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深を射す 2


 朝っぱらからみな元気でよいことだ。

 いつものように上総が生徒玄関をくぐるとロビーの柱回りに備え付けられている椅子に座り語り合う連中がいる。陰では「外部三人組」とささやかれている。男ふたりに女ひとりという絶妙なバランスだ。夏服のYシャツをほとんど着崩さず、なにが面白いのか時折膝を打って笑っている。上総がいることに気が付いたひとりが、脳天気に挨拶する。

「立村、おはよう!」

 英語科一年A組、同級生の関崎乙彦だ。シャツこそきちんとボタンをかけたままだが、汗っかきなのかやたらと手で空気を喉元に送っている。ちらと他のふたりも上総に視線を向けたがすぐ、共通の話題へと戻っていった。六月第二週、まだまだ涼しいはずなのに。

 ──そういえば関崎は、朝バイトをしているんだよな。

 上総は挨拶代わりに軽く頷いてみせさっさと教室に向かった。

 一年A組の教室は一階の玄関すぐそば、昼休みは菓子パンの販売も行われる場所がロビー。昼休みすぐに買いに行けるのが育ち盛りの男子には嬉しい話だ。

 ──あと、遅刻しないですむ程度か、メリットは。

 英語科A組に所属することの利点を上総はあまり感じることがない。むしろかばんをおいたのち、友だちの固まっているC組に潜り込むことが多い。すぐに教室へ入ることができるというのは、居心地のよさにもよるが、なかなかしんどい。


「おはよ、立村くん」

 早めに集まっているのは男子よりも女子のほうが多い。中学の頃からその傾向は全く変わっていなかった。教室でちろと上総をねめつける視線が圧倒的に多い中、明るく声をかけてくれるのは、中学時代の同級生たちだった。

「おはよう、早いな」

 古川こずえと清坂美里くらいのものだ。ただし、古川がもともと英語科のクラスメートであるのに対し、美里は隣のB組所属だった。中学時代三年間、泣き笑いを共有してきた仲間たちが、クラス分かれした今でも自然に繋がっていられるのが上総には心地好い。

 美里はこずえと顔を見合わせた。

「だって今日、朝の週番だから。規律委員は大変なのよ」

「朝早いわけか、でも玄関にはいなくていいのか」

「うん、大丈夫。玄関がしまる直前に集まっていればいいから。まだ時間あるしね」

 上総は納得しかばんを机においた。確か規律委員の場合、遅刻者に違反カードを切る義務があるはずと聞いている。だがまだ一年の美里には、あまり面倒なお役目は回ってこないようだ。比較的規律委員会は、仕事の内容と相反して自由なところがあると、中学時代規律委員長を務めていた南雲秋世は語っていたが、高校はどうなのだろう。少し気に掛かる。

「立村、わりい、今日のグラマーの予習、ノート見せろよ」

「適当に見といてくれ」 

 集まっていた数少ない男子たちにも軽くあいさつをし、ノートを手渡した。

 さほど話すわけでもないが関係悪化しているわけではないクラスメートとはうまく付き合っていきたい。英語科と銘打たれているだけあって非常に授業はハードだと言われている。上総自身はあまり感じたこともないが同級生たちはみなひいひい言っている。ノートを差し出すだけで人間関係がうまくいくのなら、それに越したことはない。


「あのさ立村、関崎に会わなかった?」

 かばんから教科書とノートを取り出しながらこずえが問掛ける。机にもたれて、腕の週番ワッペンをいじっている美里も含め、今来たばかりのようだった。まだ八時を少し回ったところだ。

「玄関にいたけどな」

「やっぱりね」

 なにがやっぱりなのかはわからないが話を合わせておく。

「また外部の子たちと固まっているんでしょうよ、ね、美里」

 美里はしばらく返事をしなかった。こずえの支度する様子を眺め、

「関崎くん、そんなに外部同士のほうが落ち着くのかなあ」

 しょんぼり呟いていた。

 上総は聞こえないふりをした。答えは心の中にとどめておく。

 ──たぶん、な。


 いつからかはわからない。

 きっかけが新入生合宿の辺りからと情報はもらっているが、上総は確認していない。関崎がやたらと外部三人組でつるむようになったのは合宿第一日目のドッジボール大会でのご褒美、高級中華料理をいただいた際、たまたま関崎と外部生の女子が隣り合ってからと聞いている。現場を確認した一部の男子から聞くところによると、ほぼ初対面にも関わらず食事の席では、関崎とその女子、ふたりの世界をしっかり構築し、誰も入ってこれないバリアを張っていたという。。

