最初の事件
特種情報通信局情報管理課の初代課長には山田美春が着任した。課員は全部で五名。課というよりは山田班と言ったところだろう。何せ、見切り発車の新しい試みだ。結果如何では山田のキャリアに傷が付かないとも限らない。だが山田美春はそんなことなど何処吹く風で、この新しい課の発足を喜び成功を確信していた。この課の特種なところは、捜査一課が扱う殺人、強盗、暴行、傷害、誘拐、立てこもり、性犯罪、放火などの凶悪犯罪。捜査二課が扱う詐欺や通貨偽造、贈収賄、背任、脱税、不正取引、金融犯罪、経済犯罪、企業犯罪等の金銭犯罪・知能犯罪の取り締まり。また、選挙違反や公務員職権濫用その他の公権力に関する汚職について。捜査三課が扱う、空き巣やひったくり、スリ、万引きなどといったさまざまな窃盗事件。その全てを捜査の垣根なく、ある時はサポートに回り、またある時はリーダーシップをとり捜査の方針を決める役割を与えられているところだ。これには強力な根回しが必要となるが警察庁刑事局長の鶴の一声があってはどの課も嫌とは言えなかったのだろう。
勝馬を任意同行して来た山根、沢村、吉村も名前を連ねたのには訳がある。元一課の三名の技量が山田の信頼足りうるものであると共に、寝台探偵、東出勝馬の存在を知る者を出来る限り少数で留めたいという意向が働いたからだった。言うなれば警察は日本で1番大きい会社だ。色んな人間がいて当たり前。中には敵になりうる者もいる。そういった存在はゆくゆくは勝馬の安全を脅かすことになるだろう。細心の注意が必要とされた。
課長の山田を含めてこれで四人。残るもう一人は警務部総務課から回されて来ることになっているのだがまだ顔を出していない。
「えーと…何だったっけ…特殊情報なんたらかんたら…?」
探偵、東出勝馬は警察署の前でぶつぶつ言っては入るのを迷っていた。そして同じようにもう一人…
「えーと…特殊情報…何だったっけ…?あっ!辞令書見れば判るわ!私冴えてるっ」
受付で二人の声が重なる。
「すいませーん。特殊情報なんたら…」「特種情報通信局情報管理課はどちらでしょうか?」
「そう!それだ!オレもそこに行きたいんだけど。君も何か用事あるの?」
「私は今日からここでご厄介になるのっ。配置変えだよ。お兄さんこそ何のご用?警察官には見えないわね。知り合いでも訪ねてきたのかな?」
「えっ?何で?ほとんど正解なんだけど…?」
「まず君は話し方が一般人。その二、君は悩み事の無い顔をしている。そんな人はまず警察には来ない。その三、それでも自分の行きたい課は知ってる。だからそこに君が会いたい人物がいるんだろうなって思ったのよ」
「うへーなんか悔しいなー。オレも君の何かを当てたいよ。うーん?君は胸が小さいのにコンプレックスを持っている。盛ってCカップだろうが…実は残念Bカップである。どう?」
「お巡りさん!セクハラの現行犯でーす!私はこの人を侮辱罪で訴えまーす!逮捕、勾留して下さーい!」
「ちょ…ちょっと!洒落になんないよ!場所が場所だけに…勘弁してよ…さっきの嘘!嘘!オレの勘違いだから…」
「えへへー!生意気に当てるもんだから仕返ししたくなっちゃった。びっくりした?」
「はい…ごめんなさい…」
「よしよし!」
東出さん、西野さん、課の方に確認が取れました。どうぞお越し下さいということなので私が案内させていただきますね」
コンコン ガチャリ
「失礼しまーす」「失礼しまーす」
「おー!かっちゃ…じゃなくて東出さんですね。よく来てくれました。そっちの彼女は西野さんですね?」
「はい。今日から特種情報…あれ?あれ?何だったっけ…」
「特種情報通信局情報管理課ですよ。少し省略しないといけませんね。特種情報課で良いでしょう」
「はい。特種情報課に配属になりました西野あいらです。よろしくお願いします」
「東出に西野で東西ですね。仲良くお願いしますね」
