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 はたして美里が関崎にどんな言葉で想いを告げたのか、上総は知らない。

 同じようにその夜貴史が、美里を捕まえてどのような会話を交わしたのかも想像つかない。


「おーい、立村、これからお前さ、美術館まで来ることできるか?」

 午前中ベッドの中でごろごろしていた時に貴史から電話でお誘いを受けた時、上総はすぐ受けた。

「昼前には余裕で着くよ」

「じゃあ、待ち合わせだ。お前言ってただろ、自由研究のこと。俺もちょいと考えてたんだけどな。せっかくミスター英語科の立村がいるのなら原書なんぞもひっぱり出さないとつまらねえだろうとか思ったんだ」

 いったいいつから「ミスター英語科」などと呼ばれるようになったんだろう。

「別に原書なんか読まなくたっていいけどさ」

「美里にもすぐあの後、連絡を入れてな、善は急げってことで夏休み初日早々集まろうというわけ。な、お前も賛成だろ?」

 自分から提案したことでもある。思ったよりも流れが早いことだけが気になるが、

「そうだな、わかった。今から支度していく」

「もしかして、お前今まで寝てたのか?」

「当たり前だろ、今日から夏休みだし」

 父はさっさと出かけ、母は不在。まだ成績表は自宅に送付されていない。

 こんなのんびりした午前中をなぜ、急いで消化する必要があるというのだろう。

「じゃあわかった。十一時に青潟市美術館のチケット売り場前で美里と待ってる」

 ──やっぱり、ふたりでか。

 どういう決着がついたのか見えそうで見えない。上総は了解し、すぐに身支度を整えた。


 貴史の口からはっきりと、美里への気持ちを聞き出したわけではない。

 たぶん貴史自身は自覚してないかもしれない。

 上総が見たのは、貴史が言葉以外のボディランゲージでもって、「清坂美里を失いたくない」という強い意志を訴えたというそれだけのことだ。三年来の親しい友人が、明らかにお似合いの女子に対して好意を持っていることに気付いて動揺しているのならば、やはり上総としては助けたくなるのが人情だった。

 ──清坂氏もどうだったんだろう。関崎の件は。

 自分で仕組んでおいて言うのもなんだが、やはり結果は気になった。

 貴史があっさりと美里を捕まえて、次の日さっそく美術館ミーティングを行おうと盛り上がっているところ見ると、おそらく上総の読み通り関崎には綺麗に振られた可能性が高い。あっさり受け入れられたらられたでまた。複雑な感情もないわけではないのだが。

 ──仮に俺の読みが正しければ。

 洗いたての白い半そでシャツに、ごく薄い麻のジャケットを羽織った。室内に入るのならば、長袖の羽織ものは必需品だ。

 ──羽飛は清坂氏を手元に置いておくためになんらかの手段を選ぶだろう。関崎に振られたなら振られたで慰め役かしごき役か。どちらにしても後はあのふたりで話を進めるべきであって、俺の入る隙間はない。

 もちろん自由研究という名目で首を突っ込むこともできるが、せいぜい手伝うとすれば貴史の言う通り「原書の翻訳」くらいだろう。その辺はテキストの内容にもよるがちゃっちゃと終わるだろうし、上総はただ貴史と美里の「永すぎた春」を応援するためそこにいればよい。

 同じことを一年前も、二年前も、入学したての頃も思っていた。

 

 財布を黒のセカンドバックに押し込み、自転車を漕いだ。

 すでに夏休みということもあって、集団で大通りをうろうろしている小学生・中学生を多く見かけた。小学校高学年と中学一年前後の区別は少しつきづらいが、よくよく見るとズボンの丈が短いのが小学生、膝丈まであるのが中学生といった感じにも見えた。上総があまり近づきたくないタイプの連中であることだけは確かだった。

 幸い今日は、近所の高校生たち……浜野含む……と顔を合わせることもなかった。

 

「立村、はええなあ」

「おはよ! 立村くん」

 すんなり美術館にたどり着いた。チケット売り場とはイコールロビーの中。ロビーの中ということはすなわち日陰。貴史があえてこの場所を指示したのは、ひとえに涼しいところで待ちたかったからに違いない。こういうところは頭の働く奴である。

