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 野に下りて三ヶ月目に入ろうとしている。


「また何のご用ですか」

 抑揚のない口調で上総を迎えたのは、まったく三ヶ月前と変わっていない杉本梨南だった。いっそう長くのびた髪をポニーテールに結い上げて、半袖のブラウスと襟元の赤いりぼんを品よくまとめている。目につくのはやはり胸もとの透けるなにかだが、それが「何」のかわからない。

「修学旅行、どうだった」

 単刀直入に尋ねた。中学三年生はおとといまで四泊五日の修学旅行に出かけたはずである。上総が聞くところによると去年と行き先など予定はたいして変わらないらしい。ただまるまる一日の自由行動が減らされたという話を耳にしている。昨年、上総たちの代がやりたい放題やらかしたつけが杉本たちに回ったのだろう。

「それなりに堪能いたしましたが」

「クラスの奴らとは、トラブル起こさなかっただろうな」

 起こさないわけがない、とは思うが杉本は冷静に答えた。

「向こうからつっかかられたというのはありますが、私には関係ございません」

「先生を間に挟むような騒ぎはなかったんだな」

「当たり前です。失礼なことをおっしゃらないでください」

 表情はさほど変えず、ぴしゃりと言い返された。 

 ──と、いうことは。

 杉本もなんとか無事に修学旅行を乗り切ったということか。自然と肩から力が抜けた。

 去年の三学期以降、上総はずっと杉本のそばに張り付いていられた。当然、高校進学に伴い校舎が分かれると、同じ敷地内にある高校校舎・中学校舎、自然と気配を感じられなくなる。その一方で口伝えに杉本梨南のあまりよくない言動は聞こえてくる。

 それが真実か嘘か判断は上総自身がすることであり、そのためには直接会って確認する必要がある。だからこうやって顔を合わせるため毎日中学校舎を訪れるというわけだ。

 真実を、深く。見極めるために。


 上総は校門から離れた場所を探してみた。どうも他の生徒たち……ほとんどが下級生だが……が出入りする場所は落ち着かない。決して悪いことをしているわけではないのだが、今までの経緯を知る教師や下級生からは冷たい視線で射られるだろう。生徒会役員、および委員会関係者ともできれば知らん顔をしたいところだ。

 不純異性交遊とまではいかないが、一歩踏み外したら自分がまた、数ヶ月前にやらかしたようなわけのわからない行動をとってしまうかもしれない。二月のあの頃はまだ、自分もその衝動がどこから出てきているのかわからず戸惑うだけだった。でも、今は。

 ──自分が押さえられないかもしれない。

 静かに、自覚がある。

 上総も中学時代とは違った感情のうごめきが芽生え出しているのを感じている。

 無理にその感情に名前をつけたくはない。ただその巨大な蛇にも似た感覚に、上総は日々押しやられている。波の打ち寄せにも似ている。たどり着く先がなぜ杉本梨南なのかも今はどうでもいいことだ。

 高校に入りもっとも楽になったことのひとつは、無理に自分の気持にレッテルを貼られなくなったことにある。


「お話が終わりましたら、私、先約がございますので帰らせていただきます」

「誰とだよ、先約って」

 いらだちを隠す必要も杉本に対してはなかった。

 あいかわらず杉本はつんと澄ましているだけ。

 面倒なことなど心配しなくてもいい。

 杉本はぴんと背を伸ばし、言い放った。

「私にも友だちがおりますので」

 ぴんときた。また、例の集まりなのか? 即、確認が必要だ。畳み掛けた。

「また集まっているのか。その女子たちは」

 心配はないとは思うが、いかんせん噂の対象だ。確認はしておきたい。

「東堂の彼女と、だろう?」

「はい、桜田さんの友だちも一緒です」

 やはりそうだった。桜田という苗字だけは知っていた。

「なにをしてるんだ」

「予習復習とお茶会です」

 少し前に聞いた答えと同じだった。

 桜田という他クラスの女子と中学三年の春以降親しくなり、最近はほとんど行動を共にしているとは杉本自身から説明を受けていた。本来ならばそれはよいことだろう。杉本の心許せる友だちは現在、青大附中にほとんどいないはずだから。修学旅行を含め集団活動の多いこの時期、たったひとりぼっちでいるのは辛すぎる。それをとやかく言う気はない。ないのだがしかし、上総が自分の同学年サイドから小耳に挟んだ情報によると、決して喜ぶべきものではなかった。むしろ、眉をひそめざるを得ない事実が多々現れてくる。

