14
話すことはない。動くだけだ。
「立村、少し時間をもらいたい」
「断る」
あっさりとこの一週間、上総は藤沖を交わしていた。間に球技大会が入ることもあったが、そんなこと関係なかった。自分の与えられたポジションを適当に守り、あっさりと終わらせることに専念していた。藤沖、および関崎とは別の種目だったこともあり、あまり接することはなかったように思えた。しかし、藤沖のアプローチはしつこかった。何度振り切っても、めげずに迫ってくる。
最初の三日くらいは藤沖も、少し踏ん反りかえった感じで上総に接して来ていた。やはりいきなり腰を低くすることに抵抗があったのだろう。しかし上総が一切態度を変えずにいると、いろいろ察したのだろう、頭低く近づいてくるようになった。
「霧島からいろいろ話を聞いているとは思うんだが、頼む、俺の方の事情も、話だけでも聞いてくれないか」
「俺は聞きたくて聞いているわけではない」
上総は突っぱねた。実際その通りなのだ。
霧島が「土曜日の放課後に」と約束をしたにも関わらず、待ちきれずに次の日、また次の日の朝と顔を出すようになり、しかたなく上総が相手をしているだけのこと。それも例の事件の話とは別に、最近は霧島家の事情について頼みもしないのに語り始める。球技大会の当日もわざわざ現れたのには上総も驚いたが、
──きっと、後腐れなく話す相手がいないんだな。
そう察して、黙って受け止めることにしていた。
だが、それはわざわざ上総が聞きたくて聞いているわけではない。
藤沖が話すことといえば、渋谷名美子をかばうゆえのごたごただろうし、すでにそれは霧島から聞いている。霧島はもちろん偏りのある判断を下しているだろうが、同じことは藤沖にも言える。またどちらの観点からいっても、割を食うのは無実の杉本梨南であることが証明されている。上総のすることは、杉本梨南の正真正銘の無実を証明するだけであって、その後の生徒会内紛にまで口を出す気はさらさらない。
昼休みだった。だいぶ天気が持ち直してきた。先日まで少し雨が続き、球技大会中はどろんこサッカーをやらされたチームもあると聞く。
C組に向かおうとした上総を捕まえ、藤沖は再びくどきだした。
「俺は生徒会OBとして、これ以上の混乱を押さえる義務がある。もちろん、そのためにできるだけのことはするつもりだ。ただ、これ以上話が大きくなると、ただの生徒会内紛では済まなくなる。そのために、なんとかしたいんだ、頼む立村。まず話だけでも」
「女々しいな」
いらいらしてくる。思わず毒のある言葉を口走ってしまう。
今、目の前にいる、卑屈な態度ばりばりの藤沖を、どうにかして追っ払ってやりたく思う。
「話を聞いても、俺は態度を変える気などない」
「今までのことは、俺が悪かった。だから」
いきなり謝りの言葉が飛び出し、ぎょっとする。足が止まる。上総は静かに藤沖の手を外した。
「藤沖、謝る必要はない」
「立村?」
「例の件で俺に腹を立てたのは正しいんだ」
「いや、俺は」
言いかける藤沖をぴしゃりと黙らせたかった。
「同時に俺が、あのことで考えを変えないのも正しいと思う」
「それは」
「言いたいことは以上だ」
さらに問いかけようとする藤沖を振り切り背を向けた。C組連中を捕まえてだべろうかとも思ったが、やめた。
球技大会にかまけて、忘れていたことがある。これをやらねばまずいだろう。
上総は高校校舎をまず出ることにした。すがりつくような藤沖など、振り返る気もなかった。
昼休みは二十分間。その間に高校と中学と往復するのはかなりぎりぎりラインだった。
──杉本、いるかな。
まずは全力で走りながら考えた。
──最近顔を見てないから、向こうが心配してくれてるんじゃないか。
まずありえないことも考えた。杉本とは霧島の訪問に伴い、どうしても顔を合わせる時間が取れなくなってきている。さすがに今のところ霧島は、放課後近づいてくることはない。仮にも生徒会副会長たるもの、放課後を自由時間にはできないらしい。いったい上総と先日「おちうど」でお茶した際は、どういう言い訳をして生徒会室に戻ったのか、気がかりなことではある。
──藤沖がどういう一手を打ったのかはまだ確認取れていないが、霧島が跳ね返したのは事実だろうな。それにうちのクラスへしょっちゅう顔を出しているのも、威圧条件になるだろう。
校舎を挟む林を抜け、急ぎ早に中学校舎へ向かう。すれ違いになぜか東堂と顔を合わせた。同じく時間を見つけては中学校舎へ走っていると噂のある御仁だ。
先日の、少し違和感あった対話を思い出しつつ、
「東堂」
声をかけた。グラウンドの入り口で足を留めた。
「立村も、用なのか?」