 残念ながら上総は行きのバスで車酔いしてしまい、そのまま一日宿で死んだようにひっくり返っていたため、ふたりのいちゃつきぶり……と解釈しておこう……を確認はしていない。ただ、その日を境にやたらと楽しげに盛り上がっている外部三人組を見掛けるようになったわけだ。もともと外部生は放課後、補習授業が用意されているため、まとまりやすい環境下には置かれているのだが、それにしてもああしょっちゅうだべっているといやでも目立つ。外部生で必ずメンバーに加わっている女子が、静内さんというB組女子評議委員というところまでは聞いているが、それ以上は今のところ噂のみ。美里を通じて聞き知るB組事情で推測するだけだ。

 ──気の合う同士、語り合うのは別にかまわないが。

 上総はちらりと清坂美里を見た。

 元気がなさそうなのは単なる寝不足だけではなさそうだ。

「清坂氏、ちょっと」

 呼び掛けた。すぐに近付いてきた。

「なあに」

「これ、あげる」

 これから週番を控えている規律委員に渡してよいのかとは思うが、今渡しておかないとタイミングがずれてしまう。A4版の大きめ封筒にまとめておいたスクラップノートを用意しておいた。空気が紙と紙の間に入らないよう丁寧に処理したので、綺麗には収まっているはずだ。

「こういうの、好きかなと思ってさ」

 覗きこみ美里は小さく、歓声に似たなにかを声にした。

「うわあ、これ全部、外国の雑誌でしょ!凄い!立村くん、これ全部集めてくれたの?」

「うん、フランスなら清坂氏の好みかなとか思った」

 当然、そう答えた。

「もしかして、これって、バースディプレゼントってこと?」

「かなり遅れたけど」

 美里の顔に浮かんだのは、軽やかな満面の笑顔だった。

 この表情が心地好かった。

 たぶん、中学時代には感じなかった感情だろう。余計なものを求めてこないと知っているから、上総もめいっぱい美里にまっすぐ気持ちを伝えられる。

「ありがとう!これでまた、おしゃれ研究できちゃう。フランスの着こなしって日本と違って、ちょっとさりげないくせに可愛いの!」

 美里のおしゃれ談義は半分以上わからないので相槌だけ打っていた。

 すると聞き付けたこずえの茶々がやっぱり入った。

「ちょっとあんたたち、なあにエロ本の交換会やってんの!いくらお年頃でもねえ、朝っぱらからさあ」

 下ネタ女王の名をはせた古川こずえ健在である。大抵朝っぱらから身も心も立ち上がるような下ネタ挨拶をしてくるのは古川のほうが多いはず。最近は哀れにも関崎に矛先がむいている。耳には入っているが男子である以上しっかり言い返すのが義務。上総はいつも知らんぷりを決めこんでいた。当然ただいまの勘違い発言も無視をする。

「こずえ、変なこと言わないでよ!立村くんいやがってるでしょ!」

「関崎はまだ来てないから大丈夫」

「そんなんじゃなくて!」

 美里はいきり立った風に言い放ち、時間割の隣に張り付いている時計を見あげた。

「あ、そろそろ行かなくっちゃ! 週番の時間!」

 すばやくかばんに上総の渡した封筒を押し込んだ。

「立村くんありがと!じゃあまたね!」

 急ぎ早にA組から飛び出していった。

 ──そうか、やはりな。

 関崎の前では、上総との過去を匂わせたくないと、そういうわけだ。


 修学旅行最後の夜にあわや不純異性交遊すれすれの行為をふたりでやらかし、その後何度もぶつかり合い、やっとたどり着いたふたりの場所。

 もちろん美里と「付き合い」を経験したから得られたたくさんの思い出や感情もあるけれど、今、ようやく友だちという場所でおだやかに語り合えることに感謝している。

 他の生徒たちからは

「立村は清坂に愛想つかされて逃げられた。今はお情けで友だち付き合いしてもらっているだけ」

という見方をされているがそんなのは気にならない。

 上総からすると「付き合って」いた頃よりもずっと、美里を身近に感じる。好きだ嫌いだと言い合うよりも、三年間で集めた美里情報をもとに喜ばせたいと思う。そして美里も素直に両手を出して受け取ってくれる。気持ちの往復が行われて完結し、めんどうなことはなにひとつない。与えたものを受け取ってもらえることが、こんなに嬉しいとは中学時代考えてもみなかった。

