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 決してわざとガーター連発したわけでもなければ、いいかげんに手を抜いたわけでもない。本条先輩に連れて行ってもらったボーリング場に、冴えない私服姿の霧島を引きずり込んだのはいいのだが、まず自分に合ったボールがどのくらいの重さなのか覚えていない。あぶなくボーリングシューズに履き替えるのを忘れていて係員に怒鳴られるわ、隣のレーンで投げている人が終わらないうちについ転がしてしまい、

「なんだよあいつ、常識ねえ奴」

などと聞こえるような嫌味まで言われる始末。

「本当に」

 男子のたしなみでそれなりにボーリング経験があるという霧島は、すっかりいつもの調子を取り戻したようだった。あきれ果てた顔で上総の醜態を眺めている様子だった。

「先輩は常識を御存知ないようですね」

「仕方ないだろう」

 なにせ二回目なのだから、初心者と見ていただきたいところだ。あえてそんな弱みをばらすことはしない。なんとか一ゲーム終わり、席でまずは缶ジュースを飲み乾した。

「しかもネクターというのは、どういう味覚なんでしょうか」

 たまたま炭酸抜きの飲み物がオレンジジュースかピーチネクターしかなかっただけのことなのだが、それも霧島にはお気に召さなかったらしい。ちなみに霧島が手にしているのはお上品にも紅茶の紙パックだ。ストローをすする仕種からして、繊細な気品を感じる。 

 上総は黙って缶を専用ラックにひっかけた。


 ──ちょうどいい頃合なのかもしれないな。

 いわゆる「溝掃除」の連続だったのもかえって、これから霧島に語るべき内容を考えればふさわしいものなのかもしれない、そんな気がしていた。

 ──こいつがいったい何を考えて俺に付きまとってくるのかよくわからないが。

 いや、気付いてないわけではない。

 同じ学年におそらく味方となる友だちがほとんどいないのだろう、とは読んでいた。

 賢すぎて、外見も整いすぎて、しかも肩書が生徒会副会長。女子たちからは王子様扱いされているが、男子たちからはおそらく受けもよくないだろう。嫉妬まではいかないにしても、ちょっと面倒くさいタイプの男子として距離を置かれているのではないだろうか。

 短い付き合いの間に、霧島を観察してみて見えてきたことがたくさんある。

 ある意味、霧島という奴は、

 ──杉本に似てるんだ。

 男子で、杉本梨南のように異性受けが悪いわけでもなく、後ろ盾もしっかり存在している。全くの相似体とは言い難い。けれども上総にぶつかってくるその行動パターンも、眼差しも、すべては双子のように似通っている。そして、それを読み取ることができたのが、たまたま上総ひとりだけだったということだった。

 はたして霧島自身、わけのわからない言動を取っていることについてどう考えているのだろうか。そのあたりも本当は尋ねてみたいのだが、きっと奴には理解できないだろう。今霧島が上総を追いかけている格好が、かつて本条先輩を追いかけてきた時のポーズにそっくりだから、上総ひとりが気付いているだけのこと。

 ──このままなら、俺が霧島の面倒を見ることになっても不思議ではない。

 上総は、休み中、ベッドの中で考えたことを改めて認識した。

 汗がだらだら流れる中、霧島の今後についても思いをめぐらせた。

 本条先輩は、上総のことを特別な後輩として目をかけるようになった時、どう考えたのだろう。一方的に張り付いてくる上総を邪険になどしなかった。あっちへ行けなどと罵倒したりもしなかった。そのように受け止めてやるのが青大附属の先輩後輩の関係であるといえるだろう。本来ならばそろそろ上総も、そういう時期にきたはずなのだ。

 ──けど、やはりこれはまずい。


 上総の思惑など知らぬようで、霧島は一方的に甲高い声で喋りつづける。

「立村先輩、いいですか、青大附属の制服姿でプレイするのならば、当然ルールにも精通しているべきではないでしょうか。それに、なんですか、ボールの重さも把握されてらっしゃらないとは。ボールの重さによって投げる形も変わってきますが」