オレ仲良くできるかな…ついさっきやられたし…西野さんの方を見ると彼女はクスクス笑ってる。
「あっ!西野さんに東出さんの紹介がまだでしたね。東出勝馬さん。特種な能力を持った探偵です。詳細の方は追々解ると思いますが、くれぐれも他言無用でお願いしますね。彼の事は極秘事項です」
「はあ…わかりました」
「よろしくねー西野さん」
「あ…はーい」
西野は勝馬を何か得たいの知れないもののように見ていた。
「クソー暇だ!体が鈍っちまう」
特種情報課の船出から三日が経っていた。沢村が苛立っている。
「まあまあ沢村君。まだ出来て間もない課ですからね。そのうち忙しくもなりますよ。お菓子でもいかがです?」
「自分は結構です…はぁー、一課に戻りたい…」
「まあそうおっしゃらずに。果報は寝て待て、ですよ。文字通りですね」
課長の山田は上手いこと言ったなと、自画自賛で笑っている。これだからキャリア組は…沢村は課長が気がつくように、わかりやすい溜め息をついて見せた。
プルルルルー
山田の携帯に着信があった。発信はかっちゃんと出ている。
「もしもーし、山田でーす。うん、大丈夫。それより紹介した病院には行ってくれたん?うんうん、その薬飲んだらいつでも寝れるけー便利じゃろ?寝台探偵の必需品よーね。そんでこの前話したのって試してみてくれた?おぉー!ありがとーね。で、どうだったん?ふんふん…幽体離脱しても体の形はあるんじゃね。透明で自分の手足も見えんけど触ったら確認できたと。服は?着たままなん。寝た時の格好で。それも触ったら確認できたと。何か持ったままならそれはどうなるんかね?えっ!携帯ポッケに入れたままで?うん、それで?えー!今、幽体離脱したままで話してる!マジでぇースゲー!期待してた以上じゃわ!じゃーかっちゃんこの後こっちに来てくんない?メシ喰いながら詳しく聞きたいわ。うん、奢るよー。じゃー後でね」
隠す必要の無い会話の内容は、室内にいる四人の耳にも嫌でも入ってくる。改めて課長に聞くまでもなくだいたいの事は理解できた。一人を除いて…
「あれー!課長、今話されてたのは広島弁ですか?」
そこに食いつく西野さん。
「あーはい。短い間でしたが小学生の時に父の転勤で広島に行きましてね。その時の同級生が東出君で。彼と話すとつい昔に戻って広島弁が出てしまうんですよ。ちなみにプロ野球もカープファンですよ」
「すごい偶然!うちも広島から出て来たんですよ。うちも産まれた時からのカープファンじゃし!課長は好きな選手おるんですか?うちは鈴木誠也です!」
「えー西野さんも広島だったん?なんか県人会みたいになっちゃうね。僕の好きな選手はカントリー。わかる?」
「エルドレッドのニックネームじゃろ?背番号55!」
「正解!さすがカープ女子じゃね!東出が出て来たら一緒にメシ喰うんじゃけど良かったら西野さんもどう?」
「良いんですかー?行く行く行きまーす♪」
昼休みを利用して山田と西野は新宿署の近くにある寿司屋に来た。寿司が食べたいと言う勝馬のリクエストだ。店に入ると一足早く勝馬は来ていて、カウンター席で旨そうに寿司をつまんでいた。
「おー社長!先にやってるぜ。あれ?西野さんも一緒?もしかしてセクハラで訴えられた?」
「課長はそんなことしませんよっ!あんたとは違いまーす!」
「僕は社長じゃなくて課長ね。お財布係とも言うのかな…ちょっと席を移ろう。大将ーすみません。個室で三人お願いしまーす」
勝馬と西野はほどなく打ち解けた。お互い東京で纏ったカッコいい鎧も、同郷と知れば必要ない。どちらの方がより田舎だったかの田舎自慢で盛り上がった。笑い疲れて頬っぺたが痛くなくなった頃に山ピーが課長の顔に戻る。
「あー面白かった!そろそろ仕事の話をしてええか?」
「タダメシ食わしてもらうだけじゃいけんじゃろ!」
「はいはいお仕事ですねっ!」
