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「何言ってるんだよ、間違うも何もねえだろ」

 しばらく沈黙が続き、やがて貴史は言葉を発した。

「後悔すんのはお前のほうじゃねえのかって、心配してやっただけだぞ」

「しないよ」

 窓のカーテンを閉め、上総は背を向けたまま答えた。

 もうとっくに関崎と美里は話し合いを済ませ、行くべき道を見出していることだろう。その結果がどうであれ、美里が自分ひとりで選んだことならば間違いはないはずだ。美里にとってもそうだし、関崎にとっても同じことだろう。美里の想いを綺麗に断ち切れば、またそれはそれで別の展開が待っている。

 ただ、ひとつだけ予想外の答えが待ち受けていた。

 部屋にそれが篭ったまま、揺らいでいる。

 目に見えない重たい空気だけが、まだ貴史の頭の上に浮かんでいるかのようだった。

 ──そういうことだったか。

 もう一度上総は心の中で呟いた。

 ──言葉と気持ちとは、別なんだ。

 カーテンに向かい、陽射しがまだ熱く残るサッシに触れた。網の部分はたいしたことなかったが、やはり鍵のあたりはやけどしそうな感触だった。

 

 何度も確認したつもりでいた。

 貴史は美里を「親友」としか思っていないはずだった。

 だから上総はためらうことなく、美里を関崎の下へ送り出した。

 付き添い人として貴史を呼び寄せることもためらわなかった。

 たぶん手を打って大笑いしながら、

「なーんだ、美里を嫁に出すってわけか。こりゃあおもしれえな。どうするんだよ立村、これから俺たち、美里の恋愛相談にしっかり頭悩まされるはめになるんだぞ。どうするおじさん?」

 くらい祝いの言葉を述べたんじゃないだろうか、そう思っていた。

 今の貴史の様子は、いくら恋愛沙汰に遠い上総にもわかる、

「失恋した男子の典型的な言動」

 そのものだった。こういう面を見せるとしたら、アイドル鈴蘭優の恋人発覚かできちゃった結婚事件あたりか……しばらくなさそうだが……だろうと読んでいたのだが、大きな間違いだったようだ。

 ──やはり、清坂氏ひとりを呼び出した方がよかったんだろうな。

 たぶん、元恋人の家にひとりでのこのこ来るとは思えないし、こればかりはなるべきしてなったことなのだ。仮に古川こずえが付き添ってきていたらまた別の展開に発展していたような気もするし、誰がどう動かしても、いくべきところはここしなかった。悔いはない。いや、後悔はしない。

 たとえ、貴史がひとり、一足お先に秋風を感じていたとしても、だ。

 恋愛沙汰については決して慰めごとなど口にしない。

 男子同士の鉄則だ。

 

「羽飛、ひとつ聞いていいか」

 窓辺でカーテンを見つめたまま上総は尋ねた。貴史が「ああ?」といいかげんな返事をしてきた。

「自由研究、どうするつもりでいる?」

「どうも何も決めてるわけねえだろ。これから考えるに決まってる」

「それなんだけどさ、俺と一緒に組んで何かやらないか?」

「お前の方から言い出すのはめずらしいや、なんだよその風の吹き回し」

 ようやく貴史も、いつもの軽い乗りが戻ってきたようだった。背中のシャツ越しに揺らぐ気配が自然だった。

「ほら、うちのクラスの担任いるだろ。この前の追試で、自由研究は集まって話し合って片をつけろって言い出してさ。俺も本当は、さっさと英文学の原書適当に訳して終わらせるつもりでいたんだけど、どうも面白くないらしくてさ」

 振り返ると、貴史はにやにやしながらあぐらをかいていた。あぐらというより、ヨガに近い。

「ああ、立村いつもそうやってたもんな。ひとりでちゃっちゃとやって終わっちまう」

「けど他のクラスの連中と組んでも構わないみたいだったし、だったら羽飛と、あと清坂氏を誘って何か実験やるのもいいかなって思ったんだ」

 ──思ってなかったよ、今の今まで。

 いいかな、と思ったのはさっきの貴史の姿を目にしてからだった。

 それまでは杉本梨南を誘って同じような本の訳でもしようかと思っていたのにだ。 

 貴史が「どういう風の吹き回しだ?」などとほざくのも最もだ。

 窓辺にもたれて、思いついたままどんどん語りかけてみた。頭で余計なことを考えるよりは、口の回るままに勝手なことを語っていた方がよさそうだった。

「うちの担任は俺をとことん叩きのめすチャンスを探しているんだ。つくづくそう思った。俺が泣きついて助けて欲しがるまでは手を緩めずに叩きのめすつもりなんだ。各方面の情報を集めてみて実感した」

