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「立村先輩、いらっしゃいますか」

 朝八時前だった。人前では堂々と背を伸ばし、霧島が一年A組の教室へと入ってくる。同時にちらと他の連中に礼をして上総の机の前に立った。

「ああ、おはよう」

 間抜けな挨拶を返すと、

「お時間よろしいですか」

 有無を言わさず廊下へ連れ出そうとする。

「ああ、構わないよ」

 これもまた、先輩らしからぬ、威厳のない答えでもって廊下へ向かう。そのまま霧島は生徒玄関をもう一度降りて、わざわざ体育館脇の影落ちる場所へ連れて行くわけだ。本来なら先輩が後輩を連れ出すパターンなのだろうが、霧島は全く逆転行動を気にしていないようだ。

「霧島、何の用だ」

「昨日の話の続きです。お時間をお願いいたします」

「まだ土曜日ではないはずだが」

 本来なら、A組教室で了承を得るべき問題じゃないだろうか。悔しいが上総はこういう場合、むげに突っぱねるだけの根性がない。どうせ先輩風吹かせたってけっと笑われるのが関の山。黙って頷いた。腰の高さの階段に腰掛ける。それを見下ろす形となるのが霧島だ。

「実は昨日、あの後生徒会室にて動きがありました」

「動き?」

 一応は関心ある風に尋ねてみる。きっかけを作ったのは上総なのだから、受け入れないとならない気持ちはある。全く興味がないわけではないし、杉本の今後を考える上でも情報は欲しい。しかし、

 ──ここまでしゃべっていいのか? 霧島? お前副会長だろう?

 その疑問がどうしても消えない。 

「僕が先輩とお会いして後、生徒会室に戻ったところ、藤沖先輩がいらっしゃいました。佐賀生徒会長と相談されていらしたようです」

「例の一件をか」

 そういえばまだA組の教室には来ていなかった。

 霧島は肩を無理やり怒らせるようにして、唇を結び直し、語り出した。

「そうです。どうも最近気になるのですが、藤沖先輩の言動に違和感がありまして、僕なりに様子を見ておりました」

「何か変わったことでもあったのか」

「はい、どうも最近、藤沖先輩は渋谷先輩と一緒に校門を出ているらしいとの情報がありました」

 ──やはり後輩のことは心配なんだな。

 藤沖が元生徒会長であること、および生徒会が不穏な状況に置かれていることなどを考えると、心配したくなる気持ちもわからなくはなかった。仮に評議委員会が新井林以外の頼りない奴中心に回っていたとしたら、先輩たる上総もやはり、声かけたくなるものだろう。

「俺の記憶だと、あまり藤沖と女子たちとはうまく行ってなかったらしいように聞いていたが」

「はい、その通りです。ですが最近は方向展開されたようです。いろいろとお考えがあるようで」

 皮肉っぽく、甲高い声で霧島は語った。

「事情を確認したんだろう。その後で佐賀さんと話をしたというわけか」

「はい、その点はよくわかりませんが、僕も今日放課後、佐賀生徒会長とお話しするつもりでおります」

「何を話すんだ?」

「きっぱり跳ね返すようにとの助言です」

 何か急展開があったようだ。佐賀がからむとなると、杉本梨南にも影響が出てくるのは必至だ。

「わかった、詳しく話してくれないか」

「かしこまりました」

 今目の前にいる霧島は、明らかに青大附中生徒会副会長のプライドを保っている。

 その顔でなぜ、あえて上総の元に情報を届けにきたのだろうか。

 ──何を考えて、何を企んでいるんだろうか。

 上総はゆっくりと霧島を観察することにした。

 杉本梨南はひとりでも大丈夫だ。問題は、こいつの方だ。


「まだ藤沖先輩はいらしてないようですね」

 いきなりつぶやくように、高慢ちきに。

「僕が生徒会室に戻った時、藤沖先輩が話をしている様子でしたのでお声がけしましたが、どうも様子がおかしいのです」

「内密の話をしていたのかな」

「はい、しかし僕を待ち受けていたようでもあります」

 昨日は確か、上総が生徒玄関で霧島を捕まえたはずだ。あの時まっすぐ自宅に帰るつもりではなかったのだろうか。上総が確認すると霧島は首を振った。

「いえ、諸般の事情がありまして」

 無理に問うことはしない。促した。

「すでに渋谷先輩が学校を休んでいるという話は先日させていただきましたが、藤沖先輩が側にいていろいろ面倒を見ている点について僕は確認いたしました。すると」

 言葉を区切って、唇をぎゅっと絞った。

「藤沖先輩がいきなり僕に土下座をしたのです」


 ──土下座?