 上総は黙って杉本の目を見つめた。じっと動かさずに。返した杉本の表情にはためらいもとまどいも浮かんでこない。

「立村先輩は人を、先入観でもって判断されるのですか」

「いや、それは」

 口にするとまた糾弾されそうなので控える。その間にも杉本はまっすぐまくし立てる。、

「桜田さんは誤解されているようですが、きちんと物事を正確に理解してくれます。確かにいわゆる不純異性交遊などの経験は否定できないようですが、だからといって人間性を過去の行動だけで決めつける訳にはまいりません」

「俺はわかってるよ。杉本がそういうことにかかわらないってさ。ただ周りが」

 例えば、生徒会長としてただいまスター街道ばく進中の佐賀はるみあたりとか。

 心配そうな顔をして近づいてくるなんてことはないだろうか。

 もちろん「心配」してはいるのだろうが、他の連中はそう取らないだろう。「不良化した杉本梨南を救おうとする、心優しき親友」として佐賀はるみの株があがる一方、杉本はどうしようもなく惨めな女子として見られるだけだ。

 杉本は首を振った。

「周りがなんと言おうとも、私も桜田さんも、やましいことはなにひとつしてません。桜田さんの部屋に集まり、私が部屋を整えて、私が彼女たちの補習を手伝い、私がお茶を準備して、話をするだけです。桜田さんの友だちは公立中学の人なので、授業の進度が若干遅れています。また今のうちに準備しないと公立入試が大変なことになるとも聞いています。私が彼女たちにできることをしてどこが悪いのですか!」

 ──どちらにしても問題児なんだしな。 

 一方は優等生、もう片方は不純異性交遊常連

の札付き。不思議なコンビに見えるが杉本の場合、一年の頃仲良かった相手が、やはり花森なつめの様な癖ある女子だったことを考えると、自然なことなのかもしれない。杉本梨南は決して、言動だけで人を評価したりはしない。うそをつかないまっすぐな女子。

「まさかとは思うが、妙なことに誘われてなんかいないだろうな」

「ばかばかしいことを!失礼な!」

 もちろん上総もそう思うのだが、頭にはやはり、「朱に交われば……」の諺が浮かぶ。

 たとえ杉本がそう思わなくとも、周りの連中にまた揚げ足を取られたらどうするのだ。花森なつめの時は、もともと母を通じて上総も面識があったし事情もしっていたから取り立てて問題もなかった。

 だが、桜田については、

「東堂が命がけで更正させようとしている不良少女」

とか

「駅前のホテル近くの喫茶店で中学生売春の客を拾っていた。それも一人や二人ではない」とか、よい噂を聞かない。杉本もそれを事実として認識しているようだ。

 果たして東堂は彼女を更正させられるのだろうか? 

 元三年D組クラスメートとの間では賭けすらおこなわれているこの現実、どう説明すればよいのだろう。

 杉本はロボットじみた身のこなしで、ぺたっと上総の両腕を押さえた。

 素肌に張り付く温もりに全身が硬直する

。杉本はこういったさりげない接触を無意識にする。

「立村先輩、お伺いします」

 正面から、怒りにみちた瞳で。両目からドリル二本突き出して穴を開けられそうなほどに。

「あれだけ立村先輩は人から干渉されることを嫌っておられたというのに、なぜいきなり方針を変えようとなさるのでしょうか」

 言葉に詰まった。

 ──確かに。

 菱本先生との中学時代三年来のバトルを初めとする、上総の戦いの日々。それはしつこく善意の手を押し付けようとする連中との格闘の記録でもある。杉本の言う通り、上総のしていることはいわば過干渉と言われても否定できない。かといって干渉しないでいられる自分ではない。本能でもってしていること、身体の奥に潜む蛇が舌をちろちろ出して、杉本の背後にたむろしている何かを威嚇しようとしている。

 喉の真ん中を丸く掘り進められたかのように、声が出ない。

「私も、不必要に干渉されるのは好きではありません。ましてや個人的交遊関係を詮索されたくはありません!失礼です!」

「いや、俺はただ」

 早めの話題方向転換が必要だ。急いで上総は先手を打った。まずはあやまるが勝ちだ。

 

