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 霧島を「おちうど」へ連れて行き、黙って珈琲を注文した。

 和風喫茶だし、ふだんなら抹茶か番茶を頼むものだが、どう考えても霧島向きとは思えない。

 おかみさんも霧島のただならぬ様子と上総の目を見てすぐに注文をとり、奥へと消えた。

 しばらく様子を見るべく、上総は珈琲をまず口にした。

 ──ここまでついてきたのだから、話を聞く気はあるんだろうな。

 もし逃げたいのならば、上総の手を振り切って駆け出せばいいだけのことなのだから。霧島くらい賢い男子なら、たとえ二年上の先輩とはいえ、ある程度の口実もこしらえることができるだろうに。誘っておいて素直にくっついてきた霧島に、正直上総は戸惑っていた。

 ──霧島の顔を知っている人はいないかな。

 これもひそかに心配の種だった。「霧島呉服店」の跡取息子らしいとは、姉のゆいの口から聞いていた。本来ならば姉の自分が継ぐべきところを、両親の意思で外されたと悔しがっていた。

もっとも上総からすると、跡を継ぐということが必ずしもうれしいことではないと思う。

このあたりのずれが、もしかしたら霧島にはあるのかもしれない。

とにかく霧島が、呉服屋の息子という以上は和服と縁の深い世界の人々に顔を覚えられている可能性もある。様子を伺うが特段、上総たちを興味深げにチェックしている気配はない。

 ──とりあえずは大丈夫そうだな。

 これから話す内容自体、お上品なものではない。気持ちを整える時間は上総にも必要だった。


「俺は決してお前のことを馬鹿にしたり脅迫しようと思ってきたわけではないんだ」

 上総は切り出した。霧島はうつむいたままだった。

「この前のことをすべて清算したいというだけのことなんだ」

「清算?」

 戸惑いを隠せず、うつむいたまま霧島がつぶやく。

「顔を合わせた場所が口に出せない本屋だったというだけで引け目感じる必要はないよ。俺もあそこにいたことを他人には気づかれたくないし、お互い黙っていればそれでいい。そうだろう?」

 あまりうまい説明ではない。霧島は黙ったままだった。

「ただ俺を信用できない気持ちもわかる。反対の立場だったら俺もきっとそう思う。だから、ここで取引をしたらどうかと思ったわけなんだ」

 すうっと顔を上げた。霧島が唇をかすかに動かした。

「取引ってなんですか」

「口止め料というのかな。そんなことしなくたって俺は言う気ないけど、霧島の方が落ち着かないかなって思ったんだ」

 ゆっくりと続けた。

「これから俺が口止め料代わりにひとつ質問をするから、よかったら答えてほしい。俺はその情報をもらったことによって、その反対に霧島はその情報を提供することによってこれ以上、余計な心配をしなくてもすむはずだ」

「やはり脅迫じゃないですか!」

 甲高い声で、またぶるぶる震える霧島。さすがに声はあげなかった。

「ごめん、脅迫になってしまうかな」

 自分でも納得してしまう。上総も頷いた。

「先に質問だけするから答えるかどうかを自分で判断するというのはどうかな。俺も正直なところ、いい質問かどうかわからないし、もし答えてもらわなくてもそんなに困ることじゃない。ただ、逆の立場だった場合、やはり心配になるかなという気はするんだ」

「心配とは」

「いつばらされるかという不安、そういうのがあると怖いかなと。特に信用していない相手だと、いつ手の平返してぺらぺらしゃべられるんじゃないかとか、弱み握られっぱなしなのはいろいろと落ち着かないんじゃないかな」


 慎重に霧島は上総を見返していた。いきなりそう言われても戸惑うだろうし、それは上総も予想していた。単純に「俺は言わないから安心しろ」の一言で済ませても本当はいいんじゃないかと思う。