「立村、ちょいと聞いてよい? 杉本さんから修学旅行の報告は受けたの?」

 こずえが上総のノートを勝手に持ち出している。英語のリーダー訳だから別にかまわないのだが、下ネタ襲撃を覚悟しておいたほうがよい。こずえと語る際には欠かせないチェック項目である。

「関崎のこと、相変わらずなのかねえ」

「そんなの知るか」

 こずえには過去三年のこっ恥ずかしい事件をしられているわけだから、隠すことはほとんどない。かといって大声で言い返す必要もない。ぼそりとつぶやくだけだ。

「で、聞きたいんだけど立村さ、最近いろいろ噂を聞いてないかなあ」

「なんの」

「ほらさ、中学の生徒会とか、杉本さんと佐賀さんたちとの戦い状況とか」

「俺の仕入れる情報は片寄ってるから役立たないだろう」

 さりげなく交した。こずえの意図するところはだいたい読めていた。

 かつては評議委員として動き回っていた上総には、それなりに附属中学上がりのネットワークを握っている。杉本梨南がらみの出来事もそうだが、それ以上に本条先輩のワンツーマン教育を受けた唯一の生徒だ。たとえものにならずとも、いざという時のために準備だけはしている。たとえばある日、担当委員が転校したりして空席になったら、上総の集めてきたデータはおそらく役立つだろう。元評議委員長だった天羽あたりに……もちろんA組の委員連中も対象ではあるが、おそらくお呼びはかからないだろう。

 上総のかつての経験を、高校入学後初めて評議委員を務めるはめとなったこずえはかなり欲しているようだ。こちらから無理には教えないけれども、頼られたらやっぱり協力したいと思う、それも本心だった。

「だからあんた、そう卑屈になるのいいかげんやめな!ったくいつまでたっても本当に成長しないねえ」

 嫌味をひとくさり。すぐに続けた。

「いやね、ちょっと気になることあるんだけどさあ、たいしたことないんだけど」

 こずえの勘は鋭い。鼻が利く。最近何か事件が起こったとは聞いていないが、こずえが第六勘で感じるなにかがあるのだろう。今後のために情報収集したい。さりげなく尋ねた。

「たとえば」

「ほら、最近男子たちがさ、千代紙細工のアクセサリーとか指輪とかちらつかせてるじゃない、あれ、なんなのさ」

 ──やっぱり流行り出したのか。

 二週間前に上総が杉本梨南から奪い取った品の類らしい。もっとも上総は学校に持ち込むようなことはしない。我が家の机の引き出しの中に鎮座ましている。

「この前、東堂が没収された指輪のことか」

「そうそう、あいつが中学の不良彼女からもらったって奴。あれからやたらとね、男子連中が赤とか黄色とか乙女チックな花柄を指先やらノートやらいろんなところにちらつかせてるのよね」