「ごめん、言いすぎた」

 頭を下げても杉本の手は離れなかった。まだ、全身が硬直している。いいかげん手を外してもらいたいのだが、かえってだんだん強く押さえつけてくる。

「申し訳ない、杉本の言う通りだよ、あのさ、その手、そろそろ離してもらえるかな」

「お黙りなさいまし!」

 指が食い込んだ。ひっかかれそうだ。

「私よりも、桜田さんに失礼です。修学旅行中、わけのわからない言い掛かりをつけてきた愚かな女子たちに対抗してくれたのは、彼女だけです」

「言い掛かり?」

 気になる。深追いしてみる。

「そうです。帰りの船の中で、わけのわからない噂を立てようとした生徒会の女子たちに言いかえしてくれたのです。私の味方をすれば恐らく村八分になるでしょうが、真実を主張する勇気を持っていたのは桜田さん、彼女だけです」

「やはりいざこざがあったんだな」

 本人はさほど問題とも思っていないようだった。よくある感情の行き違いだろう。

「佐賀さんあたりに何か言われたのか」

「たいしたことではありません。そのことよりも、たくさんの敵を作るという場において、桜田さんは私の味方でいてくれました。そのことに私は感謝したいのです」

 杉本は敵をつくりやすい性格だが、一度心を許した女子に対してはそれこそ命がけで友情を捧げる。桜田の彼氏である東堂も相当なものだが、杉本の一途さを知る上総には、今後の桜田がどういうことを思うかが気がかりだった。

 ──佐賀さんと同じことにならなければいいが。

 その友情が深ければ深いほど、裏切られたと感じた時の衝撃も大きく、悲しい。

「もし私の前で今後、桜田さんの悪口をおっしゃることがございましたら、私は立村先輩との縁を切らせていただきますので、ご理解のほどを」

「わかった、俺が悪かった」


 しばらく頭を下げ続けているうちに、杉本の指先に目が留まった。

 人指し指になにか色鮮やかな赤いビニールテープの様なものが巻き付いている。首の皮を引きつらせながら観察してみたところ、どうやら指輪のようだ。指輪というよりも裁縫で使う指抜きに近い。赤い和紙の上に金銀の雪が降り注いだような柄だった。きらら紙というのだろうか。よく和歌を書く時に使うような色紙の柄に似ている。

「杉本、指輪してきたのか」

 当然、校則違反だろう。普段の杉本ならありえない。つっこんでやった。

 杉本はさっと手を離し、指輪のはまった人指し指を首傾げて見つめた。

「修学旅行の体験実習で製作したものです」

「なんで?」

「千代紙細工を体験する工場に回されました。その場所では菓子箱を組み立てましたが、帰りにいくつか指輪用のキットを渡されました。宿でいくつかこしらえた次第です」

 

 ──そうか、そういうわけか。

 思い当たる節があった。

 ──だから東堂の奴、指輪なんかつけてきて捕まったんだな。

 今朝、東堂が規律委員にも関わらず、アクセサリーを身に付けてきたとして捕まり没収されたが、あとで先生から大笑いされつつ返されたという話を耳にした。

 情報発生地は東堂の大親友である南雲からだ。間違いではない。

 もともと東堂はくそまじめでもなくかといっておちゃらけでもない。中学三年間保健委員をきっちり勤めてきて、きちんと仕事はこなす性格だが、いかにも女子カラーの千代紙細工の指輪なんぞをつけたがる性格とは思えない。

 南雲曰く、

「東堂大先生、初めて彼女に尽されちゃって舞い上がっちゃったらしいよ。修学旅行の土産らしくてさ 」 

 先生たちもまた、東堂の彼女に対する更生への路と奮闘ぶりを知っていたらしく、見逃したという。笑い話でその場は終わったが、はたと気付く。

 ──そういえばまだ、杉本から修学旅行の土産もらってないな。

 杉本は義理堅い子だ。付き合いのある人たちには必ず用意してくるのが常だった。昨日の段階で古川こずえや清坂美里には杉本から絵葉書つきのにおい袋が届いたという。もちろん女子限定だということは承知しているが、すでにあの卒業式以来公認の関係と誤解されっぱなしの上総に、なにも持ってこないことはないだろう。におい袋を贈られても困る……とは正直思うが、もしそれで迷っているのならばこちらから要求してやろうか。

