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 ナビゲートしながら、上総は関崎のお荷物として背負われていた。

 あっという間に目の前には白く見ゆる我が家なり。

「ここかお前の家は」

 関崎の問いかけに頷いた。近所の誰かに見られたら何事かと思われそうだが、さしあたって知り合いとはすれ違わなかったのが幸いだ。裏道通ってきて正解だった。しかし、

 ──しまった。自転車置きっぱなしだ。

 滑り降りながら気がついた。二台の自転車を野っぱらに放置しているのはやっぱりまずい。鍵をかけていなかったはず。盗まれても文句は言えない。

 ──無理してでも、自転車引きずってくればよかった。

 つい、身体の中に詰まった炭のようなものにいぶされて、関崎におぶさってしまった。

 あのままではもう身動きも何もできなかった。軽々と上総の指示通り歩いていく関崎に対して、上総は何も言い返すことができず、シャツ越しにまた奴の熱い血潮を感じるはめとなった。

 ──とりあえず、母さんがいなくてよかった。

 何言われるかわからない。ささやかな安心感。ひとつでも無理して、よかったことを見つけ出して、初めて関崎に告げることができた。

「ごめん」

 顔を合わせることすら惨めな気分だ。振り返った関崎はまず、立村邸を唇丸くして眺め、両手を掲げてひと伸びした。

「当然のことをしただけだ。

 全く何も考えていないような顔して言い放った。

 きっと、本当に腹の中には何にもないのだろう。労うように上総を覗き込み、声低く、

 「それよりお前大丈夫か」

 気遣いまでしてくれるときた。頷くしかなかった。鍵を開けておいたほうがよいだろう。パーカーのポケットをまさぐり、鍵を取り出した。なくしたらそれこそ事だが、ちゃんと収まっていた。

 まずは関崎を家に招きいれ、それから自転車を取りに戻ろう。

 うまく鍵穴に先が納まらない。なんどかドアノブをぐるぐる回した。不思議そうに関崎が覗き込み、手を差し伸べようとする。お断りだ。質問で遮った。

「家に、来るだろう?まだ、話すこと、あるんだろう」

「まあな」

 まだまだ語り足りないのだろう。あんな炎天下で喋らなければよかったと思うが、後の祭りだ。関崎は太陽のエネルギーによってパワーアップする、ソーラーシステムエネルギーみたいな男だと、いまさらながら気がついた。だから、

 ──藤沖も元気になったってことだな。

 ──杉本も惚れたってわけだな。

 ──清坂氏も、一目置いたってことだな。

 方向転換するしかない。窓を開け放し日陰で語るのが一番の我が身防禦の方法だ。

 ひまわりが一面に咲き誇る暑苦しい花壇に一瞬視線をやり、関崎を促そうとすると奴は即、首を振った。

「まだやることがある。立村、お前は横になってろ。その前に水分補給しろ」

「やること?」

「そうだ、自転車を取りに行くんだ」

「あとで俺が取りに行くよ。少し休んでからでも」

「いや、いい。そんな遠くはないし、今歩いてきたことによって道は完璧にマスターしたから迷わない」

 関崎が自信たっぷりに言い切るその意味がわからず首をかしげると、

「まずは水分補給だ。それ以上に優先すべき事柄はないんだ。俺は元・陸上部だ。俺の言うことを信じろ、立村」

 はたしてその論理に整合性はあるのだろうか?

 もう少し頭が働いていれば喝破しようとも思えただろうが、身体がまた激しく水分、いや氷を求めている以上何も言い返せない。

「わかった。悪い」

「遠慮するな」

 関崎が扉を閉めるのと同時に、上総は玄関のたたきにそのままへたり込んだ。

 上半身の空気と対照的に、下半身だけがひんやりしてくる。冷たかった。


 ──振り回されっぱなしだよな。

 台所に這ってゆき、例によって氷皿から残りの氷を口に放りこんだ。

 ガラスポットには麦茶が冷えたまま用意されている。一気に飲み乾した。

 サイダーは切らしているが、かわりにラムネ瓶が並んでいる。どうもこのラムネというものは、中身こそ普通の炭酸飲料なのだが、飲む際にころころした玉がビンの口をふさぎ、飲みづらいことこの上ない。だから大量に手付かずのまま残っているのだろう。