 霧島は用心深い性格に見える。かえって疑惑の念にかられてしまいそうだ。単純に「わーそうですかーよかった!」と喜ぶタイプには思えない。


「繰り返すけど、俺はあの場で顔を合わせたことが、決して悪いことだとは思わない。校則にはたぶん触れると思うけどそれだけのことだしさ。ただせっかくだからひとつ質問してみようかなと思っただけ。でも、確かに、こうやって無理やり連れ込んだのは脅迫かもしれない。それは悪かった」

 

 ──けど、これ以外にいい方法、あるのか。

 最初からなかったことにして無視すればいいだけのことだ。

 たぶん、他の奴だったらそうしていただろう。

 なんで霧島に対してだけ「取引」とか「気持ちを軽くしてやろう」とかいう、よけいなことを考えてしまったのか、自分でもわからない。

 

 霧島はしばらく珈琲の湯気を見つめていた。

 手をつけないうちに、おかみさんがそっと豆菓子をテーブルの隅においてくれた。気遣いだろう。

 上総はしょうゆ豆のお菓子を口に放り込み、時間を稼いだ。


「じゃあなぜ」

 ようやく霧島が口を開いた。ゆっくりと顔を上げた。細い唇と切れ長の瞳、そして真っ白い肌。日本人離れしている。姉のゆいと瓜二つの造作。彼を追いかけるファンが多いのも頷ける。青大附中の元祖・アイドル・南雲秋世がミュージシャン風芸能人要素の強い顔とすれば、霧島はむしろモノクロの映画スターを思わせる浮世離れした気品をかもし出している顔だ。完全におびえて引きつっている。

「なぜ、そんなこと言うんですか」

「そう言わないと落ち着かないかなと思っただけなんだ」

「はっきり言えばいいじゃないですか! 口止め料よこせとか、なんとか!」

「口止め料にはなると思うけど、もらわなくても言う気ないし」

「なんの意味があるんですか!」

「そういえば信用してもらえるかなと思って」

 言葉を選ぶ余裕もない。目の前で動揺されると、こちらも正直困る場面だ。思ったことを言うしかない。

「とりあえずまず、質問なんだけど」

 意識の方向を少し変えてみることにした。上総は切り出した。

「よかったら、この前起こったという修学旅行のトラブルの話で、生徒会役員として内部事情を教えてもらえると助かるな。いやなら言わなくてもいいし無理にとは言わないけど、俺個人としては前から気になっていたことなんで、もしよかったら」

 しつこいくらい「よかったら」と続けてしまう。自分がいかに卑屈な性格かがよくわかる。でも言わずにはいられない。霧島の表情の変化を伺った。

「修学旅行のトラブルとは」

 かすれた声で、霧島が受けた。

「修学旅行最終日に、誰かがとんでもないことをしたらしいという話を聞いたんだ。蒲団に、ほら地図を描いた人がいたとか。そのあと蒲団を別の女子の部屋に隠して、犯人候補がふたり出てきたとか。俺はその犯人が具体的に誰なのか、というのは興味ないし知る気もないけど、正確な事情は知っておきたいんだ。そうすることによってこれから先、相手にきちんとした対応がしやすくなるしさ。ただ、俺の耳に入ってくる情報はみなばらばらでどれを信じていいかわからないんだ。もちろん無理に知らなくてもいいことではあるけど、迷惑をこうむる人がいる以上ある程度のことは聞いておきたいと思っただけなんだ。本当だったら当事者に直接聞けと言われそうだけど」

 ぽかんとしたまま霧島が口をあけている。

「生徒会の誰かがからんでいるという噂もあれば、別の女子がしでかしたことという話も出てきている。俺からしたら誰がやらかしたとしても関係はないんだ。ただ、そういう噂が流れている以上生徒会の人たちもいろいろと大変だろうし、どうしているのかを聞きたかったんだ。佐賀さんも苦労しているだろうし、それ以上に周りの霧島たちも対応が面倒だろうし」