「わかったわかった。俺が悪かった」

 さすがにネクタイの結び目を緩めたくなった。ボタンもひとつ外した。

「頼むからどこかの誰かと同じようなことを言うなよ」

「それはどなたでしょうか」

 しゃちほこばって霧島が問い返す。

 ──まさか杉本なんて言えないだろう。

 このあたりももちろん、無視で返した。

「とにかく、僕は先輩の言動には恥ずかしさを感じます」

「そうだな、恥を知れと言いたいんだろうな」

 一言一言にいらだっているようだったら霧島もこうくっついてくることはなかっただろう。

「よくおわかりですね、だったら」

「そうだよ、霧島」

 ラックに入れっぱなしのネクター缶を取り出し、上総はテーブルに置いた。さっきのゲームスコアをプリントアウトしたものが、出しっぱなしで丸まっている。それを指で伸ばしながら上総は告げた。

「いいかげん、俺に張り付くのはやめてもらいたいんだ」

 霧島の表情がいきなり強張った。王子然とした顔立ちが一瞬、般若に見えた。


 予想していたことなので無視して続けた。

「俺はもともと後輩と接するのが得意なほうじゃない。お前もそのあたり、過去二年間の生徒会がらみ事件で聞いていただろう。さらに言うなら俺は生徒会関係者から蛇蠍の如く嫌われている。評議委員会に泥を塗った元委員長として、おそらく直属の後輩たちからも恨まれているはずだ」

「知ってますよ、そのくらいは。僕が青大附中生徒会副会長だということをお忘れなく」

 すぐに般若の面をしまい込んだ霧島は、つんと済ましたまま切り返した。

「ならなぜ、しつこく付きまとう?」

「好奇心、ですよ」

「好奇心?」

「なぜ、立村先輩のような人がうちの学校に合格できたのかとか、よくあそこまで恥をさらしておきながら平気な顔して出入りしていられるのかとか、傍目からは決して賢く見えないのになぜ他の先輩たちに一目置かれているのか、いくつかの謎を僕自身の目で解明したかったから、それだけのことです」

 ずいぶんなことを言う。すでに杉本梨南によって二年間分の免疫有り。溜息のみだ。

「僕なりにいろいろな先輩たちの背中を眺めてきましたが一般的に評価の高い人に関して言えば、単純に買いかぶられてらっしゃる方が殆どでした」

「たとえば?」

「天羽先輩、そして今回の藤沖先輩です」

 きっぱり言い放つその態度、上総しか目の前にいないことを幸いと思うがいい。

 他の同期連中の耳に入ってみろ、即、弾劾裁判、即、鉄拳制裁のお呼び出しだ。

「きつい言い方だな」

「僕は人をたくさん見る機会をもっておりましたから、当然です」

 唇の右端をくい、と上げた。頬の皮がひきつっているのが不自然だった。

「これでも僕は自分の立場をわきまえてますから、先人に習うべく先輩たちに学ばせていただこうとブラッシュアップを続けてきました。ですが、みな、男子の先輩たちに関してはくだらないことで足を踏み外し、頭の悪い女子に現を抜かすといった体たらくぶり。呆れはてて声も出ません。青大附中の委員会活動においては先輩が後輩をしっかりと教育する制度が非公式に確立されていたと聞いておりましたが、僕にはまったく手本とすべき方を見出すことができませんでした」

 ──ここから俺を褒めちぎるのか?

 流れとしてはそうなるだろう。だが奴の性格を考えるとそれは考えにくい。

 普段ならシャツにネクタイをきっちり締めて、折り目正しく正論を並べ続けるだろうが、いかんせん今の霧島は、なんとも言えずやぼったいお坊ちゃんである。顔が端正だからみっともないとは思わないが、いかにも虚勢張りまくりといった格好に笑いを禁じえない。

「そうだな、俺たちの世代が、委員会そのものを破壊したようなものだからな」

「『大政奉還』ですか」

「霧島の言う通り、以前は先輩が後輩を一対一で教育するような制度があったね。ただそれは決して無理強いするものではなかったんだ。委員長候補を一年の段階で選んで三年の春に指名するというやり方でうまくいかなくなったのが、俺たちの代の評議委員会だ。結果として生徒会のような民主主義の方針で成功しているのだから、それはそれでいいことじゃないのか」