「お前らの方が早いだろう」

「まあな、さっきまで美術の本めくったりしてたからなあ」

「そうだよ、立村くん、なんかねえこいつ、人が変わっちゃったみたい。貴史って美術の本観てこんなに興奮するする奴じゃなかったよねえ」

「美里、すげえ誤解を招く表現してるぞ」

「何よ、そんなまずいこと話してないよ」

 赤いチェック模様のワンピース、昨日のビタミンカラーとはまた違い、美里の顔立ちがはっきり映し出される色だった。そのままで口を尖らせる。貴史が苦笑する。

「古川がいなくてよかったなあ。まるで俺がすけべイラスト観て喜んでたように聞こえるだろが」

「まあ、ね、裸の人はいなかったけど」

 ここだけ小声でもにょもにょ言う美里。

「いいか美里、俺は純粋に、絵が好きなんだが」

「でもさでもさ、貴史ってば私が話し掛けても全然無視してじゃないの!」

「無視なんかしてねえよ。学んでただけだろうが」

「なあに言ってるのよ! 立村くん聞いてよ。貴史ってばさ、昨日いきなり電話かけてきて、自由研究を三人でやるから私も来いって無理やり誘うのよ。私だってこずえとやろうかなって思ってたのに、私と立村くんと三人でなくちゃだめだって。いいじゃないの、こずえが混じっても」

「そういう話じゃあねえだろ。だから美里お前振られてるんだろが」

 最後まで言い切ることができなかった。美里が貴史の後頭部を平手でひっぱたいたのだ。

「悪かったね! まだ、振られたって決まったわけじゃありませんよおだ!」

 相変わらずのテンポで進む美里と貴史とのやり取りには、なにひとつくすんだ色が感じられなかった。昨日、上総の前に現れた時、美里はビタミンカラ−の内側にまだ何かを隠しているように見えたのだが、それが今はない。

 ──ということは、やはり、関崎は清坂氏を。


「立村くん」

 貴史とじゃれあった後、はっと美里は上総に向き直り、うって変わってはっきりした口調で告げた。

「なに」

「とりあえず、言ったよ」

「関崎にか」

「そう、でも、今はだめだって」

「今は、か」

 繰り返すと、生真面目に語る美里の表情が強張った。

「そう、今は忙しくて私と付き合う時間ないんだって」

「関崎はアルバイトで忙しいからな。夏休みもそうだろう」

 好みうんぬんはともかく、時間的制約を持ち出して傷つけないように断ったのだろう。これも読み通りだった。少なくとも関崎は据え膳食わぬは男の恥などと考えない性格だったようだ。

「そうか」

「以上、そういうことよ、貴史、今の話、聞いたでしょ?」

 そのまま美里は貴史に向き直った。悪いが今の発言すべて、公的施設の美術館内で語るべき内容ではないように思う。もっとも美里に何を言っても無駄だとは思う。これも三年間の付き合いでよく理解しているつもりだった。

「昨日も電話で言ったけど、私、関崎くんに振られたからって落ち込んでないから!」

 語尾を強めた。

「あんたがどういう見方してるかわかんないけど、私、あきらめないんだから。子どもの頃からそうだってあんた、わかってるじゃないの。私、負ける戦なんて絶対しないんだから」

「おいおい、何が負ける戦、だよ。威勢いいばっかで、実は朝まで泣き明かしてたんでねえの? 顔、おたふくだぞ、おいおい」

 露骨にはったりだと上総にはわかる。しかし見事にひっかかったのか、美里は無言で貴史の足を蹴り付けた。

「あのなあ、お前、女子のくせに本気出して蹴るんじゃねえよ」

「あんた、バスケ部やめたんでしょ。だったらもう、怪我を怖がる必要ないじゃないの。ほら、さっさと行くよ」

 ふたりともどこへ行くのだろう。

 上総は美術館地下に向かう階段へふたりを追った。よくわけがわからないが、おそらく二人はそれなりの会話を交わしたのだろう。美里が関崎を追いかけていたことと、すっぱり振られたことともうひとつ。上総も今、知ったこと。