「それは中学の修学旅行がきっかけだろう」

 一応、そしらぬ顔で続けた。

「なんでも体験実習とかで千代紙細工の講習があったらしい。それを土産にしただけだろうな」

やっと合点がいったのか、こずえは三回手を打った。何度も頷いた。

「そっか、そういうことかあ。だから南雲が大量に千代紙グッズを押し付けられていたって訳かあ」

「中学三年の南雲ファンが渡したんだろうな」

 上総は強引に奪いとったが。

「恋が実るおまじないってとこね。いいじゃんそれ。だからかねえ」

「何が」

まさかとは思うがかぎつけられたのだろうか。気になるがポーカーフェィスを決めこんだ。

「なんで藤冲もあんな千代紙細工の指輪もっているんだかって思ってたけど、そうか、中学に彼女ができたか」

 藤冲については上総としてはノーコメントである。

 知ってか知らずかこずえはノートを写しながら続けた。

「まあね、おくればせながらあいつにも春が来たのはめでたいことだけど、評議委員会をああおおっぴらにさぼるのはどんなもんかと思ってね」

 ──そうか、探りをいれたいというわけか。

 もう少しつっこんでみた。

「今の時期さぼると、上から目をつけられないのか」

「つけられまくりに決まってるじゃんよ。まあね、あいつも最近やる気ないのかなとも思うけどね。で、最近流行りの千代紙手帳なんか持ってるし」

 ──相手は誰なのか確認していないのか。

 その点だけ気になった。古川こずえの性格で、そのことを調べ尽くさないわけがないと思う。まだ確認できていないのだろうか。


「そんなに気になるのなら、聞いてみたらいいだろ。ここで俺に文句いってないでさ」

 意外そうな顔でこずえは見返した。

「立村かまさかそんなこというとはねえ。みんなからさ、あれだけべたべたされたくないとか騒いでるくせに」

「あのさ、今の問題は評議としての活動を手抜きしているということだろう?」

 痛いところを突かれたがあえて流す。話を逸らさないのがコツだ。

「俺の言いたいのは評議委員という立場から見た上で、どうすべきかってことなんだ。もちろん、誰かと付き合ってどうのこうのという話は立ち入らなくとも、委員会活動をないがしろにする訳は聞いてみる必要があると思う。俺が古川さんの立場なら、そうするな」

「なるほどね、そういう訳かあ」

「それとついでに」

 上総はもうひとつ付け加えた。

「複雑な事情があるようなら古川さんの胸一寸に押さえておいてその上で放置するというのも手だよ」

「複雑なことってなによ」

「たとえばその相手の事情、いじめられていて仕方なく守っているとか、その他いろいろあるだろう。評議連中には話せないことならあえて放っておいてもらった方が助かる。とりあえず今古川さんがすることは事実関係の確認だけじゃないかな」


 こずえは上総の意見を珍しく黙って聞いていた。

 眉間に皺までこしらえている。

 耳年増なのはいつものことだがまだ十五、十六のみそらでそんなに老け込んでどうするのだ。

「立村、あんたも鋭いこと言うね」

 少し言葉をくぐもらせたが、すぐにきっぱりと割りきった口調で。

「けどさあんた、今のままで本当にいいわけ? 私にアドバイスして、今の意見をすべて私の手柄にされてさ、それで満足できるわけ?」

 いきなり真面目に問い掛けられた。言われた意味がわからず問い返すしかなかった。

「なにがだよ」

「なんでもないよ。ちょっと思いついただけ。いろいろサンキュ。助かるね」

 それ以上こずえは何も言わずに、戸口を見つめた。会話の対象その二、の登場だ。

 ──今日もあいつに朝から下ネタ攻撃するってことだな。

 上総はひそかに心の中、合掌した。関崎もこの三ヶ月、たっぷり古川こずえ下ネタ女王様の洗礼を受けているのだ。


「立村、おはよう」 

 毎日、よせばいいのに元気なあいさつだ。

 上総がため息まじりに小声で答えるといつものようおになにか話したさそうな顔をし、近寄ってくる。

 しかしそれが果たせたことはほとんどない。関崎の周りにはすぐに、

「ねえ関崎、今日の朝の一発。しっかり実がつまってた? それとも出しちゃった?」

 さっさと席を移動したこずえが話しかけているし、

「関崎、今日はひまか? また結城先輩にとっつかまってたのか?それは災難だ」

などと兄貴風ふかせて話しかけるいかつい顔の藤冲が、

さらに、

「関崎、これ、ベースボールカードの本、入ってきてないかなあ」

とぽよんと張り付く片岡がいる。

 ──兄と弟とお姉さんにかこまれた擬似兄弟の図。

 とてもだが嫌われものの上総は近付けないし、その気もない。

 ──それでいいんだ。


 外部入学生というハンデを考えるならば、関崎のためにも近寄るべきではない。

 関崎乙彦が入学してくるとわかった日から、上総は覚悟していた。

 公立中学から入学してきた関崎にいかにも旧知の親友面して近づくよりも、最初から嫌われ者のひとりとしてそっと距離を置くのがお互いのためにもよいことなのだ。

 ──清坂氏、もうそろそろB組に戻った頃か。

 これから先、美里が関崎への想いをあからさまにするであろう日のためにも、かつての交際相手だった自分が目立つのは決して、許されないことだ。

 


 

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