 さて、どんな反応をするか。

 見守ることに徹した。

 何を伝えたいかではなく、どのように自分を見せたがっているのか。

 そこを確認したい。


「お言葉ですが、僕は自分を磨くことに興味はありますが、無条件に尊敬するつもりはありません」 

 霧島は自信たっぷりに言い切った。また唇の端がくいと上を向いた。

「僕が立村先輩の言動に興味を抱いたのは、これから先輩のしでかす出来事を反面教師にしたいだけのことです。めったにいらっしゃいませんからね、あれだけ女子たちから総すかんを喰いつつも、しっかり味方を集めて生き延びてらっしゃる方は、そうそう見かけません」

「褒めてもらって嬉しいよ」

 皮肉を一刺し、言ってみる。気付こうともしない。

「先輩が果たして何を考えて、たとえばガーターを連発するような非常識なやり方をしたがるのか、なぜご自分の不利になる行動を取られるのか、なによりもなぜ、それでありながら味方を作っていけるのか。非常に僕にとっては参考にさせていただきたいことばかりでしたからね。僕は人を尊敬したりなどしませんし、ましてや先輩の価値観一色に染まりたいとは露とも思っておりませんが、学びたいだけです。どこかの小説にもありましたね。『向上心のない者は馬鹿だ』と」

「ああ、漱石の『こころ』だな」

 教科書に載っていたり、休み中の課題図書として並んでいれば誰もが読む作品だ。

 よく、仲間内でギャグのかましあいに使った一節だ。

 その後の展開のことなど考えずに。

「霧島、その台詞を言われたKはどうなった?」

 不意を突かれたのか、霧島はぽかんとして黙った。

「『先生』に言われた『K』は、自殺しただろう」

「それは」

 何かを言いかけた霧島に上総は畳み掛けた。

「言葉は真実だ。けど、ぶつけられた相手にとっては死にたくなるほど痛い言葉であることも確かなんだ」

 とっさに思いついた言葉を一気に連ねただけだった。意味もない。

 霧島は言い返さなかった。


 上総は身動きせず、霧島の顔を伺った。

 なぜ上総をしつこく追いかけてくるのかその理由を確認したかった。 

 後腐れなくけりをつけようとしても、ねばっこく離れようとしない。

 今だに「キャリアOL」のグラビア写真集は本棚に隠れているし、とうとう母にも見つかってしまう始末。さっさとちり紙交換に出してしまってもいいのだが、霧島のものである以上処分にも困る。

 口走った霧島の、もっともらしい自己庇護の言葉を鵜呑みにする気はなかった。

 自分を必死に高みに置こうとあがいているその姿が、こっけいにも見えるしぽきんと折れそうで怖くもなる。

 こういう時期に、誰かひとりでも味方がいれば、なんとか乗り越えられる壁だが、よじ登る方法を霧島は見つけられずにいるようだ。かつての上総が本条先輩ひとりに頼りっきりで、手を引いてもらったのと同じように、本当だったら誰かが手を差し伸べるべきだろう。

 霧島自身が、男子にしては珍しく自分からその助けを求めている。

 同年代、また一学年上の先輩連中、教師たちにも頼らず、いきなりすれ違った上総を捕まえてなんとかしろと叫んでいる。助けの求め方が分からないのだと、今の上総ならすぐに気付くだろう。なにせ、杉本梨南を見つめつづけてきたのだから、同族を見破るのは簡単だ。

 ──俺が、本条先輩みたいに霧島の面倒を見たほうがいいのか。

 ──だが、俺ではだめだ。別の奴の方がいいんだ、そうでないと霧島は。

 上総は霧島に、もう一度告げた。

「悪いが俺は後輩に馬鹿にされて喜ぶタイプじゃないし、なによりもこういう付き合いが面倒なんだ。本条先輩と違って、あまり人に興味持たないんだ。それに、損するよ、俺にまとわりついていたら近い将来、かつての俺と本条先輩みたいな『立村・霧島ホモ説』をでっち上げられるだろう。本条先輩は俺とつるんでいても見下されることはなかったが、霧島、お前の立場を考えるとこれから先、えらく不利になるだろうな」

「そうですね、僕もそんな趣味はありませんし、おっしゃる通り馬鹿にされることでしょう」

「わかっているなら、いいかげん誤解を招くような言動は避けたほうがいい。単に珍獣を観察したいというのだったら、それなりに柵の前から覗き込むとかすればいいだろう。どうせ俺はこれからも顰蹙を買っていくだろうし、自然と情報も中学に流れてくるだろう。その情報だけチェックして、それこそ『反面教師』にすればいいさ」