山田は勝馬の報告にあった要点を確認するように並べてみる。勝馬の幽体離脱時には魂だけではなく五体が伴っていて、眠っている実体の形のままでそれは起こる。衣服や所持品もそのままで。
携帯電話まで使えた仕組みは解らないとしてもこれは好都合だ。会話で指示が出せるしカメラ機能で録画も出来る。他な物を持たせて眠らせたなら、それも同じように使えるのだろうか?また、勝馬は幽体時に壁をすり抜けたりしている事でも判るように固体には触れない。なら、液体はどうだろう?聞いてみると女風呂に入っても湯船の感触はなかったらしい。西野が白い目で勝馬を見ている。今の段階でわかっている勝馬が触れる物は、幽体の自分と着ている衣服と持ち物ということになる。そこでまた一つの疑問に気づく。幽体になれる勝馬を思えば、人間には誰しも魂が存在し実体の中に魂は在る。勝馬が幽体時の自分の手足を確認できるということは生身の体はすり抜けてしまうにしても体の中の魂は触れることが出来るのではないだろうか?もし出来るなら、何らかの犯行を行おうとしている犯人に対して勝馬自身がアクションを起こすことだって可能になってくる。これは試す価値がある。
勝馬と西野は山田の分析と新たな提案をポカーンとした顔で聞いていた。
「山ピーやっぱり賢いわ…」
「さすが課長ですね…感心します」
「じゃー早速、試せるものは試してみましょう。かっちゃんはお昼寝できそう?枕が肝だったよね。じゃー家に帰って寝たら僕を訪ねて来てくれる?携帯電話も忘れずに!到着したら電話してね。それと…何かないかな?あっ西野さんのバッグ借りて良い?」
「はあ…?」
「貴重品は出しといて良いからね。かっちゃんはこのバッグを肩に掛けたまま寝てみてよ。幽体で持ち出せる物の大きさや重さ、私物や他人の物との違いとか実験したいからさ。僕の方からもこのジャケットとペンを預けるよ。OK?」
「オーケーオーケー!その代わり、ごちそうさまでしたー!」
「私もご馳走さまでした」
「はーい。お財布係は任せんさい!」
店の外で勝馬と別れた山田と西野は新宿署の特種情報課に帰って来た。残った三人にはお土産に折り詰めのお寿司を忘れてはいない。良かったらどうぞと差し出すと、さっきメシ食ったからなーと言いながら三人は寿司をパクついた。西野もお茶を入れに走る。午前中の悪い空気も少し変わってきつつあった。
午後からは沢田の一課時代の武勇伝や吉村の失敗談。山根にいたっては家のローンや反抗期の娘の愚痴まで話し出した。聞いてるみんなはリアクションに困った。こうしてみんなで話してるうちに、だんだんと一人一人のキャラクターもはっきりしてきて西野も気分が軽くなった。みんなにコーヒーを入れる。課長はミルクも砂糖も多めのお子ちゃま。山根と吉村は砂糖少しの微糖が好み。ハードボイルドを気取ってる沢田は何も入れないブラックを頼むのだけど、いつも顔をしかめて不味そうに飲んでいる。無理してるのかなと西野は思っている。
時刻は三時になろうとしていた。本日も、どの部署からも捜査の依頼はない。
プルルルルー
山田の携帯に着信があった。勝馬からだ。
「もしもし、山田です。着きましたか?」
「ああ!ちょっと前に着いてみんなの話を聞いてたよ。山根さんとこもいろいろ大変だねー」
山根がキョロキョロと辺りを見回す。他のみんなも息を殺して注意深く部屋の中を観察するがそれらしい発見はないままだ。
「本当に凄い!話では聞いてたけど。そんで、かっちゃんの話し声って携帯通さないと聞こえないんですね。この部屋のとこからも漏れた声や気配を感じないし」
「だよな?オレが何言ってもみんな無視だもんよーでも携帯使えば聞こえてるだろ?オレの声」
「幽体になった体に付属して同じく幽体になる衣服と持ち物ですね…実物の携帯の方には発信履歴は残ってますか?」
「ん?ああ!残ってるよ。この通話もリダイヤルからだし。だいたい幽体離脱してる時って体も携帯も透明で自分でも見えないんだぜ。かけたい相手にかけるのだって、ほぼ勘だよ」
