物工房?」
初めての店だ。
織った布が、室内履きになる事もある。そこまで凝るのは上流の客だけだろうけど。
縫い子さんたちの仕事を少し見せてもらえたら良いのにな、と足を急がせた。
履靴工房は思っていたより大規模だった。
多くの工程を要するので、いくつかの建物に分かれて作業しているそうだ。
行親方は大柄で鋭い目をした人だった。
「流から聞いてるよ。お嬢ちゃんの下駄を作ってやれってね」
一瞬耳を疑った。
どうして…
「踏み込むの、つらいんだってな?」
流親方の恐ろしさを知った。
確かに機織りは足首に負担がかかる。
人の倍の速さで織る瑠花は尚のこと。
高さを調節しようと踵に台をあてたり、滑り止めをつけた。
それでも最近、以前とは違う。
親方にばれないようにしてたのに。
お見通しだったのだ。
弱みを見せたくない心も。
「あいつが損になることをするわけねえ。あんたが元通りになりゃ、他の奴にも下駄履かすだろ。だから殊更、恩に感じなくてもいい」
顔をあげる。
ああ、この人も。人を育てる人だった。
自分はどんな顔をしてたんだろう。
意固地で情けない顔に決まってる。
顔をあげ、
先導する行親方の後を追った。
材木を削る音がする。
仕事の音は心地いい。
靴底や下駄をつくる工房にきた。 カンナくずが日に透けてリボンのようだ。
「これ、もらってもいいですか」
職人に話し掛けると
こくこく、とカンナを持ったまま若い男は頷いた。
木のリボンをひらひらさせて、瑠花が通ると皆が目で追う。
(軽やかで、さらさらして、良い匂い。こんな風には織れない。どうしたら近づくかしら…)
柔らかい笑みを浮かべていることに本人は気付かないまま。
子晏が木の歪みを見ようと屈んだ時、行親方と少女が戸をくぐるのが見えた。
嫌がらせのような急ぎ仕事を持ってくるにしては、まだ日が高い。
「おう、この嬢ちゃんに高下駄作ってやってくれ」
高下駄…?
小柄な少女に目をやり、木型の棚へ向かう。
「いやいや、
妓女じゃなくてな。
流んとこの織姫さんだ。
機織りの下駄を作ってやれ」
道理で。
妓女には見えないと思った。彼女ら特有の、淋しげな風情や薄い笑顔が無い。
さっきまでの作業を横に置く。
台の高さ、棒の太さを聞き、大体の木材を決める。
「二枚の歯に差をつけよう。固いのを使い、間に滑り止めの溝を彫る」
大筋で話が決めていく。
ふいに窓の外を見て少女が
「あの花、うちの工房にもあります。あれが夕方に萎むまでに織りあげようって毎日思うの」
と言った。
白くて、真っ直ぐ伸びる花。
「北の国には、夕方に酔ったみたいに色付く種類があるそうだ」
つられて、つい言ってしまった。ろくに花を愛でたことも無いというのに。
行が、笑いながら近づいてきた。
「暗くなる前に送っていこう。
こいつ変り者だけど腕は良いから安心しな。 」
「よろしくお願いします。」
少女は、真っ直ぐ目を見て言った。
だから、真っ直ぐ見返した。
たった半刻にも満たない、それが二人の出会いだった。
「色付く芙蓉かあ…。
見てみたいな。
色の変わる布は出来ないわねえ…」
帰り道の瑠花は、心が軽くなっていた。
親方の思いやり。
足を労わってくれる下駄を楽しみに。
また織ることが出来る。
てきぱきとした、先の彼の説明に全て任せられると感じた。
宵の明星が、目の端で光った。