「そんなことを聞いて」

 どうしてなんだと聞きたいだろう。当然だ。上総は頷いて続けた。珈琲を合間に飲んだ。

「言っとくけど、俺はもう委員会にも生徒会にもかかわるつもりは全くないし、先輩面して口出しするつもりもない。ただ俺の知っている奴が巻き込まれてるようだったら、そちらには迷惑をかけない形で手助けするつもりはある。佐賀さんや新井林、もちろん生徒会にも迷惑かけるつもりはない。でも、信用できないよな、それはそうだと思うよ」

 これも本音だった。とにかく言うだけ言ってあとは霧島の判断に任せようと決めた。

「信用しなくてもいいし、してもいい。俺が言いたいのはとにかく、この前のことを誰にも言う気はないってことだけ、伝えたいだけなんだ」

 上総は珈琲を飲み干し、言い切った。


 霧島の口元がゆっくり緩み、ぽつりと一言こぼれた。

「信用していてもいなくても、隠すような話ではありません。そんなことが口止め料ですか」

「まあ、そういうことだな」

「口止め料なんかじゃないです、こんな話が」

 言いかけた霧島が、突然いきり立った。

「そんなこと、隠すことでもなんでもない!」

 テーブルを両手で叩こうとし、身体を震わせた。

「そんなまどろっこしいことをするより、はっきりと聞けばいいじゃないですか! 修学旅行のおろかな女子の失態について教えろと、それだけ言えばすむことじゃないですか! なんで、なんで僕にそんな手を回して聞き出そうとするんですか! 誰に聞かれたって僕は答えます。隠し事なんかじゃない!」

 首を激しく振った。上総を見据えた。

「なんで、僕をそうやって」

「なんでだろうな」

 自分でもわからないことを、無意識のうちに上総は答えていた。自分でも驚いた。

「たぶん、霧島と話をしたかったんだろうな」

 毒気を抜かれてしまったのか、霧島はゆっくり口を閉じ、また首を振った。すぐに言葉が返ってこなかった。


 ──伝えたいものがある。

 天羽たちと話をしている時から沸いてきたもやもやしたもの。

 何かを霧島に伝えねばならない、そういう切迫したもの。

 どこからそれが生まれたのかわからず、ごてごてと理由をくっつけてみたけれど、結局は「伝えたかった」それだけなのだろう。

 ──なら話は早いよな。

 思わず飛び出た言葉に従い、上総は珈琲カップを手の平に載せた。そのまま語りかけた。


「この何日か、もし俺が霧島の立場だったらどうしてほしいか考えた、それだけなんだ。俺が勝手に想像しただけで、余計なお世話だったら謝るよ。俺は中学時代、本条先輩から同じことをしてもらっていたし、そのおかげでなんとか足を踏み外さずにすんだ。だから、きっと同じことをしたら楽になるのかな、と思っただけさ。俺の勝手な思い込みなだけで、嫌がられるのは当然だ。悪かった」

 たったこれだけのことを、なんで自分はだらだらしゃべりつづけてきたのだろう。もし本条先輩だったらもっとわかりやすく説明していただろう。うざったがられるような表現なんてしなくても一行ですっぱり「気にするんじゃねえよ!」くらい言い放っていただろう。