「子機と親機みたいなものですね。昼に預けたジャケット、ペン、バッグはどうですか?持って来れましたか?」
「えーと…?ダメみたいだ。ちゃんと身につけて寝たのにな?どうしてだろ?」
「ふむふむ…自分の持ち物ではなかったからでしょうか…愛着とか魂と同化するといった具合に…?実に興味深い…」
「まあ難しいことと支払いは課長様に任せるよ」
「はいはい。では、もう一つ試しておきたいことをお願いしましす。僕の体に触れてみてくれませんか?そおっとですよ」
勝馬は山田の体に触れてみる。やはり肉体には手応えがなくスルリと右手が入り込む。勝馬にとってもあまり気持ちの良い感じではない。このまますり抜けてしまうのだろうと思ったその時、山田の体の真ん中あたりでまるで綿毛を撫でるような感触を感じた。そのまま指先でサワサワと撫でてみる…
「あはっあはははっ!ナンダコレ?ふぁー?ううーん…ハァハァ…」
「どうたん?山ピー?大丈夫か?」
「ハァハァ…キモチイイー!ちょっと!もうヤメて…ヤバい…」
「うわっ!なんじゃそのリアクションは?気持ち悪いじゃんか!」
勝馬はそう言って笑いながら山田の体から手を引き抜いた。山田は腰が抜けたようになってその場にへたり込んでしまった。その顔は恍惚としていて目の焦点が合っていないように見える。山田は顔を左右に振ると、なんとか足に力を入れて立ち上がった。
「やっぱり体の中には魂があるんですね。僕の中にもあった…
そこに触れられると肉体で感じるどころではない感覚がダイレクトに来る。肉体に対して魂は神経みたいに敏感だ…かっちゃんのサワサワ…めちゃくちゃ気持ち良かったわ…」
「うげっ!オレは男悦ばせる趣味ねえぞ…ほいじゃーあいらちゃんでもう一回試してみようか?オレのテクニックをー!」
西野は部屋の中を逃げ回る。吉村を盾にして隠れる。
「来るなートンマ!悪霊退散!ナンマンダブー!」
「ジョウダンデスヨ…悪霊だなんて…へこむわぁ…」
課内は西野のドタバタで笑いに包まれるが課長の山田だけは真剣な顔をして何やら黙考中だ。みんなの笑い声が収まった頃に山田は口を開く。
「探偵、東出勝馬はこの通り秘密裏に内偵調査ができます。携帯電話を使用する事で我々に情報と映像も送る事ができます。そしてまさに犯行が行われようとする時には実力行使により、犯人の足止めをする事もできるのは今の実験でもわかりました。我々にはこれだけのコンテンツがあります。彼の能力を活かすも殺すも後は我々と彼とのアイディア次第ということです。実に奇想天外なことで、僕も考えがおっつかないんですけど…みなさん、柔軟な発想を持って取り組みましょう。お願いします」
「はい」「はい」「はい」「はい」「うぃーっす」
特種情報課の結束は固まりつつある。
しかし、どの部署からも捜査協力の依頼は入ってこない。
お行儀よく待っていても、はたしていつになったら仕事が入ってくるのかわかったもんじゃない。
しかし、よそのヤマに手を出せば後で揉めるのは警察署内では必至だが…
何より今は実績が欲しい。実績で黙らせる。
「白い猫でも黒い猫でも鼠を獲るのは良い猫だ…」
山田は小さく呟き覚悟を決めた。
先程からテレビでは緊急速報のテロップが表示されていた。画面が切り替わり現場の状況が中継される。
神奈川県人質立てこもり事件発生。
概要はこうである。
今日から三日前、神奈川県座間市のホテルに潜伏していた、強盗容疑の男(24才)を、神奈川県警察の捜査員が取り押さえようとしたところ、男は拳銃を発射して逃走した。この際に捜査員1名が重傷を負った。
その後、犯人は子供を人質に取り、さらにトラックで逃走。横浜市でトラックを乗り捨て(子供も解放された)、通行人の女性に拳銃を発射し腕に怪我を負わせ、東京都と神奈川県の都県境付近で行方が分からなくなった。
警視庁と神奈川県警察で大規模な捜索を実施した結果、東京都町田市の民家で、男が家人を人質に取り、立て籠もっていることが確認された。