 男子同士の差しで勝負する際にはよく使われる「土下座」という言葉。

 しかし霧島のような端正な口許からすべり出る言葉には思えなかった。

 しかも、藤沖が。


「どういうことを質問したのかな」

「つまり、最近渋谷先輩をかばうそぶりを見せるのはなぜでしょうかということと、僕のいないところで佐賀生徒会長を丸め込もうとする行為に対しての疑問を呈したわけです」

 噂では霧島が、生徒会長の佐賀をサポートし、実質的な操り者として存在していると聞いている。上総が想像する限り、霧島は自分のいないところで勝手に話を進められることがいやだったのだろう。だがまずは聞こうと思う。霧島の話内容よりも、霧島自身の身振りと表情を観察するために、だ。

「一年前の状況を鑑みると、渋谷先輩と藤沖先輩との間は決して友好なものではありませんでした。渋谷先輩の能力が格段劣っていたのも事実でしたが、それ以上に生徒会長の藤沖先輩に対して非協力的だったというのもあります。本来でしたら改選の段階で追い出されるべきところを、たまたま諸事情により在籍を許され、いわばお情けで置いていただいた部分が強いのです」

「お情けか」

 人のことは言えない。苦い笑いがこみ上げる。だから自分は野に下りたのだ。

「少なくとも卒業の段階では、険悪な関係でした。トラブルに発展しなかったのは、ひとえに僕と佐賀生徒会長のサポートがあればこそでした。しかし、それが」

 また言葉を区切った。

「例の事件、つまり修学旅行が終わってからですが、いきなり藤沖先輩は渋谷先輩を誘って帰るようになりました。また僕の厳しい指摘に答えられずに自宅へ篭ってしまわれてからも、藤沖先輩は懸命に渋谷先輩のご自宅へ通われているようです。まるで、難波先輩のように。はっきり言って見苦しいです」

 ──そういうことか。

 なんとなく合点がいった。

 ──霧島は、自分の姉さんと難波を重ねているんだな。

 難波が、卒業間際から現在にいたるまで、霧島ゆいに張り付き、奴なりのやり方で守ろうと努力していることを上総は知っていた。第三者の上総ですらすごいと思うのだ、おそらく家族である霧島にとってはうざったいくらいにその想いを感じるのだろう。

「生徒会にとって、渋谷さんがいなくなったということはマイナスなのかな」

「いえ、とんでもありません」

 きっぱり霧島は言い放った。

「プラスです。おそらく年間収支トータルで黒字が出ていることでしょう。まだ年末まで間がありますが、十分すぎるくらい利益が出ているはずです」 

 ──すごい表現だな。

 どういう道に進むにしても、この歳で経済観念をしっかりたくわえている霧島に上総は感嘆した。


「土下座した内容はなんなんだろう」

「はい、まず僕への謝罪。僕に対して渋谷先輩を許してほしいというお言葉、および今後、任期が満了するまでの間、渋谷先輩を書記のまま置いてほしいという嘆願です」

「土下座しなくても、改選が終わるまでは置かざるを得ないだろう?」

「はい、役員名簿には残ります。しかし、出入りに関してはどうしても参加しなくてはならない場合に限ることが可能です。たとえば全校集会の際などはしかたない、出ていただくしかありません。しかし普段の業務に関していえば、佐賀会長と僕のみで十分回ります。無理に渋谷先輩にいらしていただかなくても結構なのです」

 ──否定はしないが、そこまでしていいんだろうか……。

 実際、去年の評議委員会だって上総がいなくても十分回ったわけだし、霧島の言わんとすること、わからなくもない。だがしかし。

「学校側が許さないだろうし、第一、佐賀さんは友だちを見捨てられないだろう」

「いえ、佐賀会長は女子なのに非常に現実をわきまえてらっしゃいます。一年先輩の佐賀会長に対して言うべきことではありませんが、感情のみで動く愚かな女子ではないことに、僕は感服いたしております」