 いやみではないが、関崎に渡したらどんな顔をするか見てみたい気もする。

 上総は部屋に戻った。ベッドが寝乱れている以外はたいしてちらかっているわけでもない。片付ける必要もなさそうだ。まずはシーツと薄い夏布団を整え、レースのカーテンをまるごと開け放した。外からは丸見えだが、そんなこと知ったことではない。

 関崎が上総に対して、説教をかましにきたことくらい見当はついている。

 その話の半分以上はすでにフライパンの上で熱く聞かされた。

 要は上総に対して、元・青大附中評議委員長の誇りを持ち、規律委員の座を用意したいという申し出の提案だけなのだ。本当に関崎は余計なところに首をつっこみすぎる。

 事情を知らないからそんないいかげんなことが言えるのだろう。現に関崎が、上総の失脚したきっかけを粒さに見つめていたら、そんなこと軽々しく口に出せるわけがない。

 しかも、よりによって、

 ──なんであいつの前に土下座しなくちゃいけない?

 青大附属上がりの連中にも本当のことは話したことがないはずだ。

 ただ隠し切れずに真実だけが一人歩きしただけ。

 伝えるしかなかった事情だけ理解してほしいと思ったのが間違いだった。

 まさか関崎がひとり憤って、「俺も付き合うから謝りにいけ!」などと叫ぶとは思わなかった。考えられないことではない。ただ、猶予もなく、それこそ小学校のクラス名簿を強引に部屋から探し出し、上総を引きずって浜野の家へ連れていきそうな勢いだったのも事実だ。

 ──何もわかってないんだ、関崎は。

 口に出してはっきり言い切ってみる。

 ──あいつは何も、気付いていないんだ。

 たった三ヶ月しか青大附高のことを知らないのに、今や我が物とばかりに歩き回り、余計な口出しをし続け最後には、上総のプライベートスペースにまで入り込もうとする。関崎の頭にはそれが友情の表れとして認識されているのだから、仕方ないと諦めざるを得ない。しかしもしもだ。仮に関崎が、自分自身の出来事として押し付けられたとしたら、そんなに冷静な対応ができるものなのだろうか? いくら間違っていることとはいえ、無理やり謝罪させようと考えられるものなのだろうか? もしそうなら上総も諦めて項垂れるしかないが、自分自身に当てはめて考えようとしない関崎の一存を、そのまま受け入れる気にはさらさらなれない。

 窓から身を乗り出した。部屋のもわりとした重たさが、流れ込む風でだいぶ安らいだ。

 水分補給は正解だったらしい。

 上総はベッドに座り込み、一考した。


 ──関崎は、何もわかっていないんだ。

 そのことを証明したい。

 何一つ事情を把握していないくせに、なぜ関崎は上総を引きずりまわそうとするのだろう。

 おそらくこのままでは、関崎のペースにはまり、一年後期は規律委員に納まり、麻生先生の見守る中クラスに馴染んだふりをすることになるだろう。藤沖が応援団結成に重心を置くのならば、邪魔する奴もさほどいないだろう。委員会活動も貴史や美里、天羽たちから耳にするところによれば、たいした活動も行われていないとのことだ。

 このまま、関崎のひっぱる方向へ進んでいけば、すべて丸く収まる。悪者ぶっていた麻生先生も納得して上総に普通の態度を取るだろう。

 流されるならそれでもいい。

 でも、せめて一矢報いたい。

 何秒目を閉じただろうか。

 まだ、関崎は戻って来ていない。腕時計を覗き込んだ。こんなことだったら素直に、天羽たちと一緒にカラオケボックスに篭る方を選べばよかったのだ。そうすれば関崎とも連絡がつかなかっただろうし、思い出したくもない過去を引っ張り出されることもなかったろうし、何よりも菱本先生のおごりによるまずいステーキランチを食わされることもなかっただろう。体力が続けば本当ならば、例のカラオケパーティーに飛び入り参加したいほどだ。