 まねごとしてみても上総はやはり、本条先輩になれなかった。


 しばらく間があいた。会話はなし。霧島はしばらく上総の顔を見上げていた。同じ戸惑いの表情だったが、険がとれていったように見えた。ゆっくりと珈琲に手を伸ばした。 

 上総と同じ形で、掌にカップを載せた。相似だった。


「聞かれたらいくらでも話せる内容です。他の先輩たちに対しても同じです」

 声が低く、穏やかに聞こえた。

「そんなことで満足されるのなら、話しますが」

 少しずつ、唇がまっすぐ整ってきているように見えた。さっきまではゆがんでいた。

「ひとつだけ聞かせてください」

「何を」

「もし、あの時、あの場にいたのがたとえば新井林先輩だとしたら、同じようになさいましたか」

 即答した。

「いや、しなかった」

「なぜですか」

「新井林なら、こちらから余計なことしたいと思わなかったからだ」

「姉のことを知っていたからですか」

 これも即答できる質問だった。

「いや、同じ評議委員同士だったけど、女子とはあまり接点がなかった。それ以上の興味はなかった」

「じゃあなんで、僕には」

「なんでだろう、俺もわからない」

 本当にわからなかった。今でもつかめない。

「ただ、言いたかっただけなんだ。ごめん、悪かった」

 これ以上、言うべきことはなかった。

「先に行く。今のことは絶対に誰にも言わない。それだけは守るから」

 上総が腰を浮かせようとした時だった。


 霧島がすっと立ち上がった。見下ろした。

「待ってください!」

 一瞬店に響いた。みなが霧島の方を見た。

「話はまだ、終わってません」

 小声で、うつむき加減で、あわてて。

「僕はまだ、返事をしていません」

 端正な顔立ちにふたたび涙ぐみそうな表情が浮かぶ。

「無理にしなくてもいいから」

「いえ、聞かれたら答えられる内容です」

 霧島の口が震えていた。上総が腰掛け直すと、ゆっくり霧島も席についた。うつむいたままだった。

「聞きたいことがあれば、答えます」

上総も次に問うべき言葉を失った。

「まだ、本、返していただいてませんから」


 ──なんでこいつ、話す気になったんだろう。

 思わぬ展開に戸惑う。上総もまさか、霧島がこんな素直に言うことを聞くとは思わなかった。

 しかも呼び止められてまで、とは。

 いったい霧島は何を考えているのだろうか。 

 とにもかくにも、霧島が何かを語りたがっているのだけは感じ取れる。修学旅行の、おそらく、生徒会役員の渋谷の件についてならいくらでも話ができる、ということなのだろう。それを口止め料に要求してもなんの意味もない、そう言いたいのだろうか。いや、わからない

 ──まず話をとことん聞こう。もしかしたらそれだけが、霧島の求めていることなのかもしれない。

 上総は自分の形を、本条先輩のように整えた。自分がかつて中学二年の頃、目の前にいたはずの本条先輩はどんな顔をしていただろう。わけのわからないことを口走る上総を、どういう想いで受け止めてくれただろうか。

「わかった。ここでの話は、ここだけにしておくから」

 上総の言葉を待っていたかのように、霧島はうつむいたまま語りだした。

「今年の修学旅行三日目の夜、仕組んだのは、生徒会書記の渋谷先輩です。知らぬものはおりません」

 断言から始まった。


 ──仕組んだ?

 その表現の意図を尋ねたかったが、霧島の話が終わるまでは黙っているつもりだったのでこらえた。頷くだけにした。

「修学旅行三日目の夜中、失敗したことを隠すために、別クラスの女子部屋へふとんを持ち込み濡れ衣を着せようとしたのは渋谷先輩だと、誰もが知っています。ですが、それを学校側は懸命に隠しています」

「学校側がか」

「そうです。学校側は修学旅行終了後即、渋谷先輩および家族を呼び出し真相を質しました。養護教諭の都築先生を通じて事情聴取を行い、その場で厳しく叱咤したとのことです」