 ──感情のみで動く、杉本みたいな女子とは違うというわけか、なるほどな。


 上総は霧島の一方的な語りを聞きながら、いくつかの言葉パーツを組み立ててみた。

 昨日、霧島に話した通り、「修学旅行おねしょ事件」をこれ以上知る気はなかったし、杉本が無実であるだけで十分だと考えている。

 だが、藤沖が渋谷に絡んでいるということと、佐賀はるみがこの事件をどう捉えているかについては若干ながら興味が湧いていた。仮にもかつては杉本の親友だった佐賀はるみだ。生徒会を率いる立場となり、その部下にあたる渋谷名美子の失態をどうやってかばうつもりでいるのか、それを考えると必然、杉本への風当たりも強くなりそうな気がした。

 少なくとも今は、杉本と敵対関係にあるはずだ。杉本もその点はわきまえているはずだ。

 さらに学校側が事をうやむやにして終わらせようとしているという情報。

 もし上総が佐賀はるみの立場だとしたら、どう行動していただろう。

 得意のシュミレーションを速攻脳内で行ってみる。


 ──友だちとはいえ、すでに杉本とは切れたはずの佐賀さんだ。かばう優先順位はおそらく、渋谷さんの方が上だろう。どういう状況にあったのかは謎だが、まずその事実関係を確認した上で、渋谷さんをかばいかつ、できるだけ本当のことがばれないようにするだろう。

ちょうどよいところに杉本というダミーがいたとすれば。ためらうことなく利用するだろう。杉本は運悪く疑われてもしかたない立場にいるわけだし、学校側も生徒会役員の恥よりは、学校を出て行く予定の女子を辱める方を選ぶだろう。特に問題が起こらなければ渋谷さんは高校も青大附属のままだろうし、しくじりを延々と囁かれるのはごめんだろう。

 しかし、霧島がすでに情報を得ていて、事実をきっぱりと告げている以上、渋谷さんに逃げ場はないはずだが……?


「霧島、ひとつ質問していいか?」

 シュミレーションをし終えてすぐ上総は質問した。

「十分過ぎるほど証拠が揃っているのにまだひっぱっているのはなぜなのかな」

「はい、昨日お話した通り学校側の対応がうやむやにしたがっている傾向ありということでしょう。なんでも藤沖先輩の話によれば引きこもったままの渋谷先輩はさまざまな問題を起こしていらっしゃるようですし」

 鼻をひょいと上に向け、笑う。

「対応を間違えたら何を起こすかわからないという危惧もあるのでしょう。うちの姉が愚かな行為をしでかしそうになったのと同じくですが、人を刺したりなんなりされたらたまったものではございません」

 ──西月さんの件を指してるのかな。

 頷いたまま聞いていた。

「とにかく、藤沖先輩はかつての堂々たる態度をかなぐりすてて、恥も外聞もなく僕に対し、嘘で情報操作を行うよう頼み込んできました」

「情報操作だと?」

「そうです。今のうやむやな噂で留まっている状況をもっとはっきりさせてほしいということです。僕が昨日立村先輩に対しお話したのはその点であります。つまり、杉本先輩が夜尿症事件の犯人であり、渋谷先輩は噂で傷つけられた被害者である図を僕にこしらえるよう頼み込まれたのです。どう思われますか、立村先輩?」

 気品ある無表情、その瞳の奥に何かが揺れている。

 上総はよっかかっていた背もたれから離れ、霧島をじっと見据えた。見つめあう形になる。

「杉本を意図的に、犯人に仕立て上げるというわけか」

「その通りです。藤沖先輩の言動については僕も以前よりアンテナを張ってましたが、直接こういう形で動き出すとは思ってもみませんでした」

 自分の右手がゆっくりと握り締められていくのがわかる。

 身体が熱くなってゆく。喉もとに何かがこみあげる。

「それが昨日ということか」

「はい」

 霧島の言葉に揺るぎはなかった。


 ──藤沖は、そんな奴じゃなかった。


 去年の秋、生徒会改選直前の杉本梨南を巡るトラブルが元で袂を分かった間柄。

 それまでは穏やかな交流が互いに続いていた。

 上総が評議委員長に指名される前から生徒会長をしっかり務めていた藤沖は、教師からもまた全校生徒たちからも信任が篤かった。応援団志望の硬派野郎だけに、どうしても男尊女卑的発言が目立つこともあったが、決して人を噂のみで片付けようとはせず、勝負をしようという奴には正々堂々立ち向かうべくエールを送る男でもあった。

