夏薫るチーズケーキ (恋歌遊戯 余話)
夏薫るチーズケーキ
真円に近い形をした大陸、ハルト。
その中心部にある狭間峰という場所の、さらに真ん中。
千年を越えた大樹が見守る丘と湖の近くにある小さな小屋で、絶望に染まった悲鳴が上がり、買い出しに行った家主に留守番を任されていた風の長、ビオルは何事かと悲鳴発生現場の台所を覗いた。
そこにいた白金髪の少女が振り返る。
「リトさんやぁ、どうかしたのぉん?」
「び、ビオルさん! クッキーが!」
「あー……」
テーブルの上には、こんがり焼き上がっていたクッキーが割れて散らばる無惨な姿をさらしていた。
手は、まだ無事なクッキーを載せた皿をしっかり掴み、小麦色の瞳は泣きそうに潤んで、布の塊めいたビオルを見ている。
「まぁ、うん。無事なのもあるしぃ、気にすることないよぉん」
なんというか、心臓に悪い悲鳴の原因がこれ。違った意味でどっと疲れが出る気がした。
「で、でも! これじゃあ足りなくなっちゃうかも」
「んー。大丈夫だと思うけどぉ」
今日は数時間後に来客予定である。
とは言え、来るのは気心知れた友人達。そこまで気にするような事でもないのだが。
「でも、まぁ、確かに勿体無いかなん」
ビオルはテーブルの上に散らばった欠片を口にする。
仄かに甘い味が口のなかに広がった。
「良くできてるよん」
最初は樹宝さんがのたうち回る程の味だったのに、と思う。
ごくっと飲み込んで、ビオルは何かを決めたように頷いた。
「リトさんや。新しいお菓子作ってみようかねぇ?」
「え?」
「クッキーは上手に出来るようになったしぃ、お客さんがぁ来るんだからバリエーションがあった方が良いよねん」
「新しいお菓子……はい!」
「うふ。じゃあぁ、ボウルにぃ割れたクッキー集めてぇ」
「はい!」
リトが割れたクッキーを集めている間に、ビオルはバターとクリームチーズを用意する。
「じゃあ、まずはこのクッキーをもう少し細かく砕こうかねぇ」
「えっと」
「粉までいかないけどぉ、このくらいぃ」
「はい!」
「さてぇ、その間にぃ、これを室温に戻しておこうねぇ」
「それは何ですか?」
ビオルが用意した白い塊を見て、リトが小首を傾げる。
「これはぁ、クリームチーズだよん。今朝、薬を卸しに行ったらもらってねぇ」
良い出来で、量も少し作りすぎたからとお裾分けしてもらったのだ。
「氷室から出して直ぐだとまだ固いからねぇ、室温に戻してぇ、後はぁ無塩バターも戻そうかなん」
型にバターを塗って、リトが潰したクッキーのボウルへ室温に戻したバターを加え。
「よく混ぜてぇ、型に敷き詰めておいてねん」
「はい。よいしょ」
「さっき室温に戻して柔らかくしたぁ、クリームチーズにぃ、お砂糖をちょっとずつ加えてぇ、卵も入れてぇ、ぐるぐるっとぉ」
「ふふ。ちょっとわくわくします」
「良い事だよん。でぇ、ここに生クリームとレモンの絞り汁を加えてぇ、よぉーく混ぜるよぉ。後は、薄力粉を入れてぇ、最後に一度裏漉しぃ」
「あ。お月様みたいな黄色になりました!」
「うふ。それからぁ、この型に流し入れてぇ、オーブンでこんがり焼き上げるよん」
オーブンの蓋を閉めて、一息つく。
「これで少し焼いてぇ、焼き上がってあら熱を取ったらぁ、氷室に入れて冷やして完成だよん」
「おい、何か見慣れないもんがあるが……」
皆が集まり、大樹の下でお茶会となった席にて、樹宝は見慣れない菓子に警戒するような目を向ける。
「はい! 今日は新しいお菓子作ってみたんです」
「……ビオルさん?」
樹宝は若干疑うような目でビオルを見た。
「なぁにぃ、樹宝さんや。美味しそうでしょう?」
「……まあ、見た目は」
「何を躊躇っているのだ? せっかく乙女が作ってくれたものを」
ナハトが訝しげに樹宝を見やる。
「これ、ケーキだったかしら? 北の菓子よね」
「あは。南にもあるよ巫女姫。ロアはフルーツがたくさんのが好みだけど」
「美味しそうですね」
敷布の上に全員、輪になって座っている。そして、中心につまみやすいクッキーの大皿、各人の前に盛り付けられたチーズケーキの皿が置かれていた。
「……要らないのなら私が食すが?」
「待て。これは俺のだ。お前のはそれだろ」
「乙女が作ってくれたものを前にその様な顔をしているのが悪い」
「お前はあれを食った事がないから……」
「これ美味しいよー」
「……」
ひょい、とロアが自分のケーキを口に運ぶ。
瑞花と銀月もそれにならうように口をつけて。
「美味しいわ」
「美味しいですね」
「……」
樹宝はその様子を見つつ、やがてリトをちらりと見る。
「う」
そこには、はにかみつつ期待の眼差しを送る顔があった。
食べないという選択肢は最初からないものの、樹宝は恐る恐るケーキを一口食べる。
「…………食べられる」
「えへへ」
「貴様、言うことに事欠いてそれか」
樹宝の呟きに、リトは喜び、ナハトは若干呆れたような顔をした。
瑞花だけは微妙に目を逸らしていたが、樹宝は結局チーズケーキを完食する。
「まぁ、……美味かった」
「良かったぁ!」
手を叩いて喜ぶリトに樹宝もわずかに頬を緩めた。
「珍しい事もあるもんだな」
後日。
「っ! なんで最初失敗しなくて次なんだっ?」
「ご、ごめんなさい!」
「どうやったら粉砂糖の代わりに塩振るなんて事になるんだよ!」
晴天にきらきらと光り舞うある夏の日の事だった。