「そんなに僕に観察されてまずいことでもされてらっしゃるのですか?」

 さらに食い下がる霧島、ハブだ、本当にしつこい。

「隠し事はないが、俺自身が面倒なだけだ。むしろこれから成長株となりそうな先輩にくっついて、そこからのし上がる方が本当はいいんじゃないのか? 悪いが俺は、霧島に何も付加価値を用意できないし、むしろ大損するよ」

 ふたたび霧島の目つきが釣り上がった。唇が両端持ち上がり、顎が一瞬二重になる。

「その、成長株とは、たとえばどなたですか」

「たとえば、そうだな」

 上総はゆっくりと答えを伝えた。

「関崎あたりかな。あいつは先生たちからも男女問わずクラスメートからも、結城先輩からも高く評価されているね。外部入学者だから目立たないかもしれないが、たぶん二学期以降は関崎の天下になるだろう」

「関崎先輩ですか」

「知っているだろ」

「お話したことはあります」

 口篭もるように霧島が答えた。

「なら話は早いな。俺に今までしてきたように、少し関崎を捕まえて話をしてみればいい。俺みたいに間抜けなことはしでかさないだろうが、必ずこれから、お前のプラスになるはずだから」

 立ち上がり、缶と一緒に鞄を抱えた。

「俺の話はこれだけだ。それと例の本だけど」

 まだ片付いていないことを伝えた。

「もしいらないなら、こちらで処分していいか」

「どういうことですか」

 触れられたくない一点に針を刺してしまったのか、霧島がおどおどと尋ねる。この表情の変化がすべての答えだと、上総は思う。

「俺もこれ以上、抱えていたくないからな」

 上総はこれ以上説明しなかった。余計な説明をしてしまえばまた何かひっかかってくるに違いないし、それに答えるだけの語彙も自分にはない。


 ボールを返そうと持ち上げたとたん、霧島がまた甲高い声で叫んだ。

「まだ、ゲームは終わっていません」

「いいだろう、もう話は終わってるんだから。それに支払いも」

 すでに受付で終えている。

「いえ、まだ、一ゲーム残っています。僕は立村先輩のお話を伺いたいわけではなく、ボーリングをしたくて今日、ここに来たのです」

 すでに自分のボールを三本指で支え、上総の返事も待たず、霧島は助走をつけて一気にボールをレーンに転がした。真正面からスピードを上げて転がりつづけるボールは、真中の一本だけ倒し、そのまま最奥に吸い込まれていった。

「次で、すべて倒します」

 わざわざ上総の目の前に近づいてきて、宣言した後すぐにボールを持ち替えた。

 予告通り霧島は二度目の勝負でこなごなにピンを飛ばし、ストライクを決めた。

「ボーリングというのは、こうやるものなんですよ、先輩」

 薄笑いを無理やり浮かべ、霧島は上総に向かい、レーンを指差した。

「さっさと投げてきたらいかがですか」

 目はやはり強張ったままだった。答えず上総がまっすぐボールをレーンに流した時、静かに腕から何かが伸びていくような感触を覚えた。ゆるゆる、時々曲がりながらもピンに辿り付き、一本、二本と倒れ、最後にすべてが飲み込まれるのを上総はじっと見つめた。ストライクだった。

 ──いいかげんに投げただけなのに、あっさり決まったな。

 振り返り霧島に視線を投げた。一文字に唇を結び、冴えない格好できちっと両手を膝に置いて待っている様子だった。

 言いたい放題わがまま放題の霧島には、誰か上からがっしり押さえるような先輩をあてがって、高校入学までにしっかりとお灸を据えておいたほうがいいのだ。関崎あたりなら適任だろう。こういう弟分を仕込むのはお手のものだろう……佐川の一件など……し、間違った価値観をしっかり是正するだけの力を持っている。

 ──関崎ならこいつを張っ倒すだろうな。

 今のうちにそのくらいしごいておかないと、霧島はこれから先、地獄を見ることになるだろう。もしそうなったとしても、上総には何もできない。霧島自身がまだ自覚できない、吹雪いた気持ちの揺れを見守ることしかできない。

 ──距離を置かないと、杉本と同じ思いを霧島にさせることになるんだ。だから。

 これ以上、犠牲を出したくはなかった。


 


 

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