「叩きのめすかよ」

「そう、だから俺が得意の英語訳文提出だけで終わらせるのを阻止したんだよ。おそらくだけど担任の魂胆としては、グループでまとまった論文かレポートかを書かせるようなものを作らせたいんだろうな」

「立村、お前本当に、担任と戦ってばかりだよなあ。天羽も難波も言ってるぞ」

 第三者の目からみてもそうなのだから、疑うことはない。たとえ母の裏工作と知ったとしても、こちらとしては麻生先生を叩きのめすことにためらいなぞない。

「そうだよ戦い。俺は延々と一学期、麻生先生と戦ってきたさ」 

 当然言い切った。

「けど、中学時代と違ってそろそろチームワークで戦っていく時期に来たかな、とも思ってるんだ。あの頃俺は、あの菱本相手に無謀な戦いを挑んできたけど、もう勝ち目のない手段は使わない。やるからには勝つ方法でしっぺ返ししてやろうと決めたんだ」

 そう、たった今、決めた。

 予定変更だ。

 もうショックなんかどこへやら、といった風情の貴史に上総は言い切った。

「だから、ベストメンバーで立ち向かおうと考えた次第なんだ。羽飛と、俺と、あと清坂氏と」

「美里? なんでだ? あいつ、古川あたりとつるむつもりじゃねえのか。あと、ほら、さっきまでいた、あいつと」

 言いかけた貴史に上総は首を振った。思わず笑いたくなるのを唇の端で押さえた。下手に笑ったら貴史を侮辱してしまいそうで怖かった。

「黙ってたらそうなるよ」

 カーテンの端を握り、ひっぱった。

「もし関崎のことを言っているんだったら、それはありえないよ。関崎は清坂氏と付き合う可能性、殆どないしさ。振った相手と自由研究やりたがる性格でもない。もっとも清坂氏がどうするかはわからないけどさ」

「まあな。お前の説明聞いている限りだと、美里はこっぴどく振られて泣きの涙で帰ってくるはずだよな」

 感情の篭らないさっぱりした声だった。貴史にしては珍しい。

「じゃあ傷のなめあいか」

「なめあいではないけど、とりあえず俺たち三人は事情をすべて知っているわけだよな」

 もう、ここまできたら思いつくまま語るしかない。計画変更万歳だ。

「清坂氏は古川さんにも話すかもしれないけど、とりあえず現場にいたのは俺たちだけだ。それは確か」

 一気にカーテンから手を離した。たわんで揺らいだ。影はそのまま残っていた。

「今日のうちにでも、清坂氏に羽飛の方から連絡を入れて、自由研究の準備を早々に行おうと誘ってもらえると助かるな。明日の段階で一度集まって、その上で今後の対策について相談するってのはどうだろう」

「何の相談をするんだ?」

 きょとんとして貴史が尋ねた。

「もちろん、自由研究の内容だよ。それと」

 言い添えた。

「清坂氏が今後、関崎にどうぶつかっていくかを聞き出して、俺たちふたりがサポートする。というのはどうかなって思ったんだ」

「サポートってなんだ?」

「それはその時考える」

 具体的な答えは決まっている。でも、貴史には言えないことだった。

 ──やはり結論はひとつだ。

 

 余計な説明は一切せず、その後は音楽の話とか夏休み中の旅行についてとか、それなりに盛り上がる話題も出てきた。カーテンを閉めっぱなしにしたせいで、だいぶ部屋は薄暗くなってきたが語る分に不便はなかった。さっきの落ち込み具合もどこへやら、貴史はすっかりいつもの元気印に戻りつつあった。突っ込んでくるのもいつものこと。