 縁を一方的に切られても、上総は決して恨まなかった。

 むしろ藤沖の判断が正しいとすら思った。

 ──俺のような卑怯者は嫌われて当然だ。

 四月からは英語科の同級生となり、かなり居心地悪い環境下ではあったけれども、評議委員としていろいろ戸惑うところの多そうな藤沖を、上総は密かに応援していたつもりだった。評議委員としてのしかかる責任は、おそらく生徒会長とは別個のものだろう。同じ比率では比べられないけれども、全く未知の世界、苦労もあっただろう。

 相棒にあたる古川こずえを通じて、少しでも楽な道が見つかるよう助言していたつもりだった。こずえならば嫌味なくあっさりと、藤沖をサポートできただろうし、これからもそうだろうと安心していた。

 外部生の関崎とコンビを組んで日ごろ行動している姿も見つめてきた。

 関崎のためにも、おそらくベストな組み合わせだろう。

 藤沖が関崎の持つ真っ正直な気性を好むのも、当たり前すぎる事実だと思えた。

 自分がどういう扱いをされるにしろ、決して上総は藤沖の言動を憎く思ったことはなかった。

 たった今までは。


「霧島、藤沖は渋谷さんと付き合っていたということか?」

「言葉では確認が取れませんでしたが恐らくそういう形になるでしょう」

「だが、今までは犬猿の仲と聞いたけれどな」

「僕もつい先だってまではそう思っておりました。しかし」

 こぶしをこしらえ、数回揺らすように振った。

「藤沖先輩は強きを挫き弱きを助く、をモットーとされてます。今までの渋谷先輩は不快感漂うほどの強さをアピールしようとする女子でした。九十九パーセントの男子は嫌悪を感じていたはずです。しかし、例の事件をきっかけに弱い立場へと移動されたので、藤沖先輩もいろいろと考えるものがあったのかもしれません。僕にはそれ以上の判断はつきかねます」

「そういうことか」

 だいたい読めた。

 つまり、藤沖は惚れた女子のために身体を張ったというわけだ。

 硬派の藤沖なら考えられなくもない。

 だが、しかし。


 ──その一方で杉本を生贄にするというわけか。


 今、霧島が語っている内容を加味する限り、藤沖は佐賀はるみと組んで何らかの行動を起こそうとしているようだ。反・渋谷派……と勝手に命名してしまう……を自認する霧島に対し土下座して許しを乞うならまだわかる。霧島のやり方も決して褒められたものではない。一種のいじめと言われても否定できないだろう。

 しかし、たまたま疑われている立場の杉本を利用して、罪をなすりつけるように頼み込むというのはどういうことだろうか。まだ確認が取れていないことだし判断は難しいが、佐賀はるみが杉本梨南のことを頭の隅において話し合いをしたことは明らかだ。その上で出た結論だとすれば、佐賀もまた、杉本を犠牲にしようと企んでいることにある。