 ちゃんと、電話番号も轟さんからもらっている。

 確か、手帳に挟んだはずだ。

 上総は鞄を開けて中を捜した。すぐに見つかった。分かりやすい小さな文字で、数字が羅列されていた。

 ──確か、品山の、あそこだよな。

 こずえを含めた三人で、例の件について語り合ったあの場所だ。貨物列車用のコンテナを改造した部屋と聞いている。わりと、すぐ側だ。天羽も難波も、関崎に機会があれば一言言ってやりたいと思っているはず。敵方として呼び寄せようか? あいつらなら上総の家への道筋もわかっているし、カラオケボックスから自転車で十分くらい漕げばつくはずだ。

──十分か。

 女子でも漕ぐことできる距離。


 ──カラオケメンバーの中に清坂氏もいるのか。

 確か一緒に女子チームの美里とこずえも参加予定と、天羽も話していたはずだ。

 貴史もC組メンバーの一員として混じっているし、不思議ではない。

 そして美里は、上総の家に来たことがある。

 中学二年のクリスマスイブに、「恋人同士」の付き合いとしてふたりきり、居間で過ごしたことがある。もちろん何も起こらず、食事をしながらプレゼント交換した程度のことだ。いや、そんな昔のことじゃない。期末試験後、すぐに見舞ってくれたじゃないか。

 上総は窓辺から覗き込もうとし、すぐにレースのカーテンを閉めた。

──清坂氏は関崎と一対一で話をしたこと、あったんだろうか?

 ──気持ちを伝えたことはあるんだろうか?

 関崎には興味をもってもらえず、美里ひとりが空回りしている、そういった実情を上総はずっと目にしてきた。よりによってクラスのライバルである静内菜種が一歩、関崎とのつながりを強固なものにしている。この状況をはたして美里はひっくり返すことができるのだろうか。仮に幼なじみの貴史が側にいたとしても、奴の性格上恋愛感情を受け入れることはないだろう。今の貴史が夢中なものはひとえに、鈴蘭優と美術部のことだけだ。いくら親友の美里であっても、恋心が滑り込む余地はなさそうだ。

 ──「付き合っちゃおうか」で、俺の時は付き合ったんだよな。

 中学二年の六月。水無月。ふたりきりだった。交際宣言をしたのがなぜか上総の方からだったのでかなり、みんなに騒がれた記憶が残っている。

 ──もし清坂氏が関崎に「付き合っちゃおうか」と持ちかけたら、あいつならどんな顔するだろう?

閃いたものがある。

 ──関崎の慌てふためいた顔を見たい。そのためには。

  

 電話番号のメモを手に、上総はそのまま居間へと向かった。受話器を取り、そのまま番号を押す。店の名で名乗られ、天羽を呼び出すことに成功した。しゃがれた声で天羽が受けた。


 ──おい、どうした立村? やっぱ、お前も、飛び入りするつもりか? 

「そんなつもりじゃない。それより、悪いけどさ、清坂氏呼んでくれないか」

 電話の向こうで何故か息を呑む気配がした。

 ──清坂ちゃんとか? なんだよそれ。今、女子チームのデュエット曲で盛り上がってるんだよなあ。ほら、知ってるか?  ほらほら、あれ、あれだよ。

「ごめん、俺は歌謡曲に弱いんだ」

 美里とこずえがどういう歌を歌っているかなんて、正直どうだってよかった。

「それよりも、早く電話口に出してくれないか? 急いでいるんだ」

 ──どしたの、立村ちゃん?

 上総は黙った。

 しばらく沈黙が続いた。天羽の返事が返ってくるまで口を閉ざしていたら、

 ──もしもし、立村くん?

 いきなり美里の声に切り替わった。あのカラオケボックス内の電話で受けているのだろうか。それにしては誰も歌っていないのが妙だ。

 まさか、部屋の中でみな聞き耳立てているなんてこと、ないだろうか?

 もし美里だけに語りかけるのならば、内緒にしてほしいと伝えた上で、関崎がいることを告げるだろう。その場ですぐ上総の家に呼び寄せるだろう。そのまま、関崎と対面させるだろう。だが、関崎を敵視する天羽が側にいて、下ネタ女王のこずえが目を光らせていて、極めつけは貴史がお目付け役として控えている以上、最低限のことしか伝えられない。

「清坂氏か」

 ──どうしたの? 気分、だいぶよくなったの?