犯人は民家に逃げ込む途中、誤って拳銃で自分の左足を撃ち抜き負傷していた。また犯人は潜伏先のホテルで覚醒剤を使用していたことが判明している。
もはや、予断を許さぬ状況だ…
山田は気持ちを固めるように息を大きく吐き出すと、携帯電話を取り一本の電話をかけた。
「ご無沙汰しております。大学時代の後輩の山田です」
「おう、山田か!どうした?確か新宿署だったな?他でもないが今、俺の方はちょっと立て込んでるんだわ。立て込んでると言うか立てこもりだがな。テレビでもやってるだろ?うちの上層部も本庁と絡んでカリカリでな…話なら又にしてくれるか」
「あっ先輩ちょっと待って下さい。実はその立てこもりの件で話があるんです」
「お前のとこは管轄外だろよ?まあ、もうしばらくはこのままだろうが、今SATの要請もしてるしな」
「犯人は射殺の予定ですか…あの…本部長とかって連絡つきます?」
「ああ。俺は小暮警視のお供だからな。近くにいるわ。しかしこれだけの大事になってるんだし、普通ならもっと上の人が就くのが妥当なんだろうけど…小暮さんは貧乏くじだな…キャリアの世界もコワイぜ」
「僕の方から提案があります。とっておきのスペシャルです。恐れ入りますが小暮さんに電話を取りついではいただけませんか」
「機嫌悪いからな。気をつけろよ」
山田は小暮にまるで夢のようなプランを提案した。小暮はあまりの突飛さに腹を立てることさえも忘れて、お伽噺の中に入り込んだようだ。信じる者は救われる…
電話を切った山田から課内に指示が飛ぶ。
「東出探偵は今から神奈川に飛んで下さい。山根、西野は東出の携帯の位置情報を確認して、現場の所在地に誘導するように。東出が現場に着いてからの指示は沢田と吉村にお願いします」
勝馬が飛び出して行く。山根と西野はパソコンを操作して勝馬に案内を始める。繋いだままの携帯電話のGPS位置情報が凄い速度で遠ざかっていく。
「ちょっ!ちょっと!東出君!反対、反対!そっちじゃないよー」
西野が焦って呼び止める。勝馬はなかなかの方向音痴らしい。今後の課題となるか…?
「右、右、あー!もうちょい左!うん!その辺なんだけど」
「おお!ヘリが飛んでるよ。ここだなぁ。着いた着いた」
沢田は着けたばかりのタバコをもみ消した。
「あっという間だな!それじゃーこのまま犯人の顔を拝みに行こうぜ」
「アイアイサー!」
勝馬は民家を取り囲む警官達を横目に、何の気兼ねもなく正面玄関から屋内に入り込む。
「えーと、人質と犯人はー?いたいた!居間でおじちゃんとおばちゃんがロープでグルグル巻きにされてる…犯人は…こりゃヤバいな…テレビ中継を見てかなり興奮してるよ。ピストルも持ってるし…あっ!ちょっと待って!あっちは台所かな。何か音がする?」
民家の台所では居間で人質になっている夫婦の娘が犯人に命じられて食べ物を用意していた。娘の顔色は真っ青で、震える手ではまともに包丁も扱えない様子だ。
「おい!何ちんたらやってやがる!早く食い物持って来いよ!」
犯人が娘に罵声を浴びせる。作りかけのサンドイッチをまな板に残して、ついに娘はしゃがみこんで泣き出してしまった。
「もしもし沢田さん!台所で娘がサンドイッチを作ってました。人質は三人です。サンドイッチの具はハムとレタスと…」
「そんなことどうでもいいわ!トンマ!!!それよりよく聞け。二人は拘束されていて身動きとれないが、娘の方は自由が利くんだよな。手元には刃物もある」
「無理ですよー娘は完全にブルってるし、犯人はピストル持ってるんですよ!いくら包丁あっても勝ち目ないッス!」
「だからお前はトンマなんだ!いいか!俺の話すことを最後までちゃんと聞いて理解しろ」
勝馬に沢田からの指示が出る。沢田の言葉足らずなところは吉村が補足した。なかなか要領を得ない勝馬の理解度は50%くらいといったところか…これだから素人は…いや、探偵か。