 いたずら心がわいた。その気持ちは、杉本にだけ、いつも感じる。

「杉本、修学旅行の土産物、俺にはないの」

 さっきまでにらまれた大きな瞳を覗きこんだ。とまどっているのがかすかな口許の動きで伝わる。

「おみやげ……」

「俺が修学旅行に行った時は、手鏡持ってきただろう」

「西月先輩と一緒に、です」

 細かいことは気にしない。あとに繋げたいだけの言い掛かり。

「待ってたんだけどな、いつ高校の校舎にくるかなってさ」

 ──絶対に来るわけないけどな。関崎のいる高校は、絶対に。

 事情は重々承知している。言わずにいられないのは上総にひそむ巨大な蛇の頭か。さっき触れられた手のあとは残ってなんていないのに、じんわり感触だけが染み入り、上総を突き上げていく。

「そうか、用意してこなかったんだな」

「義務なんてありませんから」

 きつく言い返された。責めるつもりはない。土産が今、手元にないのならば奪うだけだ。 上総は口許に拳をつくり、何かを言いあぐねている杉本ににっこり微笑んだ。

 もちろん狙うのだ。

「その指輪、ほしいな」

「どういうことですか」

「だから、修学旅行のお土産にさ、その指輪なら、いいかなと思ってさ」

杉本の戸惑いは当然だろう。上総も杉本をいじめたくてつついているわけではない。ただ、このままなにももらえないまま帰りたくない。押さえられないのは何故だろう。こんなだだっ子みたいなことを、なぜしてしまいたくなるのだろう。目の前で黙ったまま上総を見上げている杉本、その眼差しはかすかに揺れていた。他の奴らには見出せないかもしれないが、上総にはわかる。困っているんだということが。


「東堂みたいに人前で見せびらかしたりしないし、それに」

 勢いつきすぎて言葉が止まらなかった。

「関崎の前ではもらったなんて絶対言わないからさ」

 杉本の反応をみるよりも先に、自分の言葉で打ち砕かれた。 

 ──何言ってるんだ、俺は。

 杉本が関崎乙彦のことを今だ想っていることは十分承知しているはずなのに。

 たとえ周囲ではあの卒業式でやらかした英語答辞の一件以降、上総と杉本梨南を公認のカップルとして決め付けていたとしても、当の本人同士はそれが存在し得ないことを知っていることを。だからこそ、こうやってふたりは一緒にいられる。こうやって、わけのわからないだだっ子になり、杉本を困らせようとしている自分を、受け入れてもらえている。

 ──関崎を想うからこそ、俺は杉本の側にいられる、ただそれだけだ。わかっている。

 わかっていても、言葉のかけらが激しく鼓動を打つ。飲み込むのみ。でくの坊のように上総はただ、突っ立ったままだった。


 杉本は横を向いた。人指し指の指抜きっぽい指輪をそっと抜き取り、もう片方の掌にのせた。しばらく視線を指輪に落とし、人形のように正確に九十度方向転換した。

 ドリルのような眼差しはそのままに、

「あの方には、見せないと約束していただけますか」

 相変わらずまっすぐな口調で。

「使い古しのものでよろしければ、どうぞ」

 両手で差し出された。

 小さな千代紙細工の指輪を受取り初めて気が付いた。

 金具に丁寧にはりつけられていて、縁には金メッキがほどこされていた。紙の間に空気の入った形跡もなく、細かい皺ひとつない。杉本の指先の器用さが窺い知れる。小物だからと馬鹿にはできない。それなりに時間もかかる品物と見た。

  ──東堂が舞い上がるわけだ。

 ひとりで納得し、上総は杉本梨南に礼を伝えた。

 指輪を握りしめた。かたく手のひらの奥に響いた。

「ありがとう、満足だよ、杉本」

 今度は自然と笑みがこぼれた。杉本と過ごす時、かならずこんな瞬間と出会える。杉本の無表情さの奥に潜む、どうしていいかわからないような揺れ方。今、この時見せた顔もそうだった。そっと上総の顔を伺うようにして見あげた後、

「では、失礼します」

 そそくさと背を向けた。上総は見送った。

 掌の奥の堅いものをもう一度握り締めた時、上総の身体に潜む大蛇はおとなしく首を垂れたようだった。これからゆっくり、飼いならさねばならない。

 意識の上にはっきりとあがってきた気持ちをコントロールする術を一刻も早く知りたかった。


 ──杉本から修学旅行の土産をもらった男子は、俺だけだな。

 上総はその指輪をハンカチに包み、かばんの奥に押し込んだ。誰にも見せる気はない。

 当然、杉本の想うたったひとりの男にも。

 ──関崎にも、決して。

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