「あとで説明するよ。それより、悪いけど今からすぐ、俺の家に来てもらいたいんだ」

 言葉が途切れた。上総の言葉にすぐ反応しない。

 ──どうして?

 早くしないと関崎が自転車を二台ひきずって戻ってくる。それまでに電話を切りたい。

「理由はあとで話す。とにかく、一刻も早く来てもらいたいんだ」

 ──だめだよ、立村くん。

「え?」

 拒絶されるとは思わなかった。頭が重くなるのを感じた。

 ──だって今、立村くん部屋にひとりなんでしょ。まずいよ、やっぱり。

「そんな、変なこと言ってるつもりないけど」

 ──立村くんがそう思わなくても、周りの人が誤解するじゃないの。ねえ、こずえと一緒じゃだめ?

 悪いがノーサンキューだ。即答する。

「いや、理由があってどうしても清坂氏だけに来てほしいんだ。今すぐに。来ればわかる。俺の家への行き方はわかるだろ? 俺と違って」

 ──方向音痴じゃないもんね。わかるよ。けどね。

 小声で、少しくぐもった声がかすれる。歌い終わった後なのか、それとも受話器にあたる口の部分を、手の平で覆って聞こえないように気遣っているのか。

 ゆっくりと、ささやき声で返事が来た。

 ──せめて、貴史じゃあ、だめ?

 貴史のことを失念していた自分に呆れた。そうだ、ふたりセットで呼べばいい。

 ──ねえ立村くん、貴史に代わろうか?

「いや、いい。俺もそれがいいと思うんだ。今すぐ、羽飛と来てほしい。けどさ、羽飛だけだからそのところは承知の上で。まかり間違っても古川さんは連れてくるなよ」

 ──立村くん、本当に、何を考えてるの?

「とにかく、一刻も早く来てほしいんだ」

 言い含め、貴史とは話しをせず、受話器を置いた。

 すぐに玄関へと走った。どうやら自転車を二台、ひきずってきたようだった。一方の自転車に乗り、その片方の手で上総の自転車を支える格好だ。

 焼けて真っ赤な赤猿状態の関崎を迎えに降りた。

 

 関崎の顔をまっすぐ見つめ礼を伝えた。

「ごめん、ありがとう。それと今、家には誰もいないから」

 ゆっくり話すつもりだった。美里と貴史が玄関口に立つ前にすべて終わらせるつもりだった。

「あ、ああ」

 玄関から廊下、壁紙、柱を「すげえな」「豪華だな」などと呟きつつ関崎がきょろきょろ眺めている。部屋に入ってからは突っ立ったまま本棚を眺めて、

「お前こんなの読めるのか?『赤と黒』とか『現代版源氏物語』とか」

 などと質問してきた。今に始まったことではないので、あっさりと流しつつ答える。

「一応、親に逆らえないから読んだよ」

 簡単に返事に止めた。

 関崎のぎらついた眼差しと握りしめたこぶしから見て気合は十分、さらに熱く話の続きをしたい所存のようだ。見て取った感じ、しばらくは黙って話に聞き入った方が得策だ。

 

 美里たちが現れるまでは甘んじよう。

 もし美里だけだったら、二人きりにして、とことん語るべきことを語らせようと考えていた。貴史がお邪魔虫としてくっついてくるのは予定外だがしかたないだろう。女子ひとりで、昔の彼氏宅へ行けるほど美里も子どもではないということだ。

 ──なんとかしてふたりきりにしたいところだな。羽飛にはこの辺りの事情をどう話そうか?

 上総の知る限り、関崎と貴史も今までは膝を交える語り合う機会がなかったはずだった。

 これから上総が美里にさせたいことを、貴史にどう説明すればいいのだろう。

 何よりも貴史は、

 ──関崎に対する清坂氏の行動を、羽飛はがまんできるのかな。

 時間は限られている。上総は部屋の戸を閉め、関崎に座布団を勧めた。

 



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