「とにかく指示通り動け」
次に吉村が勝馬の携帯にマイクで話しかける。
「こちら吉村です。娘さんには僕から指示を出します。東出さんの携帯を娘さんの耳に近づけてもらえますか。くれぐれも通話が切れないようにお願いします」
勝馬は吉村の言った通り娘の耳の近くに携帯を構えた。
「驚かないで下さいね」
吉村の第一声に言葉の意味とは裏腹に娘はビクリと驚いた。だが声を出すことはなんとか堪えることができた。
「そのまま聞いて下さい。返事はいりません。僕は新宿署の吉村と言います。時間がないので簡潔に話します。これから僕達は特種な電波を使って犯人を攻撃します。今、あなたと話しているのも特種な電波の一種だと思って下さい。この後、犯人は僕達の攻撃を受けて苦しみだします。きっと拳銃も手離すでしょう。あなたはその拳銃を拾い上げて、窓の外に放り出して下さい。それを合図にして捜査員が屋内に踏み込みます。できますね?」
娘は小さく頷いた。山田は本部長に連絡を取り向こうの準備を整えさせる。現場の捜査員達は首を捻りながらも配置につく。よし、準備オーケーだ。
「おい!トンマ!さっきうちの課長にやっただろ? 今度は気持ちよがらすこたーねぇぞ!犯人にガツンとやってやれ!」
「良いんスか?じゃー勝馬いきまーすっ」
勝馬の腕が犯人の体にスーっと差し込まれる。指先に手応えを感じると犯人は山田と同じ反応を見せた。よし、これだ!
勝馬は犯人の魂らしいものをギュッと掴んでやった。
「ハァハァ…!!!ウグッ!?グワワワワー!ギャー!!!!!」
犯人は断末魔の絶叫の如く叫び、苦しみだした。肌身離さず持っていた拳銃も放り出すほどに。
あまりの事に少し間を置いてしまった娘も、言われた指示を思い出して実行に移る。拳銃が窓から飛び出して地面に落ちた。今の犯人は丸腰だ。
捜査員突入。
犯人確保。人質解放。
あっというまでの逮捕劇。
「もしもし、山田です。事件解決おめでとうございます」
「ああ…しかし…君の率いてる部署というのはいったい…」
「特種情報通信局情報管理課と言います。長いので特種情報課で良いですよ。今回は私達の押し掛けですから手柄はそちらに」
「恩に着る。だが借りは必ず返すからな」
山田は人質立てこもり事件の本部長との電話を終えると、課内のみんなに深々と頭を下げた。
「みんなすまない。今回のことは神奈川の手柄になる。だけどわかる人にはわかるはずです。私達の働きは。何より事件解決です。みなさんお疲れ様でした」
テレビでは先程の逮捕劇が繰り返し流されている。勇気ある人質の近藤知佳さん(27才)の機転と、迅速な捜査員の突入。それを指揮した神奈川県警小暮警視の決断力にも賛辞が送られていた。
「東出君は帰って来てますか?」
西野が初仕事のお祝いにみんなに淹れたコーヒーを飲みながら山田が聞く。
「彼なら、じゃーオレ帰るねーって言って大分前に現場は離れたはずですけど?ちょっと待って下さいね」
西野はパソコンから勝馬の現在地を確かめる。
「あらあら…また反対方向に飛んでますよ…あっ?止まった」
すぐに勝馬からの連絡がきた。
「どーしよう…急に進めなくなっちゃった…帰れないよぉ…」
「かっちゃん!まず方向が逆らしいよ…それに進めないってどうゆうことさ?」
「わかんねぇ…ビターンって急に?まるで犬の散歩だわ…飼い主にリードを引っ張られてそれ以上遠くに行けなくされてるみたいな…」
「たぶんその通りなんじゃないかなぁ?西野さん。新宿から東出の今いる場所ってどのくらいの距離かわかります?」
「だいたいですけど、50kmくらいですね」
「かっちゃん!かっちゃんの幽体離脱の活動範囲は半径50kmくらいってことなんだよ。多分。これ以上は遠くに行って迷子にはならないから安心して。また帰り道は西野さんに案内をお願いするから早く帰っておいでね」
「オネガイシマス…ニシノサン…」