21
本条先輩が自転車を留めた。さっき上総が青潟東高校に向かう際曲がった十字路だった。
「なんか食うだろ。ラーメンでも腹ん中入れるか」
「まだそんなに空いてないからいいです」
「相変わらずお前、食わねえなあ」
あきれたように本条先輩は呟き、空を見上げた。
「じゃ、少し腹ごなしにボーリングでも行くか」
「やったことないです」
今度は本当に唖然といった風。本条先輩は上総を振り返り、まじまじと見つめた。
「一度ぐらいはあるだろ」
「いえ、ないです」
「じゃあお前何やって遊んでるんだ? カラオケか、それともバッティングセンターか」
「卓球場です」
嘘ではないが、そうしょっちゅう出かけているわけでもない。得心したのか本条先輩は頷いた。
「お前の唯一勝利を手にするスポーツったら、それしかないわな」
事実なので何も言わない。次に続く言葉も予想通り。路肩につけた。
「そんな得意ならなんで卓球部入らないんだ」
「体育系の部活動には関わりたくないからです」
「まあな、それはそうだ」
あまり突っ込まずに本条先輩は再び頷いた。
「悪いが俺はお前のストレス解消に負けを食らうほど、落ちちゃあいねえからな。さ、行くぞ。今日はボーリングだ。とことんしごかれろ!」
貴史や南雲たちとはよく遊んでいるが、大抵は互いの家にもぐりこむか外でぶらぶら歩くかのどちらかだった。小遣いの問題も絡んでいるのだが、もともと上総がスポーツを好まないのも影響しているのだと思う。
天羽たちからはしょっちゅう、元評議同士でボーリングやカラオケに誘われたりもするのだが、あえて断っている。第一、ただボールを転がすだけなのに、どこが面白いというんだろうか。ちなみにカラオケボックスへはよく出かけるが、マイクには触れない、いや近づかない。密談するのに良い場所だから利用するだけのことだ。
「ほんとお前の遊び方見てると、ほんとに女だわ」
本条先輩は同じことを繰り返した。かなりかちんとくるが、本条先輩のお言葉には基本として逆らうつもりはない。口を尖らせて、
「本条先輩とは違いますから」
言い返すに留める。
「そういうとこがガキなんだ。ったくなあ。まず靴履きかえろ、それからボールを適当に選べ」
本条先輩が連れて来てくれたのは、巨大なボーリングのピンが屋根に突っ立っている建物だった。かなり広そうに見えるが、自転車置き場から一階を覗き込むとパチンコ屋らしく、ひっそり静まり返っている。ボーリング場は階段を昇った二階以降らしい。
「ただいま改装開店中なんだろな」
「どういうことですか」
「んなこと、お前にゃ、関係ねえだろ」
言われたとおり入り口で自分のサイズに合った専用シューズに履き替えた。すべりずらいよう、底が分厚いのが足の裏から感じられる。本条先輩がさっさと自分のボールを選んでいる間、上総は二段に分かれたボール置き場の前で適当にボールを弄っていた。三角形に三つの指穴が空いている。人差し指と親指と中指を最初、つっこんでみて持ち上げてみる。やたらと重たいのもあれば、軽いのもある。
「先輩」
「どうした?」
とっくの昔に藍色のボールを選んだ本条先輩が上総の声に呼ばれて近づいてきた。
「これ、どう選べばいいんですか」
「あ? ああ、お前やったことねえんだもんな。ってかなんて持ち方してるんだ!」
思いっきりはたかれた。指をつっこんでいたボールを引ったくられた。
「あのなあ、立村。ボーリングのボールってのは、こうやって持つもんだ」
片手でボールを支え、中指と薬指を上の二つ穴に突っ込み、
「人差し指なんか使ったら折れちまうだろが。まずこうやって持ち、だ」
親指を残りの一つ穴に入れた。
「ま、最初はこのくらい軽いほうがいいな。とにかくやってみろ」
言われた通り上総は、中指と薬指、そして親指で持ち直した。残った指を広げるとなんとなく安定した感じで投げられそうだった。
「じゃあ、まずボールをラックに置いとけ」
言われた通りにするしかない。本条先輩がすべて場所を選んでいた。投球場、と言えばいいのかわからないが、奥に十本ピンが並んでいるところみるとここで転がすんだろうか。
「あのな、レーンって言うんだ、常識だろ」
「すみません」
まるで知らないのが非常識、とも言いたげな口調だ。
「やったことありませんから」
「そう開き直るんじゃねえ。ま、まず見てろ。俺がお手本を見せてやる」
上総をまず、アプローチと呼ばれるワックス塗りの投球場所へと連れて行き、
「ボーリングってのはな、こうやってやるんだ」
一歩片足を引き、軽く助走、その後振り子運動そのものにボールを持ち上げ、
「そりゃあっ!」
気迫に満ちたその表情でもって、勢いよく投球した。まっすぐ、真中を猛スピードで転がりぬけるボール、やがてピンの前でほんの少し、右に曲がった。
──外れる?