 仮にも、かつては自分の親友だった女子をだ。

 どの方向から見ても、許されることには思えない。上総が杉本梨南を特別の存在として見ていることをとっぱらっても、正当とみなすことはできない。

 また佐賀がからんでいなかったとしても、藤沖の頼みごとというのは倫理に反している。

 自分の想い人を守るため別の女子を犯人に仕立て上げて、それを生徒会の承認つきで学内に広めろというのが、どうして正々堂々たる正義と言えるだろうか。

 ──杉本を心の底から憎んでいる新井林すら、NOと言うはずだ。

「霧島、新井林にこの話はしたのか?」

「いえ」

 あっさり答えた。

「佐賀生徒会長の立場を考えてあえてお話しておりません。もともとお話する機会を無理に作りたいとも思いません」

 感情を無にした平べったい口調のまま霧島は目を逸らした。


 ──このままでは、藤沖と佐賀生徒会長とのたくらみに杉本が飲み込まれる。

 この事件を聞いて後、上総のスタンスは「遠くから杉本梨南を見守る」に定めていた。

 しつこくべったり守ることは、いわば過保護。

 東堂の桜田さんに対する行動を見て、我が振りを見直した。

 同時に杉本の強さをさまざまな場面で感じ、

 ──杉本は守られるよりも、自分に能力があると認められたいタイプなんだ。だから、俺はその証拠を杉本に渡すのが使命だ。杉本にはそれだけの力があるという事実を、伝えたい。

 そう判断しあえて仔細を聞き出すことを避けていた。

 風の噂も七十五日。杉本の堂々たる態度にいつしか相手は負け、真実は明るみとなるだろう。隠しつづけた渋谷の卑劣さだけが引き立つ結果となるだろう。心配していなかった。

 しかし、この一件に生徒会および藤沖がからんだとしたらどうなるだろうか。

 ──少なくとも杉本は、佐賀さんにはかなわない。最初から勝負がついてしまっている。

 杉本がずっと憧れつづけ、なりたくてならなくて、結局相手にしてもらえなかった存在、それが佐賀はるみだ。いじめという呼ばれ方をしたけれども、あれは杉本の惨めなまでのラブコールに過ぎない。それを見抜いた佐賀はるみと新井林健吾は勝負をさっさとつけて、リングから下りた。もう二度と、その力関係が逆転することはないだろう。杉本もそれを理解しているから、一切あの二人にはちょっかいを出そうとしない。別の場所に安らぎを見出した……まあそれが、不良少女の桜田さんというのは考え物だが……わけだ。

 距離を置いてなんとか小康状態が続いている関係。しかし、もし本気で佐賀はるみが杉本を叩きのめすとしたら、もう手も足も出ないだろう。藤沖の頼みごとと、同じ生徒会内の役員である渋谷との友情関係を背負って勝負に出たら、もう杉本は浮き上がれない。

 杉本梨南のアキレス腱を知りつくしている、それが佐賀はるみの強さ。

 

 これからどう出るべきだろうか。

 上総は霧島の、つんと済ました王子様面を見つめつつ、次の一手を考えた。

 もちろん上総としてはこのまま杉本が溺れていくのを見捨てる気などさらさらない。

 もう少し情報を集めたいところだが、確信が得られた段階で逆襲は当然行いたい。

 幸か不幸か、企み人のひとりである藤沖とは絶縁状態だ。友情を復活させる気持ちさえなければどんな手でも使える。また、渋谷が生徒会役員としてさんざん杉本を馬鹿にしていたことも、これまた風の噂で聞いている。ならば、哀れみをかける必要などない。

 藤沖と佐賀がどういう形で杉本に濡れ衣を着せようとするのか。 

まずはこの一点を調べ尽くさねばなるまい。

 

 しかしその前にもうひとつ、片付けなくてはならない問題がある。

 目の前にいる、霧島だ。

 呼びかけた。


「霧島、なぜ俺に、こんな重要事項を話してくれたんだ」

「お知りになりたいでしょうから」

 すまし顔で霧島は答えた。姉によく似た形のよい唇と二重の瞼がよく動いた。

「今日の話には感謝する。俺のずうずうしい願いをよくぞ聞いてくれた」

 上総は霧島の目をじっと見つめた。それが礼儀だった。

「だけど、これ以上、青大附中の生徒会副会長を脅迫する気はないんだ。もし例の件が尾を引いているのなら、もう忘れていい。もうなかったことにして、知らん振りをしていいよ。俺も二度と話すことはないから」

「脅迫ですか」

 ひとりごちた霧島。「脅迫」が何を意図しているのか、上総にはわからなかった。

「最初から脅迫する気はなかったけど、そうなってしまったな。ごめん」

「何をおっしゃるのですか」

 少し気色ばんだ霧島に、さらに上総は戸惑った。全く反応が読めなかった。

「僕は立村先輩に脅迫されてお話したのではないと、先日も説明したはずです」

 ぴんとアイロンの掛かった、生地のよさそうなワイシャツの襟を撫でながら霧島は言い放った。

「僕の方からぜひ、先輩のご協力を得られればと考えただけです」

「俺の協力?」

「そうです。立村先輩ならば、今の僕と同じ目的でもってお話ができるのではと考えたからです」

「なんだその、同じ目的とは」

 問い詰めた段階で上総にはなんとなく、その意図がつかめてきた。

 ──利用しようとしていたのは、霧島、こいつの方からか!