この前、貴史が美里の件について話をしたというはずだが、その件について問い合わせる暇はない。
「ああ、そうだ」
簡単に答えると東堂は頷いた。
「お兄さんとして、手のかかる妹を持つと大変だねえ」
これには答えないでおいた。東堂以上に苦労をしているとは思えない。
「おたくの妹さんは、今、グラウンドにいるよ。鉢巻しめてる」
「五時間は体育か」
「そういうこと、じゃあねえ」
最後はやっぱりおちゃらけて林へもぐりこんでいった。めがねが随分曇っていたように見えたのは、別に空の雲が映ったわけではないだろう。どうでもいいようなことを思った。
──体育か、ならすぐ捕まるな。
方向転換をしつつ、まずは広いグラウンドを見渡した。わずかの休み時間を利用してサッカーしている連中に敬意を表しつつ、上総はまず、女子たちの群れを探した。杉本の所属するクラスはB組だから、AB組合同での活動となるだろう。この時期外で行う種目となると、ハードルとか走り幅跳びあたりだろうか。
杉本がやっていそうなことを頭の中で探す。
まず、一般的な女子たちと違い、いわゆるおしゃべりにうつつを抜かしているとは思えない。頼まれもしないのに用具を準備したり、ひとりでアキレス腱を伸ばしているようなことをしているのが杉本だ。そういう姿を探した。
──おそらく、あれだな。
すぐに発見した。上総の読み通り、杉本はひとりで白線引きチョークを引っ張り出し、もうひとりの女子と一緒に丁寧に引きなおしていた。どう考えても自主的な行動であって、教師の指示ではないだろう。お付き合いしてくれる女子が万が一佐賀はるみだったらどう行動すべきか少し迷ったが、幸い全く関係ないようだった。
上総は近づいた。気がついたのは杉本よりも先に、隣の女子だった。同じ白のポロシャツに、膝近いスカート風の青いショートパンツ。身体のラインは露骨に出ない格好だった。
「杉本さん、ほら」
先輩なんだから礼のひとつくらいでも、とも思うのだが、そんな気遣いは無用のようだ。
「立村先輩ですか」
杉本はそっとチョーク引き道具を足元に引き寄せ、ゆっくりと尋ねた。ポニーテールを高く結い上げた姿は今まで通りだった。
「それ以外誰に見える?」
「何か御用ですか」
いつものように、棒読み口調だった。全く変わっていない杉本梨南だった。
上総は腕時計を軽く持ち上げて目で追った。まだ五分弱残っている。高校校舎へ戻るならまだぎりぎりなんとかなりそうだ。次に空を見上げると、慣らされた雲の間から鋭い光が濃い影をこしらえつつ射していた。熱中病にならないですみそうな、ぎりぎりの暑さだった。
「これから何やるんだ? プールじゃないのか」
「はい、ハードルです」
「じゃあこれからハードル運ぶのか」
「お手伝いいただかなくて結構です」
そんな暇なんてない、と言いかけるが、その言葉自体が無駄と知る。時間がないのだ。
「いやさ、言いたいことあったから」
「今でなくてはいけませんか」
どうやら杉本は律儀にも、ハードルを体育器具室から運んでこようと考えているらしい。
「先生から指示されたのか? お前一人でやれって」
「いえ、私がやるべきと判断したからです」
「別にいいだろ。他の人も手伝ってくれるからさ」
授業中によほど指示を出された時でなければ、上総たちの頃は一切手を出したりしなかったのだが。杉本は唇を不満げにひねった後、上総に言い放った。
「お時間はあとでよろしくお願いします」
「いや、今でなくちゃだめなんだ」
上総は近づいた。隣で「杉本さん、いいよ、私代わりにやったげるよ」と囁いている桜田を見た。どうやら彼女はA組らしい。左胸に刺繍された校章ワッペンの下にAの文字があしらわれていた。
「すぐに終わる。君もそこにいてくれないか」
「へええ?」
桜田がぽかんとしながら、それでも杉本から線引き用具を受け取った。並んでみると体育着の上半身だけやたらとふっくらしてみえる杉本と、その足の細さとが際立っているのがよくわかった。それなりに全体に肉感ある桜田とは違う、人形っぽさに目が戸惑った。
「桜田さん、君は杉本の親友だろう?」
「はあ?」
まともな会話を上級生と話すことに、どうやら桜田は慣れていないようだった。上総の問いかけにも、ただにやにやするだけで言葉を返そうとしない。東堂はどういう風にこの女子と話をしているのだろうか、ふと疑問を覚えた。
かまっている暇はなかった。杉本に向き直り、一歩近づこうとしてやめた。やはり、胸のふくらみがTシャツ素材のものだと目立ちすぎるのが目に毒だ。全く意識していない杉本は軽くふたつの丸いくだもののようなものを、正面立つ拍子に揺らしていた。
「この前話したことなんだけどさ、杉本」
目線を口許に向けた。
「事情が変わった。例の修学旅行の濡れ衣の件だけどさ」