「立村、ところで最近ちょくちょく来ているあいつのことなんだけどなあ」

「誰だろう?」

 杉本のことだとしたら「あいつ」とは呼ばないだろう。まがりなりにも杉本は女子だ。

 貴史はあぐらをヨガポーズからゆったりした構えに変えて尋ねた。

「ほら、霧島の弟。やたらと最近A組に顔を出してるだろ。古川が言ってたぞ」

「ああ、あいつな」

 忘れていたあいつのことを思い出した。

「天羽や難波も喋ってたけどな」

 カラオケボックスでそれなりに噂情報も流れていたのだろう。耳を傾けた。

「ずいぶんあいつ絡んできてるなあとか言ってたぞ。青大附中生徒会で相当お前に恨みでもあるのかとかな。ずいぶんいい根性じゃねえかって話だ」

「そんなこと言ってたのか」

 女子の先輩ではこずえにも懐いている様子の霧島だが、確かに第三者から見ればつっかかってきているように思えるのだろう。実際上総も立場が変わればそう感じるだろう。

「まあな、難波は霧島の「美人の姉さん」の件でいろいろとあるから文句たらたらなのはいいとして、天羽が心配してた」

「何をだろう?」

「立村を叩きのめしたいだけなんだろうってな」

「まさか」

 上総は笑いたくなった。笑いをこらえようとしてやめた。すぐに手を打って腹を押さえて、とりあえず笑った。

「俺を叩きのめして何の得があるんだよ」

「それは思い当たる節ありありだろ? 天羽も警戒心持ってるみたいだぞ」

 否定はしなかった。貴史も生徒会情報についてはあまり興味を持っていなかったのかそれ以上質問してこなかった。上総にとっては好都合だった。


「じゃあな、悪い。これから美里の様子を観てみるな。あいつもったくなあ、色気づきやがって。まあどうせ振られるんなら次は俺たちの仕事だな」

 部屋でしゃべっている分にはしんどさもないが、やはりいったん貧血を起こして担ぎ込まれた我が身に夕暮れ近くの夏日は辛い。気温が下がったように見えても実は身体が全く冷えた感じがない。まだ全身火照っている。

「そうだね、清坂氏のこと、様子観てもらえると助かる」

 気がついたなどとは全く感じさせることなく話したつもりだった。

「結局俺があいつの面倒を見るってわけかよ」

「いつものことだけどさ」

 軽く流した。上総も普段ならそれほど気を留める会話でもなかった。

「美里の母ちゃんも神経とがらせてるしな。今日の一件については俺の方からもなんか話しとく。下手に落ち込んだり泣かれたりしたら夏休みすげえことになるしな。それよかお前の言う通り、自由研究に誘い込んで、その後様子を見る方が安全だしな。お互いにな」

 いつも口数の多い貴史だが、この日に限っては妙にテンションが高かった。

 

 ──羽飛は気付いたな。

 玄関で貴史を見送った後、上総はそのまま台所に向かった。

 もうすっかり家の中は薄暗くなりつつあり、蝉の声が高らかに響き渡り始めた。

 上総の家近くでは、蝉が元気全開となるのは夕暮れ以降からだった。

 空になったラムネ瓶を二本シンクに置いた。関崎と貴史のどちらが口をつけたのかはわからない。ただどちらも同じ薄緑の瓶だった。

 ──清坂氏が、羽飛にとってかけがえのない存在だってことを。

 いや、以前から「親友」ではあっただろう。そう互いに言い習わしてきたはずだ。上総も耳にたこができるくらい聞かされてきた。本当なのか、そう問いただしても明確な答えは返ってこなかった。互いに「親友」という名称でもって納得させられてきた。

 なぜ上総では許されて、関崎相手だと動揺したのか、その理由まではまだ探り出せない。美里の恋心をなぜ貴史が今まで気付かずにいたのかも正直不可解だ。あれだけ美里の日常に目を光らせていた貴史がなぜ、この場で関崎の存在に慌てたのか、明確な答えは出せない。

 ただこれから先、上総が美里および貴史をどのようにサポートしていけばいいのか、そのことだけははっきりと答えを見出すことができた。それだけは確かだった。

 ──羽飛が清坂氏を受け入れる準備をしているなら、それを支える、それだけだ。

 夏休みが始まる直前にもらった宿題を、上総は自分のやり方で解くことを決意した。

 

 ──あとふたり分の宿題だ。


 部屋に戻り、中学時代の元評議委員会連絡網プリントを探そう。その中には確か、霧島さんの電話番号が載っているはずだ。弟ならば、電話番号が変更になっていない限り問題なく連絡がつくはずだ。杉本梨南については、既に手帳へ電話番号がメモ済みだ。連絡に支障はない。貴史が連絡をつけてくれさえすれば、明日の段階で美里たちと顔を合わせられるだろう。夏休み初日に、できれば三つの宿題をすべて片づけたかった。


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