上総の目の前で曲がったボール。まず左のピン。その後一秒遅れて他のピンが、またその脇のピンが、という風にたらたらと倒れ始めた。吸い込まれるのがあっという間だったボールに比べ、ピンの倒れる速度が妙に遅い。気がつけばすべて倒れきっていた。
「ストライク、ですか」
「その言葉は知ってたか」
「はい、常識ですから」
言い終わる前に本条先輩にげんこつでごりごりやられた。
「あのな、そういう時は『さすが先輩、ナイスっすねえ!』くらい言え! 南雲だったら言うぞ。派手に拍手なんかして、俺に抱きついてチューくらいするぞ」
「そういう趣味ないです」
もちろん褒める時は褒めるけれども、たかがボーリングのストライクくらいで拍手を求めるほど本条先輩は軽い人間ではないと上総は思う。
「南雲とは違いますから」
休憩所……本条先輩からは「ボーラーズベンチ」と呼ぶことを後で聞いた……へ戻り、上総は自分の借りてきた黄色いボールに指を入れた。習った通り、人差し指は使わずに中指と薬指、最後に親指の順番で。
「ったく、なあにいじいじしてるんだよ。ほら、こっち来い。次はお前の番だ。おっと待て、隣が投げ終えてからにしろよ」
そういうルールらしい。言われるまま上総はさっきの投球場……正式名称「アプローチ」へと向かった。
「まず、まっすぐ前を見ろ」
腕をひっぱられ、されるがままに中央へ立つ。
「何も考えるな。まず、真正面のピンを見ろ」
次に本条先輩は、上総が持っているボールをつつき、一歩後ろへ下がるよう指示した。
「その腕を腰あたりまで上げろ。お前右ききだな」
「はい」
「それじゃあ、右足から四歩でこのラインまで行け。決してはみ出すんじゃねえぞ。そこでこうやって、振り子の気持ちで腕をこうやって投げる」
「振り子の気持ち、ですか」
「そういうことだ。おっと、投げるってのは落とすことじゃあねえぞ。ほら、まずはやってみろ。身体で覚えろよ」
上総は本条先輩の言った通り、四歩、右足から助走し、言われたとおりに投げた。
投げたというよりも、レーンに落としたといった方が正しかった。静かにころころ転がっていくが、まっすぐイメージしたはずなのにいつのまにか左へと溝へ落ちてそのまま吸い込まれていく。ピンは全く動かないままだった。
「やんやお前、ガーターやってるんじゃねえよ! ほらこっち来い。もう一度投げてみろ」
「え、二回連続でもいいんですか」
ルールなんか知らない。今度はあきれるそぶりも見せずに本条先輩が説明してくれた。
「ボーリングってのは、二回投げて、そこできっちり片をつけられりゃあいいんだ。いいか、次は右に立って、少しゆるゆる投げてみろ。投げるって言うか、転がす方がいいかもな。こうやって、右腕をだな……」
本条先輩が直接腕を取り、身体から教え込もうとしてくる。
上総もそれをそのまま受け入れて、言われるがままに投球動作を行う。
助走は緩めに、腰を低くして今度は静かにレーンへと流す。ボールはひょろひょろ揺らぎながらも斜めに転がり、かろうじて奥へ吸い込まれる寸前にぱちんとピンを倒していった。しかもそのピンが、隣、また隣と重なっていき、右の一本を残すのみ。
「よっし、初めてにしては上出来だ。要領は分かったな。じゃあ次は俺だ。よっく見てろ」
本条先輩は肩を叩きながら上総をボーラーズベンチへ連れていき、座らせた。
「こういうのは慣れだからな。まずは俺の言った通り、やってみろ」
最初はとにかく適当に投げていた。転がすといった方が近いだろうか。
本条先輩のように髪を振り乱し、ラインぎりぎりまで爪先立ちで投げるのもひとつのやり方だろうが、自分にそれは向いていないともわかっていた。右端に向かってわざと斜めに転がしてみたり、真っ直ぐのようにしつつもぎりぎりガーターを滑らせたり、なんとなく直感に任せてゲームを進めていくうち、少しずつ勘がつかめてきた。
──ただ、まっすぐ投げるだけでは意味がないんだ。
流れているのか、それともすべらないようにぐにぐに曲がっているのか、それはわからない。ただその滑り具合がどこかひっかかり、するする進まない。見ていて重たい。
一番ゆるく投げたボールが、初めてのストライクを演出した。
ピンがゆっくり、順番に倒れるのを上総は黙って眺めていた。