「ならそれで話はついているはずだな」

 ひとりごちた。霧島と会話が成り立っているのがまだ上総は信じられなかった。

「はいその通りです。その状況を確認したものもおります。何よりもの証拠は渋谷先輩がその直後一週間欠席したということでもあります」

「なら、なぜそのあとごたごたしているんだ? 杉本を噂の種にする理由がわからないな」

 霧島はちらと上総の目を覗き込んだ。鋭いまなざしだった。

「ですが、学校側としては内密に処理をしたかったそうで、あえてうやむやにごまかす予定だったようです」

 ──それはそうだろうな。

 そのあたり、納得はした。

 霧島の言葉をそのまま信用するならば、すでに白黒はっきりしているわけだし、杉本に対していろいろと噂を撒き散らされるような理由などどこにもないはずだ。

 なのに実際は、渋谷よりも杉本の方に疑いの比重がかかっている。それがなぞだ。

「僕の考えとしては本来ならば、自分でしたことへの責任を即とるべきです。人間として当然の行動です。しかし、渋谷先輩はそれを行いませんでした。それどころか相手に罪をなすりつけて逃げようとしたわけです。これは許されざることです」

 このあたりから、霧島の口調は、青大附中の生徒会副会長の持つプライドに満ちてきた。視線もさっきまでのおどおどしたあぶなっかしい雰囲気とはうってかわり、まっすぐ上総を見据えようとしている。この二面性に正直上総は戸惑っている。 

 鼻血噴いておろおろして泣きじゃくる霧島と、今厳しく渋谷を断罪しているこの男子と。同一人物なのだろうか。

「だしかにそうだな」

 相槌を打ってみた。霧島がぐいと前かがみになる姿勢で頷いた。

「そうです。だから僕は言ったのです」

「何を言ったんだ?」

 この自信たっぷりの態度。ついていけなくなりつつも上総は問うた。

 勝ち誇った風に霧島は言い放った。

「『お言葉ですが、自分の過ちをきちんと認められずしかも人に押し付けようとするような人と、僕は仕事をしたくありません。僕は、渋谷先輩と一緒に生徒会室にいることに耐えられません。もしこれから先、共同作業を一緒に行いたいならば、自分の立場を反省して、その上でこれからのことを考えてください。先輩であることと、能力の差とは、関係ありません』……以上です」

 ──そこまで言えるものなのか?

「なお、渋谷先輩は僕の言葉を受け入れたようで、その後またしばらく学校を休んでいます。真実を突きつけられた以上、逃げ場を失ったということです。僕は間違ったことなどひとつも行っておりません」


 ──聞いてはならないことを聞いてしまったのかもしれない。

 霧島がきっぱり断言していることを素直に受け入れていいのかどうか、正直判断がつきかねる。

 しかし、「渋谷が一週間学校を欠席した」「旅行直後に事情聴取を行い事実関係を確認した」「直接問いつめた霧島に反論できず、またも学校を休んでいる」などといった言動から、かなりの確率でそれが事実であることを推測できる。

 ──杉本が正真正銘の無実だということは確認できそうだな。

 尋ね方によっては、霧島ももっとぺらぺらしゃべってくれそうな気はした。どうしてそこまでしゃべりたいのか判断に苦しむところはあるが、彼なりに何らかの計算はあるのだろう。また、あまり渋谷との人間関係がややこやしいところもあるに違いない。

 しかし、それ以上聞いてどうするというのだろう。

 上総が知りたいのは、「杉本梨南がどのようにこの事件にかかわってたのか」だけであり、それ以上の人間模様には興味がない。むしろ知ることによって、余計な情報を得てしまい、その上で他の知らない女子たちを色眼鏡で見てしまうのがいやだった。評議委員長の頃ならば、もっと深く突き詰めて知り、杉本を相手から守ることも必要だろう。かつてのか弱い杉本をかばうことも必要だろう。しかし、上総は杉本がしっかりと冷静に対応できることを知っている。佐賀はるみ生徒会長を代表とする連中から叩きのめされたとしても、鼻で笑って受け流すすべを杉本は知っている。