今度は桜田を見た。訳のわからない顔をしていた桜田だが、いきなり目が真剣になったようだ。大きく頷いた。よしよし、やはり杉本の味方になってもらえそうだ。
「この前俺は、余計なことを言わずに噂を七十五日〆にしておけば大丈夫だとか、わけわからないことを言ってしまったけど、取り消す」
「何を取り消そうとおっしゃるのですか」
言葉は棒読みのままだけど、かすかに険しいものが混じった風に聞こえた。その杉本を訝しがるかのように背後へ、同じ青の夏体操服姿の白い脛を出した女子たちが群れ始めた。
上総が杉本に話し掛けている時から、集団の気配に気付いてはいた。
最初は二、三人程度だったが、やがてA、B組あわせてだろう、ほぼ二十人以上の女子が取り囲み始めていた。
女子がそれだけ集まっているということだから、副産物の噂、ひそひそ話もたんまりと。
上総はその女子たちをぐるりと見渡した。B組には佐賀はるみがいるはずだ。杉本を傷つけるな、とばかりに割って入られないうちに帰るつもりでいた。しかしこれは神の配剤。またとない好機。運が巡ってきた。
──ギャラリーが揃ったな。佐賀生徒会長もいる。
今、上総は杉本梨南と一対一。何も怖いものはない。
「杉本。最後の確認だ」
自分が知りたいからではない。杉本梨南を遠目に眺めている彼女たちに見せるための演出だ。杉本は真正面から頷いた。
「はい」
「お前、修学旅行四日目の夜に、ふとんに地図なんて、描いてないよな」
「当たり前です」
ごくごく自然に、杉本は言い切った。隣で桜田が、
「そうよ、私が証人になるよ!」
きっぱり第三者として証人の名乗りを挙げた。どういうことなのか調べておきたい気もするが、今は時間がない。また次回にしよう。
「証拠も、証人も揃ってるってことだな」
「はい。その通りです」
凛と、杉本梨南の声が雲を割った。
雲間より光がこぼれんばかりにグラウンドへ注がれた。
ギャラリーのざわめきが、ぴたりと止まり、ふたたび揺らぎ出した。もう一度上総はギャラリーたちの面々を比べ見た。やはり佐賀はるみの姿が後ろから見えた。さすがに割って入ってはこなかったが、上総と杉本との対話について情報を他女子から得ている様子だった。面倒なことになるのはいやだ。退散しよう。
「以上だ。あとは任せた。いざとなったら俺も助太刀する。それと桜田さん……だったっか」
札付き不良少女にしてはちんまい感じの女子だが、確かに身体つきに他の女子とは違った雰囲気を感じた。うまく言えないのだが、ある種の「経験」によって得ているなまめかしいにおいといえばいいのか。身体つきの具体的な要素だけあげれば杉本の方がかなり胸のふくらみなどすごいものがあるのだが、それとはまた別の「何か」がある。
桜田はまた、上総の顔を真面目に見上げた。言葉は出てこないようだが、感じるものは確かにあったらしい。上総の心中で蠢いていた疑念のようなものも、さっきの証人出頭発言により払拭した。要は杉本の味方であればそれでよい。杉本の友だちを勘繰ることは、人をみる目を疑うこととイコールであり、すなわち杉本梨南を見下すことと同じである。
「今のこと、東堂に話してかまわないよ。隠すことでもなんでもないから」
「話すけど……?」
敬語を使おうとしない人なのだと、上総はあっさり納得した。時計の針はあと一分。もう授業にはまにあいっこない。ならば、言うべきことはすべて言い切って去ろう。
「杉本、いいか」
今度は一切他の連中を視界にいれず、杉本だけをじっと見つめた。はっと杉本が息を呑む気配がする。何か上総の顔に浮かんでいたものがあったのか。
「俺が許す。生徒会だろうが教師だろうが、とことん戦って来い」
「立村先輩、私は」
言いかけた杉本を遮った。きっと杉本はまだ、渋谷名美子ひとりを相手にすればいいと思っているに違いない。だったら一対一で話せばわかると信じているかもしれない。しかし、見えないところで糸を引き出した奴の存在を見つけた以上、奇麗事ではすまない。
「濡れ衣着せようとする連中は遠慮なく叩きのめせ。お前にはそうする権利がある」
「立村先輩、それは」
「あとでまた、詳しいこと話す」
遠くで高校校舎の鐘が鳴っているのが聞こえたような気がした。実際はよっぽど静かでない限り聞こえたりしないのだが。時計はちょうど休み時間二十分の終了を終えた時刻を指していた。上総は杉本にもう一度眼差しを送った。
「立村先輩」
ふたたび杉本が上総を呼び止めた。隣の桜田がなぜか手を小さく振っている。
「どうした」
「戦ってよいのですね」
言葉が震えていた。
「そうだよ」
「ありがとうございます」
上総は振り返った。ゆっくりと杉本が、「きょうつけ」の格好できちんと一礼をした。