 ──負ける戦はしない、か。

 ──清坂氏には俺もずいぶん、追いかけられたからな。

 納得いくまでとことん追いかけ、その後はきっぱりと前を向いて歩き出す。それが上総の知っている美里だった。関崎に対しては正直、災難だと同情する気持ちもあるが、この三ヶ月間青大附高でやりたい放題やってきたのだから、そのくらいは重荷背負ってもらってもいいような気がする。どうせ本命が静内菜種だということはみな知っていることなのだから、しばらくは美里の想いをサンドバックのごとく受け止めていただきたい。この恋いくさ、今のところ上総は、美里を応援しようと思う。美里が関崎の面影なんぞ関係ないと割り切ることのできる日まで、


 さて、もうひとり気になる貴史の様子を伺うことにした。今まで上総は知らずにいたのだが、この美術館には地下に画集を中心とした図書館が設置されている。美術の道を歩もうと決めた貴史は、ある時期からここに通い詰めらしい。

 美里を追いかけていく貴史を捕まえ、階段の踊り場で立ち止まる。

「どうでもいいんだけど、清坂氏、よく知ってるなここ」

「あたりまえじゃん」

 あっさり言い切られた。

「中学ん時からしょっちゅう来てるんだからな」

「そうか、しょっちゅうか」

「お前はあんまし美術なんて興味ねえって顔してるから誘わねかったけどな」

「当たってるな」

 中学時代から、特に現代美術のシュールな奴がお好みだったふたりだ。誘われても現在過去未来の上総は避けたいと思うだろう。貴史は機嫌良く頷いた。

「ここは金がかからねえし、何よりも他の連中がうるさくねえしな。学校では茶々入れられて聞けねえこともここだと安心して話ができるってわけだ」

「秘密基地というとこか」

「いいこと言うなあ。そう、その通り。じゃ、お前も秘密基地へ行こうぞよ」

 ヨットパーカーの襟ごと叩かれ、思わず足を踏み外しそうになる。手摺りをしっかりと押さえた。ついでに貴史の顔を下から見上げると、奴はにやにやしながら素早く美里の背を追っていった。


 ──秘密基地。

いい響きだ。

 上総は立ち止まり、ふたりが仲良く……もっともそれは心外と思われるかもしれないが……図書室へ入っていくのを見下ろした。

 ──もう、俺が清坂氏にすべきことはない。

 一歩足を踏み入れれば、すでにそこは貴史の領域だ。

 あちらこちら曲がりくねった道ではあるが、やっと納まる場所へ納まろうとしている。

 仮に美里がしつこく関崎を追いかけ続け、いつぞやの杉本梨南のようにこっぴどく追っ払われようとしても側に貴史がいれば大丈夫だ。そう信じられる。今度こそ、上総を含めた三角形はきっちりした和をもって、均等に納まるはずだった。

 

 図書室は正方形の机に四人掛け。しばらく聞き役に回りつつも、タイミングを見はからって立ち上がるつもりでいた。

「貴史のやりたがってることって私には全然わかんないけど、とにかくアメリカの画家に好きなタイプの人が多いってことはなんとなくぴんときたよ」

「アメリカばかりじゃねえよ。日本人だっている。ただ名前がわからねえだけ」

「金沢くんは知ってるの?」

「ああ、あいつ経由の情報」

 上総が黙って紙コップのお茶をすすっている間、美里と貴史は相変わらずのマシンガントークに徹していた。いつものことで、以前だったら取り残され感に捕らわれたりもした。今その感覚が全くないのは、話題が異なってもその場にいるだけで共に寄り添っていると感じられたからだろうか。上総は時計を覗き込んだ。

「あれ、立村くん、もう帰るの?」

 美里に目ざとく気付かれてしまった。しかたないので頷いた。

「これからもうひとり、会う約束をしようかなと思っているとこなんだ」

「へえ、杉本さん?」

 以前なら奥に太い弦を響かせるような質問だったはず。今は違う。素直に聞かれているだけとわかる。美里に上総は首を振った。

「昨日の夜掛けたけど、出なかった」

「めずらしいね」

「あんまり夜かけるのも顰蹙かと思って二回目は掛けなかったんだ」

「でもなんでだろうね」

「たぶん、友だちと遊ぶんだろう」

 杉本梨南とまずは外で一度会い、先日の件の後遺症を確認したかった。しかし、出るのは杉本の母だけだった。さすがに交際相手と誤解されるのはまずいだろうと判断し、上総は一度で受話器を置いた。