 それ以上、誰を叩けというのだ。上総は杉本の想いに従うだけ。野に降りた自分のすべきことはそれだけだ。


「ありがとう、だいたい事情を把握した」

 上総は礼を述べた。今回霧島を通じて知りたかったことはすべて得ることができた。

 要は、杉本が正真正銘無実であることを確認したかっただけのこと。

 生徒会うんぬんのトラブルまで抱え込むつもりはさらさらない。渋谷という女子がしでかしたことで、学校側もすでに状況を把握しているのならば、あとは時間の問題だ。真実は自然と明るみに出るだろう。高校に流れてくる噂がどのようなものであれ、上総は杉本梨南の訴えをそのまま信じて受け止めることができる。天羽たちから「あのおねしょした女子と付き合っているのか」と揶揄されようが、「噂なんかを鵜呑みにするのはどうかと思うよ」と切り返せば済む。

「霧島のおかげで、俺はこれで枕を高くして眠れる。感謝している」

「それだけですか」

 不意に霧島が、か弱い声を出した。その落差に驚く。

「それを知りたいという、ただそれだけの理由で、立村先輩は僕を捕まえたのですか」

「ごめん、そうなんだ」

 もう、よけいな肉付けは必要なかった。上総は頷いた。

「さっきも話したけれど、俺は事実関係だけ知りたかったんだ。果たして高校につたわってきている噂は本当なのか、だけを確認したかった。その段階で自分の行動を定めたかっただけなんだ」

「自分の行動?」

「正直、修学旅行で蒲団に地図を描いたのが誰なのか知りたいというよりも、特定の誰かではないという確信がほしかっただけなんだ」

「それは杉本先輩のことですか」

 単刀直入すぎる。聞こえない振りをした。

「イエスかノーか、それさえわかればあとは相手を傷つけない方法をいくらでもとることができる。今の話を聞く限り、おそらく真実は時間の問題で明るみに出るだろうという気がするんだ。間違った噂は今流れてきているかもしれないけれども、隠せば隠すほど真実は顔を出すものだろう。霧島がさっき、渋谷さんにはっきり告げたというのがどういう理由なのかはあえて聞かないけれども、仮に霧島がそれを言わなかったとしても別のルートでばれるのは確実だろう。無理に否定するよりも、時間に任せたほうがいいような気が、俺はしている」

「能力のないおろか者に真実を告げるのが間違ったことですか」

 すごい表現だとは思うが、あえて何も言わなかった。続けた。

「無理に真実を証明しなくても、必ずわかる奴にはわかる。俺はそれを実際経験してきているから、よくわかるんだ」

 上総はじっと霧島の顔を見つめ直した。渋谷について激しく罵倒している時とは違った、素直な表情の霧島がそこにいた。

 エロ本をがっついて読みふけっている間抜けな顔とも違っている。よけいなものをすべてとっぱらった、赤ん坊のような顔が近かった。

 間を持たせるため珈琲を飲み干そうとしたら、目の前の霧島もカップに口をつけた。また相似となった。

 

「立村先輩」

 珈琲を半分残したまま、霧島は改めて口を切った。すでにその顔は生徒会副会長たるクールなもの、上流階級の子息を思わせるような王子ぶりだった。

「取引の件ですが、僕はこの件以上にもっと正確かつ重要な情報をもっています」

「そうか」

 いきなりの態度の変化にまた上総は言葉に迷った。変化が激しすぎる。霧島の口調は冷静だが、どことなく様子を伺う空気が流れていた。

「今のお話を一通り伺いまして理解しました。僕の知っている限り、学校側の対応によっては、真実が明るみにされない可能性のほうが高いように思われます」

「真実が明るみにされない?」

 堅苦しい言い方、しかし、どこかするんと抜けたところのある口調。

「そうです。今、立村先輩は、真実が明るみに出るのは時間の問題だとおっしゃいましたが、学校側はひとりを犠牲にすることによって渋谷先輩を守ろうとしている嫌いがあります。僕はそれが許せません。もしそうなった場合、杉本先輩におそらく濡れ衣を着せられることになるでしょう。そして、それは卒業するまでそのまま『修学旅行で夜尿症をしでかした女子』としてのレッテルを貼られる恐れがあります」