「僕は、渋谷先輩にこの一年近くしつこく付きまとわれておりました」

 口を切った霧島に、上総はそっと目を逸らし耳だけ澄ませた。

「嫌いな女子とはいえ先輩である以上、礼儀は保たねばなりません。生徒会役員を考えていた僕は、彼女のしつこさに閉口しつつも我慢すべきところは耐えようと心に決めて、改選に望みました。しかし、その後も渋谷先輩はことあるごとに僕へちょっかいを出しつづけ、時には佐賀生徒会長にも注意されつつ、生徒会内を荒らしていたのです」

 ──確かに女子に人気があるのなら、当然かもな。

 その顔ならば、と頷く。

「今回の一件で渋谷先輩が生徒会室に来なくなり、まず最初に感じたのは空気の清浄さです。苦手な先輩がいなくなると部屋が広く感じるというのも確かにありますが、話す言葉が自然に伝わるようになるのです。誰も誤解をすることなく、自然にです」

 感覚としてはわかるような気もする。論理的な言い方が得意な霧島にしては珍しく、情緒的だ。

「それはともかく、僕は人間として藤沖先輩の汚いやり方を許す気はありません。立村先輩は生贄にされそうな杉本先輩を守りたい。利害は一致しているはずです」

「いや、利害と言われても」

 口篭もる上総に畳み掛けた。

「巷では僕の行為が女子に対するいじめだと言う人もいます。それは否定できません。また生徒会役員として追い出そうとも思っていません。ただ、藤沖先輩のやり方の汚さには正直吐き気がします。渋谷先輩への嫌悪感は別として、何も知らない佐賀会長を丸め込み、別の人を犯人に仕立て上げようとするやり方でもって守ろうとするのは、お門違いに思えます」

「確かにそれはそうだ」

「結果として渋谷先輩が生徒会室に戻ってきたとしても、きちんと濡れ衣を着せようとした罪を償う意識を持っているのなら、僕は苦痛を耐え忍ぶ覚悟があります。きちんと彼女を受け入れて任期まで務めます。僕の目的は、きちんと罪を償うべき人間が、きっちりと罰を受けてもらうこと、一点に尽きます。それにより杉本先輩も守られますし、立村先輩の目的も達成されます。お互いにメリットがあるのではないですか」

 勝ち誇った風に語るのは、かつて生徒会室で見かけた姿と一緒なのだが、どこかひっかかるのは時折びくっと上総の顔をうかがうように首を傾げるところだった。通常なら先輩としても腹立ちそうな内容を語っているのだが、時々素の表情が顔を出す。思わず本屋で泣き出してしまった時と同じような、不安げな顔が。

 

「霧島、お前の言うことはよくわかった。だが、これ以上俺と話をしているところを見られると、いろいろ立場が難しくなるんじゃないか」

 上総が一番心配しているのはその点だった。

「何度も言う通り、無理に俺へ情報を持ち出して、引け目を感じる必要はないんだ。俺がこの点については切り出し方がまずかったと本当に反省している。こういう情報を要求することがそもそも間違いだったと思う。心配してくれている杉本の件については、今の情報をありがたく頂いて、あとは俺ひとりでなんとかするつもりでいる。決して霧島が出所だなどと言うつもりもない。あとはもう、知らん顔して、何もなかった風に振舞ったほうがいい」

「なぜですか? なぜ、そんなにご自分を卑下されるのですか」

 霧島の切り返しに息が詰まる。

「英語科の教室には藤沖先輩もおられました。すでに僕が何を目的で立村先輩と話をしていたかは、藤沖先輩もお気づきでしょう。それは承知の上です。一種の宣戦布告です」

 そんな大袈裟な話になっていたのか。驚く。

「僕は人を見る目がある方です。姉を代表とする愚かな女子や低レベルな男子たちに囲まれて育ったせいか、否応なくその目は磨かれたものと思われます」

「それは言い過ぎじゃないか」

 言い返しつつ思った。霧島、同年代の友だちいるんだろうか?