「よっしゃあ! ストライク取ったな」
「はい」
食い入るように背中から見つめられていたことに、振り向いて初めて気付く。
本条先輩が手招きして上総をボーラーズベンチへと誘った。
「もうちっと、嬉しそうな顔をしろ」
「はい」
「燃えねえのか」
問われても困る。全く、燃えない。炎になれない。
「大抵の男は、もっとガッツポーズしたりなんかするだろうが」
「する気にならないだけです」
上総はそれだけ告げ、コーラを一口飲んだ。
「勝負師にはなれねえなあ」
「なる気ないです」
「そのだるさはいったいなんだよなあ。まあいいさ。お前もこれからそんなだるだるなこと言ってられなくなるからな」
そのまま本条先輩は立ち上がり、腕をぐるぐる回しながらレーンへと向かった。
──そうだよな。
なぜか、運動関連の行事に熱くなることがついぞない。
こうやって本条先輩に連れられていろんな遊びを教え込まれてきた。
ボーリングに留まらず、中学時代はバッティングセンターやスケート、その他さまざまな遊び場での時間つぶし。泳ぐのは嫌いだけども本条先輩の命令には従うしかなく、夏は毎週プールに引きずり込まれたりもした。同じ球技でもテニスやバドミントンでは勝ち目がなかったが、唯一卓球では本条先輩を叩きのめすことができた。
でも、つまらないのだ。
──勝っても、それがどうしたっていうか。
また気合の一声を挙げ、レーンに勢いよく投げ込む本条先輩を眺めた。
上総が手からボールを離す時とは違い、進む方向からしてしっかり目標を定めていることがよくわかる。それでいて、直線に投げすぎない。決めるところは決める。
──本条先輩もそうだけどさ、なんでみんな勝ち負けに拘るゲームが好きなんだろう。
こういう性格を本条先輩は「女だな、まったく」と表現するのだろう。自分でもわかっている。だからといって自分自身を勝負好きのエキサイティングな性格に変えることなど出来はしない。本条先輩はきっと、南雲や天羽のような、いやさっき一緒に連れ歩いていた総田のようないかにも勝ち負け大好きといった男子をひいきにしているのあろう。
本条先輩の投げたボールはレーンを走り、一本残したまま吸い込まれていった。
二投目の準備に取り掛かる。
「一本か……まあ見てろ」
ゆっくり顔の前にボールを挙げ、祈るようにひとつ頷き、そのまま本条先輩が左脇からたらんと落とす。ゆっくり、ゆっくり進んだボールがやがてピンを弾く。派手な音が響いた。
──何をやるにも、派手だよな、先輩は。
それでも数回ストライクを経験すれば自信らしきものも感じられる。
二ゲーム行い、圧倒的大差で負けをくらった上総を本条先輩は覗き込み、まずさっさと支払いを済ませた。上総が半分払おうとする間もなかった。
「そろそろラーメンも腹ん中入るだろ」
「はい」
「じゃ、食うぞ」
どうやら本条先輩は相当飢えていたとみた。腹が減っている時は大抵人間狂暴になる。言われる通りにした。自転車で本条先輩の向かうラーメン屋ののれんをくぐった。駅前のくねった路沿いに並んでいた。お世辞にも綺麗とは言えない。
「ここはな、安い割にうまいんだ。特にとんこつがな。お前何がいい」
「しょうゆ」
きっぱり答えた。どうでもいいがどうしてそんな濃い味のものを食べたくなるんだろうか。
「おっちゃん、とんこつとしょうゆ一丁!」
カウンターではなく、テーブルに座った。それほど混みあっているわけではないが、それなりに人はいた。本条先輩の真向かいに座り、即出てきたラーメンをすすった。味が少ししょっぱすぎるような気がした。
「うまいだろ」
「はい」
味覚は個人の問題なのであえて何も言わなかった。
「それにしてもだ立村」
「はい」
ラーメンがのびないうちに勢いよく麺にかぶりついていると本条先輩が顔を覗き込んだ。
「俺以外につるむ奴、いねえのかよ」
「つるむことが好きじゃないです」
短く答えた。でないと、噛み切れない。
「わざわざうちの学校にまで愚痴るってのはどういうことだ」
「まだ愚痴ってません」
失礼なことを言うものだ。上総は改めて言い返した。
「たまたまこっちに来たかったから寄っただけです。先輩の学校がそんな酷いとこかも確認したかったし」
「またそうやって言い訳するんだな」