「だからそれは」

 言いかけたが、思わぬきつい口調でさえぎられた。

「その理由について、僕はまだたくさん情報提供ができます。正確な情報を用意できます」

「霧島?」

「恐れ入りますが、もう一度お時間をいただけませんでしょうか」

 カップをソーサーに置き、やがて霧島は唇をぴんと引き締めた。

「だが、そんなことを話していいのか? 俺はもう野に降りた人間だが、生徒会のイメージを悪くするような情報を無理に聞きたいとは」

「いえ、先輩は聞くべきです」

 きっぱり言い切られた。

「でないとおそらく先輩は、杉本先輩を見捨てる形になるかもしれません」

「見捨てる?」

 聞き捨てならないその言葉に、上総が身を乗り出したのを霧島に突かれた。

「はい、僕の情報は確実に先輩のお役に立てます」

 言い切られ、最後には、

「さしあたっては、今度の土曜日、お時間いただきたいのですが。もちろん、人目につかない場所で」

 ──霧島、いったいこいつ、何をたくらみたいんだろうか?

 上総はもう一度霧島の真意を探るべく、その顔を覗き込んだ。


 仮にも霧島は生徒会副会長、そして同じ役員である渋谷は自分の先輩で書記。

 いろいろ人間関係で複雑なものはあるのかもしれない。しかし同じ生徒会のメンバーである以上、ひとりの恥をさらけ出して言いふらすことにメリットがあるとは、上総にはどうしても思えなかった。これが評議委員会のメンバー相手で戦いたいというのなら、まだ理解できなくもない。しかし、自分から生徒会という「家族」の悪口を言いふらし、イメージを悪くしていくことに、何の意味があるのだろうか。

 しかも、相手は、かつて評議委員長だった立村上総である。

 ──俺に、自分のホームである生徒会の悪口を伝えてどうしたいんだろう?

 いろいろ問題を抱えていたにせよ、生徒会にとっては因縁ある相手のはず。姉のゆいとのかかわりを含めて考えても、まず好き好んで交流を求めたい先輩ではないはずだ。それは上総が一番よく理解している。

 今回、上総が半分強引に「おちうど」へ連れ込んだのは、エロ本事件におけるいろいろなしがらみをあえて断ち切ってやりたいと思った、意味のない親切心だけにすぎない。かつての自分を思わせる霧島に対して、同じ過ちを犯してほしくないという老婆心も混じっていたのだろう。

 どんなに霧島が好意的に上総の提案を受け取ったとしても、せいぜい情報を一度、あたりさわりのない程度話してくれて、あとは「キャリアOL」の写真集を返して清算、それで終わりだと思っていた。エロ本見入って鼻血たらしてぐじぐじ泣いている姿を見られた相手と、わざわざ時間を作って話をしてほしいなどとは、まず思わないはずだ。


 ──なのに、そうしてほしいと、言っているわけか。

 ──そんなに、その、渋谷という女子に恨みがあるんだろうか。

 ──もし悪い噂を広めたいのならば俺よりも天羽あたりにしゃべればいいことなのに。なんでだろう?


「それなら、この前の本なんだけどどうする?」

 ためしに上総は尋ねてみた。その反応で判断を決めようと思った。霧島の瞳にかすかな揺れが走ったのを見た。

「まだ、先輩がお持ちになっていてください」

 少しだけどもり、鼻をいきなり掻きながら霧島が小声で答えた。

「先輩にお話しすべきことは、まだ、これからたくさんあります。それまでは」

 上総はよく知るひとりに霧島を重ねた。霧島の姉、ゆいではない。 

「わかった。土曜の午後は空けておく」

「お迎えに参ります」

 上総は了解した。そうせずにはいられなかった。

 言い方だけきつく、瞳の奥でがたがたおびえながら訴えるその姿は。

 

 ──杉本に、似ている。

  

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