「今朝は僕の意思で先輩の下に参りました。お伝えしたいことはそれだけです」

 しゃちほこばって言い放った後、霧島は腕時計を覗き込んだ。そろそろ校舎に戻らないとまずいだろう。

「では、土曜日にまた参ります。それとあの」

 上総が言葉を捜しあぐねている間に霧島は小声で呟いた。

「本は、まだ、いいです」

 そこまで言った後、霧島は深く一礼し、全速力でグラウンドを駆け抜けていった。


 ──何かを俺に伝えたいというのはわかるんだ。けどさ。

 上総は暫く見送り、ゆっくりと高校校舎へ歩き始めた。高校校舎には二分もあれば戻ることができるので焦ることもない。ただ霧島が、時間のかかる中学校舎へ早朝わざわざやってくるとは思わなかった。決して呼び出したわけでもないのに。ましてや、

 ──もう気を遣わなくたっていいのに。

 取引という言葉を使うべきではなかった。上総なりに霧島を楽にしてやろうと考えて使った「取引」だけども、本人には反対にくびきとなったのだろう。もちろんそこで得られた情報についてはありがたく利用させてもらうけれども、これ以上霧島に「エロ本を見られた口止め料」としてその後の生徒会だよりを聞き出すのは、果たして許されることだろうか。

 ──俺も藤沖と同じことをしている可能性がある。

 もし戦うとするならば、それは上総が杉本の背後に回って守る形になるだけのこと。

 他人を巻き込む気はさらさらない。

 ましてや霧島は、生徒会副会長。とんでもないしくじりをしでかして追い出された元評議委員長とくっついているわけにはいくまい。冷静に考えればそうだろう。

 ──でも、霧島はまた来るとか言ってるぞ?

 ──自分の意志でとか言ってるし。

 渋谷をかばう藤沖を一緒に叩きのめしたい、それだけが目的なのだろうか。

 

 わからなかった。上総はA組の教室の前に立った。まだ生徒たちは廊下でたむろいうろうろしている。関崎の笑い声が教室の奥で聞こえた。と、同時に

「立村」

 深く、濃い声がした。

 振り返るとそこには、たった今から敵へと立場を変えた、藤沖がいた。

 いかつい顔は相変わらずだが、目がうつろだった。

 上総に話し掛けたのは、卒業式直前以来だろうか。

「何か?」

 そっけなく答えた。

「さっき、青大附中の霧島と話していたな」

「話したけど、それが」

 また片手こぶしをこしらえたくなった。今度は霧島のポーカーフェイスを上総がこしらえるはめになった。藤沖の表情は固かった。先に教室へ入ろうとする上総の腕を引きとめた。

「すべてを聞いたんだろう」

「何のことだ」

 わざと冷たくあしらった。霧島が危険を冒して内部事情を教えてくれたことを、そう簡単に話すわけにはいかない。たとえ「宣戦布告」であろうとも、男同士の約束を破るわけにはいかない。

「一度、きちんと話を聞いてくれないか」

「断る」

 隣からすっと古川こずえが「おっはよ!」と上総の頭と藤沖の股間を触って去っていた。そんな下ネタすらも反応できない。

「事情を説明させてほしい、もちろん、俺の身勝手だとわかっているんだ。だが」

「時間がない。先に失礼」

 苛立ち思わず、真正面から藤沖をにらみすえた。腕を振り払い、背を向けた。

 上総は背を伸ばし、自席に着いた。握り締めたままの片手をゆっくり開き、手のひらのくぼみに目を落とした。杉本梨南のくれた、千代紙細工の指輪の握り心地を甦らせた。

 机の奥にしまいこんだ小さな千代紙細工、誰にも壊すことは許さない。

宣戦布告は、すでに終わっていた。

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