「そうかあ。じゃあ改めて誘うの?」

「そんな面倒なことはしない。別の奴と話したいと思ってさ」

 アメリカの有名な……上総は名前も知らないが……前衛画家の画集をめくっていた貴史が、ふと顔をあげた。

「昨日言ってたな、霧島の弟のこと」

 特に何か裏のありそうな言い方ではない。ただ、気がついたというだけのようだった。美里の方が初耳だったらしく、貴史に張り付いていろいろ聞き出そうとしている。

「え? 今、ゆいちゃんの弟って言ったよね? あの、ものすごく美形だけどものすごく性格悪いことで有名な、あの弟くん?」

「すごい説明だな」

 全く外れているわけでもないので言葉を慎んだ。美里は上総に問い掛けつつ、時々貴史の読んでいる画集ページを勝手にめくった。

「ゆいちゃんの弟がどうかしたの?」

 詳しい事情は告げられないので曖昧にごまかした。

「ちょっと、いろいろ」

「立村、霧島の弟に目、つけられてるんだってなあ。天羽たちが話してたぞ。すげえ弱味を握られてやがるってな」

 いったいどういう情報が流れているのだろう。上総は言葉を選ぶのに苦心した。貴史はもともと耳元に口許をくっつけて秘密を語り合うなどということを好まない。美術書に囲まれた部屋の中で、えらく下賎なことをはっきり言う。

「確かエロ本買ってるとこ見られたんだろ?」

「誰がそんなこと言ったんだよ」

 いつだったか、天羽たち元評議委員たちの前で取り繕う意味もあり言い訳した言葉だった。真実を伝えるつもりなんてないのでそう思われるならそれでもいい。ただ問題は、目の前に美里が目を丸くして座っていることくらいだった。

「立村くん、あんたそんな本買ってるの?」

 絶句する。首を振りたくても振れない。貴史の足をつま先で探って思いっきり踏む。

「いや、そういうわけじゃ」

 よせばいいのに貴史が火に油を注ぐ。

「天羽が言ってたぞ。立村の奴、霧島の弟にエロ本買ってるとこ見られてから、やたら相手に懐かれてしまって困ってるってな」

「半分当たっているけど半分は間違いだ」

 一応、ある程度の訂正はしておくことにした。

「本を買っているところは見られたが、そういう類の本じゃない。単なる写真集だ」

「なあんだ、大袈裟なんだね、天羽くんたちって。そうだよね。いくら男子でもそんな変な本、人前で買うなんて、しないよね」

 ──古川さんがいなくてよかった。

 これ以上話を大きくしないためあえて黙っていた。貴史が隣で、溜息交じりの視線を送ってきた。男子同士ではやはり伝わるものがある。

「でも、どうしてゆいちゃんの弟に懐かれちゃったの?」

「本の内容に興味があったからだろう」

 苦し紛れに上総は答えた。

「ふうん、で、立村くんは霧島くんとどうしたいの?」

 エロ本話に戻されるよりはましだ。思わず口走った。

「きちんと話をしたい気はあるんだよな。ただ電話番号知らないし、二学期始まってからにでも」

「そっか。わかった。じゃあ立村くん、ちょっと待ってて」

 美里は素早く立ち上がり、上総を入り口に手招きした。白いポーチから手帳とテレホンカードを取り出した。

「今から私、ゆいちゃんちに電話するから、その時に弟くんを呼び出せばいいよ」

「どういうこと言ってる?」

「昨日のお返しよ」

 状況が飲み込めないまま、美里は貴史を置き去りにし、貴史の手を引いて一階へと戻った。

「だってゆいちゃんと弟くんは同じうちに住んでるよね。てことは、ゆいちゃんちに電話をかけて、呼び出してもらえばいいことだよね。私も久しぶりにゆいちゃんの声、聞きたいし」

「でも霧島さんは」

 青大附属から追い出された身だ。いくら美里が強くてもその発想は大きなお世話扱いされるんじゃないだろうか。

「そうだね、ゆいちゃんは会いたがってないかもね。でも、それはゆいちゃんの問題であって私には関係ないもん」

 これ以上何も言い返せなかった。確かに上総は霧島ゆい経由で自宅電話番号を知っていた。しかしそこから繋いでもらうことがどうしてもできなかった。

 やはり、今も、美里にひっぱられたままだった。

「じゃあ、今からかけるね。いいよね、立村くん」


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