意に介さずひたすらラーメンをすすりつづける本条先輩に、頭の中がしょっぱくなる。
「してません。俺はただ、期末試験一週間前だから先輩も暇かなと思って遊びに誘いに来ただけです」
「読みは正しいな」
さらりと流される。こういう時南雲や天羽だったらどう切り返すのだろう。想像がつかない。本条先輩が上総のお守をするためにしかたなくボーリングへ連れ出したのか、今こうやっている間も実はいやいやなんじゃないだろうか。塩気で身体がいっぱいいなりそうだ。なんとか平らげて、スープをちりれんげでかき回した。行儀悪いと言われてもしょうがない。
「俺だって友だちと遊ぶことはありますよ。天羽とか、南雲とか、羽飛とか」
「ああ、お前のことをがきんちょと思って、面倒みる形だなあいつらは」
なんてことだ。完璧に本条先輩は上総を他者からみても「弟」だと決め付けている。
断じて抗議したい。ちりれんげを器に沈めたまま言い返したい。
「手のかかる弟だからあいつらも苦労してるだろうよ。これじゃあ後輩が懐かないわけだ。新井林で懲りただろ」
冗談じゃない。上総が「弟」として見られて構わないのは本条先輩だけである。
「新井林とは価値観が違っただけです」
きっぱり答えた。
「別に懐かれなくてもいいですけど、まとわりついてくる奴は後輩でもいます」
「ほお、どんな風にだよ」
スープの汁まで平らげた本条先輩は、額にかいた汗を手の甲で拭い、面白そうに上総を見つめた。
「こっちは迷惑してますが、二年下の男子が最近しつこく俺に話し掛けてきます」
当然、頭に思い浮かべるのは王子面した霧島の、おごり高ぶった平家みたいな姿である。
「評議の奴か?」
「いえ、違います。ただたまたま面倒みることがあって、それ以来、毎朝俺に一方的な話をしにくるんです」
生徒会の問題はもちろんのこと、霧島家の家庭事情、役立たずの姉であるゆいの存在価値の有無について、その他愚かな女子たちのレベルについてなどなど。上総はただ、相槌を打つしかない会話。
「へえ、そりゃおもしろいな」
「おもしろくなんかないです。あんまりうるさいから、なんでそんなに俺にくっついてくるのか聞いたら、言動がおもしろいからとか言いやがって!」
言ってはみたが、聞いた瞬間と比べると腹も立たなかった。
「いくら追っ払ったってくっついてくる、その理由がわからないな」
本条先輩はしばらく笑いをこらえるように唇をぴたりと止めていた。
やがてゆっくりとにんにく臭い息を吐いた。
「そういう奴を黙らせるにはだ、まず第一に、どっか運動できる場所に連れて行く。たとえばボーリング場でもいいだろ。そういうとこで思う存分暴れさせろ」
人差し指を立てて、くいと曲げた。泥棒の意味と一緒。
「そうすりゃ、男同士なら伝わるもんだ。お前に教えたことなかったか」
「それは、そうですけど」
──また俺のことを「女だな」とか言うんだろうな。
「そりゃそうだ。俺もお前にだけは、言葉で話さないとだめだとは思ってたからな」
いったん目を逸らし、指先で山椒の瓶をつつきながら、
「だが、お前みたいに面倒な奴は男じゃそうそういないだろ。立村、お前も自分ひとりの視点で決め付けるんじゃねえ。いいか、お前以外の一般的男ってのは、もっと単純なんだ。むしゃくしゃしたらまず、食い物と腹ごなしで十分にストレス発散できる生物なんだよ。お前みたいなのは例外なんだ。お前のことだからいきなりとっつかまえて、説教かましたんじゃねえのか? お前がいっつもされてるみたいに、だ」
その通りと言わざるを得ない。「おちうど」へ引っ張っていたのは事実だ。
黙っていると本条先輩はさらに畳み掛けた。
「お前の得意な卓球でもいい。とにかく思いっきり叩きのめして、その後でここのとんこつラーメンでもおごってやれば、大抵のいざこざは片付くものなんだぞ」
「信じられません」
──そんな単純なことで、霧島が大人しくなるわけないのにさ。
「ま、そうだな。立村にはそんなことしても効果がないのはよくわかってる」
本条先輩の独り言を上総はあえて聞かない振りをした。
ごちそうさま、そう一声本条先輩は言い放ち立ち上がった。
追う上総に本条先輩はきっぱり告げた。
「いいかげんお前も、弟卒業して兄貴になれよ」
上総は聞かない振りをした。